主人の命令
朝の着替えの時間。
窓の外から差し込む柔らかな朝日が部屋を照らしている。
当然のように、クローディアスが俺の着替えを手伝っていた。
「レイン様、腕を上げてください」
「んー……」
まだ眠気の残る頭のまま、気の抜けた返事をする。
言われるまま両腕を持ち上げると、クローディアスは慣れた手つきで俺の着ている寝間着を脱がせていった。
引っ掛からないよう丁寧に袖を抜き、そのまま用意していたシャツを腕に通していく。
この着替えの間の時間も、当たり前のようにティアが部屋の中に居座っていた。
ベッドの縁にちょこんと腰掛けながら、俺の着替えをじっと眺めている。
シーツをくしゃりと手繰り寄せ、胸元に抱え込みながら、どこか上気した顔をしている。
特に何かをするわけでもない。
話し掛けてくるわけでもない。
ただそこにいて、俺の着替えを眺めているだけだ。
最初こそ、抵抗感を覚えて部屋から出て行くように促した。
着替えるから外で待ってろ。
せめて後ろを向け。
何度そう言ったか分からない。
けれども、こういう時の彼女はこちらの言うことを聞くわけがない。
理由を説明しても
「なにがダメなの?」
と、不思議そうに首を傾げるだけ。
クローディアスが彼女を引き摺り、強引に部屋の外へと追い出しても無意味だった。
俺とティアの契約者間の繋がりによって使用出来る能力を利用して、すぐ部屋の中に戻って来る。
扉も、窓も、壁さえも無視して。
直前までいた位置に戻って来るのだ。
そんなことの繰り返しなのだから、既に諦めていた。
説得も無意味。
追い出すことも不可能。
抵抗するだけ無駄。
律儀に反応していては疲れるだけ。
だったらこちらが慣れるしかなかった。
クローディアスも同じ結論に至ったのだろう。
ティアが部屋の中に居座っていても、なにも言わなくなっていた。
「少しこちらを向いてください」
「はいはい」
肩を回されるまま素直に従う。
シャツのボタンを留めるクローディアスをぼんやり眺める。
幼い頃から続けられてきた作業なのだから、手慣れていて当然。
それなのに。
ふと違和感を覚えた。
(なんだ……?)
上手く言葉に出来ない。
ただなんとなく、どこかおかしい気がした。
「レイン様?」
じっと見つめ過ぎたせいだろう。
俺の視線に気付いて、クローディアスが手を止めた。
少しだけ首を傾げながら、どうしたのかと問うように。
その問いに答えないまま、クローディアスの顔を見続ける。
無言のまま、両手を伸ばした。
クローディアスの頬に触れる。
そのまま、確かめるように両手で頬を包み込むと、額を重ね合わせた。
距離が一気に近くなる。
呼吸の温度まで分かるほどに。
「っ……、近いです」
「黙ってろ」
反射的に返しながら、意識をそちらに集中する。
(やっぱりだ)
ほんの僅かだが、熱がある。
「……おまえ。無理してるだろ」
その一言に、クローディアスの瞳が微かに揺れた。
「無理、なんか……」
「していないとか言うなよ?俺に誤魔化しが効くと思うな。何年一緒にいると思ってんだ」
言いかけた言葉を、すかさず遮る。
途端に、クローディアスは口を閉ざしてしまった。
否定しようとして、出来なかったのだろう。
俺が誤魔化すことを許さなかったから。
「クローディアス、具合悪いの?」
それまで黙って着替えを眺めていたティアが、ぽつりと口を開いた。
ゆっくりとした足取りで近寄り、クローディアスの顔を覗き込む。
一度目を閉じ、小さく息を吐いた。
ずっと手にしていた俺の服から、そっと手を離す。
「……少しだけ」
観念したように、もうそれ以上誤魔化すことはしなかった。
その言葉を聞いて、ティアが小さく首を傾げた。
「なら、休む?」
「そういうわけには……。まだ、レイン様の着替えも途中ですし……」
クローディアスはそう返しながら、直前まで触れていた箇所へと視線を落とす。
まだ自分の仕事が終わっていないと言いたいのだろう。
本来ならば、この着替えすらクローディアスが手伝う必要はもう無い。
俺がカーディナから離れ、貴族としての役割を放棄したも同然の今。
彼が従者としての仕事を律儀にまっとうする理由なんて、どこにも残っていないはずだった。
もう、使用人として世話を焼くことも。
護衛として俺を守ることも。
そんなこと、する必要無いのに。
本当ならとっくに崩壊している関係性なのに。
それでもクローディアスは俺の隣に立ち続けてくれている。
当たり前のように使用人としての仕事をこなし、当然のように俺の身を守り、当然のように俺のことを気に掛けてくれる。
(どうして、そこまで俺に仕えてくれるんだろうな。
もうそんなこと、しなくていいのに……)
そんなことは口に出さないけれど。
口に出せば、きっとクローディアスを傷付ける。
依存にも似た思いを、彼が抱いているのは分かりきっているのだから。
それでも、体調が悪い彼にそのまま仕事を続けさせるわけにはいかなかった。
「着替えなら自分でやる。一日くらいぐちゃぐちゃでも平気だろ。護衛だって、ティアに任せればいい」
そう言って、びっと人差し指をクローディアスの顔に突き付けた。
「だから。おまえは休め」
「ですが……」
「や・す・め。これは命令だ」
きっぱりと言い切ると、開きかけていたクローディアスの口の動きが止まった。
命令と言われ、流石の彼も何も言えないようだった。
俺の言葉に続けるように、ティアが口を挟む。
「クローディアスが倒れたら困る」
「それは……」
「レインも心配するし、私も不安」
じっと真っ直ぐに、クローディアスを見つめたまま、ティアが続ける。
「クローディアスはレインの心の支えでもあるんだから、元気でいないとダメ。元気のままレインを支えて、レインのことを守る。それがクローディアスの一番の仕事でしょう?だから、今はいっぱい休んで元気になることがクローディアスのお仕事」
クローディアスが一度目を瞬かせ、目を伏せた。
そして、小さく息を吐く。
「……分かりました。今日はお休みをいただきます」
その言葉にようやく安堵しかけて。
クローディアスが小さく、言葉を漏らした。
「ただ……」
「ただ?」
反射的に訊き返す。
クローディアスはすぐに顔をあげず、なにか言い淀んでいた。
俯いたまま視線を泳がせ、言いたいことを口にすることすら迷っている様子。
そして意を決したように、ゆっくりと顔を上げた。
「でしたら……、ひとつだけ。我が儘を言っていいですか……?」




