黒と灰の街ソリトゥス
アルビオンの馬車でソリトゥスへと辿り着いた俺たちは、街の様子を眺める間もなく、手紙に記されていた場所へと向かった。
『ソリトゥスに滞在する間はこの施設を利用するといい』
そう案内されていた建物だ。
フィニスが管理している施設のひとつらしい。
建物の周囲を囲む柵や門はともかく。
扉も、外壁も、窓枠に至るまで。
すべてが黒で統一されていて、不気味な印象を与えた。
今はまだ陽が昇っている時間だ。
街あちこちに差し込む日差しのおかげでまだマシに思えるが、街全体が陰鬱な雰囲気に包まれていた。
立ち並ぶ建物も。
足元に敷かれた石畳も。
店先に掲げられた看板さえも。
色彩というものを忘れてしまったかのように、街並みは黒と灰色だけで構成されている。
通りを行き交う人々も、どこか張り詰めた雰囲気を纏っている。
声を上げて笑う者はいない。
楽しげに談笑する姿も見当たらない。
皆が淡々と自分の行き先へ向かい、必要以上に他人へ関心を向けない。
そんな気味悪さと静けさが街全体を支配していた。
活気がないわけではない。
人の流れはあるし、商人らしき人の姿も、買い物袋を抱えた人の姿も見える。
だが、やけに淡い髪色の住人が多い気がする。
こんな場所に長居しようものなら、気が狂いそうな気さえした。
目の前の建物のドアノッカーを掴み、ノックをする。
すぐに重たい扉が内側から開かれた。
「……お待ちしておりました」
現れたのは、クリーム色の長い髪を無造作に下ろした少女だった。
濃い緑の瞳は、どこか虚ろで、焦点が合っているのかすら分からない。
「レイン様ですね。お話は伺っております」
感情の起伏を感じさせない事務的な声で、淡々と言葉を続ける。
少女は一歩だけ後ろへ下がり、扉をさらに大きく開け放つ。
「どうぞ、中へ。僭越ながら、このニンフェアが、中をご案内させていただきます」
音も無く身を翻すと、ニンフェアは奥へと進んでいった。
その背中を追うように、俺たちも建物の中へと足を踏み入れた。
ニンフェアの案内のもと、黒と白のタイルが交互に敷かれた廊下を進んでいく。
硬質な床を踏むたび、複数人分の足音が廊下に響いた。
建物内を案内しながら、ニンフェアは淡々と説明をしてくれた。
「厨房はご自由にお使いください。ただし、こちらで用意する料理は特別製となっておりますので、絶対に口をつけないようお願いいたします」
「特別製?」
聞き返すと、ニンフェアは振り返ることも無いまま答える。
「はい。ここは公爵家の使用人を育成するための施設ですので。そのため、食事のいずれかには必ず毒物や硝子などの異物が混入させています」
「……は?」
あまりにも当然のように言われた説明に、驚きを隠せない。
「公爵家の使用人ってそれが普通なの?」
ティアがすぐ傍に立つクローディアスへと視線を向ける。
彼もまた、同じ貴族階級の、それも公爵家に仕える使用人なのだからと尋ねたのだろう。
だが、クローディアスは驚いた顔で「まさか」と首を横に振る。
「命を狙われやすい立場だから、主人は幼少期から毒物を摂取させられて、徐々に毒に慣らされはさせられる。だが、使用人まで同じように慣らすことはない。むしろ逆だ。万が一にも飲食物に異物を入れられなんかしたら気付けないからな」
「なにその環境……。怖っ」
クローディアスの説明を聞きながら、ティアが顔を引き攣らせた。
その後ろで、ノクスが肩を竦めながら続けた。
「それだけ敵が多いってことだろうねぇ。使用人すらも気が抜けないんでしょうよ」
「レインも、毒、飲み続けてきたの?」
ティアが隣を歩きながら尋ねる。
不安そうな、こちらを気遣うような表情を浮かべていた。
一瞬、誤魔化すことさえ考えた。
けれど、変なところで鋭いティアのことだ。
余計な気をまわして誤魔化したところで、彼女はきっと納得してくれないだろう。
それどころか、隠そうとしたこと自体を気にして、機嫌さえ損ねてしまいかねない。
頬を膨らませ、拗ねた顔をする彼女の姿が脳裏をよぎり、思わず苦笑いを浮かべた。
「まぁ……。小さい時の話だよ」
素直に答える。
今さら隠すようなことでもない。
そう思っていたのだが。
「むぅ……」
返ってきたのは、不満げな唸り声だった。
こちらの予想に反して、ティアはあからさまに頬を膨らませていた。
視線は足元へ向けられたまま。
黒と白のタイルが並ぶ床を見つめながら、拗ねたような表情を浮かべているではないか。
「あーあ。お坊ちゃんが黒ユリちゃん拗ねさせたー」
ティアのさらに後方から聞こえてきた声に、思わず眉を顰める。
そちらへ振り返ると、案の定、ノクスが面白そうに口元を緩めていた。
完全に他人事だと思って楽しんでいる顔だ。
「人聞き悪いこと言うなよ」
「えぇ~?」
わざとらしく不満そうな声を上げながらも、その表情は全く反省していない。
むしろ、完全に面白がっている。
「どっちに転んでも結果は変わらないものですね」
いつも通りノクスの腕に抱かれたまま、セレナが言った。
普段と変わらない声音に聞こえる。
けれどその口元には、微かに笑みが浮かんでいた。
「隠そうものなら嘘をつかれたことに腹を立て、正直に話せば心配で怒る。ふふ、レインってば愛されてるじゃないですか」
「セレナまで……」
思わず肩を落とす。
味方がいない。
いや、そもそも誰も味方をする気がない。
クローディアスも、ノクスも、セレナも。
誰一人として助け舟を出そうとはせず、面白そうに、あるいは微笑ましそうにこちらを眺めているだけだった。
「別に。私、怒ってないもん」
隣を歩くティアが、むすっとした声で言う。
視線は相変わらず足元へ向けられたままだ。
「……ただ、嫌なだけ」
ぽつりと続いた言葉に、思わず苦笑が漏れる。
怒っていないと言い張るわりに、機嫌が良いようにはとても見えない。
「それを怒ってるって言うんじゃないのか?」
「違うもん」
即座に否定が返ってくる。
だが、その返事にはいつもの勢いがない。
それどころか、どこか落ち込んでいるようにも聞こえた。
苦笑を浮かべたまま、仕方ないと小さく息を吐く。
言いながらも理解はしていた。
怒っているわけじゃない。
きっと、気にしているだけだ。
自分のことのように。
そんなことくらいは分かる。
だから俺は少しだけ歩幅を変え、そっとティアとの距離を詰めた。
「?」
ティアが不思議そうに顔を上げる。
先ほどまで足元へ向けられていた紅の瞳が、こちらに向けられた。
そんな彼女に、
「ありがとな」
と、小さくお礼を告げた。
こちらの雑談めいたやり取りが一段落した頃。
先頭を歩いていたニンフェアが、タイミングを見計らったように口を開いた。
「そういうわけですので、ご了承くださいませ。客人にそのようなものを振る舞うわけにはいきませんので」
先ほどまでの会話など聞こえていなかったかのように、ニンフェアは説明を続ける。
「あと」
不意に、ニンフェアの足が止まった。
つられるように、俺たちも足を止める。
これまで一度も振り返ることのなかった彼女が、ゆっくりとこちらへ向き直った。
無機質な緑の瞳が、真っ直ぐこちらを見据える。
「夜中は出歩きませんよう、お願いします。それ以外はご自由にお過ごしくださって構いませんので」




