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呪華ノ鎖  作者: 雪ねこ
第四章
119/122

黒い少女の正体

紅の視線が真っ直ぐにこちらへと向けられる。


長い白髪の隙間から、右眼に刻まれた黒いユリの紋様が覗いた。


そしてひと言。

短く頭の中で命じた。


――魅了しろ。


刹那。

ティアの瞳が淡い桃色に揺れた気がした。


「……っ」


途端に頭がぼうっとする感覚に襲われる。


視界の奥がぼやける。

うまく考えられない。


頭の中にモヤが掛かったように、思考を放棄してしまう。


「レイン……?」


ティアの声が、すぐ傍で聞こえた気がした。

きっと今、俺は虚ろな目をしているのだろう。


「ほんとに使えるんだねぇ」


ノクスが近付く気配がした。

腰を屈めて、こちらを覗き込んでいるのが分かる。

目の前で手のひらがひらひらと振られたけど、それすら反応出来ないでいた。


「お坊ちゃんの意識、持ってかれてるっぽいね。反応無いや」


「やっぱりこういうのは良い気分じゃありませんね……」


セレナが小さく呟く。

珍しくこちらから視線を逸らしていたのが分かった。


彼女自身も言い出した話だったとしても、嫌な記憶が思い起こされたのか。

目の前の光景を見たくないとばかりに、眉を顰めている。


「セレナ。外に出るか?顔色が悪い」


クローディアスが気を利かせて声を掛けた。

けれども、セレナは首を横に振る。


「いえ。無理強いしているのはこちらなのだから、最後まで立ち合います」


そんな会話を背にしながら、ノクスが「ふむ……」となにか考え込む。

数秒の沈黙のあと、ぱっとなにかを思いついたように顔を上げた。


「ね、黒ユリちゃん。なにかお坊ちゃんに命令してみてよ」


人差し指を立ててながら、にっこりと笑みを浮かべる。


「……命令?」


ティアが怪訝そうに眉を寄せる。

その声には迷いが滲んでいた。


ノクスは軽く頷く。


「そ。どれくらい効いているのか知りたいしさぁ。別に難しいことじゃなくていい」


ティアは少しだけ視線を落とし、考え込む。


なにを指示するか。

なにを要求するか。


弓を持ったままの指先に、微かに力が入った。


セレナが小さく息を吐き、クローディアスが視線を鋭くする。

ノクスだけが、変わらず楽しそうにティアを見ていた。


やがてティアは、ゆっくりと顔を上げる。


持っていた弓から手を離した。

ふわりと黒い花弁となって散り、弓がほどけて消える。


意を決したように、口を開いた。


「……レイン」


彼女がなにを口にするのか。

誰もが見守る中。


ティアは静かに言葉を続けた。


「抱っこして……?」


その言葉を耳にした途端、それしか考えられなくなる。


腰掛けていた椅子から身体を起こし、ティアへと向き直る。


持っていた本が床へと滑り落ちる。

バサリと重い音を立ててページが広がった。


そんなことなど気に掛けることもせず、彼女の前で屈み込むと、背中と膝の下に腕を差し入れた。


そのまま、そっとティアの身体を持ち上げる。


ティアの身体は思っていた以上に軽い。

白い髪がふわりと揺れ、視界の端を掠める。


ティアが肩の力を抜いて、俺の胸元に体重を預けてきた。


「暴走してるわけでも無く、継続的に命令を下しているわけでもない。それなのにこれだけ安定して制御できるなんて、流石ですね」


「あの聖女サマも、途方も無いくらい時間は掛けてたっぽいけど、契約者も無いままたくさんの人を魅了してたっぽいからねぇ」


「やっぱり、ティアは特別なんでしょうね」


セレナとノクスが感心したように呟く。


「ティア、もういいですよ。解除はできます?」


その問いに、ティアは頷いた。


「うん」


ティアの視線がこちらに向く。


流れるように首の後ろへと、彼女の腕が首の後ろへと回される。

そして耳元に、そっと口が寄せられた。


「レイン。もう大丈夫。正気に戻って?」


その言葉が耳に届いた瞬間。


頭の中を覆っていた霧が晴れるように、ふっと意識が戻った。

ぼやけていた視界がクリアになる。


「俺……、いったいなにを……?」


完全に思考を奪われていたわけではない。

だから、完全に自分がなにをしていたかなんて覚えが無いわけではない。


けれども、口を突いて出たのはそんな言葉だった。


「もうさせないで」


ティアが抱き上げられたまま、キッとノクスを睨む。


「こういうのは嫌い」


「おっと。怒られちゃったや」


ノクスは袖で口元を隠したまま、肩を揺らして笑った。

その後ろで、セレナが肩を竦めた。


「当然ですね。刺されても文句は言えません。それくらい、私たちはひどいことをしたのですから」


「次やったら、ノクスの口に本物の黒ユリ詰め込むね」


「げ。それは勘弁して欲しいなぁ」


ノクスがわざとらしく顔をしかめる。


「キミたち本体やキミたちが出した花弁は匂いしないけど、黒ユリの匂いってきっついんだよ?生乾きの雑巾みたいなひっどい臭い。そんなもの詰め込まれるなんて考えたくもない~」


「こんなことしておいて、それくらいで済むのなら優しい方だろ」


クローディアスが呆れたように続けた。

そのやり取りの中で、ティアがこちらを向いた。


「レイン、大丈夫?変なところ無い?」


抱きついたまま、ティアが不安そうに顔を覗き込んできた。


ティアを抱き上げたまま、何度か手を握り締めたり、開いたりと繰り返してみる。


自分の意思でちゃんと動いている。

それを確認して、しっかりと頷いた。


「あぁ。大丈夫だ」


「よかった……」


俺の言葉に、ようやく安心したようにティアが微笑んだ。


「レイン様。本を落としましたよ」


クローディアスが足元に跪く。


ティアに命令されるまま抱き上げるために立ち上がった時。

その拍子に落としてしまった貴族名簿だ。


それを拾い上げようとして、クローディアスの手がふと止まった。


「どした?」


ティアの身体を降ろしながら、問い掛ける。


「レイン様が調べてた名前って確か、“リリィ”でしたっけ」


「そうだけど。それがどうかしたか?」


「これ」


クローディアスが片手で本を持ち上げて、こちらに差し出した。

ページを開いたまま。


もう片方の指先が、そこに記された文字をなぞる。


「そうですよね……?」


そこに書いてあったのは、ひとつの名前。


『リリィ・アルブス・リリウム・カーディナ』


目を見開いてしまう。


間違いない。

彼女の名前だ。

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