彼岸花の眠りから醒めて
「ぅ……、ん……」
ただ眠っていただけの時よりも重苦しい。
もう一度沈んでしまいそうになる瞼を、無理やり持ち上げた。
「レイン様!!」
張り詰めた声が耳に飛び込んできた。
ぼやけたままの視界に映り込んだのは、クローディアスの顔だ。
心配と焦燥で張り詰めた、
今にも泣き出しそうな、険しい表情で、こちらを覗き込んでいる。
「ク、ロ……?」
ひどく渇いた掠れた声で、目の前の従者の愛称を呼ぶ。
「大丈夫ですか!?気分は!?どこか異常とかありませんか!?」
矢継ぎ早に飛んでくる声に、ようやく思考がはっきりとしてくる。
クローディアスは、ベッドの端に両手を付きながら身を乗り出していた。
鉛のように重い身体を、どうにか起こそうと片手をつく。
そんな俺の背中へと、すぐに手が添えられた。
手袋をはめた手で支えられながら、ゆっくりと身体を起こした。
手のひらの下には花の感触。
身体の周囲を囲むように、彼岸花が散っていた。
俺と、その腕の中で寄り掛かるように眠っているティアの周りを囲むように咲いていたのだろう。
今はもう役目を終えたかのように花弁が落ち、紅い色を宿したまま、萎れ掛けていた。
「黒犬くんってば、ずっと落ち着き無かったんだよ~。心配で心配でもう死にそうって感じで」
すこし離れた場所に立っていたノクスが、くっくっと喉の奥で笑う。
口元を袖で隠しながら、楽しそうに肩を揺らしていた。
「お坊ちゃんたちが眠ってる間もずーっと落ち着き無くウロウロしてたんだからさ~。どんだけお坊ちゃん大好きなのって感じだよねぇ」
「あなたは本当に空気を読みませんね」
呆れたように、柔らかい声が割って入る。
ノクスの傍らに立っていたセレナが、冷めた視線を彼へ向けながら小さく肩を竦めていた。
「え~?だって事実じゃん?」
自分のことを真っ先に気に掛けるクローディアス。
それを面白がるようにからかうノクス。
そんなノクスを、淡々とした声音でセレナが諌める。
いつも通りのやり取り。
その光景を見ているだけで、自然と頬が緩んでしまう。
(あぁ……。帰って来たんだ)
ふと、腕の中で眠っていたティアが身動ぎした。
「うぅ……、んぅ……?」
小さく声を漏らしながら、彼女もゆっくりと目を覚ます。
すぐには覚醒できていないらしく、焦点の定まらない視線が静かに揺れていた。
その様子を見て、ノクスが目を細める。
「おや、眠り姫の方もお目覚めのようだねぇ」
ティアは数回瞬きを繰り返し、辺りを見まわした。
ノクス。セレナ。クローディアスと。
順番に全員の顔を確認して、最後に俺の方へと視線が向く。
途端に、ティアの表情がふわりと緩んだ。
「良かった……。みんなのとこ、戻ってきた」
安堵の混じった声に、こちらまでつられるように笑みが浮かぶ。
ティアの身体を支えるようにまわしていた腕をそのままに、そっと彼女の頭に手を添えた。
すり、と手のひらにすり寄せられる。
まるで懐いたネコのように目を細めて、気持ち良さそうな顔を浮かべていた。
「……甘いの食べたい」
ティアがぽつりと呟いた。
途端に、沈黙が流れる。
寝起きの声でなにを言われたのかと、誰もが呆気に取られていた。
「あはははは!まさか開口一番それだなんてねぇ!」
ノクスが堪えきれないといった様子で肩を揺らし、腹を抱えながら盛大に笑っている。
目尻にはうっすら涙まで滲んでいた。
「ティアらしいと言えば、ティアらしいですね」
眉を下げ、セレナが言葉を続けた。
「ティア、なにか食べたいものありますか?」
その問い掛けに、ティアが「んー……」と声を漏らした。
視線を宙に彷徨わせ、なにが食べたいかと考えを巡らせる。
「クッキーとマカロン、タルト、あとマフィンも食べたい。全部、手のひらサイズで」
指をひとつずつ折りたたみながら、思いつくままに並べていく。
それはどれも、記憶の再現とも言える夢の中で見たものだった。
「おまえ、それって……」
思わず、呆れたように呟きが漏れる。
脳裏を掠めたのは、幼い頃の俺が厨房から盗み出して、幼いクローディアスが困った顔をしながら、隠れていた俺を探し出した時の光景。
その時の俺が、両手いっぱいに抱えていた菓子と同じもの。
それらを要求していたのだ。
ティアは“なにかおかしなことを言った?”と言いたげに、首を傾げてこちらを見る。
俺は苦笑を浮かべ、軽く首を振った。
「いや、なんでもない」
それ以上は言葉にしないまま、視線を外す。
その視線の向こう側で、ノクスが「ふむ……」と顎に手を当てていた。
ティアが要求したものを頭に叩き込んでいるようだった。
「珍しく色々と要求するねぇ。ま、いいけどさぁ。んじゃ……。ボクは、ちゃっちゃと用意してくるよ〜」
くすりと笑い、ノクスが背を向ける。
こちらに向かって軽く片手を振ると、そのまま部屋を出て行った。
その後ろ姿を追うように、セレナがゆっくりとした足取りで続く。
「私も手伝います」
「だったら味見お願い~。ジャムにクリーム、焼き上がりの生地もね~」
「そんなの不必要でしょうに」
閉じられた扉の向こうから、そんなやり取りが聞こえてきた。
手伝いを申し出たセレナを完全に拒まない。
けれどノクスは、安全な仕事しか与えようとしていなかった。
その声を聞きながら、クローディアスが不思議そうな表情を浮かべた。
「……?何故でしょうか。そのラインナップ。どこかで覚えのあるような気がするんですが……」
「き、気のせいじゃないか?たまたまだよ!たまたま!偶然!な?」
言いながら、同意を求めるようにティアを見る。
「えっと?うん……?」
要求を口にした張本人であるティアは、状況を理解していないのだろう。
きょとんとしながらも、小さく頷いていた。
「あ、そうだ。クロ。後で俺の服をティアのサイズに合わせて調整してくれないか?」
思い出したようにクローディアスに要求をする。
その言葉に、クローディアスがどういうことかと言いたげに目を瞬かせた。
「は?え…。別に構いませんが…。なんでまた急に?」
そのやり取りをした瞬間。
ぱっと表情を明るくしたティアが、嬉しそうにこちらを見た。
「レインの服……!!」
心底嬉しそうなティアの様子に肩を竦める。
それ以上はなにも言わないままの俺に、クローディアスが小さく息を吐いた。
「よくわかりませんが……。そういうことでしたら、おやつが焼きあがるまでに採寸しましょうか」
俺たちの身になにが起きて、
どんな出来事を経験し、
その間にどのような会話を交わしたのか。
そんなことなど知る由も無いクローディアスは戸惑いながらも、受け入れ、提案してくれた。
「うん!ありがとう、クローディアス!」
ティアは素直に頷き、嬉しそうに笑っていた。




