血染めの記憶
「なんだよこれ……ッ」
庭園の外は木々や茂みなどの緑に囲まれていた筈。
それなのに、硝子製の扉を開けた先の景色は、すっかり違うものへと変わっていた。
そこに広がっていたのは、カーディナの屋敷の廊下。
だがそれは、見慣れた廊下とはまったくの別物だった。
視界を埋め尽くすのは、異様なほど鮮烈な赤。
ドレスを纏った女性。
紳士服の男性。
燕尾服やメイド服を着た使用人。
身分も役割も関係ない。
様々な装いの人間が、無造作に床に倒れている。
誰も動かない。
誰も呼吸をしていない。
目にしただけでも、そこに倒れている全員が既に息絶えていることは明白だった。
誰もが例外なく、鋭い刃で切り裂かれたような大きな傷を負っていた。
壁や絨毯、カーテン、そして調度品にまで。
そこかしこに赤が飛び散っている。
地獄にでも迷い込んだのかと錯覚しそうな光景に、思わず顔を顰めてしまう。
周囲を見渡すと、廊下の床や壁に出来た亀裂から、黒い花が顔を覗かせていた。
絶望そのものを形にしたような黒ユリ。
一切の光を通さない、艶の無い漆黒。
「これもまさか……、過去の再現だって言うのか?」
あまりにも生々しい、惨劇の舞台。
これだけの惨状が視界いっぱいに広がっているのだ。
むせ返るほどの鉄の臭いに襲われても不思議ではない。
それなのに、そんな臭いは一切しないのだ。
幼い俺がふざけて、クローディアスを困らせ、屋敷の中を走り回っていた頃の記憶。
あの時と同じように、触ろうとしてもすり抜けてしまう。
実在しないことを証明するかのように。
触れようと手を伸ばしてみても、何も触れられない。
目に映っているのに干渉出来ないのだ。
「これって、クローディアスが言ってたお話?レインのお屋敷で昔、たくさんの人が殺されたってやつ」
「あぁ……。多分……」
クローディアスが話していた、カーディナ家の惨劇。
屋敷で起きた大量虐殺。
約400年も前の出来事。
それなりに長い年月が経過している所為で、真相は明かされないまま。
誰も知らないまま、昔話のように教えられていた。
これは、その時の光景なのだろう。
膝をついて、一輪の花にそっと手を伸ばした。
血溜まりの中に膝をついているというのに、衣服には一切染みがつかない。
それがまた、これが現実では無いと痛感させられる。
指先が黒い花弁に触れる。
だが、手に触れた花弁の感触はなにも感じられない。
柔らかい感触も、ひやりとした冷たさも、なにも無かった。
「この花……。これがあるってことはやっぱり……。あの資料に書いてあった通り、呪華関係だってことだよな」
触れていた黒ユリの花弁から、そっと手を離しながら呟いた。
その直後のことだった。
ズズ……、ズズ……。
廊下の奥から、なにか重い物をを引きずるような音が聞こえてきた。
「なにか、来る」
ティアが警戒心を剥き出しにして、前方を睨み付ける。
暗がりから、人影がひとつ。
ゆっくりと姿を現した。
そこに立っていたのは、つい先ほど庭園で見た幼い少女だった。
ただ、まったく同じ姿ではない。
庭園で目にした時よりもずっと、成長した姿のように見える。
背丈はティアとほぼ変わらないものに。
澄んだ水のように優しい水色の瞳は、鮮やかな血を思わせる紅色に。
無邪気で柔らかかった雰囲気は、触れたものすべてを傷付けそうな鋭い刃を思わせる冷たいものに。
同じ顔なのに、別のなにかへと塗り替えられたかのように変わっていた。
それでも、目の前の彼女は庭園の少女と同じだと言い切れた。
元々は別の色をしていたのだろう。
あちこちにフリルが飾られたドレスは、真っ赤に染め上げられていた。
まるで、元から赤いものだったと錯覚するほどに。
そしてその右手には、漆黒の大鎌が握られている。
刃の表面には蔦のような彫刻が複雑に絡み合っている。
その根元には、大きな黒ユリを模した装飾。
少女の手に握られている柄には、黒ずんだ鎖が巻き付いており、
動かすたびに、じゃらりと重たい金属音を響かせていた。
先ほど響いていた、なにかを引きずるような重い音はこれだろう。
身長を超えるほどの大鎌の峰を、無造作に床に引きずりながら歩いてきたらしい。
その証拠に、鎌の通った軌跡には、いくつもの赤い線が絨毯の上にべったりと付着していた。
紅い瞳が、ゆっくりとこちらへ向けられる。
『まだ、生き残りがいたんだ』
その一言を耳にして、ティアがますます警戒心を強めた。
俺を庇うように前に出て、姿勢を低くする。
彼女の両手には、いつの間にか双剣が握られていた。
「こいつ、私たちのこと見えてるよ。映像じゃない。実体がちゃんとある」
大鎌を持った少女の瞳が、俺たちをゆっくりと動く。
頭から爪先まで。
丁寧になぞるように見渡して、ふらりと体勢を崩した。
鎌を握っていない左手で、ぐしゃりと自分の髪の毛を掴む。
『全員、殺さなきゃ』
ぽつりと、小さく独り言が零れた。
その言葉をきっかけに、堰を切ったように言葉を続けた。
『ひとり残らず。誰ひとりとして生きて帰さない。そんなことは許されない。許さない……』
ぶつぶつと、呪詛のような言葉を繰り返しながら、少女はさらに激しく髪を掻き乱していく。
ぎゅっとキツく目を閉じるその表情は、苦痛に耐えているようにも見えた。
黒い髪が乱れ、指と指の隙間から、乱れた前髪が無造作に零れ落ちていく。
次の瞬間。
閉じられていた瞳が、勢いよく開かれた。
ぎろり、と。
憎悪を煮詰めたような紅い眼が、真っ直ぐこちらを射抜いた。
『許さない。許さない許さない、許さない!全員殺してやるッ! 全員殺して、根絶やしにして、私をこんな目に遭わせたことを後悔させてやる!!』
叫びながら、少女が動く。
右手に握りしめていた大鎌を両手で握り直し、胸の高さまで持ち上げられた。
一気に目の前まで飛び込んできた少女が、漆黒の刃を横薙ぎに振るわれる。
勢い良く飛び込んできた彼女は、俺と、俺を庇うように立ったティアごと、纏めて切り裂こうとしていた。




