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呪華ノ鎖  作者: 雪ねこ
第三章
108/120

旋律に導かれて

―――。


「ピアノ……?」


思わず足が止まる。


耳に届いたのは、かすかな音色だった。

風に紛れてしまいそうなほど弱く、それでも確かに聴こえてくる旋律。


邸宅の中をひと通り探索し終え、この空間から脱出する手掛かりを求めて外へ出たところだった。

だというのに、まるで俺たちを誘うように、別の方向から音が流れてくる。


「ねぇ、レイン。この曲……」


ティアが俺の袖を軽く引っ張りながら呟く。

彼女が何を言いたいのか理解して、「あぁ」と短く頷いた。


この旋律には覚えがある。

夢の中で聴いた音色。

大聖堂でコレットがハープで奏でていた旋律。


優しくて、綺麗で。

それなのに、どこか胸の奥を締め付けるような寂しさを含んでいる。


そんな曲。


ふらりと。

その旋律に導かれるように足が動いていた。

考えるよりも先に足を進めてしまう。


「レイン?」


どうしたのかと言いたげに、ティアが俺の後ろを追い掛けてくる。

振り返ることも、返事を返すこともしないまま、足を進めた。


ぼんやりとした意識の中で、違和感を覚えた。


この道は、既視感がある。


自宅の庭だからという理由だけでは無い。


あの日。

ティアたちに拉致される日の朝。


ちょっとした悪戯を思いついて、クローディアスに紅茶を注いで香辛料を仕込んだ。

ほんの出来心とほんの少し驚かせるつもりで。


あの時のクローディアスは、紅茶を差し出された瞬間から怪しんでいた。


警戒するように、手に取ったティーカップと、俺の顔を交互見て、

それでも、最後には口を付けた。


絶対に何か仕込まれていると分かっていた筈なのに。

それなのにクローディアスは、俺が差し出したものを無下にしない。


案の定、紅茶を飲み込んだ直後、盛大にむせていた。

途端にクローディアスの怒りが爆発した。


捕まったらぐだぐだと説教をされることが予想出来て、窓から飛び出して逃げ出したのだ。


「あの時はちゃんと覚えてなかったけど、確かに、あの時通った道だ」


朧気な記憶を辿りながら呟く。


だけど、こんな場所にピアノなんて無かった筈だ。


あったのは草木は好き勝手に伸び放題で、道も半ば埋もれていた荒れた場所。

枝葉は絡まり合い、陽の光さえ遮るほど生い茂っていた。


入るなと拒絶するように放置されていた区域だった。


隣に並ぶティアは、俺が何を考えて独り言を呟いているのかなんて知りようもない。


その横顔は、少しだけ不思議そうにこちらへ向いていた。

「何の話?」と聞きたげな表情を浮かべてはいるのに、言葉にはしない。


ただ静かに俺の隣を歩いていた。


生い茂る草木を掻き分けて歩みを進めると、やがてひとつの建物が見えた。


硝子張りの室内庭園だ。


それを目にした途端、

「は……?」

と声が漏れた。


「どういうことだよこれ……。こんなもん、前は無かっただろ……」


確かにここは、ずっと荒れ放題だった筈の場所だった。

手入れされず、ただ放置されていた“屋敷の死角”のような区画。


それなのに、目の前には見覚えの無い建物が建っていた。

建物の一面を覆う硝子壁は曇りひとつなく磨かれ、外の光を柔らかく反射している。


まるで、ずっと欠かさず手入れをされ続けていたかのように。


ピアノの音色は、温室の中から聞こえていた。


「どうする?中……、入ってみる?」


ティアがこちらに問い掛ける。


この旋律が気になるのは、ティアも同じだろう。

けれどそれ以上に、この場所を一番よく知っている筈の俺が「知らない」と言い切ったことで、どうするべきか判断しかねている様子だった。


俺は何も答えを返せないまま、しばらく硝子越しの景色を見つめる。


このまま中に踏み込むか。

それとも、この場から立ち去るか。


言い知れぬ不安を感じて、踏み切れずにいた。


ふいに、両手を包み込むように握りしめられる。


「ティア?」


驚いて顔を上げると、いつの間にか正面に立っていた彼女が、俺の手をしっかりと掴んでいた。


「大丈夫だよ。なにがあってもレインのことは私が守るから」


ティアはそう言い切ると、少しだけ目を細めた。


「だから、大丈夫。レインは私の後ろで守られて?」


「そんなの……、ダメだろ……」


「どうして?」


「男が女の子の後ろに隠れて守られているだけとか、そんなのおかしいだろ。おまけに俺はおまえの契約者(マスター)なんだろ?だったらなおさら――」


言いかけたところで、ティアが小さく首を傾げた。


「だからだよ?」


言葉の意味が理解出来なくて、

「え……?」

と、思わず聞き返していた。


ティアは当然のよう顔で続ける。


「私が前に出てレインを守ってたら、レインは冷静に周りを見れるでしょ?私が危なくなったら、レインが守ってくれる。レインが私に命令してくれる。これまでだってそうだったじゃない。私が一番最初に突っ込んで、クローディアスが後に続いてくれて、一緒にレインを守るの。今はここにクローディアスはいないけど、私たち、ずっとそうしてきたでしょ?」


その言葉に、喉の奥で言葉が詰まる。


確かに、ティアの言う通りだ。

これまでもずっとそうしてきた。


ティアが真っ先に前へ出る。

俺は護身用にと持たされた短剣を握りしめながら、自分の身を守りしつつ、彼女の背中に守られる形になる。

そこにクローディアスも加わって、2人で俺を守ってくれることがほとんどだ。


ティアが(さば)ききれなくなったら、命令という形で、呪華のマスターとしての特権を行使して助ける。


どちらが前だとか、後ろだとか。

守る側も守られる側も明確に決まっていなかった。


それに気付かされて、口元にふっと笑みを浮かべた。


「それもそうだな」


短くそう返すと、ティアが満足そうに目を細める。


「でしょ?」


ふわりと浮かべられる笑みに、安心感と同時に、心強ささえ覚えた。


握りしめられていた手を、そっと片手で握り直す。

そのまま前へと向き直ると、深く息を吐いた。


「それじゃあ、行くぞ」


「うん!」


硝子張りの扉へと手を掛けて、中へと足を踏み入れた。

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