変わらない性質
「ちっちゃいクローディアス、あんな感じなんだ。今と全然違う」
廊下を歩きながらティアが呟いた。
「あはは、確かにな」
思わず笑いが漏れる。
今のクローディアスは、いつだってしかめっ面をしている。
真面目で、堅物で、融通が利かなくて。
隙さえあれば説教してくるし、眉間の皺も増えた。
昔みたいに感情をころころ表へ出すことなんて滅多に無い。
だからこそ、さっきまで見ていた幼いクローディアスの姿は新鮮だった。
不安そうに周囲を気にして。
叱られそうになるたび肩を縮めて。
困った顔をして。
泣きそうになって。
それでも結局、俺の後を追い掛けて来る。
今の姿からは想像もつかない。
背丈も低くて、細くて。
主人相手にどう接すればいいのかもまだ慣れていない感じで、いつもどこかおどおどしていた。
俺に振り回されるたび、困ったように眉を下げて。
「またですか……」と半泣きになりながら、それでも放っておけずに後を追い掛けてくる。
自分より年上のはずなのに、妙に頼りなく見えていた気がする。
「ねぇレイン。クローディアスって、レインの専属使用人……?になる前から、レインのお屋敷にいたの?」
「突然どうした?」
「んー、ちょっと気になって」
「なんだそれ」
本当に深い理由があるわけじゃないんだろう。
ただ目の前で、俺とクローディアスの幼い頃の記憶の光景が広がるものだから、純粋に気になっただけ。
思わずくすりと笑ってしまう。
「と言っても、俺もよく知らないんだ。父様に連れられてきた時には、それ以前の記憶が無いって言うし。あいつの身体もあちこちボロボロだったからさ、そのショックで記憶喪失にでもなってるんだろうって聞いてる。あいつが覚えてたのは自分の名前だけだったんだよ」
「記憶喪失……。そっか……」
「ちっちゃい頃の話なんだから、記憶喪失じゃなくても覚えてない可能性高いだろうしな」
話しながら、どこか遠くへ、視線を向けてしまう。
父様の執事に連れられて、怯えた目をして周囲の存在すべてを警戒していた頃のクローディアスを思い出してしまう。
「包帯あちこちに巻いてさ、食事さえも怖がってて、話し掛けても怯えてばっかりで最初のうちは話しにもならない。ほんとにひどい状態だったんだ。なにがあったかなんか知らないけど、思い出さない方がいいだろ」
言い終えると、苦笑を浮かべながらティアを見た。
「従者っていうより、半分弟みたいだったかもな」
そう呟くと、ティアが「ふふ、確かにね」と小さく笑った。
さっきまでの重苦しい会話など、引きずることもしなかった。
「今のクローディアスからは想像出来ないや」
「だろ?」
今なら絶対そんな風には見えない。
背も伸びたし、体格だってしっかりした。
表情を崩さないせいで威圧感まである。
昔みたいに慌てふためくことも減ったし、ちょっとやそっとじゃ動じなくなった。
いや、俺関連だと今でも振り回されてる気はするけど。
「あんなに可愛げあったのに、今じゃ真面目で堅物だもんな。懐かしいなぁ」
口にすると、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「でも、クローディアスは今も変わらないよね」
ティアが静かに言った。
「酷い目に遭っても、絶対レインを見捨てない。レインのことを一番に考えて、心配して、駆け付けてくれる」
その言葉に、思わず足が止まりかけた。
静かな廊下に、こつ、と靴音が響く。
「……そう、だな」
記憶の中の幼いクローディアスは、今よりずっと頼りなく見えた。
それでも、どんな時でもちゃんと追い掛けて来た。
悪戯をして逃げ回っても、
面倒事へ巻き込んでも、
理不尽に振り回しても。
泣きそうな顔で俺を追い掛けて、
叱られるたび肩を縮めて、
困ったように眉を下げながら、それでも必死について来てくれていた。
けれど結局、本質はあの頃から何も変わっていないのかもしれない。
どれだけ面倒事へ巻き込まれても。
どれだけ理不尽な目に遭っても。
クローディアスは、俺を見捨てることだけは絶対にしなかった。
「あ、前」
ふと、ティアが声を上げた。
視線を向けると、廊下の途中。
足首に引っ掛かるくらいの低い位置に、一本のロープが張られていた。
「あー……」
思わず声が漏れた。
(これ、知ってる)
というか、やった覚えがある。
(確かこの後……)
記憶を辿りながら、後ろを振り返った。
ぱたぱた、と小さな足音が廊下の奥から聞こえてくる。
『レイン様ーっ!』
聞き覚えのある声。
現れたのは予想通り、幼いクローディアスだった。
慌てた様子で幼い俺を探して走って来る。
廊下の少し先では、小さな俺が物陰からひょっこり顔を出していた。
そこから覗く顔は、どう見ても“待ってました”と言わんばかりの表情だった。
ロープの位置を確認しながら、楽しそうに目を細めている。
クローディアスはロープの存在に気付かないまま駆け寄り、案の定、足を引っ掛けてしまった。
『わっ……!?』
驚いた声と同時に、身体が大きく傾く。
反射的に腕を伸ばすが、支えになるものは何もない。
重心は完全に前へと崩れ、そのまま廊下へと吸い込まれるように倒れ込んだ。
どさっ、と乾いた音が広い空間に響く。
クローディアスはしばらく呆然としたまま動けずにいた。
『……っ、いったぁ……』
そこに満面の笑みを浮かべながら、幼い俺がクローディアスの前に姿を現した。
『あはは!引っかかった引っかかった!』
満面の笑みで、弾けるような声を上げながら笑う。
悪戯が成功したことを、これ以上ないほど喜んでいる。
まるで叱られるとか、怒られるとか、そういった概念そのものが存在していない顔だ。
『っ……、レイン様ぁああ!!』
半分泣き声、半分怒り声の叫びが、廊下いっぱいに響き渡った。
涙目のまま見上げるクローディアスとは対照的に、幼い俺はまるで褒められたかのように胸を張っている。
その小脇には白い袋のようなものが抱えられていた。
袋、というよりも、白く大きな布を無理やり袋状にしたものだ。
幼い俺は楽しそうにそれを掲げると、迷いなく天井へ向けて、ばさっと勢い良く広げた。
途端に、視界いっぱいに白が広がる。
舞い上がる無数の羽根。
廊下いっぱいに、軽い羽毛が広がっていく。
光を受けてきらきらと舞い、ふわり、ふわりと落ちていく。
それはクッションを破いて中身を抜き出し、かき集めた羽根だった。
クローディアスは呆然としたまま、ただ瞬きを繰り返していた。
怒るでもなく、避けるでもなく、状況を飲み込めないまま固まっている。
その様子を見ながら、ティアがぽつりと呟いた。
「雪、みたい……」
確かに、そう見えなくもない。
廊下の中だけ切り取られたように広がる白。
ゆっくりと降り積もる柔らかな羽根。
静かで、綺麗で、幻想的な光景。
夢の中だというのに、それでもなお、夢のようだと、不思議な感覚が残る。
幼いクローディアスは、その真ん中に座り込んだまま動かない。
肩にも、髪にも、膝にも羽根が積もっている。
瞬きをするたびに、まつ毛に付いた羽がわずかに揺れた。
怒ることも忘れたような顔だった。
ただ呆然と、舞い落ちてくる白を見上げている。
その視線の先で、幼い俺は両手を広げたまま得意げに笑っていた。
『ほら、すげぇだろ!』
誇らしげな声。
まるで自分がこの光景を作り出したことそのものを楽しんでいるようだった。




