幼い頃の悪戯の記憶
屋敷内を歩いてみても、生きている人影はひとつも見掛けなかった。
広い廊下は静まり返っている。
赤い絨毯の上を踏み締める、俺とティア、2人分の足音だけがやけに大きく響いた。
曇りひとつ無く磨きあげられた大きな窓硝子からは、白い陽光が廊下に差し込んでいた。
自分たち以外、生気を感じられない。
ここだけ、時間が切り離されているようで、あまりにも不気味な空間だった。
誰もいない。
それでも、時折、不意に笑い声が響き渡る。
幼い頃の俺と、幼いクローディアス。
現れるたびに、小さい俺はなにかしら悪戯をしでかしたらしく、逃げ回っていた。
逃げ回っているのに、楽しそうに笑っている。
捕まるかもしれないその状況すら、鬼ごっこをしているように遊びの一環に変換して無邪気に楽しんでいた。
それを毎度律儀にクローディアスが追い掛けていた。
困ったように眉を下げながら、小さい俺に置いて行かれないように、必死に走る。
廊下を慌ただしく走っていることへの罪悪感。
他の使用人に見つかれば、叱責されるかもしれないという不安。
主人が悪戯をしでかしたことを咎めなければという使命感。
主人を放っておけないという責任感。
それらの様々な感情が入り混じっているようで、不安そうに周囲を気にしていた。
記憶の残滓を見掛けるたびに、様々な悪戯が繰り広げられる。
最初に見たのは、ソファーの物陰に隠れて菓子を貪っている幼い俺の姿だった。
広間の隅。
来客用の上質な革張りの大きなソファーの陰へと、まるで秘密基地にでも隠れているように身体を小さく潜り込ませていた。
その腕の中には、抱え切れないほど大量の菓子があった。
クッキー、マカロン、タルト、マフィンなどの色とりどりの焼き菓子が山のように積み上げられ、小さな腕では支え切れず、今にも床へ零れ落ちそうになっている。
確かお茶会で来客用にと用意されたものだっただろうか。
こっそりと厨房に忍び込んで、忙しなく働くコックたちの目を盗んで持ち出して来たものだ。
それらをリスのように頬いっぱいに詰め込みながら貪っていた。
盗み出して来た物だというのに、罪悪感など微塵も感じていない顔で。
クローディアスに見付かると、幼い俺は焦りを見せるどころか、ぱっと嬉しそうに笑顔を浮かべて顔を上げた。
『あっ!クロ!』
口元にはクッキーの生地の食べカスが付いていた。
それでも本人はまるで気にした様子もなく、隠れ場所を見付けてもらえた子供みたいに嬉しそうな顔をしている。
『もうっ、レイン様!また厨房から盗んで来たんですね!?』
怒っているというよりも、どこか悲鳴にも似たような声。
きっと探し回っていたのだろう。
ようやく見付けたと思ったら、当の本人は来客用の菓子を山ほど抱えて隠れている。
しかも反省の気配がまるで無いのだ。
クローディアスは頭を抱えたそうな顔で、床に散らばる食べカスや主人の腕に抱えられた菓子を見回した。
『お茶会用のお菓子なんですから勝手に持ち出しちゃダメじゃないですか!』
『んー?』
説教されているというのに、幼い俺は気の抜けた返事をするだけだった。
もぐもぐ、もぐもぐ、と。
クローディアスの声を聞きながらも、ひたすら菓子を口へ詰め込んでいく。
反省の色が欠片も見えない。
そんな幼い俺の態度に、クローディアスはぎゅっと拳を握り締めた。
小さな肩をわなわなと震わせながら、怒りを堪えている。
それに気付いていないのか、幼い俺は持っていた菓子のひとつをクローディアスの前に差し出した。
『クロも食うか?これ。美味いぞ!』
満面の笑みで差し出されたクッキー。
クローディアスは呆気に取られたように目を瞬かせた。
差し出されたクッキーと、無邪気に笑う幼い俺の顔を交互に見比べる。
『もう……。絶対怒られるの、僕なんですからね……』
クローディアスはその場にしゃがみ込みながら、深いため息を吐いた。
眉を下げ、
『どうしていつもいつも、そういうことばっかりするんですか』
『大人たちに怒られる僕の身にもなってくださいよ』
と、ぶつぶつ小さく文句を零している。
けれど、本気で突き放す気は最初から無いのだろう。
差し出されたクッキーを前に、『むぅ……』としばらく葛藤するように視線を彷徨わせた後。
結局、観念したように受け取ってしまった。
食べてしまえば、もうクローディアスも共犯だ。
幼い俺はそれを分かっていたのか、にやにやと悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
受け取ってもすぐには食べず、手元のクッキーを見つめる。
きょろきょろと周囲を見回して、幼い俺以外、誰も見ていないことを確認して。
意を決したように齧り付いた。
さくり、と小さな音が響く。
それを見て、幼い俺が満足そうに笑っていた。
『これでクロも共犯な!』




