始まりは、スマホのシャッター音から
伯爵邸の門前。
花束を抱え、緊張でガチガチの姿勢のまま立っているタロウ。
その様子を遠くから見つめ――尾行部隊はすでに配置済みだった。
屋根の上、植え込みの中、馬車の影。
全員、言うまでもないがプロである。
訓練で培われた技は、今まさに活かされていた。
※ただの恋愛支援である。
「……あの。今日……楽しみにしてました!」
タロウが声を振り絞ると、
ルクレツィアはニヤリと笑った。
「その顔……勇者というより、恋に落ちた学生ね」
タロウは真っ赤になりながらも花束を差し出す。
バックで小さく歓声を上げる尾行隊。
(音量ギリギリまで抑えていた)
ふたりで街へ歩き、喫茶店へ入る。
カップを手に、ぎこちなく向かい合う。
その空気を少し変えたのは――
「記念撮影、しませんか?」
タロウがポケットからスマホを取り出した時だ。
シャッター音。
画面が光る。
――刹那。
「…………なに、それ?」
ルクレツィアの瞳が揺れた。
「え?スマホですよ。まだ圏外だけど、写真と音楽は生きてます」
「……スマホ。それ、本物?」
リクレツィアの声が震える。
目の前の青年が取り出した“異質な機械”に、記憶がざわりと波打つ。
――日本。
――山田太郎。
(そう。私は――死ぬ前、スマホを手放せなかった。
そしてここに来た。
でも、この世界にスマホがあるなんて――)
タロウが何枚か写真を撮りながら笑う。
「ここは……いい街ですね。
日本の家族にも、見せてあげたいなって思います」
“日本”の音を聞いたその瞬間、
ルクレツィアの呼吸が止まりかけた。
(……やっぱり……日本。
この人は、私が“生きていた日本”から来た勇者なんだ)
――日本。
――私は日本で…生きて…
――気が付いたらこの世界で…
――でも……この青年の“現在”は、
あの日本にある。
言葉が詰まり――
胸の奥が、痛いほどざわつく。
「……日本から、来たのよね」
「はい。召喚されました。俺、高校生です」
「……私の日本は、もう……遠いわ」
「え?」
タロウは首を傾げる。
その姿に、少し救われるようにも感じた。
カップを握る手が微かに震える。
過去と現在が、テーブルの上でぶつかり合い――
ふたりは、同じ言葉を口にしていた。
「――日本、か。」
その瞬間。
路地裏の影で、尾行隊員がガッツポーズを決めた。
(急接近、成功!!)
“今日の報告書は金ランクだ!”
そう確信していた――その時。
ルクレツィアはふと真顔になり、
囁くように口を開いた。
「……タロウ。
この世界では、ね――
勇者は……いずれ魔王になる、って知ってる?」
タロウの瞳が、大きく見開かれる。
その言葉だけが――
デートの日差しに、冷たい影を落とした。




