黒い瞳、揺れる影
ヒキャルが去った直後。
扉がそっと開いた。
まるで、その瞬間を狙っていたかのように。
「リディア様。
……お加減は、いかがですか?」
シンだった。
侍従服の襟はきっちり正され、
表情はいつも通り――冷静なはず、だった。
けれど、私は気づいた。
ほんの少しだけ。“色”が違う。
(黒……?
いや、それだけじゃない……
揺れてる……?)
シンは静かに近づき、
無言で私の前に膝をついた。
その瞳は、
タロウの向ける友の色でも、
ヒキャルの抱く敬愛の色でもなかった。
口を開く前に、
シンはそっと私の額に自分の額を寄せた。
温度を確かめる、いつもの習慣――
……のはずなのに。
(……あれ……?
なんか…胸が、息苦しい…)
額が触れ合う距離より、
瞳の距離のほうが怖かった。
ゆっくりとシンが顔を離し、
そのまま私の目をじっと覗き込む。
「熱はありません。」
こともなげに、いつも通りの声で。
そして、少しだけ眉を寄せた。
「勇者とも、騎士団長の息子とも、
しっかり言葉を交わされたようですね。
……長い時間。」
「え……あ、うん…そうかな…?」
問いではなかった。
――感情の“確認”だった。
無意識に笑ってしまった私は、
思わず問い返していた。
「……シン、もしかして……怒ってるの?」
「怒ってなど……」
そこで言葉が途切れた。
「……ありえません。
ですが……」
黒い瞳が、
ほんのわずかに光を吸い込むように揺れた。
「今後、あなたに近づく者たちのすべて……
――把握しておく必要はあると思いました。」
否定の言葉のあとに残った“沈黙”が、
なにより雄弁だった。
その黒い瞳は、
孤独な影を映す鏡のようでもあり――
けれど、
私のことだけを真っ直ぐに結ぶ
“光”のようでもあった。
「あなた様が、戦勝会までに体力を戻されますように。
……お側を離れず、支えます。」
「うん……ありがとう。」
その瞬間、
胸の鼓動が跳ねた。
多分……
きっと……気づかれていた。
(……わたし、こんなに……
鼓動がうるさいんだ……。)
シンはすぐには退室しなかった。
ただ私の側で、
ベッド脇の椅子へ腰かけ――
静かに本を取り出した。
その瞳は、ページを読んでいながら
“ずっと私の方だけを見ているようだった。”
――そして私は悟る。
タロウとの日本語会話も、
ヒキャルの覚悟の言葉も、
すべて――
この人に “見られていた” のだ、と。




