13話 普通の幻獣と、そうでない幻獣
結局、山の見回りは、母の契約獣である風の精霊に任せることになった。
ジュディと何年も山の見回りをしているだけあって、慣れたものだ。
ユディが細かく指示しなくても、万事心得ている。
「万が一、ユディ様におケガをさせた場合、オセロ様にご納得いただける説明をする自信がございませんので……同行はご容赦を」
「気を遣わせてごめんね」
シルフを見送って、ユディはため息をついた。
見回りくらいならできると思っていたのに、できなかったことが悔しい。
同行すらせず、人任せにしていることにも落ち込む。
「どこも魔力濃度は低く、安全圏でした。魔獣も見当たりません」
帰ってきたシルフが、細かな数値とともに総括を報告してくれる。
「気になることといえば、街道に近い場所に蜂が巣を作っておりました。
通行人に危害を及ぼすかもしれません。
いかがいたしましょう?」
「お父さんに相談して、明日また指示するよ。ありがとう」
シルフは一礼し、主であるジュディのもとへ戻っていった。
(……普通だ)
頼んだことを、頼んだ範囲でやってくれる。
当たり前のことに、ユディは安心した。
「さて、と。これを剥かなきゃ」
ユディは軒下に置かれていた大きなカゴを持ち上げた。
中には、暗い赤紫色をしたさやが山盛りに入っている。
ルークが畑仕事のお礼にもらったチクマメだ。
魔力を蓄える豆で、乾燥させれば魔力回復薬になる。
売り物より一回り小さい規格外品だが、自分たちで使う分には十分だった。
ユディはせっせとさやを開き、並んだ紫色の実を落としていく。
一つ、二つ、三つ。
十、二十、三十。
カゴの中身は少しも減ったように見えない。
「……多いなあ」
一人でやるには、単調すぎて飽きる作業だった。
誰かと一緒に、おしゃべりしながらやるなら楽しそうだ。
(お手伝いを呼ぼう)
ユディは腰の短杖を抜いた。
相手をしばし考えて、ひらめく。
杖を振り、召喚の魔法陣を展開した。
「――出でよ、ラミー!」
魔法陣から現れたのは、下半身が大蛇の美しい女性だった。
幻獣、ラミア。
ユディの姿を認めると、青白い頬がぱっと紅潮する。
「お久しゅうございます、ユディお嬢様!」
しゅるしゅるっと、蛇の下半身が素早く動いた。
たおやかな二本の腕が、ユディを抱きしめる。
「久しぶり、ラミー。来てくれてありがとう」
「お嬢様がお呼びなのですもの。参って当然ですわ」
ラミーは頬ずりせんばかりの勢いで、再会を喜ぶ。
「大きくなられて……寮生活はいかがですか? ちゃんと食事は召し上がっておられますか? わたくしの目がないからと、甘いものばかり食べてはいけませんよ」
「食べてる、食べてるよ」
ぎゅう。
蛇の下半身まで、愛情たっぷりに巻きついてくる。
「ぐえっ」
ユディは思わずうめいた。
ラミーは、もともとユディたち兄妹の乳母をしていた幻獣だ。
優しくて、世話焼きで、とても良い幻獣である。
ただし、愛情表現がちょっぴり息苦しい。
「それで、本日はどのようなご用でしょう?」
「チクマメのさや剥きを手伝ってほしくて」
「その程度のこと。喜んで」
二人は軒下に並んで腰かけた。
ラミーは慣れた手つきで、次々とさやを剥いていく。
「……本当にご契約なさったのですね」
ラミーの金色の目が、山頂を一瞥した。
「オセロのこと?」
「ええ。幻界でも、大変な話題になっておりますわ」
「知ってたんだ」
ラミーは山頂をはばかるように、声を落とした。
「乱暴なことは、されていませんか?」
「大丈夫だよ。そういうのは全然」
本当は、一度だけ噛まれたが。
それを言えばラミーが怒り狂って絞め殺しに行きそうなので、ユディは伏せておいた。
「怖い思いをなさっていませんか?」
「怖い思いより……困ってることの方が多いかなあ」
「たとえば?」
さやを開きながら、ラミーが首を傾げる。
ユディは苦笑した。
「オセロ、維持魔力が高くてね。私の魔力、常に半分以上取られてるんだ」
「半分以上!?」
「だから、これがないと後期の魔法実習がもたないと思う」
ユディはチクマメを指差した。
自分で使える状態にした分は、全部持って行って良いと言われている。
それで、ユディはさや剥きに精を出していたのだ。
「維持魔力がそんなに高いのは困りますね。
ユディ様、魔力量は多くありませんものね」
「その代わり、オセロ、万能って言っていいくらい万能だけどね」
ユディは明るく笑った。
だが、ラミーの反応は芳しくない。
心配そうに眉尻を下げている。
聡い元乳母には、空元気を見抜かれているようだった。
「……正直、ちょっと重いとは思ってる」
ユディはぼそっと、本音を漏らした。
「重い?」
「維持魔力にしても、扱う責任にしても。思ってたより、ずっと大きくて」
はあ、と大きなため息を吐く。
自然と背中が丸くなった。
「身の丈に合わない、貴重で立派なお城を、自宅としてもらっちゃった気分だよ」
「……ご負担が大きすぎるようでしたら、契約の見直しも必要では?」
「そこまでは思ってないんだよ! 大丈夫!」
この愛情深い乳母は、我が子同然のユディたちのためなら、何をするか分からないところがある。
ユディは深刻な話ではないと強調し、学生生活の話へ逸らした。
しばらくして、人狼のダイスが家に戻ってきた。
「お帰り、ダイス。何か取りに来たの?」
「いえ。ルーク様が、今日はもう終わっていいと」
ユディは立ち上がり、エプロンについた細かなゴミを払った。
ラミーの助力もあって、チクマメはすべて実を取り出し終えている。
「少し早いけど、お茶にしよっか。
都で薔薇のジャムを買ったの。ラミーが好きだったなあって思って」
「まあ、嬉しい!」
ユディは台所へ行き、パンを薄く切った。
薔薇のジャムを、たっぷりのクリームと一緒に挟む。
「あら。お嬢様の分は?」
ジャムサンドもカップも二人分しかないことを、ラミーが見咎めた。
「私はまた後で」
「でも、わたくしたちだけ先にいただくわけには」
「ええと……私は、オセロが起きたら一緒にするから」
ラミーとダイスが、一瞬だけ黙った。
後にする理由を悟ったらしい。
オセロがいたら、どうしたって二人は緊張する。
だからユディは、時間をずらしているのだと。
「では、お嬢様。お言葉に甘えて、お先に」
「いただきます」
お茶の最中、ラミーはダイスに近況を尋ねた。
今年の気候はどうだとか、村の様子はどうだとか。
あの時のことは結局どうなったのだとか。
長く同じ家に呼ばれていた幻獣同士、気心が知れている。
まるで家族のような空気だった。
(帰ってきたって感じがするなあ)
ユディは笑いながら、二人の会話を聞いていた。
「ごちそうさまでした」
紅茶を飲み終えると、ラミーは巻いていたとぐろを緩めた。
「せっかくですし、お夕飯もお作りしますね」
「本当? ラミーの特製香草焼きが食べたい!」
「はい、はい」
ラミーは冷たく整った顔を、ふっとほころばせた。
「オレも何か手伝うことありますか?」
「じゃあ、ダイス。軒先のさやを片付けてもらえる?」
「分かりました」
ダイスがさやの山を抱える。
その瞬間。
ユディの頭に、ここ数日のオセロの所業が走馬灯のようによみがえった。
「ダイス!」
慌てて、去っていく相手を呼び止める。
「片付けるっていうのは、堆肥用の桶に入れてってことだからね!
燃やしたり、その辺にばら撒いたりしないでね!」
ダイスは琥珀色の目を、きょとんとさせた。
「……はい。そうしますが」
「あ」
「生ゴミと同じように、適当に刻んで、普通に捨てればいいんですよね」
「う、うん。普通に、それでいいの」
ユディは顔が熱くなった。
何を当たり前のことを念押ししているのか。
「ごめん、変なこと言って」
ダイスは口元をわずかに緩ませた。
「オレは変化と肉体強化の魔法しか使えませんから。安心してください」
「はは……そうだよね」
最近、どうも基準がおかしくなっている。
ユディは苦笑いして、取り出した実を抱えた。
大きな干しざるに移し替え、日当たりの良い場所に置く。
それから、改めて自分とオセロのお茶を用意した。
杖を手に、呼応の呪文を唱える。
「我が呼びかけに応えよ――ぐっ」
頭に、ずしりと重みが乗った。
「……オセロ?」
「重たい男って言うから、重たくしてみてる」
頭の上から声がする。
窓ガラスを見ると、小竜姿のオセロが頭の上に乗っていた。
「聞いてたの?」
「聞こえてきたんだよ」
「山頂までかなり離れてるけど?」
「誰かさんが浮気してるなって、様子見に来たら聞こえた」
ぺし、ぺし、としっぽで頭を叩かれる。
「オセロ、さやを剥く仕事なんてしたくないでしょ?」
「そんなの、言ってみねえと分かんねえだろ」
「じゃあ今度、一緒にする?」
「この俺にそんな雑用させるとか正気か? 暑さで頭やられてんの?」
「結局やらないの!? なんなの!?」
「まず俺様の許可を取ろうという姿勢が大事」
「私、まだ許可制なの!?」
頭から降ろそうとするが、しっぽが手荒に抵抗してくる。
困っていると、ラミーがやってきた。
「まあまあ、オセロ様。これでも召し上がって、お気をお鎮めください」
薔薇のジャムサンドが差し出される。
しかし、オセロは即座に顔を背けた。
「いらね。毒でも盛られてそうだし」
「オセロ!」
「ご安心を。こちらはユディ様がお作りになったものですから」
「そういう問題じゃないよ。ちゃんと謝って!」
ユディが叱ると、オセロは鼻を鳴らした。
「あのな。こいつ、俺が前にここへ来た時、素知らぬ顔で眠り薬入りのミルク出してきたんだぜ」
「えっ?」
初耳だった。
「飲まないでいたら、おまえが飲んでさ」
「頑なに物を食べない時があったのって、そのせい!?」
「陰湿〜。さすが蛇女〜」
オセロはここぞとばかりに非難する。
しかし、ラミーは眉一つ動かさない。
むしろ、さらに冷ややかな顔になった。
「やはり。あの時の白い小竜は、貴方様でしたのね。追い払おうとしたのは、的確な判断でしたわ」
「竜種避けの香まで焚いたりよ。やりすぎだろ」
「やりすぎといえば、そちらこそ。正体に勘づいたダイスの毛をむしって、黙らせたそうではありませんか」
「ノミを取ってやっただけですぅ〜」
見えない火花が散る。
ユディは、何も気づいていなかった自分に軽くショックを受けながらも、二人の間に割って入った。
「ラミー、お湯! お湯、沸いてるよ!」
「あら、いけない」
ラミーは台所へ戻りかけ、ふと振り返った。
「ああ、そうそう。今晩の夕食は、わたくしがお作りしますので。オセロ様は必要ございませんわよね?」
「当たり前だろ、蛇女。おまえ、今度は致死量の毒草入れるだろ」
「まさか。そんな生ぬるいこと。
致死量の百倍ほど入れて、きっちり幻界へ強制送還いたしますわ」
最後まで火花を散らしながら、ラミーは去っていった。
「……もう」
ユディはほっと肩の力を抜く。
頭の上へ、ジャムサンドを差し出した。
「オセロ、ほら。おやつ」
「いらね」
「何も入ってないよ。ほら」
ユディは自分で一口食べてみせた。
それでも、オセロは口をつけようとしない。
「……おまえさ」
不機嫌そうな声が、頭上から降ってきた。
「俺のこと、本当に相棒だって思ってる?」
「思ってるよ」
「じゃあ、なんで最初に呼ばないんだよ」
「だから、それは――」
返事を最後まで待たず、オセロが言った。
「俺がやったことに、おまえが怒るのは、まあ仕方ねえ。
でも、だからって次から俺を呼ばなくなるのは違うだろ」
「――」
ユディは喉に言葉を詰まらせた。
「何するか分かんねえから、最初から使いません。
面倒そうだから他の幻獣に頼みます。
じゃあ、俺は何?」
問われて初めて、ユディは気づいた。
きっとオセロが嫌がるから、別の幻獣に頼んだ。
自分では、そう思っていた。
でも、本当はそれだけではなかった。
山一帯の魔力を勝手に散らしたこと。
知らない悪魔を呼び出して、仕事を丸投げしたこと。
何かを頼むたび、自分では思いつきもしない方法を持ち出してくること。
また何か起こるかもしれない。
そんな不安があったから、オセロを選択肢から外していた。
気遣っていたつもりで、実際には腫れ物に触るように避けていたのだ。
それは、相棒として扱っているとは言えない。
「怖いなら、怖いって言えよ。半端に避けられる方がムカつくわ」
声からは、いつものふざけた調子が消えていた。
ユディの胸が、ずきりと痛む。
「ごめん、私――」
どう謝ればいいのか。
これから二人で、どう契約を続けていけばいいのか。
言葉を探しているうちに、不意に頭が軽くなった。
「……オセロ?」
黒い小竜の姿は、もうそこになかった。




