12話 できるとやれるは別問題
見回り、二日目。
父との相談の結果、沼に溜まった瘴気は散らすことになった。
ユディはオセロの背に乗り、昨日の沼へ向かう。
「オセロ、第三等級の風魔法をあの沼に」
「へーい」
オセロが軽く首を振ると、沼の上に風が渦巻いた。
水面に淀んでいた瘴気が舞い上がり、害にならないほど薄まって広がっていく。
沼を覆っていた重苦しい空気が、一気に晴れた。
「うん、これで大丈夫そう」
「天下無双の暴竜オセロ様が、沼の換気係とか」
「すごく助かってるよ」
「嬉しくない」
その後は、また魔力濃度の測定だ。
地図に描かれたルート通りに飛び、昨日とは別の地点を測定する。
「ここ、魔力がだいぶ濃いなあ……。オセロ、第二等級の風魔法を、あそこの窪地に」
「第三等級じゃねえと、完全に散らねえぞ」
「お父さんから、そういう指示なの。
ここを完全にきれいにすると、この下の畑の薬草がうまく育たないみたいで」
「換気係、再び」
退屈そうにしながら、オセロは指示に従った。
二日目の見回りも、無事に終わる。
三日目。
今日もまた、各地点の魔力濃度の測定と調整。必要があれば、魔獣退治。
ユディは真剣に濃度計をのぞき込んでいたが、オセロは飛びながらあくびを漏らした。
「昨日と同じ山、同じ作業。新鮮味ゼロ」
「大事なお仕事だよ」
「俺様、今なら苔の気持ちが分かる」
「苔?」
「動かず、考えず、ただ湿っていたい」
「飛びながら寝ないでね!?」
三日目は、ひやひやさせられながら終わった。
外した鞍をオセロの亜空間に収納してもらい、ユディは軽く首筋を叩く。
「お疲れさま。また明日ね」
「明日もまた測定と換気係?」
「そうだよ」
オセロの表情が無になった。
「明日はちょっと違うよ。今までは見晴らし山から東側を回ってたけど、明日からは西側を回るから」
「すげえ。アルミラージって呼ぶか、一角兎って呼ぶかの違いしか感じねえ」
金色の目から光が消えている。
だいぶやる気が失せていた。
「ただ飛ぶのは退屈?」
「飛ぶのはいいけど。誰かの決めたルートを飛ぶとか。魂が死ぬ」
「でもオセロ。これが仕事だから」
「ヤダ」
ぷいと、巨大な竜の頭がそっぽを向いた。
「自由の前に、義務があるんだよ」
「知らん」
「子供みたいなこと言わないで!」
「ちゃんと大人らしいところ見せてやるよ」
長い首が、ひと振りされる。
その一動作で、連なる山々に沿って巨大な魔法陣がいくつも出現した。
「へ?」
まずい、と思った時にはもう遅かった。
魔法陣が一斉に光り輝く。
「きゃあああああっ!」
ユディは手近な岩にしがみついた。
上昇気流が吹き荒れる。
山全体が、巨大な息を吐き出しているかのようだった。
木々の梢が大きく揺れ、谷底に溜まっていた空気が吸い上げられる。
あちこちに淀んでいた魔力も上空へ運ばれ、四方八方へ霧散していった。
「ハイ、これで全地帯の魔力分散完了〜」
「どんだけ嫌なの!?」
「これを定期的にやれば、見回りしなくてヨシ」
「こういうのは大人げないって言うんだよ!」
「じゃ、お休み」
「オセロ!」
ひとり満足して、オセロは山頂の寝台に伏せた。
「ユディ!」
麓の方から飛んできた声に、ユディの肩が跳ねる。
「さっきのはなんだ!?」
ルークの声が何度もこだまする。
ユディは頭を抱えた。
オセロは何でもできる。
しかし、何でもやってくれるわけではない。
飽きっぽいオセロにとって、地道な見回り仕事は、ユディが同時に二つの魔法を使うくらい難しいことだった。
「オセロ、起きて。やっぱりさっきのは駄目だから、ちゃんとお父さんに謝りに行くよ」
「返事がない。寝たふりをしているようだ」
「自分で言わないで!」
揉めている間に、ルークの方から山頂までやってきた。
ユディは肩を縮め、事情を説明する。
「なるほど……面倒がって、アレか」
ルークは眉間を押さえた。
はあ、とため息を吐く。
「見回りは、どこに魔力が溜まりやすいか把握して、危険になる前に対処するためのものだ。
日々データを取って、場所ごとの傾向を見ている」
「ハイ」
「オセロみたいなやり方は、他の誰にも真似できない。
引き継げない方法で仕事をされるのは困る」
「ハイ」
「それに、一度に山全体の魔力を動かせば、薬草や魔石の採取にも影響が出る。
だから、さっきのはダメだ」
「ハイ」
「次からは止めるんだぞ。おまえの契約獣だからな」
「ハイ!」
ユディは、ひたすら一人で叱責を受け止めた。
その様子に、ルークは厳しい顔を少しゆるめる。
「あんなことが起きたのは困りものだが、オセロに一切責任転嫁しないことには安心した」
召喚士は、扱う幻獣に対して責任を負うものだ。
契約獣が勝手をしたとしても、基本的に、幻獣が悪いという言い訳は通らない。
「ちゃんと召喚士の心得が身についているな」
ぽんと肩を叩かれ、ユディはほっと息を吐いた。
しぼんでいた自信が、少しだけふくらむ。
地面に伏せていた黒竜の片目が開いた。
「だろ〜。よくできた召喚士だろ〜。さすが俺様、見る目あるわ〜」
「誰のせいで今、そのよくできた召喚士が説教されてると思ってんだ!」
先輩召喚士として必要な説教を終えると、ルークは思いきり吠えた。
「うちの娘は二百点満点つけたいくらい、できた召喚士だよ!
おまえのせいで、しなくていい苦労させられてんだよ!
幻界帰れってんだ、コンチクショー!」
ルークは怒鳴りつけたが、オセロは聞く耳を持たない。
さっさとまた目を閉じていた。
「オセロ、どうしても見回りは嫌?」
その日の夜。
寝る支度を終えたユディは、ベッド脇に置かれたカゴをのぞき込んだ。
「絶対イヤ〜」
黒い小竜が仰向けになり、四本の脚を投げ出している。
お腹が丸見えだ。
竜もへそ天するんだ、とユディは妙なところで感心した。
やる気のなさは非常によく伝わってくるが、威厳はかけらもない。
「分かったよ」
ユディはため息をつき、幻獣辞典を手に取った。
「じゃあ、明日からは別の子に――」
「とにかく、指定された地点の魔力濃度が分かればオッケー?」
ばっと、オセロが跳ね起きた。
幻獣辞典に頭突きをかます。
「やってくれるの?」
「それなら朝メシ前――いや、起床五分で終わる」
先ほどまでのやる気のなさが嘘のような頼もしさ。
ユディはほっとして、床に落ちた幻獣辞典を棚へ戻した。
「絶対、おまえが同行しないといけないわけじゃないだろ?」
「本当はした方がいいんだけど……いいよ。自由にして」
自分が乗っていると、飛びにくいだろう。
経路や速度くらいは、オセロの好きにさせてやりたい。
「じゃあ、明日もよろしくね」
「任せとけ」
あくる朝。
オセロ一人で計測に行かせるにしても、せめて出発前に様子は見ておこうと、ユディは山頂へ向かった。
ところが、オセロからすでに終了の報告を受ける。
「ひよっこ。計測結果、報告すっぞ」
「え、もう終わってるの!?」
ユディは記録用のノートを慌てて開いた。
オセロの言う数字を書き留める。
今日欲しかった結果は、きちんとすべてそろっていた。
「ありがとう。お疲れさま」
素直に礼を言ってから、ユディは首を傾げる。
「……でも、オセロ」
「ん?」
「今朝も、見晴らし山の東側の方を飛んでなかった?」
家を出た時、東側の空にオセロが飛んでいるのを見ている。
測定を頼んだ方向とは、まったく逆だ。
「いつの間に、反対方向へ計測しに行ったの?」
すると、オセロは何でもないことのように答えた。
「知り合いの悪魔に丸投げした」
「……は?」
ユディは目が点になった。
「なんて?」
「だから、悪魔を呼び出して、そいつにやらせた。
この前、言っただろ。俺は召喚もできるって」
開いた口がふさがらなかった。
確かに聞いた。
神器・招霊鏡と似た方法で、幻獣を現界へ呼び出せる、と。
だが、まさか勝手にそれを使うとは思わなかった。
「現界で一日遊べるなら、お安い御用だってさ。
測定終わったから、さっき観光に出かけてったぜ」
「嘘でしょ!? 悪魔が野放しなの!?」
ユディは青ざめ、周囲を見回した。
悪魔は怖い。
言葉の裏をかいたり、曖昧な約束につけ込んだりして、召喚士の思惑をひっくり返してくることがある。
ユディの中では、油断ならない種族だ。
「どの悪魔!? まさかベルフェゴール!?」
「いんや。アンドレ――アンドレなんちゃら」
「アンドレアルフス!? 七十二悪魔の!?」
「それそれ。測量オタク」
アンドレアルフス。
幾何学、測量、天文学に優れた知識を持つとされる悪魔だ。
召喚士なら、名前くらいは知っている有名な幻獣である。
「なんでよりによって悪魔なの!? もし、村の人に悪さしたら――」
「大丈夫大丈夫。そんなことしねえよ」
青くなっているユディとは反対に、オセロはのんびりと言う。
「あいつら、決め事をきっちり守った上で、相手の裏をかくのが趣味だから。
一般人相手に、無差別に悪さするような連中じゃねえよ」
説明されても、ユディの不安は消えない。
さらに言い募る。
「私は、オセロが計測すると思ったから任せたんだよ!? 人にやらせるなんて聞いてない!」
「は? こんな魂の死ぬクソつまらん仕事、俺がやるわけないだろ」
「昨日、やるって言ったじゃない!」
「結果を出すとは言った。俺様が自分で飛び回るとは言ってねえ」
ユディは、また開いた口がふさがらなくなった。
まさに悪魔のような言い分だ。
「いったい、何が問題なんだよ」
オセロは心底不可解そうに、首を傾げる。
「俺様はつまんねえ仕事しなくて幸せ。悪魔は現界に来られて幸せ。おまえは測定結果が分かって幸せ。
三方よし。全員幸せじゃねえか」
「収まってない! 全然丸く収まってないから!」
ユディは激しく首を横に振った。
自分のあずかり知らぬところで、名の知れた悪魔が呼び出され、野放しになっている。
ぞっとした。
「私はオセロに頼んだんだよ! 知らない悪魔に頼んだんじゃない! 勝手なことしないで!」
「それは駄目って言われなかったし」
「こんなことするなんて思わないでしょ!」
「俺がこんなの真面目にやると思ってる方がおかしい」
金色とピンク色の目が、正面からぶつかった。
「あー、もう」
オセロが面倒そうにため息を吐く。
「じゃあ、なんなら良かったんだよ」
「どれも駄目!」
「なんで」
「だって、そんなの――」
言葉が止まった。
怖い。
喉まで出かかった言葉を、ユディは飲み込む。
オセロは何でもできる。
山一帯の魔力を一瞬で散らせるし、幻獣には不可能なはずの召喚までできる。
自分なら何日もかかる仕事を、思いもよらない方法で片づけられる。
でも、それを便利だと思うより先に、身がすくんでしまう。
その力を、正しく使える自信がないから。
「……ともかく、見回りはもういいから」
ユディは握っていた拳をゆるめ、腕を下ろした。
「オセロがやりたくないのは分かった。他の子に頼むよ」
「……あっそ」
べし、べし、と黒いしっぽが岩場を叩く。
まだ話し合いが必要なのは分かっている。
しかし、今は他にすることがあった。
悪魔アンドレアルフスを探さなくてはいけない。
オセロにいくら安全だと主張されても、ユディは安心できなかった。
「まだ、この辺りにいるかな」
心配しながら山を下る。
(アンドレアルフスは、孔雀の姿で現れるんだっけ。
目立つから、すぐ見つかるといいんだけど……)
その願いは、あっさり叶った。
宝石のように美しい青緑色の孔雀が、自宅の庭先にいた。
ルークと向かい合って。
「え? ユディじゃなくて、暴竜に召喚された?」
「さよう」
「いや、幻獣に召喚はできないですよね?」
「いかにも。ですが、オセロ殿は例外でして」
「開暦以来の常識を、そんな一言で壊さないでもらえません!?」
常識人の悲痛な叫びが、庭に響く。
ユディはおずおずと声をかけた。
「お父さん、ごめんなさい。オセロが悪魔を召喚して、仕事を丸投げしちゃって……」
「謝らなくていい。誰も、そんな手段を取ってくるなんて思わないから」
ルークは両手で額を押さえる。
「普通は『仕事をサボった』で終わるんだよ。なんで悪魔を召喚なんてことになるんだ!」
父の言い分に、ユディも内心うなずいた。
人類の苦悩をよそに、アンドレアルフスは長い飾り羽をそわそわと揺らす。
「そろそろ、段々畑の測量へ戻っても構わないでしょうか?」
「……測量して、いったい何を?」
「あの不定形でありながら秩序だった美しさが、どこから来るのか。
早く数値化して納得したいのです」
ばさり、と目玉模様のある豪奢な飾り羽が広げられる。
悪魔というより、学者のような言い分だった。
「……」
ルークもユディも、なんだか拍子抜けした。
「オセロ殿からは『俺の主人に迷惑かけない限り、好きにしていい』と許可されておりますが。
段々畑の測量は、迷惑行為に当たりますかな?」
「ええと……」
ユディは、指導者である父をうかがった。
「一日、現界を観光させてあげてもいい?」
「おまえが見張れるならね」
そんなわけで、ユディは一日、アンドレアルフスに付き添った。
段々畑の測量に始まり、山々の標高の推算、夜は星空の観測。
やることは平和だったが、目は離せないし、油断もできない。
一日が終わる頃には、気疲れですっかりぐったりしていた。




