11話 はじめての見回り
「そうか。魔獣を、ユディと暴竜で」
その日の夜。
ルークは魔獣除けの護符を作る手を止め、ジュディの話に耳を傾けていた。
すでに夕食は済み、今は一家団欒の時間だ。
ユディは火のついた薪を持ち、フェニックスに水浴びならぬ火浴びをさせてやりながら、両親の話の成り行きをじっと見守る。
「そうなのよ。しかもね、オセロさんの方から、指示を出すように言ったらしくて」
「へえ?」
ルークは軽く眉を上げた。
ユディの近くへ視線をやるが、オセロの姿はもうない。さっさと自分の寝床へ引っ込んでいる。
「それでね、ルーク。相談なんだけど」
ジュディが夫の方へ身を乗り出す。
「こちら側の――南側の山の見回りを、ユディたちに任せてみない?」
「……ユディに、か」
ルークは腕を組んだ。
ユディはフェニックスを炙りながらも、目だけは父親の方へ動かす。
撫でてほしそうに魔狼がすり寄ってくるが、今はそれどころではない。
「山なら、万が一オセロさんがやりすぎても、人的な被害は少ないし。
夏休みの間に、ユディにはオセロさんとの実践的な付き合い方を覚えてもらった方がいいと思うのよ」
「……確かに。夏休みが終われば、ユディはまた都の学園に戻る。
ここにいる間に、実地で扱い方を覚えておいた方がいいか」
ルークは腕組みをほどいた。
ユディは薪を下ろし、ぱっと顔を上げる。
「いいか、ユディ。いつもと同じだからな。
中型魔獣までは倒して構わないが、それ以上は駄目だ」
「うん」
「オセロなら大型魔獣だろうと倒せるだろうが、問題はそこじゃない。
倒していいか、浄化できるか、手を出さずに報告すべきか。必要なのはそこの判断だ」
「あなたが連れているのは炎竜じゃなくて、いつもの魔狼や人狼だと思うのよ」
両親の言葉に、ユディは何度も元気よくうなずいた。
「うん! 私、まだ初級召喚士だし。ちゃんとその範囲でやるよ!」
喜びのままに、ユディは魔狼を抱きしめた。
仰向けになった魔狼のお腹を、上機嫌で撫で回す。
おめでとう、とでも言うように、フェニックスのくちばしが軽くユディの髪をつついた。
「じゃあ、ルーク。ユディに南山を任せている間、私は北山へ行くわね。
父さんが奥の集落まで見回りに行きたがっていたから」
「分かった。ユディも含めて、こっちのことは任せてくれ」
話が決まると、ユディは母から見回りに必要な物品を預かった。
これまでにも、何度か持たされたことはある。
けれど、それは兄と一緒だったり、母の契約獣が同行していたりした。
一人の召喚士として、独立して任されるのは初めてのことだ。
南山の地図と魔力濃度計を、強く握りしめる。
(がんばろう!)
不安はありつつも、喜びで胸をいっぱいにして、ユディは見回りの装備を整えた。
翌日、陽が高くなってきた頃。
ユディは必要なものを背負い、家を出た。
山頂の岩場は、以前と少し景色が変わっていた。
岩は尖りを削られ、なるべく平らになるよう並べ替えられている。
それでもできる段差には小石が詰められ、きれいに均されていた。
岩の寝台の上で、オセロは丸くなって眠っている。
翼の下を野ネズミがちょろちょろ走り回り、大木のように太い脚を、小さな虫がちまちまと登っていた。
(すっかりなじんでるなあ)
ユディは小さく笑った。
今日は仕事に慣れるための日なので、そう急ぐ必要はない。
無理に起こすのも気が引けて、荷物をそっと地面へ置く。
それから、オセロの前脚の近くに腰を下ろした。
彼方まで続く緑の海と、青い空。
その狭間を、鳶が水平に横切っていく。
体に吹きつける風は、夏とは思えないほど涼しい。
(気持ちいい……。わざわざ二度寝に帰ってくる気持ち、分かるな)
竜の寝息が、風の音に混じって聞こえる。
初仕事とあって気合を入れてやってきたのだが、穏やかなリズムを聞いているうちに、緊張がほどけてきた。
背中をオセロの脚にもたれさせる。
背に感じる黒い鱗は、厚く硬い。
爪の一本をとっても、ユディの足より大きい。
体に至っては家屋ほどの巨体だ。
オセロがほんの少し身じろぎしただけで、人間などいとも簡単に潰されてしまうだろう。
しかし、そんな想像をしても、ユディは不思議と怖くなかった。
そっと手を伸ばし、黒い鱗に触れる。
陽を浴びているせいか、思っていたより温かい。
(立派な鱗。今まで見たどの炎竜より、分厚い気がする)
鱗の厚みを指先でなぞっているうちに、ユディのまぶたもだんだん重くなってきた。
穏やかで静かなこの場所は、とても心地よい。
「――とうとう、ひよっこまで岩扱いしてきやがる」
ユディが意識を失いかけたところで、大きな口が開いた。
巨体がゆっくりと動き出す。
ユディが慌てて飛びのく必要もないほど、ゆっくりと。
野ネズミたちは翼の下から逃げ出し、虫は脚から滑り落ちた。
いつの間にか背に止まっていた鳥が、驚いて羽をばたつかせ、そのまま飛び立っていった。
それを見て、オセロが吠える。
「勝手に人を休憩所扱いしやがって。だから嫌なんだ、滅びろクソ田舎!」
「でも、結界は張らないんだね」
「綿毛に張り合うのも虚しいだろ」
オセロは、ふーっと野ネズミに息を吹きかけた。
局地的な強風に、野ネズミは小さな体を丸めて懸命に耐える。
地味な嫌がらせを終わらせるため、ユディはさっさと話を切り出した。
「オセロ、こっち向いて。お仕事だよ」
「魔の山域の魔獣掃討? 任せとけ。とうとう練りに練った新作魔術『黒焔爛爛・万象燼滅』の出番が」
「違う! 全然違う! こっち側の山の見回りをするだけ! なにその物騒な魔法!」
ユディはオセロの翼にしがみついた。
「決められた場所を回って、山の魔力濃度を測定。
もし中型以下の魔獣がいれば討伐。それだけだよ」
「なんだ。つまんね」
「一介の学生に、軍事作戦なみの案件を求めないでよ」
ユディは口を尖らせつつ、地面に置いていた荷物を引き寄せた。
ぼそりと、オセロがつぶやく。
「……瘴石を作ってばら撒けば、魔獣が発生して嫌でも俺様の出番が」
「悪徳商法だよ」
ユディは地図を広げ、回る箇所を一通り説明した。
「オセロの背中に乗せてもらいたいんだけど、いい?」
「滅多に乗れない特別席だから、心して乗るように」
「うん。で、鞍もつけたいんだけど」
運んできた鞍を見せると、オセロは嫌そうに首を引いた。
「ちょっとの間ならなくてもいいけど、長時間だと危ないから」
「……世界を統べる玉座として乗れよ」
「ありがとうございます」
頼まなくとも、オセロは首の付け根あたりにある棘を、変化魔法で消してくれた。
下げられた首に、ユディはベルトを回す。
昔、炎竜と契約していた親戚が使っていたものだ。
搭乗者が落ちないよう安全ベルトがついている他、荷物を入れる鞄も備わっている。
「よしっと」
鞍の取り付けが終わると、ユディは耳当てつきの帽子をかぶった。
夏とはいえ、飛行中は冷える。着てきたつなぎの前ボタンをきっちり閉め、ゴーグルと革手袋も身につけた。
さらに、いざという時のために、浮遊魔法の呪符を装備する。
これで準備は万端だ。ユディは鞍によじ登った。
「じゃ、行こう!」
「はいよ」
大きな翼が広げられる。
山頂の岩場が、一面影に覆われた。
一回、二回。
調子を確かめるように翼が動く。
強い風が吹いた瞬間、大きな体が山頂から飛び立った。
「わあっ……!」
風が、ユディの頬を打つ。
オセロは風を捕らえ、魔法で補助しながら空を飛んでいく。
眼下の景色が、みるみるうちに移り変わっていった。
何度乗っても、空を飛ぶのは楽しい。
足元に確かな感触がないのは少し不安だが、それ以上に興奮が勝る。
地上では果てしなく思える世界が、今は小さな箱庭のようだった。
「空からの眺めって、すごいねえ!」
「ちゃんと見回れよ」
はしゃぐユディに、オセロが呆れたように言う。
「ごめんごめん」
ユディは首から下げた魔力濃度計を手に取った。
もう最初の測定地点に差しかかっている。
見晴らし山と段々山、その谷間がそうだ。
「オセロ、高度をもっと下げて。木から二ケーンくらい上空を飛んで」
「了解」
濃度計とにらめっこしながら、ユディは決められた地点を回った。
測定結果は、手首につけた魔道具へ音声で記録する。
短時間の内容しか残せないが、手でメモを取れない状況では重宝する道具だ。
「あ、ここ」
三つ目の山へやってきたところで、ユディは表情を曇らせた。
濃度計の針が、危険域に触れている。
「お母さん、この山の沼地が危なくなってるって言ってたけど……本当だね。もう瘴気の域になってる」
沼地の周りだけ、虫の声が途切れていた。
黒ずんだ水面を、紫色のもやが薄く這っている。
「最近会った野犬たちも、ここで魔獣化したのかな」
「だろうな。ちょうど、あそこにいるぜ」
オセロはゆっくりと、沼の上空を旋回する。
沼の縁で、野犬が一匹、落ち着きなく動き回っていた。
尾も毛も逆立ち、ひどく気が立っている。
瘴気に冒された動物は、だんだんと正常な判断力を失い、凶暴になってしまうのだ。
「退治しとくか?」
「その前に、第三等級の浄化魔法を」
「えー」
「瘴気を発していないから。まだ魔獣になりきってないなら、助かるかも」
「エレクトリカルパレードしたい」
「嫌なら聖水を撒くから、あの野犬の上まで行って」
ユディが鞄の小瓶に触れると、オセロはしぶしぶ浄化魔法を使った。
白い光が、野犬を包み込む。
黒ずんだ毛の間から、紫色の煙のようなものが抜けていった。
「うん、良かった。正気に戻ったみたい」
野犬は夢から覚めたように、きょとんと周囲を見回した。
やがて沼に尾を向け、去っていく。
最初に見た時とは違い、落ち着いた足取りだった。
「ついでだし、この沼、掃除しとこうぜ」
「掃除って?」
「風魔法で瘴気散らす。竜巻くん2号、見たくねえ?」
「それはお父さんに相談してから」
「どーせやれって言うだろ。今やっとけばいいじゃん」
「オセロができることと、私がやっていいことは違うの。
今日は記録して、報告するところまで」
ユディは力説した。
沼地の後、さらに一つ測定地点を回れば、今日の任務は達成だ。
オセロの首をポンポンと軽く叩く。
「この先の滝で一休みして、見晴らし山に戻ろう」
「へーい」
オセロは体を傾け、地上へ向かってゆっくり降下した。
白糸のように流れ落ちる滝に沿って、河原へ降り立つ。
滝壺の周りには、絶えず細かな水しぶきが舞っていた。
火照った体にひんやりと湿った空気が心地よい。
竜の背から降りると、ユディは両手で水をすくった。
山の奥から運ばれてきた涼しさが、渇いた喉をすべり落ちていく。
「はあ……おいしい」
もう一度水を汲もうとすると、銀色の影が前を横切った。
魚だ。
そう思った瞬間、隣にあった黒い鼻先が水面に突っ込んだ。
ばしゃんっ!
派手な水音がしたが、魚は無事だった。すっすっと奥へ逃げていく。
鼻先だけを濡らしたオセロが、不機嫌そうに目を細めた。
「……雷落として気絶させるか」
「違法です」
ユディはオセロの鼻先を押し、川から遠ざけた。
ひと息つくと、急に暑さが戻ってくる。
飛行用のつなぎは安全性こそ高いが、地上では熱がこもる。
「ここは涼しいけど、これだと暑いなあ」
脱ごうか、どうしようか。
ユディが襟元をぱたぱたと動かしていると、ばしゃっと水が飛んできた。
「ひゃっ!?」
頭から水をかぶる。
オセロが、しっぽで川の水を弾いたのだ。
「何するの!?」
「暑いって言うから。冷やしてやった」
「びしょ濡れなんだけど!?」
ユディは慌ててつなぎを脱いだ。
下には半袖シャツと短いパンツを穿いているので、脱いでも問題はない。
しかし、つなぎは重みを増すほど濡れてしまった。
「もー! 乾くまで帰れないよ」
「別にいいだろ。暇なんだし」
オセロはぺたりと河原に伏せた。
目を閉じ、すでに一眠りする気満々だ。
「まあ……その通りだけど」
ユディも、オセロの頭のそばに座った。
竜体のそばにいると、むくむくと好奇心が湧いてくる。
「……頭、触っていい?」
「繊細なガラス硝子細工と同じに扱えよ」
許可を得て、ユディはそっと手を伸ばした。
竜との触れ合いイベントでも、頭を触らせてもらえることはまずない。
竜使いだけの特権だと思うと、なんだかくすぐったい気持ちになる。
(角の付け根と、あごの下が気持ちいいって聞いたけど……本当かな)
わくわくしながら、あごの下を撫でてみる。
金色の目が細まった。
「……くすぐったい」
「ごめん」
「もっと強く」
「こんな感じ?」
ユディは押すようにしてあごの下をなぞる。
拳を作ってまで強く刺激すると、金色の目がとろりと蕩けた。
「よきにはからえ。特別になでる係に任命してやるわ」
「どうもありがとう」
ユディはしばらく、あごの下を撫でてやった。
オセロがうとうとし始めた頃、ユディはその大きな頭を全身で抱える。
「ありがとう。お疲れさま」




