6話 スペイド家にお邪魔します
翌日。
ユディはオセロを伴って、都にあるルジェの家――というより、屋敷の前に立っていた。
「ひえぇ……大きい」
思わず、驚きの声が漏れる。
敷地は一区画を占めるほど広い。
ぐるりと高い塀に囲まれ、門扉も立派だ。
生い茂る木々の向こうに、石造りの館が見えた。
「どなたかに御用ですか?」
門前でおろおろしていると、守衛に声をかけられた。
ユディは、ルジェの学友で、彼に会いに来たのだと告げる。
「少しお待ちください」
守衛は魔道具を使い、屋敷の使用人とやりとりを始めた。
(ルジェに、遊びに来ていいって言われてはいるけど……大丈夫かな)
事前に約束を取り付けなかったことを後悔する。
どきどきしながら待っていると、ほどなくして門が開いた。
「玄関前のポーチで、少しお待ちください。ルジェさんがお見えになります」
守衛の指示に従って、まっすぐ進む。
アプローチの両側には、よく手入れされた芝生が広がっていた。
玄関扉もドアノッカーも重厚な造りで、艶やかに光っている。
「どうしたの?」
ユディは隣を見た。
オセロはしきりに周囲を見回している。
「屋敷の防護結界が消えた」
「結界が?」
「ドラゴンスレイヤー一家の結界、耐久テストしてやりたかったのに」
「……だから消したんじゃない?」
他愛のないやりとりをしていると、やがて玄関扉が開いた。
メガネをかけた銀髪の少年――ルジェが顔を出す。
「よく来たな」
「遠いのに、遊びに来てくれてありがとう」
金髪緑眼の中性的な美形――ルジェの守護幻獣、ナイトも出てきた。
にこにことユディに微笑むナイトを、オセロが追い払うように手を振る。
「寄んな、天使。おまえの喜び方には『いつか召喚されてみたいです』って媚びがにじみ出てて不愉快」
「ルジェのところに友達が遊びに来てくれたから、嬉しいだけで」
「中に入ってくれ、ユディ。暑かっただろ」
「ありがと。オセロの転移魔法で来たから、あっという間だったんだけどね」
ルジェは、最初からオセロを視界に入れないようにしていた。
極力、相手にしない方針らしい。賢明だった。
「立派なおうちだね。遊びに来るの、緊張しちゃった」
「別に、うち個人の家というわけではないんだ」
先導しながら、ルジェは得意がることもなく説明する。
「ここは、スペイド家全体の持ち物なんだ。
都で働く親族や、後援している若手魔導士も一緒に住んでいる。
研究室や訓練室、会議室もあるから、半分は魔導士の詰所みたいなものだな」
廊下を歩いていると、魔導士のバッヂをつけた女性とすれ違った。
中庭では、宙に浮かべた魔法陣を前に、数人の魔導士が議論を交わしている。
「実際、僕ら一家が住むのに使っているのは、ほんの一角だけだ」
ほんの一角といえども、ユディの家より広そうだ。
口には出さず、ユディはひそかに感動した。
「どうぞ。座ってくれ」
通されたのは、応接間らしき部屋だった。
上品な木製のローテーブルとソファ。壁際には、花瓶や置物が飾られている。
お茶を運んできたのは、黒いワンピースに真っ白なエプロンを身につけたメイド。
会釈の仕方まで美しく、ユディはつられて背筋を伸ばす。
(ルジェも、ちゃんとしてるや)
家にいるというのに、ルジェはきちんとアイロンのかかったシャツに、ベスト、スラックスという出で立ちだ。
普段使いのワンピースを着てきたユディは、手に汗をかいた。
自分がひどく場違いに思える。
しかし、ここまで来て帰るわけにもいかない。
落ち着かない腰を、どうにかソファに据えた。
「突然、ごめんね。ルジェ、今日は用事があったりしなかった?」
「今日は新しい魔法陣の検証を――」
「何もないから、大丈夫だよ」
ナイトがすっぱりと言い切る。
なかば保護者と化している守護幻獣は、ルジェが夏休みまで魔法修行に明け暮れているのが不満なのだ。
「なら、良かった。――これ」
ユディはひとまず、手土産を差し出した。
大きな葉に包んだものはチーズ。
瓶に詰めてあるものは、仙桃のジャムだ。
豪華なシャンデリアの下で差し出すには、気が引けるほど素朴だった。
「うちの近所で採れたものなんだけど、よかったら」
おずおずと差し出したが、ルジェの反応は良かった。
興味深そうに、手土産をのぞき込んでくる。
「フレッシュチーズって、こんなに白くてみずみずしいものなんだな」
「え? そういうものだよ?」
ナイトもしげしげと瓶を見つめる。
「仙桃ジャムなんて、すごいね。百貨店で贈答品として売られているのを見たことがあるよ」
「贈答?」
目を丸くするユディの横で、オセロがヤジを飛ばす。
「田舎あるある。都会で珍しい農産物、むしろ現地民は食い飽きてる」
「オセロ!」
ルジェは苦笑しながら、お茶を一口飲んだ。
「いいな。自然豊かで。君の家の方なら涼しそうだ」
「うん、涼しいよ。川に入ると、冷たくて気持ちいいし」
「夜は星がきれいで、静かだろうね」
うらやましそうにするルジェとナイトに、またオセロが突っ込む。
「バカ言え。夜はカエルと虫の鳴き声でうるせえし、朝は小鳥どもがピーチクパーチクやかましいわ。田舎なめんな」
「オセロ!」
「自然くらいしか褒めるところがねえ、一面のクソ緑。名所は大きい岩と、誰かが落ちた滝壺。買い物に行けば金の代わりに卵だの野菜だのが飛び交い、手紙の住所は『ニーキ村の見晴らし山の中腹』。通貨と住所って概念が消えてる」
「ちゃんとあるよ!」
故郷のけなしに、ユディが反発する。
「そんなこと言って、オセロ、日に日に外にいる時間が増えてるくせに! なんだかんだ満喫してるくせに!」
「はーあー? そのくらいしかやることないからですけどぉー?」
「都に来たのは、自然の中で暮らすのに飽きた暴竜のわがままか?」
脱線しそうになる話を、ルジェが絶妙に軌道修正した。
ユディは本題を思い出す。
「ううん。実は、ルジェに相談したいことがあって」
「相談?」
ユディはルジェに、事のあらましを説明した。
故郷に着いて早々、オセロが村を騒がせてしまったこと。
威嚇の指示を出したら、想定以上の行動をしてしまったこと。
そうなったのは、ひとえに自分の指示不足だということ。
「それで、細かくオセロに指示を出したいんだけど。
私、魔法が得意じゃないし、そんなに詳しくもないから……そもそも具体的な指示の出し方が分からなくて」
ユディは眉を八の字にした。
「たとえば、オセロに『火の矢を撃って』ってお願いするでしょ?
私は、同級生の魔導士さんたちが出すくらいの……こう、普通の火の矢を想像してるの」
「小型魔獣を倒せる程度のものだろう?
暴竜なら、中型魔獣を瞬殺するようなものを出してきそうだな」
「そうなの!」
即座に話が通じ、ユディはぱっと表情を輝かせた。
「オセロ、こういう魔法を使ってくるんだよ」
ユディは鞄から、オセロの描いた魔法陣の紙を取り出した。
見せた途端、ルジェの眉根が寄る。
「――なんだ、これ」
「オセロが魔獣の威嚇に使った魔法。火の矢が出るんだけど」
「それは分かる。火属性の強化系魔法陣だ。
でも、使われている記号が分からない」
ルジェの指が、魔法陣の内外に描かれた文字をなぞる。
「こんな省略記号、見たことがない」
「ルジェでも分からないんだ。じゃあ、私が分からなくても当然だね」
ユディは少しほっとした。
「火の矢が出るだけか? 他に何か動きはあったか?」
「魔獣の周りを、火の矢が連射しながら三周する」
「……連射しながら、三周?」
「しかも、魔獣が逃げようとしても、魔法陣ごと動いて追うんだよね。えげつないよ」
「追う!?」
珍しく、ルジェが取り乱した。
「本当に?」
「本当だけど……?」
ユディは小首をかしげる。
「そんなに……すごいの?」
「すごいも何も。あり得ない!」
悲鳴のような声だった。
「対象の周囲で放つなら、円周軌道の指定が必要だ。連射するなら間隔指定もいる。三周で止めるなら停止条件もいる。
なのに、この陣にはそれらの記述がない!」
ユディはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
確かに、妙に魔法陣が簡素だとは思っていた。
「それに、対象を自動追尾だと? なんだそれ」
「ルジェでもできない?」
学園一と名高い魔導士は、難しい顔をした。
「できないことはない。だが、補助陣が最低三つはいる。一人では無理だ」
「そう、なんだ……」
ユディは隣で、出されたアイスを平らげているオセロを一瞥した。
あまりに簡単に、あくび混じりに使っていたので、そんなに高度な魔法だとは思わなかった。
「暴竜。この魔法陣に書いてある省略記号はなんだ?」
「省略じゃなくて圧縮記号」
「圧縮……? 幻界特有のものか?」
ルジェは、同じく幻獣であるナイトに目をやった。
しかしナイトは、困ったように微笑む。
「その記号は知っているし、使ってもいるけれど、説明までは……」
「超簡単に言うと、文字一つに魔法陣を折りたたんであんの。省略記号とは別物」
オセロはスプーンを振りながら説明した。
「そんなこと、どうやって」
「火打ち石で喜んでる原始人に、魔導炉の構造を説明しろってか? 千年後に出直してこい」
オセロは横暴にも、ルジェの分のアイスにまで手をつけた。
ユディは叱ったが、奪われたルジェ本人は頓着していない。
それよりも、魔法陣の方に心を奪われているようだった。
「これ、もらってもいいか? 幻界の魔法を研究している魔導士がいるから、いい資料になると思う」
「どうぞどうぞ」
ルジェは紙を机の脇に置き、話を戻した。
「それで。君の悩みは、暴竜が指示とかけ離れたことをやる、ということでいいか?」
「そうなの。お互い、普通の基準がぜんぜん違って困ってる」
ユディは膝の上で両手をこね合わせた。
「本当は、威力はこのくらいで、本数はこれくらいで、範囲はここまで、みたいに言えたらいいんだけど……。
私は魔法が得意じゃないから“このくらい”を具体的に言い表せなくて。
実際にやって見せることもできないし」
ルジェはあごに手を当て、なるほど、とうなずいた。
「君の頭の中にある“このくらい”を、暴竜にも通じる共通言語にできればいいんだな?」
「そう。魔法に詳しいルジェなら、ちゃんとオセロに普通を説明できると思って」
「それなら、いいものがある。少し待っていてくれ」
ルジェはいったん中座し、すぐに戻ってきた。
ローテーブルに、薄い冊子を置く。
「これは魔導士協会制定の『汎用魔術・使用基準表』だ」
適当なページが開かれた。
ユディでも知っているような魔術名と一緒に、表が描かれている。
「よく使われる魔術について、出力、範囲、持続時間などの目安がまとめられている。
魔導士数人で任務へあたる際に使うものだ」
「こんなのあるんだ……」
「基準がばらばらでは事故になるからな」
ルジェは火矢魔術のページを開いた。
「たとえば火矢なら、第一等級は点火や牽制用。
第二等級は小型魔獣の討伐用。
第三等級になると中型魔獣用で、人に向ければ大事故だ」
「私が想像していたのは、第二等級だね。オセロがしたのは、四か五……?」
「どちらにしろ、市街地では原則使用不可。普通は使わないレベルだな」
ページを繰り、他の魔術についても見てみる。
どれも、魔法が苦手なユディにも分かりやすく、基準が書き記されていた。
ユディはほっと息を吐く。
「よかったあ、こういう便利なものがあって! オセロも私も、これを覚えればいいんだね」
喜び勇んで、ユディはオセロに冊子を見せた。
「ほら、オセロ。これ。これ覚えて!」
「うっわ、面倒くさ。睡眠魔法より眠気誘うわ」
ソファにもたれ、オセロはこれ見よがしにあくびをする。
「覚えてくれないと、私、オセロに指示を出せないよ」
「――できないのか?」
ルジェがさらりと、率直な疑問をぶつけた。
「炎竜は魔力が豊富だからな。力押しでどうにかなる分、やはり細かい出力調整は苦手になるのか」
「……あ?」
オセロの片眉が、不機嫌に跳ねた。
ルジェは淡々と、分析する口調で続ける。
「だからこそ、人間でも討伐の余地があるわけだが。
魔力差を技術で埋めるのが、対竜戦の基本だからな」
「ルジェ」
ナイトがたしなめるが、もう遅い。
オセロにとっては、喧嘩を売られたも同然の内容だった。
金色の目が細くなる。
「おい、ドラゴンスレイヤーのボクちゃん」
「何だ」
「その基準表通りとやらの魔法、おまえが手本を見せろ」
オセロはにたりと笑った。
「完璧に真似てやるよ。人間サマご自慢の技術ってやつをな」




