08.自由自適の娘と惑える周囲
主人公以外の視点、途中で視点が切り替わります。
※2016.07.17 誤字&一部表現修正
その人物についての感想を一言で表すなら……『面白い子』、だろうか。
思わず表情を固まらせて、シャルナクは目の前のものを見詰めていた。
「騎士さん?」
瞬きすら止めたシャルナクに、その作成主である少女が声をかけて来た。傾げる首に従って、短い黒髪が肩を滑る。
ジルニトラ王国には女性の罪人に対し『斬髪』という刑罰が存在し、女性の短髪は罪人の証と見做される。故に貴族庶民問わず幼女の頃から最低でも肩下、年頃となれば背の中程以上腰辺りが一般的になる。
対して少女の髪は肩口にかかる程度、しかも切り口は粗く状態も艶があるとは言い難い。――それ故に使えた口実があるのも確かなのだが、年頃だろうにどうなんだ、と他人事ながら心配にもなる。
背はシャルナクの肩にも届かず、同年代の娘の平均から見ても拳ひとつは小さいだろう。薄い身体に纏うのは幅も丈も合わない従僕見習いの制服。
視力を補助する『めがね』なる器具を目元に装着した、小作りで平板な顔。驚くほどの透明度と滑らかさを持つ硝子の向こうには、あどけないのか理知的なのか判別が難しい黒褐色の瞳。
その丸い瞳が、きょとんとしてシャルナクを見ている。
「……昼飯?」
「ですよ?」
淑女への配慮に欠けた問いに、しかし少女は気にした風も無く応じてフォークを取る。二の句を探すシャルナクを置いて皿の物を口に運び出してしまった。
『竜公爵』と呼ばれて王国どころか大陸北部に於いて特異な立場に立つ、けれどシャルナクにとっては世話の焼けるだけの乳兄弟が引き籠る離宮。その半地下の厨房に置かれた大テーブルに、シャルナクと少女は向かい合って座っていた。
水とフォークと平皿に盛られたざく切りキャベツが互いの前にそれぞれ置かれ、 テーブルの中央には堅焼きパンが入った籠。そのままでも一応食べられるがスープやミルクに浸すのが一般的な、保存食でもある。そして圧巻はその隣、大皿に山と盛られた、イモと腸詰肉の炒め物。申し訳程度に玉葱が見えている。
――以上、少女が用意してくれた『昼食』である。
「量はあるけど、……食事?」
「お腹が膨れる限りはご飯です」
戸惑うシャルナクににべもなく返して、腸詰肉のあとにキャベツを口に詰め込む少女。もっしゃもっしゃと咀嚼しながら「うまだれ欲しい」と意味の分からない言葉を零し、しかしすぐに大皿に手を伸ばす。
空腹には抗えないシャルナクも諦めて炒め物を取り分けて口に運んだ。
火はきちんと通っている。腸詰肉の塩気が強く出ているが、それがイモにも移って味はいい感じだ。ただ、昼食というよりは。
「……酒が欲しくなる味だなぁ……」
口を突いた感想に、ぱっと顔を上げた少女が大きく頷く。いや未成年は飲酒禁止だ異界じゃどうだか知らんが、と内心で突っ込みを入れ。
はたと、外見ではなく経歴という点で、少女について知ることがほとんど無い現状に気が付いた。
なにせあのゲーベル・アイガイオン・グリューネが推挙してきた人物だ。深くは聞きづらく――迂闊に触れれば『じゃあ行かない』で終わる――、書簡の往復の中で与えられていた情報は『儂の孫』の一言。辛うじて『ディオネ様のお傍に侍ることが可能な人物』という追記がきたのみ。
昨日の挨拶時点で補足された情報もまた少ない。
二年前に界を渡って来たこと。
王城を辞して隠棲していたゲーベル・アイガイオンに拾われたこと。
そのアイガイオン老が「儂の孫!」と宣言するほどに気に入っていること。小精霊たちもやたらと懐いていること。
魔力が一切無いこと。それで平然と生きていること。更には王国屈指の魔力量を持つ王太子の魔力威圧を、まったく感知すらしないこと。
そして、料理は不得手であるらしいこと。
大盛りの炒め物は確かに量だけなら十分にある。だが、それと堅焼きパン(イモと共に口の中の水分を奪い取っていく)とざく切りキャベツ(塩すら振られていない)だけで『お昼ご飯です』と断言されると、あれ今遠征訓練の野営中だったっけ、と首を捻りたくなる。せめてスープが欲しい。
……現在は食事の心配が不要な人間の住まいだが、無人の間も備蓄庫代わりに保存食や調味料などが置かれている。嘘か誠か『竜公爵』の傍に常駐できる人物が来るということで、一昨日に定期的な入れ替えの顔をして生鮮食品までも補填したのはシャルナクだ。
食糧庫には保冷術が掛けられていて劣化は鈍い。術式の維持に必要な魔力は、浄化術(による掃除)が離宮全体に施される際に補填されている。その条件も含めて、少なくとも十日は保存食を前面に押し出さずに済む量を見立てて貰った。
よって、材料がなかったからこの食事、ではないと思う。
知らず無言になっていたシャルナクを余所に、少女は「ごちそうさまでした」と食事終了の宣言をして姿勢を正すと、先制するように質問を投げてきた。
「さて、竜公爵の食事については保留として。掃除洗濯風呂その他のお世話ってどうなってるんでしょう」
……なにも説明せず放り込んで申し訳なかったけどこっちも君のことを一切把握してなかったのでその冷ややかな視線は君のお爺さんにどうぞ向けてくださいお願いします。
硝子越しの視線が非常に冷たい。騎士という職業柄、子供や淑女方にそうそう冷遇されることが無いシャルナクには中々に辛い。
引き攣りそうになる頬を誤魔化しつつ、不足しかしていなかった、『竜公爵』ことディオネの生態について述べることとなった。
◆◆◆
聞けば聞くほど『理解不能』と評するしかない人物像というのもどうなのか。
ジルニトラ王国王太子、プリシオス・ティタニア・ドゥグ・ジルニトリアは思わず額を押さえて俯いた。
王城の一棟、官吏らの執務室が並ぶ一画に彼の執務室もある。
重厚な執務机を挟んだ向こうに立つのは幼馴染みでもある近衛騎士。入り口脇に控える年嵩の騎士と共に、ティタニアの腹心と呼べる存在だ。
「…………一日中、兄上の部屋の前で……歌っている?」
絞り出した言葉に、シャルナクが重々しく頷いた。
控えた騎士も、部屋の隅に立つ女官二名も、表情は変えないが内心ではティタニアと同じことを思っているだろう。
曰く、
「……意味が解らん……っ!」
ぶっ、と噴き出したのは女官たちの傍のソファでお茶を飲んでいた魔術士、魔術の師でもあるゲーベル・アイガイオンである。
貴方が連れて来た娘でしょうが、と少々恨めしげに視線を投げれば、完璧な笑顔が返される。腹の底どころかその表面すら読ませない、作り上げられた仮面。
「サキはすごいねぇ。出来のよろしいティタニア様に頭を抱えさせるなんて」
兄と共に師事したが、出来の云々ならティタニアはディオネに遠く及ばなかった。完全な皮肉を、晴れやかな微笑と穏やかな声音で発するこの喰えない老師を誰か痛い目に遭わせて見せて欲しい。
「……師匠。貴方が大丈夫だというからあの娘に一任したのですよ? それが、一日中歌っているだけ……?」
「最初は身の上話で、童話に移行して、で、ネタが尽きたんでしょ。いやぁ、反応の無い『扉』を相手に、ホント我が孫ながら健気ですよねぇ」
ぐ、と反論に詰まる。
そう、『竜公爵』の名を持ちながら離宮に引き籠る兄を外に連れ出せということが、どれほどの難事かはティタニアこそ身を以って知っている。
この三年余り、ただ手を拱いていた訳ではない。
幾度となく訪れて哀願から恫喝まで遣り尽くした。
けれど、頑なに閉ざされた兄の心には届かなかった。
兄が引き籠るより先に王城を出た恩師に説得の依頼もした。
『無理』の一言だった返事に、『今は無理』という限定が付くようになったのは、今からおよそ二年前。――つまりはあの娘を拾った頃。単純に界渡りの娘の世話に忙しいという意味だったのか、その娘を兄のところに置けるだけの知識なりを身に付けさせるまでという意味だったのか。現在向き合う笑顔からは本心が読み取れない。
師は、表面上の付き合いならどれほど性根の腐った相手でも当たり障りなくこなすが、懐に入れて利害無視の関係を築く相手は非常に少なかった。幼い兄弟相手にもそれは変わらず、真に彼が気安く応じてくれるようになるまでは長い時間がかかったものだ。
そんな、穏やかな物腰の裏で気難しさを拗らせていた師が全幅の信を置く存在に期待していないと言ったら嘘になる。むしろ状況を覆す強大な一石になるのでは、と――少なくとも無意識の底では――期待していたからこそ、変化の見えぬ現状に悪態のひとつも吐きたくなるのだ。それがどれほど他力本願で自分勝手な行いであるかは十二分に承知の上で。
壁にかけられた暦に視線を投げる。
春は盛りを迎えたばかり、夏はまだ先だと言える。
――だが、決して遠くは無い。
◆◆◆
扉越しに届く声に『不思議な女性』という感想を上書きする。
かつてジルニトラ王国の王太子位にあり、現在の名をアンシェンス・ディオネ・ウル・ジルニシオンと改めた青年は、閉め切って長い扉の向こうから滔々と流れてくる旋律に目を細めた。
穏やかな歌の、その詞は聞き取れない。鼻歌という訳ではなく、彼女の母国語で口遊まれる故に。
久し振りに訪れた恩師は、隠棲生活の四方山話を一頻り並べ立てたと思うと「あと儂の孫置いてくからよろしく!」という謎の言葉を残して去った。そうして、ひとりでこの部屋の前に立った勇気ある女性。礼儀正しく挨拶をして名乗り、こちらの様子を窺ったあと――焦ったように声を荒らげた彼女は、竜の魔力を抱くディオネに怯える素振りをひとつも感じさせないまま、一日を過ごして見せた。
以来、来る日も来る日も変わらずに、挨拶をして名乗って声をかけてくる。
初日以降、一切の反応を示さないこちらに飽きることなく――否、きっと内心では飽き飽きしているのだろうに、それを感じさせない調子でのんびりと色々な話を聞かせてくれる。むしろ反応は期待していないのか、同じ話を繰り返し語るばかりで、ディオネに問いを投げてはこない。
一度目は耳を塞ぐようにして意識的に聞かなかった。すぐに去っていく人のことだからと。
二度目は好奇心が僅かに疼いた。日を重ねてもなお傍に在る人のことに。
三度目には、内容をほぼ完全に聞き覚えた。
界を跨いでの壮大な迷子。なのに『帰りたい』とは思わないと言う。訝しんだディオネの心情を読むように語られた生い立ちは、あまり幸せとは言い難かった。けれど続けて語られたそれまでの日常は厭世的になるでもなく淡々とした調子に、不幸とは思っていないと理解した。
四月一日生まれ。学舎の扱いでは『早生まれ』になるから、という名の由来。名付けた母は早逝し、父はなく、世間体のためだけに彼女を引き取って育てた母方の祖父母も齢一桁の間に去り、故に孤児院で育ち、十八で仕事を得て独立した。
学舎の友人たちとは卒業と共にほぼ縁が切れた。
孤児院の職員たちは親切でも独り立ちすればそれまでの縁で。
仕事仲間は気の好い者ばかりだったが、それぞれの生活が当然優先されて。
血縁は無く、深い絆のある者も無く、だから故郷に未練は特に無い、と語る言葉に陰は無く。
一度惹き付けられればもう耳を塞ぐことはできなくて、繰り返される言葉に耳を澄ます。数日に渡って語られた身の上話が昔話や童話に変わり、それも数度繰り返したあとは歌を口遊み始めて、また数日。
――これだけの時間、日数。傍に居続けた人は乳母以来、それも乳飲み子だった数ヶ月限りのこと。
竜の加護を得てから五年と少し。
離宮に引き籠ってからは三年ともう少し。
訪れるのは万一の際にも自己を護る程度はできる魔力を持つ弟と、万一が起きたらそのときは仕方ないと笑う乳兄弟だけで、当然それぞれに責務を負う彼らが半日以上滞在することは叶わない。稀にシャルナクが酒瓶を片手に一晩を過ごしていく程度。
ディオネが沈黙を貫くのは、一声を放てば、もう強情を張れなくなると自覚しているからだ。そんなディオネの意地に、弟や乳兄弟は気付いているだろうと思う。
静寂に包まれた日々。
届けられる僅かな書類を黙々と裁くだけの生活。
不意に投じられた異色の一石は、確実にディオネの世界を塗り替えて。
気付けば、半月が経過していた。
主人公との接触時間が長い騎士殿の分量が一番長くて、
イマイチ人物像を把握しきれていない王太子殿下、
主人公視点では未登場の竜公爵、という順でした。




