06.項垂れる毬栗頭と平常の乙女
※2015.12.14 誤字修正
「ねえ、サキ。帰りたい?」
王城に一泊した昨夜、老爺は徐に問うてきた。
竜公爵の御傷心ぶりを聞いたあと、開き直ったサキが入浴を済ませたタイミングだった。
入浴の手伝いを申し出るメイドさんとの仁義なき戦いから逃げ切って風呂を出たサキは、お行儀ナニソレ食べらんない、とソファに転がり、首だけを対面に座る老爺に向けていた。
「許されるなら是非に即行で」
脊髄反射の速さで応じたサキに、老爺は苦笑して首を振り。
「森に、じゃなくて。君の生まれた世界に」
どうして、と首を傾げた。
迷い込んで保護されて、事情を理解した老爺に来た方法が分からないから帰してあげたいけど手段が分からないと宣告された。望むなら方法を研究するとの老爺の言葉を、無理は望まないと断ったのはサキだ。
「竜は人智を超える、って話をしたでしょう? 竜の加護を得たディオネ様ならひょっとして、ってね」
……だから問答無用でお城訪問に同行させられたのか。
多少の郷愁を覚えることはあっても、帰りたいと、あちらに戻りたいという強い想いをサキは抱けない。僅かな心残りは無断欠勤となった仕事だけだったけれど、それも二年以上経った今となっては免職済みだろう。
戻りたいという願いも、老爺に無理を強いるつもりもない、と首を振り。
身を起こして眼鏡の位置を直しつつ、再度首を傾げる。
「そういえば〈竜〉ってどこに棲んでるの? 会えるんだよね?」
「……えへ?」
竜の加護を当てにしなくても、竜本体に会えるならそっちを当て込んでいいのでは、と思い至ったサキの問いに、非常にイイ笑顔が返ってきた。もう嫌な予感しかしない。
「……おじいちゃん?」
「えーと、竜は北の山脈に棲んでるんだけどね」
大陸北東部に位置するジルニトラ王国、王都はその国土中央にあるが、王都から北に向かえば小さな集落を置いてすぐに広大な山岳地帯に行き当たる。手前の低い尾根すら人跡未踏の、竜の棲家と呼ばれ不可侵の領域とされている山々だそうだ。
竜の姿は、確認は、されている。
極稀に、暁に或いは黄昏に月光に、その輝く鱗を示して空を舞うと。
けれど決して人と親しく接触することはない。
知性を持ち感情を理解し人語を話すと言われるが、実態は謎に包まれている。
五年前、当時の王太子殿下に『加護』を与えたときも、本体が現れたわけではなく、魔力の一端だけが訪れて触れて行ったのだという。
「……で?」
「そんな感じでしか人間に干渉してこない竜なので会えません。代わりに竜公爵をご紹介いたしまぁす」
「ほほう」
「てへっ」
完全に目が据わったサキと、語尾に星でも飛ばしていそうな老爺とが見詰め合うことしばし。静寂の中に、深い深い溜息が吐き出された。
「竜に釣られた自分のバカ……」
ソファに崩れ落ちたサキの髪に、いつもどおり小精霊たちがじゃれかかってきたことに妙に慰められた。
◆◆◆
開かずの扉を前に半眼になって仁王立ち。ずれてもいない眼鏡のブリッジを押し上げるのは最早癖だ。気分を落ち着かせるとき、或いは鼓舞するとき、ついと触れて眼鏡を確認することで、自分の存在を確認するような。
サキの背後には応接間に相応しいソファとローテーブルのセット。テーブルの上には盆に載せられたままのお高そうな白磁のカップが二客。同じく白いティーポットの中ではほうじ茶風味のお茶が、そろそろ出過ぎで苦みを帯び始めている頃合いだ。
――こちらには魔術による生活便利道具が色々あるものの、富裕層が独占している状態だ。緻密な魔術式が組み込まれており、使用にも保管にも細心の注意が必要となる代物だからという理由もあるが、製造にコストがかかり高額だからというのも大きい。
そう語った当の老爺はいくつも所有していた――魔力感知式の道具なので魔力の無いサキが同居し始めて早い段階でお蔵入りさせた――が、少なくともサキの知る村の住人たちは、確かにほとんど魔術道具など持ち合わせていなかった。
文明の利器の恩恵をなんの感慨も持たずに甘受していたサキは、飲み水を得るのにわざわざ家の外の水源に桶を抱えて行かねばならないという生活にしばらく苦労させられたものだ。――老爺の容赦ない教育のおかげで、然程時間をかけずに森の田舎暮らしに順応してしまったが。
閑話休題。
故に手間暇かけて水を汲んで火を熾して湯を沸かし、食糧庫から発掘した茶葉で森でも故郷でも馴染みの無かった華奢な白磁の高級茶器を整えて、零さないよう細心の注意を払って持って来たというのに。
ひとまず渋くなる前にとカップにお茶を注いでしまえば、次は冷めない内に、という戦いに切り替わるのだが。
「竜公爵、ティーカップが通るくらいの隙間くらい開けて貰えませんかー」
湯気の立つ一客をそろりと持って扉の前に移動する。怖いので両手で小さな皿を捧げ持っている状態につき、ノックはできない。しつこく声をかけるが、爪の先で突くようなささやかな反応すら無い。
「竜公爵~。…………はぁ。ご不要ですかそうですか」
独りで二杯飲んでやる、とそのままローテーブルへ運び直し、天鵞絨っぽい手触りのふかふかソファに腰を下ろす。
テーブルとの距離を目測ののち、静かに床に滑り落ちた。
うん、落ち着く。地べた暮らし民族ですから。
座卓とするには高さのあるテーブルに、両腕を乗せる行儀の悪い姿勢で高級茶器の茶を啜る。
南西の角部屋であるこの応接間には、壁二面に窓が切られている。南側は腰高の出窓、西側が床面から天井近くまで大きく開かれた掃き出し窓だ。どちらもカーテンは脇に寄せられて、南側の窓からは直射の陽射しが降り注いでいる。
お役目としては手詰まりの現状をどうするかを考えるべきだろうが、長い物に巻かれているだけのサキに殊勝な心がけなど無く。
眠いなぁ、とぼんやりと過ごすうちに、かさりという小さな音を聞いた。
やがて太陽が一番高いところに到達した頃、離宮の玄関が派手な音を立てた。
足音高く歩む気配が、迷いなく最奥を目指す。
「お嬢ちゃん、いるかーい?」
相変わらずノック無しで扉を開きながら発せられた声に「はぁい」とやる気なく応じれば、跳ね上がる逞しい肩。
「――うっわ、なんで後ろに居るんだ!」
振り向いた精悍な顔には驚きが表れていて、紺青の瞳が大きく見開かれていた。 ……職業騎士がド素人にあっさり背後を取られるってどうなんだろう。
「台所に居て、応じるべく上がってきたら、お客様は既に竜公爵のお部屋に到達していました」
「あ――……。いや、早々に声をかけてくれよ」
「はぁ」
声を張るのも面倒臭くて、とは言えずに曖昧に流してサキは首を傾げる。
「それで、わたしに御用ですか? 竜公爵にではなく?」
「ディオはお嬢ちゃんに任せるよ。で、そのお嬢ちゃんに説明の補足にね」
「はぁ」
今更ですか、という言葉もとりあえず呑み込んで、反対側に首を傾げた。
「竜公爵のお部屋で話します? 二階?」
「んー、台所に居たって言ってたよな? なにしてたんだ?」
「食糧庫を漁って適当に昼食を頂こうか、と」
「お、いいねぇ。俺も昼飯まだなんだぁ」
「…………」
それは騎士殿の分も用意しろということか。
詳しくは知らないが元・王子様な竜公爵の乳兄弟で、現・王太子様付きの近衛騎士ならば良いところのお坊ちゃんではないのだろうか。物臭代表の『料理』への覚悟はあるのだろうか。――騎士殿はサキの為人をほとんど知らないだろうから田舎の家庭料理が出るとでも思っているのだろうか。
にかっと笑った騎士殿をちょっと遠い目で見遣ってから、そういえば食事に関して確認事項があったな、と傾げたままだった首の位置を直す。
「騎士さん、竜公爵のお食事はどうなってるんでしょう? まさかわたしの料理を振る舞えって不敬罪レベルな話は無いと思うんですが」
半眼になったサキに気付かなかったのか無視したのか、騎士殿は軽く肩を竦めただけだった。――よくよく見れば今朝は装着していた筈の鎧が無い。下の服装までは記憶にないが、恐らく私服に着替えているのだろうと思えた。
「ディオに食事はほとんど必要ないし、夕飯だけは本城から差し入れてるし、これはお嬢ちゃんが居ても変更しないから一切気にしなくていい。――と、言いつつ、気にしてくれるとありがたい」
……どっちだよ。
より胡乱に変化させたサキの視線を、今度は明らかに無視して騎士殿は足を動かし始めた。頭二個分上にある後頭部は、短髪と綺麗な骨格とでこれが本当の毬栗頭かと感嘆を覚える造形を成している。色の具合まで文句無しである。
そんな毬栗氏が歩きながら語るには、竜公爵の人外魔力は生命維持まで賄うらしい。食事は不要、睡眠は只人に比べて極短時間で可、呼吸だけは必要だったらしいが、その気になれば飲まず食わず眠らずで十日は通常活動が出来たとのこと。過去形で話すだけあって実証済みというから恐れ入る。
夕食の差し入れは、領地関連の書類の遣り取りを兼ねて行われている。領主の仕事より、食事という行為を忘れさせない、というのが本命であるらしいが。
騒いでも放置しても反応の無い引き籠りとどうやって『遣り取り』を成立させているのかと思えば、送付魔術が活躍していた。老爺が手紙の往復に使用しているのでサキにも馴染みがある。使用に際して送り手と受け取り手の許に対となる魔術陣が必要になる。
この離宮には玄関脇と応接間の内扉脇に魔術陣が刻まれた台が置かれ、竜公爵の私室内に対の二台があるらしい。
ああそれで、とサキは上着のポケットに入れているブツを思い、しかし座ってからでいいかとそのまま騎士殿に従う。彼は迷いなく裏階段に回り込んでいくので台所まで同行する気らしい。使用人の領域に立ち入っていいのか貴族サマ。
「好き嫌いは無いし、食べなくてもいいってだけで食べられない訳じゃないから普通に朝昼作ってやってよ」
そう話を締めにかかった騎士殿に、だから不敬罪レベルのご飯だからありえないと最初に宣言しましたが無視ですか料理テロとか言わせませんよ、と内心で応じ。
はたと気づく。
「騎士さん」
「んー?」
「送付魔術を使えない場合の配達方法についてご教示賜りたく」
「あ」
『送付』魔術と言うだけあって、受け取り手が不在だろうが魔術が使えなかろうが問題は無い。
そして、お取り寄せ魔術は確立されていない。
つまり竜公爵がサキに渡すものがあれば応接間なり玄関なりの魔術陣にブツを送り付けておけば良いが、サキが竜公爵に届け物をする場合は扉を開けてもらうか、応接間に置いて場を外し、その間に回収してもらうかしか手段が無い。
階段を下りきったところで歩を止めてしまった騎士殿の脇を擦り抜ける。背後で巨躯と呼んで差支えない身体がぐらりと揺らいで落ちた。
頭を両手で抱えた騎士殿は「そうか庶民でも送付魔術って難しいか」とか「老の推薦なのに魔術一切不可って」とかブツブツ言っている。
とりあえず無視して、食糧庫から取り出していたものを一瞥する。騎士殿の分もというなら足りないが、いったいどのくらい食べるのだろうか。
うーん、とサキが首を捻っている間に騎士殿も持ち直したらしく、緩慢ながら立ち上がって移動していた。が、次には台所に置かれている作業台兼使用人の食卓だろう大きくも素っ気ないテーブルに両腕をついて深く項垂れてしまう。
サキはそんな騎士殿の視線の先に、ポケットから取り出したブツをそっと滑らせた。
流麗な手蹟で一文が記された、小さなメモ紙。
サキが竜公爵の応接間でぼんやりとしていたときに聞いた、小さな音の正体はコレが現れた際のもので、出現場所は件の送付魔術陣が刻まれた台――サキの腰辺りの高さがある、五十センチ四方の立方体――の上だった。
魔術陣は一対しかないのが仕様――サキの理解としては『一本糸の糸電話』――ということで、送り主は言わずもがな。
一拍置いて騎士殿は膝を折り、テーブルに顔面を埋める勢いでしょぼくれた。
「…………ディーオーネェエ……」
「騎士さん?」
「シャルナク、だよ、俺の名前」
「サキです。で、なんて書いてあるか教えていただいても?」
見下ろした毬栗は、しばしの沈黙ののち、低く唸るような声を出した。
「……『私に構わず帰りなさい』、と」
「許されるなら是非に即行で」
脊髄反射の速さで応じたサキは悪くない、と思いたい。
タイトルの「毬栗頭」は騎士殿のことでした(笑)
そうして再び遠ざかる竜公爵。…アレ?




