04.天岩戸のこちらと脱力の乙女
明日の昼前には竜公爵の離宮に案内する、との王太子の言葉で面会は終了し、案内された宿泊場所は居間を挟んで左右に寝室があるタイプの贅沢な客室だった。
ふたりきりになるなり、サキは老爺に向き直った。
「……おじいちゃん。わたしに何を求めてる訳?」
『サキだから役に立つ』と言って連れて来た老爺だが、人外になったショックで引き籠りになった竜公爵を引っ張り出せと言われても心療内科的な知識などサキにはない。
なぜサキなのか。王太子は公務があるだろうが老爺なら隠居して悠々自適の身、説得係としては充分に役目を果たせるんじゃないのか。
そう問えば、老爺には珍しく寂しげな笑みを返された。
「五年前に散々お話したよ。それでも駄目だったし。これ以上しつこく言い募ってディオネ様に本気で魔力威圧されると儂でも命の危険があるからねぇ」
きょとんと瞬いた眼鏡のレンズ越し、微笑む老爺は続ける。
「最初の頃に教えなかったっけ? 魔力の強いものは弱いものを支配する。相応の魔力があれば魔術として形を整えなくても、魔力を解放するだけで周囲の存在を圧迫し、死に追いやることすら可能、って」
見開いた目と同じように、口もかぱんと開く。聞いた覚えがない。
「さっきティタニア様がサキをじぃっと見詰めたでしょ? なにか感じた?」
「……なんか分かんなかったけど強いて言うなら小精霊たちが纏わりついて来るときの、気のせいと言えばそれまでな違和感?」
「…………すごいよねぇ」
苦笑する老爺に、だからなにが、と首を傾げれば、
「殿下の魔力はディオネ様を除けばジルニトラ王国でも屈指、ちょっと本気で威圧すれば魔力の弱い一般人なんかは簡単に人事不省にできるよ。でもって、さっきは全力全開でサキに威圧をね」
……………。
「指向性が絞られていたから儂も騎士君も無事だったけど。あ、でも騎士君は一歩後退して顔色失くしてたから、ちょっと厳しかったのかな~」
騎士殿、とばっちりご愁傷様。――じゃ、なくて。
「……魔力って出したり引っ込めたり自由自在なんだ?」
「うわぁ今更、って儂が説明してなかったかな……?」
聞いてない。多分。記憶にある限りは。
「普段は抑えておくのが一般的だねぇ、保有魔力の強弱問わず。うーん、魔力の無いサキに例えるなら……ちょっとお手洗い行く時も水を汲みに行く時も常に全力疾走で移動ってしないでしょ?」
「やれって言われても無理」
「うん、まあ、そんな感じで。常に解放しておくのは疲れるから抑制するの。持って生まれた自身の魔力は、成長と共に多少増強されても本能的に制御できるし、日常魔術は親から子へ躾感覚で教えられていくくらいだし」
ただし、感情が昂ると制御が甘くなる。――これは誰しもそうだが、しかし『竜の加護』を得た竜公爵、当時の王太子の魔力は大きすぎた。辛うじて制御に難は見せなかったものの、万一が有れば大惨事となることは皆に理解できた。結果、ディオネ様の感情の乱れには皆が気を遣うこととなった。
どこか陰のある微笑を浮かべて老爺が続ける。
「だから、自然とディオネ様の周囲から人がいなくなってね。制御できていると言っても些細なことで暴走する可能性があって、しかもそうなれば自衛できない程度の魔力保持者の方が多いからね。今も昔も気にせずお傍に寄るのは弟王子様と、あと騎士君くらいだね。彼の場合、魔力量としては論外なんだけど、ディオネ様の乳兄弟で気心知れた友人でもあるから放っておけないんだろうね」
多少は落ち込みながらも、ディオネ様は早々に魔力のみならず感情をも制御して見せた。花の祝典で『加護』を得て、夏至祭には予定通り出席できる程度には迅速に。
しかし、その夏至祭で悲劇は起こる。
当時婚約関係にあった隣国の王女様の訪問は年明けから調整されていて、このためにディオネ様は必死だったと言っていい。国同士で交わされた縁ではあったが、ディオネ様は彼の姫君に仄かな想いを寄せていたらしい。周囲が距離を置く中で、せめて婚約者殿には受け入れて慰めて貰いたいとの希望があったのだろう、と。
その姫君は、芸術品のごとき美貌の半分が竜眼と鱗に侵されたディオネ様の顔を見て――卒倒した。王城勤務の侍女たちですら怯えた表情を隠せないながらも悲鳴は呑み込んでいたというのに、遠慮なく叫んで倒れて、その後、ジルニトラ王国側から申し出た破談に飛びついて謝罪も無かったそうだ。
淡い希望が儚く潰えたディオネ様は、荒れた心のままに王城の一郭を『少々』破壊した上で、引き籠りを決意したという。
「うわぁい……ちょっとわたしの手に負えると思えないんですケド」
頭を抱えて唸る。
サキの人間関係の基本は『狭く浅く』だ。
あちらで過ごしていた間も、こちらに来てからも、自ら積極的に他者と交流を図ろうとはしてきていない。唯一例外的に、精霊たちとはなんとかより深い相互理解を図りたいと思っているのだが、人間とは別種の存在なのでとりあえず論外。
況や色恋沙汰で負傷した男性の精神ケアなど、である。それに関する経験値は底辺どころか皆無だ。
「大丈夫。とりあえず傍に人がいる、それも四六時中付き纏って平気な顔してる女の子が存在するってことを証明して見せればそれだけでもディオネ様には傷心を癒して頂けると思うから」
……確かに魔力を感知できない鈍感力だけは最高値の存在ですけど。性別女ですけど。でも見た目への反応は保証できないって言ったよ? むしろそっちの方がトラウマとしては大きいんじゃないのかな今の話の流れだと!
論点ずれてませんかね、と老爺を睨むが、相手はいつの間にか陰を散らして喰えない笑顔だけを返してくる。
だはぁ、と大仰に息を吐いて、サキはソファに突っ伏した。
視界の隅で黒髪が揺れている。窓は閉じられていたから小精霊か。――僅かに慰められた心地になって身を起こし、半端にずれた眼鏡を直す。
――うん、考えても答えは存在しない。なるようにしかならないのが世の不条理。うん、諦めよう。不手際のツケはおじいちゃんが払ってくれるよ。
不意に立ち直って頷き出したサキに、老爺が残念な物を見る視線を寄越していたが黙殺した。
◆◆◆
白壁に蔦の這う、焦げ茶の屋根を被ったメルヘンチックな建物が、竜の巣ならぬ竜公爵の天岩戸所在地だった。
朝食が済んだところで客室に現れたのは昨日の王太子との面会時にずっと付いていた騎士殿で、後ろに食器を下げに退室していたメイドさん――客室でのあれこれを担当してくれた、ついでに言うなら王太子との面会の最初にお茶を淹れてくれた美人さん――を従えていた。ちなみにメイドさんは何やら一抱えの荷物を持っている。
挨拶のあと「シャルナクと呼んでくれ」と、これは彼を知らないサキに向けて名乗り、メイドさんに一瞥くれて指示を出した。
「リリィ、一揃いお嬢ちゃんに着せてやってくれ。アイガイオン老、お嬢ちゃんの着替えが済み次第ディオネ様の離宮にご案内します」
メイドさんに関する新規情報を脳に書き込む間もなく隣室に連行される。
「あーあ。食後のお茶くらい頂きたかったねぇ」
「……すみませんね。俺の手でよければお淹れしますよ、道具はありますから」
「自分で淹れるよ。サキの分も用意しておくからゆっくり着替えておいで~」
扉が閉められる直前に暢気な老爺の声が滑り込んできたが、言わせてもらってもいいだろうか。
「着替える意味が解らない……」
着ているのは比較的綺麗なおじいちゃんからのお下がり服ですが駄目ですか。リアルに魔法使いのローブだよね、な造作はまさか宮廷魔術士の制服だったりしますか生地は良さ気ですが筆頭まで務めた御方の制服のお古だというならちょっと質素簡略に過ぎると思うんですがどうでしょう。
内心でうだうだしているサキを無視してメイドさんは手早くローブを剥ぐ。下に着ていたシャツもゆったりしたズボンも脱がされ、下着のみになったところで渡された新たなシャツに反射的に袖を通す。ズボンを穿いて上着を羽織る前に幅広の布を腰に巻かれた。
上下は黒で詰襟から比翼仕立ての合せ部分と、袖の縁に細かな青い糸での刺繍。ズボンの裾が余ったのは取り敢えず内側に折って誤魔化された。巻かれた帯は刺繍糸と同じほぼ原色の青。
――この色はアレだ。高校ジャージのアレだ。そして上着は短ラン仕様ですね、下はフツーですけどぶかぶかのアレじゃなくていいんですかねカッコ笑。
着替えさせられた意味は説明されないままだが、ちょっと懐かしい色味と笑える意匠にまぁいっか、と開き直る。
客室を出る際にメイドさんから荷物の残りを「今後のお着替えです」と渡され、見送られて騎士殿を先頭に人気のない廊下を移動。誰にも会わないまま滞在していたお城の一棟から出て、素晴らしい晴天の下を歩くことしばし。こんもりとした林と言うより森だよね、ってかここ王城敷地内だよね!? な、立派な自然が途切れた向こうに見えてきたのが、白壁のメルヘンチックな建物だった。
先導する騎士殿は玄関扉をノックもせずに開き、慣れた足取りで廊下を進む。一階最奥、一際物々しい扉をこれまた無言で開いて入ったのは応接室らしき空間。
続く扉の前でようやく足を止め、勢いよく扉を叩いた。
「ディオー、ゲーベル・アイガイオンがお訪ねくださったぞー」
突撃上等の乳兄弟とは聞いていたが随分である。しかしこれで通常運転なのだろう、老爺は気にする様子もなく騎士殿に並んで扉に声を掛けた。
「ディオネ様、お久し振りです。お変わりございませんか」
時系列を整理すれば竜公爵が引き籠るより前に老爺は森に隠棲している。お変わりもなにも、あからさまにお変わりになられていると言えるのじゃなかろうか。
固く閉ざされた扉の向こうからは、こそとも音がしない。
ごん、と騎士殿の拳が叩き込まれ――余韻が静まった後も、無反応。
「……はぁ。アイガイオン老、お任せしていいですか。あまり居られないのでお嬢ちゃんに家の造りを案内して来ます」
「はいは~い。サキ、行っておいで~」
「……えぇと。はい。お願いします」
挨拶はしなくていいのかと戸惑ったサキに老爺が手を振るので、大人しく開かずの扉を後にした。
――一階は最奥が竜公爵の部屋で北側の書庫は自由に使っていい――あ、読めないんだっけゴメンな――、他に食堂や居間があるけど使ってない、興味があればご自由に、階段裏から降りる半地下は台所と使用人向けの水回りで魔術が使えない以上こっちを使う方が楽だと思う、二階が客室で好きな部屋をどうぞ、三階部分である屋根裏は使用人部屋と物置だけど使ってない、探検したいなら楽しんで。
流れるような騎士殿の案内に少々息を上げながら従い、とりあえず二階の階段に一番近い部屋に荷物を放り込ませてもらって一階に戻った。
ら、老爺がエントランスホールに居た。
「アイガイオン老、お話は済まれましたか」
「うん。お返事がほぼ無くて一方的に、だけどね」
「……あの莫迦。どんどん駄目になってんじゃねぇか」
「わぁ口が悪い。とりあえずサキのことは伝えて来たから」
「お手数おかけしました。じゃあ、お嬢ちゃん、よろしくな」
「衣食住完全保証な夢ののんべんだらり生活だよ、満喫してね」
言いつつ極自然に肩を並べて玄関を出て行くふたり。
思わず追おうとしたサキの眼前で、無情に扉は閉ざされた。
「……え?」
扉越しに「じゃあね~」と老爺の暢気な声。
「……はい?」
いきなり放置された。『伝えて来た』って何をどの辺までご説明あそばされましたのおじいちゃん?
「…………」
ぎしぎしと首だけを回して離宮内の気配を探る。静まり返ったご立派な建築物はとても余所余所しい。
ぎこちない動きのまま、なんとか奥に向かって歩を進める。
長い物に巻かれて流されてここまで来たけれど、結局はサキの意思だ。
ほぼ拒絶の余地がなかったとしても、反論や反抗を諦めた時点で逃げ出す選択肢は認められない。
それでも、まさかひとりでご挨拶からやる羽目になるとは予想外。
辿り着いた一階最奥。開かれたままの扉を、一瞬迷ってから礼儀として二度叩き、「失礼します」の声掛けをして抜ける。閉ざされた扉に拳を当てて深呼吸。
軽くノックをして、
「――初めまして。首藤早月と申します」
まずは、フルネームを名乗るところから。
どうぞ、よろしく。
「ぶかぶかのアレ」なズボン…ボンタン。
丸っと一ヶ月空きました、すみません…orz




