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38.しょんぼりな竜と療養の乙女


 薄暗い、或いは仄明るい洞窟の奥。

 ぐったりと重い身体を持て余しつつ、サキは凭れた小山・・の側面に後頭部を預けていた。


『……のろい……』


 頭の遥か上、小山の片端から低い低い声が零れ落ちる。

 僅かな光源にその身を輝かせるのはこの空間の主たる竜、青銀アオガネ


「あらあらあら」


 困ったように、或いは面白がるように笑う女性の声は樹木の精霊、大樹タイジュ


「まあ、確かにな」


 渋い声であっさりと肯定したのは大地の精霊、黒土クロツチ


「あっははははははっ、ふは、はははは!!」


 そして笑い転げているのは少年の声。北風の精霊、朔風サクフウだ。


『………………』

「あはは、って危ないな青銀の!?」

「こら青銀の、虚ろのの身体に響くじゃない」

『ぬ』


 朔風を小突こうと青銀竜が動いたらしく、その横に凭れていたサキは大きく姿勢を傾がせた。青銀竜を咎めた大樹がサキを支えてくれたので床に転がる無様は晒さずに済んだが。

 気のせいか、小山が一回り縮んだような。頭上を振り仰ぐように小山の稜線をぼんやりと眺めたサキは、すぐに首がつらいなと角度を戻した。



 昏々と深く闇に落ちていたと思えば周囲の気配を感じるほど浅いところに浮き上がり、しかし瞼を開くには至らない眠りの時間をどれほど繰り返したのか。

 はっきりと意識が覚醒したときに視界に入ったものは、淡い緑の燐光を放つ謎の塊だった。


「…………まだ寝てるかな、わたし」

「あら、おはよう虚ろの」

「おはようございます……」


 光の塊から、昏倒前に聞いた覚えのある女性の声が発せられた。よくよく目を眇めてみれば人の形をしているようで、包帯を替えるわね、と言って近付いた姿は確かに人間の女性らしかった。

 サキの常識の範疇にない、輝きを纏う緑色の髪を持っていることを除けば。


 そして遠目に、黒い光――影ではなく光と認識させられる謎の存在感――と白い光も見つける。渋い声と溌溂とした声に名乗られて、精霊は魔力の塊だという話を思い出す。彼らが意識して人型を取らない限りは光として見えるのだろう、と。サキなりの結論に辿り着く頃には大樹の精霊による手当は終わっていた。


 そうして話をしていくうちにサキの無事をどう王城に知らせるか、という段で出てきたのが竜公爵に関する話だった。


「青銀のの眷属に伝えるんなら青銀のが行けよ。俺はやだかんなー」

「どうしたの、朔風の。飛び回るのがあなたの存在意義でしょうに」

「俺の扱いが……は、いいやもう。じゃなくて、アレの不安定な魔力に晒されたくない。うっかり暴走されたら俺でも消滅するよ?」


 沈黙が落ちた。

 朔風は大樹や黒土よりも高位の精霊だと言っていた。外見こそ少年の姿を取っているが、他の精霊たちより古く長く、強く在り続けている精霊で、多少の無理無茶もどんと来いな存在だという。

 その朔風が忌避する竜公爵の魔力、どんだけ規格外なのか。


 いやそれはさておき。


「青銀さんは竜公爵に、恨み言を言われる覚悟を、して行く方が、よろしいかと」


 あと王太子に延々と嫌味を言われる覚悟もあった方がいいだろう。


 言うだけ言って、上がった呼吸を整える。

 大樹が手当ついでに差し出した薬湯により痛みは見事に抑え込まれた。吐き気や眩暈も消えているが、体力の消耗だけはいかんともしがたい。ついでに薬湯の素晴らしいお味も思い出して一気に疲れた。劇物としか言えない味とにおいと喉越しのえげつなさを横に置けば、万能薬に等しい薬効である。薬と毒は紙一重とはよく言ったものだ。色んな意味で紙一重の逸品だった。


『恨み言、とは何故だ?』

「前触れなく気紛れに人外にされるって加護じゃなくてのろいですよー」

『じんがい』


 不思議そうに問い返す青銀竜の様子に首を傾げつつ、サキが知る限りの竜公爵のこれまでを語る。



 ――相互確認をした結果、本当に青銀竜にとっては善意の加護であり祝福であったと知ったサキは真顔で遠い目をするしかなかった。


 そうして、巨躯を小さくさせて落ち込む竜と笑い転げる風とが生まれた。




  ◆◆◆




 爽やかな午後の風が入る主寝室にはサキと老爺がふたりきり。


「うわぁ……。青銀竜も報われないっていうか、なんていうか」

「小さな親切大きなお世話、を極めた感じだなーと思いました」

「なにそれ、言い得て妙だね」


 老爺と視線を交わしてくすくすと笑い合う穏やかさを、しみじみと味わう。


 サキが一眠りして目覚めればちょうど昼だった。老爺お手製の粥で腹を満たしたあと、ゆっくりとお茶をすすりながらこの数日に関する情報交換をしていた。


 夜会はサキが失踪した後も閉会まで平穏を保ったらしい。ただしその後の竜公爵は私室に引き籠り、今朝まで一歩も外に出なかったと聞くと乾いた笑いを浮かべるしかない。

 青銀竜と竜公爵のファーストコンタクトは険悪だったという。なんとか折り合いを付けてサキの帰還に協力関係を結び、現在も姫君対策会議と称して共に王城に行ったという。……なにをどう対策する気なのか少々怖い気もするが、サキは既に口出しの権利を放棄している。寝覚めの悪い結果にならなければいい。


「でね、サキ」

「はぁい、っとお」


 す、と居住まいを正した老爺に合わせてサキも背を伸ば――そうとしてバランスを崩した。いかんせん、右腕は肘を曲げた状態で丸ごと胴部に固定されている。竜公爵の「腕ごと固定した方が」という提言をそのまま実行されたので身動きが不自由なのだ。

 支えてくれた老爺に礼を言いつつ、なんとか姿勢を確保した。


 間抜けな一幕を挟んで、老爺はゆっくりと切り出した。


「――サキがこちら・・・に来たことについて、彼らはなにか言っていた?」


 かつて、サキがこの世界に転がり込んですぐの頃。老爺があれこれと調べてくれていたことは知っている。帰る方法を探す必要はないと言い切ったサキに「分かった」と頷いてみせたくせに、小精霊たちに聞き込みをしてみたり何度もサキが現れた場所に足を運んでみたり。こっそり密かにではなく、普段の行動ですがなにか? みたいな顔で。


「なんでも、とある精霊氏が異界の人間をこちら・・・に連れてきたらしいです」

「やっぱり精霊の仕業だったんだねぇ。理由とか原因とかも聞けた?」


 穏やかな表情と声音を維持したままの老爺の問いに、サキは頷きで応じた。


 サキをこちらに連れて来たのは『時空ハザマ』の精霊。時間と空間を司り、古今東西あちらこちらをくるくる巡って世界のバランス調整を行う存在だという。


「あの森の小精霊の成長が近年悪化気味で、今んトコまだ問題ないけど十年百年単位で見て行くと放置できない状況になってたらしくて」


 小精霊は草木が芽吹くのと同じように自然に発生す(うまれ)るが、そこから力を安定させて一端の自然を司る存在まで成長する数は然程多くないのだという。


 ――癒しの存在は割と厳しい生存競争に晒されていたようです……。


 魚とか亀とかの産卵数と成体数の話が脳裏を過ぎって切なくなったサキである。

 まあ、そうは言っても本来なら一定の数は常に保持されるものらしい。だが、最近の森周辺の状況は、その一定数を徐々に割り込んできていたという。


「あぁ、成程それでサキ・・だった訳だね」

「らしいです」


 だから『魔力無し』のサキが呼び込まれた。小精霊の安定化の補助役として。


「確かにサキが来てから森の子たちがずいぶん元気になったなぁとは思っていたけど。本当にそのために連れて来られたとは思ってなかったなぁ」

「あと十年ばかし居てくれると完璧だけど今の状態でも最低限の回復はしているから、もうお役御免でもいいよって言われました」

「…………帰る?」


 一切の変化を見せずに問うた老爺の、しかし空けられた間が雄弁にその感情を語るようで、サキはにまりと笑みを浮かべた。

 これはちょっとくらい自惚れてもいいだろう。


「わたしが帰ったらおじいちゃん寂しくて死んじゃいそうだね」

「そんなことないよー。昔っから独りだったし、その生活に戻るだけだしー」


 ぷいっと顔を逸らして唇を尖らせる様子は完全に拗ねた子供だ。六十過ぎの爺様がと思うと大人げが無いの一言だが、六十の還暦とは一周回って赤子に戻るお祝いと聞いた覚えがある。三歳児の反応と思えば可愛いものだ。たぶん。


「帰らないよ、面倒臭い」

「………………それもどうなの、サキ」

「思い切りがいいよなー、虚ろのは」


 眉尻を下げてしょんぼり風情の老爺が肩も落として呟いたところで涼やかな風が舞い込んだ。

 開けられていた窓を見遣れば窓枠に腰掛ける少年精霊。


「おっじゃまっしまーっす」

「はい、お邪魔されまーす」

「え、そういう挨拶だっけ?」

「はい」


 首を傾げる北風の精霊に真顔で頷き返す。唇を引き結んで肩を震わせる老爺は放置しておこう。


「北風くんだけです?」

「んにゃ? 虚ろの、うしろ」


 言われて振り返れば、換気と称して開け放っていた扉脇に朝と同じ顔が揃っていた。


「おかえりなさ、……違うな。いらっしゃいませ?」

「ただいま」


 彷徨ったサキの言葉に応じた竜公爵は、いつもなら小さな苦笑くらい零していそうなものを珍しく、真顔のままだ。


「お姫様ともめました?」

「いや、片付いたよ」

「……微妙に怖い言い回しですね?」


 うわぁ、というサキの感情は恐らく表情に出ただろう。ようやく苦笑を零した竜公爵は、老爺に譲られるままにベッド脇の椅子に腰を下ろした。


「そうだね、先に顛末の話をしようか」

「はぁ」


 後に来るのはなんの話だろうか。曖昧に頷いたサキに構わず、竜公爵はこの半日の動きを話し始めた。



 結論から言えば、姫君の『魔眼』は青銀竜が封じたそうだ。


「え、青銀さん目立ちますよね? 大丈夫だったんですか?」

「うむ。眷属らに言われて、少々形を弄った」


 魔力で以って人型を作っているため、多少の変形は可能なのだそうだ。大幅な改変はボロが出やすくなるので向かないが、王太子程度の背丈に縮めて白銀の髪を短くしたついでに輝きを消すくらいなら問題なかったらしい。

 更に背を軽く曲げ、髪で目元を覆えば、パッと見は冴えない老人、どこにでもいそうな文官の出来上がりだそうだ。


 そうして姫君に面会を申し込んだ王太子の後ろに控え、会話には混じらないままに人知れず封印の魔術を施してしまったらしい。


「え、そんな簡単に?」

「対象を正しく見定められれば大抵のことは可能だ」

「サキ、普通の魔術士には不可能だからね。竜だから可能な話だからね」


 さらっと応じた青銀竜の言葉を、老爺が即座に否定する。竜公爵も頷いているのを見た青銀竜が「ぬぅ」と唸るが、その横で王太子も騎士殿さえも老爺の言葉に頷いているので人外特権で間違いないらしい。


 姫君の『魔眼』が封じられたことで、これまで軽い催眠状態にあったと思われる周囲の人々がどう反応するかは分からない。


 ――あの侍女さんの姫様第一っぷりが『魔眼』による影響だったとして。


 それが解消されたときに、あの侍女は違和感を覚えるのだろうか。そうして言動を改め、或いは姫君を諌めるようになったとして。

 姫君はその変化を真摯に受け止められるかどうか。


「年甲斐もなく癇癪を起こすかもな。どうでもいいが」

「興味なさ気ですね王太子サマ」

「ない。今後あの女が我が国と一切の関わりを持たない、その約定が違えられない限り私はアレに関する記憶は捨てておく」


 姫君に帯同していた外務卿は、訪問ついでに婚約破棄に際して改訂された関税などの規制緩和を求めたらしい。数度の交渉の結果、姫君が金輪際ジルニトラ王国を訪れることはもちろん、信書の一通たりとも差し出させないことを条件としてジルニトラ側が譲歩し妥結した。


「明文化してやったからな。国同士の契約を反故にしようものなら戦も辞さんぞ」


 国王に次ぐ権力者が洒落にならない物騒さを滲ませるのにドン引きだ。竜公爵が胸の前で小さく手を振って「ないない」と苦笑を零してくれたのが救いである。お兄ちゃん大好きな弟君の手綱はしっかりと持っておいていただきたい。


「サキの要望通り、二度と関わることはない。二度と、サキがこんな目に遭うことはないから」


 憂いた顔でそう告げる竜公爵に頷きを返す。

 思ったより『二度と関わらない』の規模が大事おおごとになっていて空恐ろしさがあるが、そもそものジルニトラ国王一家の様子を鑑みるにあの姫君は完全に鬼門だった。サキの騒動がなくとも近い条件での交渉がされただろう。


 うん、気にしないに限る。


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