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37.怪我人の帰還と剣呑な兄弟


※竜公爵視点


※2018.08.27 一部表現を修正(内容の変化なし)


 淡々と言葉を紡いだ大精霊が要請したことは、ひとつだけ。


「竜が出口に出来る大きさの、転移魔術陣を確保して欲しい」


 サツキの不在を伏せている以上、秘密裏に使える魔術陣は必須だろう。王城で常設しているものは宮廷魔術士の詰所に隣接しているので使えない。

なるほど、と納得して、しかし流してはならない単語に首を傾げた。


「竜、ですか?」


 精霊が保護したのではなかったのだろうか。問い返したディオネから視線を逸らした大精霊は、やはり陰のある声のまま「北の御山にねぐらがあって、そこに虚ろのを収容した」とだけ答えた。


「ごめんなー。青銀アオガネのが転移魔術はヒト型じゃ使えないとか竜型ほんたいで使うには一般的な魔術陣じゃ小さいから必要な大きさの出口が要るとか、ホント使えないことを言うもんだからさぁ。でも俺ら・・はそもそも人間仕様の転移魔術って使えないからー」


 ばしばしと大精霊の背を叩きながら笑う少年精霊の言葉に今度は眉根を寄せた。


「失礼。『青銀の』と呼ばれているそちらの方は、精霊ではいらっしゃらない?」


 笑顔のまま動きを止めた少年精霊は、先に自身は北風の精霊だと名乗った。

 では名乗らぬままに話を始めた、この銀髪の男は何者だ?

 伏せられた瞳は、深い青に金粉を散らしたような変わった虹彩で。


「……貴方が、北の御山の竜、か」


 ディオネが断言し、ティタニアは厳しい視線を訪問者に向ける。

 それまでも決して穏やかな歓談をしていた訳ではないが、途端に張り詰めた空気に変わった。

 目の前に立つ銀の髪の男が、ディオネに『加護』を与えた〈竜〉であるならば、ディオネにとってもティタニアにとっても、それまでの自分の在り様を根底から改変した存在だ。


 臣下国民に祝福されて立太子した直後だった。

 兄王子の治世を支えるべく国軍の上層に立つことを決めていた。


 ぎしりと空気が軋んだように思えたのは気のせいか。ディオネは自身の魔力制御の箍が緩みかけていることを自覚して、しかし正す気は起きなかった。


 ――このりゅうが、すべてを破壊し覆し、誰も望んでいなかった状況を作りだした。


 北風の精霊が「うげっ」と声を上げて銀髪の後ろに身を隠す。ひょこっと顔を半分だけ覗かせて、


「魔力暴走させんなって言ったよな、俺が消滅し(きえ)たら当分天変地異な異常気象が続くからな、自覚しろよ眷属の!!」


 ――あぁ、『青銀のの眷属』とは私か。そうか、〈竜〉は青銀竜なのか。


 周囲一帯の北風を司ると言っていた少年精霊が消滅すれば風が消える。運ばれるはずの植物の種子も雨雲も、季節の移ろいも乱れ狂うのだろう。


 ――それがなんだと言うのだろう。


 ディオネたちもすべてを狂わされたのに。

 力の抜けないディオネの傍で、同じように拳を握り固めているティタニアを、扉脇に控えているシャルナクも制止しなかった。

 だが、その雰囲気をものともしないのが老師アイガイオンだった。


「わぁ、サキってば『竜に会う』って念願叶えちゃったんだー」


 あ、でも今めがね無いから見えないって歯ぎしりしちゃってそう~。


 暢気にサツキの反応を描く言葉に、あれほど強張っていた身体からかくりと力が抜ける。


 ――あー、確かにまともに見えなくて悔しがってそう。ぐぬぅとかまた女性らしからぬ唸り声上げてそう。


 サツキの視力の悪さはディオネも知るところだ。竜の本体がどれほどの大きさかは未知だが、少なくとも全貌を把握できる距離を取れば大岩だか小山だかとしか判じられないだろう。

 数歩の距離でディオネの竜眼が把握できなかった初対面を思い出す。ついでに直前の抱腹絶倒する姿まで思い出してしまっては深刻さを維持しづらくなった。


 額を押さえて深々と息を吐く。緩みかけた魔力の箍を締めながら肺腑を空にして、ゆっくり吸って、吐いて。

 変わらず身に力を入れているティタニアの肩を軽く叩き、


「…………とりあえず、諸々の因縁は置いておきましょう。今はサキの帰還に付いての打ち合わせが最優先です」


 戸惑いながら上げられた瑠璃石の瞳を冷ややかに見据えて、ディオネは己の感情を仕舞い込んだ。




  ◆◆◆




 夜明け前の薄闇の中、王城敷地北端の小さな建物の一角に明かりが灯っていた。


「――来た」


 薄く発光を始めた巨大な転移魔術陣を見詰めながらディオネは独りごちた。


 転移魔術陣は、書き込む情報量の多さから一般的には三、四人が横並びになれる程度の直径で作成される。だが、青銀竜はその三倍以上の直径を指定した。それで最低限、余裕を持たせられるなら重畳とまで言われて意地で五倍サイズを作成したのはディオネである。

 老師がやろうかと申し出てくれたが、大きさに比例して魔力負担は増えるからと押し切った。多少消費した方がむしろ楽だ、と笑って見せた虚勢は、あながち嘘にはならなかった。余計な思考を締め出して魔術陣の構築に集中している間、必然的に魔力は完全に制御された。


 長くディオネが引き籠っていた離宮は王城住まいの者も滅多に近寄らないため秘密の集会を持つにはうってつけで、更にその広間は物がなく巨大な魔術陣を敷くのに最適だった。

 公務をやりくりして立ち会いに来たティタニアと、当然それに付き添うシャルナクも今は静かに魔術陣を見詰めている。

 そのうちに魔術陣が急激に白い光を迸らせ、一瞬で転移魔術が完了する。


 灼かれた目が回復して映したものは青白く硬質な輝きを返す小山だった。


「竜……」


 成程、三倍の直径を要求するだけはある巨躯である。

 後足を畳み込んで座った姿勢だが、上半身は起こして前足は胸元を押さえるような形で揃えている。すらりと首を伸ばして長い尾は地に這わせ、ぐるりと足元に回されていた。


 揃えられていた前足――つまり両手がゆっくりと地に降ろされる。

 その隙間から、声が零れて来た。


「うぇぇ、慣れない」


 開かれた竜の指先からずるりと落ちて来たその姿を見て、ディオネは走り出していた。


「――サキ!!」


 堪らず上げた声に、首を傾げるようにして顔を向けた黒髪の女性が緩慢な動作で左手を挙げる。薄青の簡素なワンピースの広い袖がはらりと落ちて、青黒く変色した痣がいくつも見えた。


「はぁい。ただいまです」


 痛々しさに反して変わらないサツキの調子に、へなりと膝が抜ける。転ぶようにして近付き、覗き込んだサツキの表情に苦痛は見られない。体力は落ち怪我も酷いままとはいえ、痛みだけは取り除かれていると理解して更にディオネの身体から力が抜けた。


「うん……おかえり。ごめんね、サキ……」

「いえ、こちらこそ勝手に動いた挙句、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「違う! サキはなにも、」


 大きくなった声にサツキが顔を顰めて、慌ててディオネは口を噤んだ。


「……ごめん。とりあえず、場を移動しよう」

「はぁ。すみません、まったく動けないんですけど」

「抱き上げるから暴れないでね?」

「うぇええ」


 心底嫌そうな表情をされて項垂れたくなるが、後方から抑える気もなく噴き出した声が届いて気を持ち直す。サキの背に腕を回して身体を寄せ、左肩がディオネ側に来るように向きを合わせて膝裏に腕を差し込み、小柄な体躯を抱え上げた。


「ふふふー。お姫様だね、サキ」


 ひょこりと近付いてきた老師の声に、サツキから強張りが解ける。やはり老師には敵わないか。


「おじいちゃーん」

「おかえり~。災難だったねぇ」

「ねぇ。疲れたー」


 身体は動かなくとも思考と口は明確に動いている。安堵の息を内心で吐いて、シャルナクが開いてくれた扉を潜り抜けた。


「はいサキ、めがね」

「あ、拾ってくれてたんだ良かった、ありが、ったぁ……」


 離宮最奥、かつてディオネが占拠していた主寝室のベッドにサツキを下ろし、枕を背に当てて凭れさせたところで老師が懐からめがねを取り出した。呻いたのは受け取ろうと両手を差し出したせいで右肩の傷に響いたらしい。


「右肩は腕ごと固定した方がよさそうだね」

「うへぇ……。あ、王太子サマに騎士さんもいたんですね」


 片手で器用にめがねを装着し、周囲を見回したサツキがふたりを見付けてぺこりと会釈をした。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「いや、グリューネ嬢に警護を割かなかった我らの落ち度だ。こちらこそ申し訳ない」

「あ――……、はい。じゃあ、お互い様ということで、はい。……王子様が一般庶民に深々と頭下げるのやめて貰えませんかー」


 きっちりと腰を折って頭を下げるティタニアに、サツキは心底居心地の悪そうな顔で身を引かせた。引いたところで枕に埋もれて行くだけだが。


「本当にごめんね、サキ」


 枕に溺れかけたサツキを救出して改めて謝罪をすれば頷いて受け容れ、そのままこてんと小首を傾げた。


「んで、扉のとこのおふたりはどちら様でしょう……?」


 振り返るといつの間に訪れたのか北風の少年精霊と、すっかり失念していた青銀竜(ヒト型)が立っていた。


「えー、虚ろのってばヒドーイ!」

「視力が悪くて見えぬ、と言っていただろう。責める貴様の方が酷い」

「青銀のが冷たーい!」

「……北風くんと青銀さんでしたか。ホントに人の姿になれるんですねー。……惜しい」


 納得したらしいサツキがぼそりと何事かを付け足した。気になってサツキの顔を覗き込めば、ちょっと拗ねた表情を見せている。


「サキ?」

「竜の姿をちゃんと見たかったなー、とか暢気なこと考えてました」


 どこまでもサツキらしい言葉に、知らず苦笑が漏れた。すみません、それどころじゃないですね、と自主的に話題を転換させたサツキの厚意に乗って主題に移る。


「精霊たちからはサキが川に落ちた辺りからの話しか聞けていないんだ。つらいだろうけど、夜会ではぐれてからのことを教えてくれる?」


 はい、と頷いたサツキは抑揚の少ない淡々とした語り口で説明を始めた。


 姫君と視線が数度合い、徐々に『ここは自分の居場所ではない』という焦燥感に駆られだして思わず会場を離れた、我に戻って引き返そうとしたら薬で意識を奪われた、箱馬車で跳ね転がされながら運ばれた先で引き摺り下ろされた、襲われて抵抗して崖から転落―――


「……竜公爵」


 聞いている内に感情(魔力)の箍が飛びかける。ベッドに上半身を突っ伏し、サツキの左手を握り込んで呼吸だけを意識していた。


「竜公爵ー。……ぃつっ、」


 呼びかけを無視していたら溜息と小さな呻きが落ちてきた。慌てて顔を上げれば 頭にそっと、細い指が触れた。


「どうどう」

「……私は馬かい?」


 痛むだろう右手で慰めてくれていることに驚いて、だが発された言葉に半眼になる。はてと首を傾げたサツキが、解放された左手に換えてまた頭を撫でて来た。


「よーしよしよし」

「犬……」


 ぶっは、と後方で噴き出す音がした。複数。


 ――北風の精霊は沸点が低過ぎる。シャルナクはあとで覚えていろ。師匠、サツキのたまに頓狂な対応は貴方の教育の賜物でしょうか。


「ありがとう、サキ。もう大丈夫」


 とりあえず持ち直した平常心で笑みを作り、サツキの左手を再び確保してベッドの端に腰掛けた。


 姫君の魔眼のこと、犯行は姫君たちの画策とほぼ確信しているがサツキの行動が姫君の魔眼により誘導されたものであり物証がなく、公正な追及は難しい現状を正直に説明してサツキの反応を見る。


「でもサキが望むならなんとでもするよ。サキは姫君たちをどうしたい?」

「どうもなにも証拠不十分でどうにもならないんですよね? てか、そもそもお姫様の云々って外交問題ですよね? お任せします」

「彼女たちの悪意によって、動けない程の怪我を負ったのに?」

「ん――……、思うところが色々無い訳じゃないですよ? ただ、もう、これ以上関わり合いになりたくないってのが正直な本心で」


 あまりにあっさりと言い切るサツキに眉根を寄せれば、同じように眉間に皺を寄せたサツキが言葉を探すようにして応じた。


「わたしには人を裁いて罰を与えるような権利も責任も持ち合わせがないですもん」


 いつか『公爵夫人の特権に見合う義務と責任なんて背負えない』と断言したときと同じ顔をして素気無く言い切る。


「とりあえず命は無事だし、思いがけず竜やら精霊やらと知り合えたし、二度と関わらずに済むならもうどうでもいいです」


 ぼふりと枕に沈んで深く息を吐くサツキにそれ以上食い下がることはできず、老師に看護を任せてディオネたちは部屋を出た。


 ――まあ、サツキに断罪や復讐の念が無くても、それはそれ。


 兄弟は剣呑な視線を交わして頷き合った。


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