35.患者な乙女と憔悴する周囲
※視点が途中で切り替わります。
※2018.06.29 一部表現修正(内容に変更なし)
じくじくと体中が痛む。脳は茹で上がったように熱を訴えるのに、背筋には悪寒が絶え間なく走り続けている。
「…………っ、……」
がちがちと凍えて鳴る歯を引き離して、喘ぐように口を開いて縋る人を呼ぼうとしたのに声にはならなかった。
だが、その動きを見ていた存在はあった。
「あら、起きた? お水は飲めるかしら?」
口元に添えられた冷たさに、喉の渇きを自覚してむしゃぶりついて咽た。改めて少しずつ与えられる水を嚥下して、ようやくサキは意識を覚醒させた。
「だれ……」
重い瞼を必死に持ち上げるが、目を開けたところで裸眼視力は底辺だ。それでも薄明るい空間に、ずんぐりと大きな黒い影を認めた。圧し掛かって来た存在を連想して内心を冷やし、しかし応じた声が女性の柔らかいものであることに安堵の息を吐く。
「貴女に害を成す存在ではありません、安心して。詳細は熱が下がってからね」
穏やかにそう言って、濡れた布を額に置き毛布を首元までしっかりと掛け直す手を、身じろぎもせずに受け入れる。サキの疲弊した精神は一瞬の警戒を解いた時点でそれ以上の思考を半ば放棄していた。
熟れた脳裏に浮かぶのは――、
「……帰る……」
『――それは、どこに、だ?』
「こら、青銀の」
掠れた声で落とした呟きに応じたのは、ずしりとした重低音。サキの全身を揺るがす重々しさに、ぐわんと脳みそまで揺れた気がする。
「青銀の、お黙りなさい」
『ぬ』
「あなたの声が虚ろのの身体に響いて宜しくないわ。口を閉じ静かに、その巨躯を動かさずに、ただ風除け日除けになっていらっしゃい」
『……ぐぅ』
反論許さずの速さで咎められて、ずうん、とサキには地鳴りにも聞こえる低音が唸って沈黙した。
「もう……。虚ろの、ごめんなさいね。大丈夫、今はゆっくりと休みなさい」
うつろの、という言葉がサキを指すらしいと気付いて眉根を寄せる。
似たような呼び方をされていると聞いた覚えがあった。
「…………せいれい?」
「あら」
森でサキに懐いてくれた小精霊たちの言葉は、サキには聞こえないが老爺には届いている。単語の連なりのような拙さで会話はほとんど成立しないらしいが、小精霊たちはサキを『からっぽ』と呼んでいるという。
魔力のことだと理解はしていても、馬鹿にされているようにも取れる呼び名は複雑だと遠い目をしたものだ。
『虚ろ』なら同義語だろう、ならばそう呼ぶ存在は、と熱を吐き出す緩慢さで告げれば、「その通りよ、説明が省けたわ」と軽く肯定された。
「いや……会話が成立する、精霊って、……どちらさま……」
「その辺りは熱が下がってからにしましょう、ね?」
見えないなりにこじ開けていた瞼をそっと押さえられて目を閉じる。冷んやりとした掌の感覚に全身の力が抜けて、サキは再び闇に沈んだ。
◆◆◆
大陸北限一帯を占める山岳地帯は、裾野の森を除いては人跡未踏の地だ。ある一定の深度――或いは高度――を越えて立ち入ろうとすると、たちまち道を失い彷徨うことになると言われている。
そこから先は、竜の住処なのだと周辺に住まう人間たちは理解していて、かつ裾野の範囲でも充分に山の恵みは得られるからと深入りはしない。子供たちも約束事が守れる年までは山に入らせない。
そうして人の世とは正しく距離を保たれた山の一角、南向きに口を開く洞窟を塒と定める一匹の竜が居た。
青みを帯びた白銀の鱗から、精霊たちには『青銀の』と呼ばれる巨躯の竜。
青銀竜は、山の裾野に人間が住みつくよりも昔から、この山を住処と定めて生きている。魔獣の一種だが知性があり理性があり言語を解する。世界最大級と称される魔力と体躯でもって、その気になれば矮小な人間も知性を持たぬ獣も一掃し竜の世界を築くことさえできようが――興味は無い。
さておいて。
青銀竜はかつて番を得たが亡くして久しく、その番を通して交流のあった人間たちからも距離を取った。
しかし今が孤独かと問われたなら、彼は否と答えるだろう。
「おーい、大樹の。言われた薬草ってこれでいい?」
「見せてちょうだい――ええ、揃ったわ。ありがとう、朔風の」
よっしゃ、と笑う少年は『朔風』と呼ばれる風の精霊。
受け取った薬草を手早く煎じ始めたのは樹木の精霊で『大樹』。
「……朔風の、人間の都の様子は?」
「あ、まだ調べさせてる最中」
「まだか?」
「ちょ、こんだけ飛び回ってる俺を責めるとか酷くないか、黒土の?!」
「飛び回ることが存在意義だろうが、お前は。適材適所というのだ」
ずんぐりとした黒い影は周囲の山岳を統べる大地の精霊、『黒土』。
喰ってかかる朔風の方が発生してからの年月は長いはずだが、落ち着きの無さは集う精霊たちの中でも随一だ。
「じゃぁ黒土のはここでなーにやってたんですかねー?」
「地面をほぐして葉や毛皮を敷いて虚ろのを寝かせるに最適な寝床を整えている。周囲の精霊たちから水を調達し、石を加工して薬を煎じる器も作った」
ついでに周囲の精霊たちが騒がぬよう、獣らが寄り付かぬよう監視を言い渡して静寂な環境を確保している――と淀みなく平坦に続ける低音に、朔風は会話の相手を切り替えることにした。
「あ、青銀の、虚ろのの調子はどうよ?」
『……ぅぬ』
「黙らっしゃい」
「え、大樹のまで酷い?!」
「青銀のに言っているのよ。喋っても動いても虚ろのの身に響くから巌と化していらっしゃい、って」
ぎろりと大樹に睨みつけられ、朔風と青銀竜は共に視線を泳がせた。
朔風の冬空のような色の瞳が、青銀竜の金を散らした瑠璃の瞳とかち合う。
「あ――……、ごめん、青銀の」
『…………』
ひらっと手を振る朔風に、青銀竜は目顔で応じた。そうして広々とした岩の空洞の中、巨躯を丸めて腹に抱いた小さな人間を見遣る。
荒い息を吐き続けているが赤い顔の額にじっとりと汗が浮かんで来ていて、どうやら熱は下がり始めたらしいと青銀竜は安堵の息を吐いた。――動くなと言われているので内心で、だったが。
朔風が人間の娘を抱えて青銀竜の塒に飛び込んで来たのは曙光が去り切らぬ朝方のこと。
その娘の存在を、青銀竜も精霊たちも知っていた。南東の森に引き込まれた、魔力を持たぬ異界の娘であると。
朔風が飛び込んでくると同時に駆け付けたのは人間の医薬にも明るい大樹。少し遅れて黒土が訪れて、すぐさま寝床を作った。
ボロボロになっていた衣裳を剥いで拭き清めた上で大樹が検めた小さな身体は、顔を含め全身が擦過傷と打撲の痣だらけの無残な状態だった。特に拘束を解いて露わになった両手首は腫れも酷く、手首から上腕にかけての筋を痛めていた。
最大の傷は右肩に負った矢傷だ。濡れて冷えていたからか矢を抜いても大した出血はなかったものの、ここだけは骨まで損傷していた。
だが、治癒魔術を行使しようとした大樹は、即座に術式を取り消さねばならなかった。
『……いかんな』
「ええ、希少な性質が裏目に出ましたね」
治癒魔術は患者の自己治癒の能力を増幅し促進するものだ。
増幅も促進も、術者の魔力と患者の魔力を呼応させて行われる。
双方の魔力を消費するが、枯渇すれば生命に関わるので本末転倒だ。
よって患者の魔力が少なければ、細切れに治癒魔術を施すことになるが、
――この娘にはまず魔力そのものが存在しなかった。
「魔力の代替……体力が既に落ちているものねぇ」
『そのまま生命力を削ってしまうだろう、これは』
なにせ全身打撲と右肩の骨折に両腕の捻挫、更に川に浸かっていたことで体力は奪われ切っている。移動中に朔風が水気は飛ばしたようだが、冷えた身体は放置すれば怪我以外の要因で死に至りそうな弱々しさだ。
治癒魔術を使える人間は多く無いが故に、魔術に拠らない手当ても確立されている。大樹は長い年月を費やしてそれらの知識と技術を学び身に着けた――が、そうではない青銀竜には見守るしか出来ることは無い。
『ぬぅ……』
「あ、青銀の、そこで止まって」
『うん?』
「そこで丸まっていてくれると風除けにちょうどいいわ。明るすぎても良くないし、そこで壁になっていてちょうだい」
『……承知した』
多少なりと役に立てるのならばただの壁扱いでも黙って従う。大人しく丸まった青銀竜に大樹は頷いて、黒土が持ってきた水を受け取ると娘の傍に腰を据えた。
娘をこちらへ引き込んだのは、彼らに近しい存在だ。竜も精霊もその経緯を把握していて、それでも遠くから、それこそ風たちが運んでくる近況を聞くだけで直接に関わるつもりはなかった。
だが、理不尽な暴力に曝され倒れ伏すならその通りでもない。
大樹が打撲に効能のある軟膏を塗り込み、矢傷に化膿止めの薬をつけて布を巻いて寝かせ直したところで娘は発熱した。
娘が滞在していたはずの人間の都に情報を集めに行っていた朔風は、青銀竜の塒に戻るなり熱冷ましの薬草を採って来いと大樹に追い出され。
寒いと震える娘に青銀竜と黒土が周囲に結界を張り暖気を籠めようとして温度を上げ過ぎだと大樹に叱られ。
千年万年を生きてきた竜と精霊が静かに動転して騒ぐ空間に、か細い声が転がり落ちた。
「……かえり、たい」
そっと青銀竜と二体の精霊は視線を交わした。
――娘が求める「帰る場所」は、どこだろう?
◆◆◆
ひたすら自室に座して情報が入るのを待つしかないディオネに齎された光明は、しかし容易に喜べるものでもなかった。
「……小精霊たち、ですか」
今現在もサツキの失踪はティタニアの周囲の騎士までしか報せず、問い合わせてくる物好きには「夜会の疲れが出たらしく不調で、数日は大事を取らせる」と簡単に流している状態だ。
犯人が国賓か国内貴族か全く別の勢力か知れない現状で大々的に騒ぐわけにはいかない。被害者を取り戻して、犯人を押さえ、逃れようのない証拠を固めて、――公に断罪するか、秘密裏に処理するか、取引するかはそれからだ。
だから、揺るがぬ証言を立ててくれる存在は重要だ。
しかし精霊の証言となると、まず彼らの声を聞き取れる人間が限らる。でっちあげだと言われれば証明も難しい。そもそも精霊は人間に積極的には関わらない。証言台に立つことを要請しても了承されないだろう。
それでも老師に耳打ちしてくれたのは、彼らが懐いていたサツキが暴力に見舞われたのを心配してくれたからだろう。
小精霊たち曰く、
『からっぽ、口塞がれた』
『からっぽ、寝ちゃった』
『からっぽ、担がれた』
『からっぽ、運ばれた』
――総合して、何者かに鼻と口を塞がれて睡眠薬か打撃かで意識を奪われ、肩に担がれて攫われた、と。
「師匠、サキを運んで行った人物についてはなにか」
「うん。あのね、ディオネ様、先日サキと朝のお散歩されたでしょ?」
「……はい」
ほんの二日前の話だというのに、随分と遠い記憶になりかけている。ごく簡素なワンピースの裾を楽しげに揺らして庭園に向かう後姿。
意識が逸れかけるのを留めて老師の言葉を待つ。
「その時に会った女性がサキの口を塞いだ、ようなんですよ」
「あの女――は、さすがに実行犯ではあり得ませんね。……兄上?」
「……姫の、侍女だ」
朝の庭園で、姫君の後方に控えていた侍女が確かに居た。
「女性だと担ぎ上げるのは無理がないか? お嬢ちゃんがいくら小柄でも、一応大人の体格だぞ」
「魔力での身体強化をすれば……だが魔術士の警戒区域外までは厳しいか。まして王女の世話係がひとりで帰国したとはあれば客室付きの女中たちから報告のひとつもあるだろうが――」
「今んトコそういう話は無いな」
シャルナクとティタニアの確認に、老師も「担いで行ったのは男性で、女性は城に戻ったようです」と応じる。
小精霊たちの示すままその男の移動経路を辿ればかなり離れた隔壁の陰に導かれ、そこから転移したと告げられたそうだ。
「生憎、痕跡はほぼ消失しておりました。辛うじて北西方面に抜けただろうとは読めましたが……小精霊たちもその先までは追いきれていないそうです」
ディオネの魔力が揺れていないかを気遣いながら語る老師に静かに頷く。
「ティタニア。姫君に接触できるかい?」
「……それは、兄上が、でしょうか?」
「ティタが、で構わないよ」
「でしたら明日にでも面会を設定しましょう」
さっくり頷く弟に笑って、ディオネはひとつ注文を付けた。
「――姫の魔力に注意してくれ」
視点切り替えは、サキ→第三者(竜視点というより完全三人称の神視点)→ディオネ、でした。




