33.焦燥の王城と姫君への違和
ディオネが自身の魔力に違和感を覚えたのは、サツキが「風に当たって来る」と言って離れてさほど経たない内だった。
当人同士に離れるつもりが無くとも分断される状況を考えなかった訳ではない。それでも、やむを得ない距離以上に離れることもないと信じていた。それ以上に離されるような事態に陥ればディオネは問答無用でサツキの許へ移動する心積もりがあったし、サツキも黙って従いはしないだろう、と。
結果的にそれは油断となった。
「――? ……っ!」
血の気が引くような感覚と共に呼吸が重苦しくなる。抑制を振り切って溢れようとする魔力を、しかし表情も態度も変えぬまま、魔力と動揺を捻じ伏せた。サツキのめがねに施された魔術の気配を即座に探り――バルコニーから相当離れた先、完全に『適用範囲外』の位置に感知して戦慄を覚えた。
「……失礼、久方振りの熱気に当てられたようです。私も少し風に」
途切れることなくかけられる言葉たちを遮って踏み出した足が知らず震える。すぐ傍の窓の向こうにサツキの姿は見えない。小柄な背丈が周囲の人々に埋もれているのではなく、確実に場を移動してしまっている。
最初にサツキとディオネの間に割って入った婦人は既に居なかったが、彼女たちに付いて移動した令嬢の幾人かはバルコニーに残っていた。
「失礼。グリューネ嬢はどちらに?」
思い思いに喋りあっていた令嬢らにディオネが声を掛けた途端、きゃあっと華やかな声が上がる。
いずれも十八前後と思しき若い娘たちは、ディオネの『異形』ぶりを直接には知らない世代だ。髪と手袋で〈竜〉の部位を隠したディオネは、王権からは身を引いたが最高位貴族で物腰も柔らかく接しやすい、年齢的にも釣り合いの取れる上等の獲物に見えるだろう。
口々に挨拶から名乗り、自己主張へと展開していく言葉たちを、穏やかに、けれど明確に遮って再度同じ問いをかける。
ほんの微かにつまらなそうな感情を覗かせた令嬢たちだが、すぐに取り繕って見せた。
「それが、お話の最中に突然お庭の方へ」
「わたくしたちもお止めしようとしたのですけれど」
「とても早足ですり抜けて行かれましたの」
淑女にあるまじき行動だと非難を滲ませた言葉が返され、ディオネは眉根を寄せた。サツキは確かに『淑女』ではないだろう。だが、場を弁えるということを知っている。自分に求められた役割を知っている。
――突然に?
面倒臭いを口癖に、それでも無情にも無責任にもなれないお人好しだ。分断されるなり自分の居場所を明言する程度の機転も利く。それが一言もなく不意に庭に下りたとなれば異常事態だ。
サツキをそうさせた、なにかが起きた筈だ。
サツキの淑女らしからぬ一面だけを論って、華やかな化粧と作られた微笑みに隠した毒舌と暴言を浴びせただろう令嬢たちを冷ややかに見下ろす。紅潮させていた頬を強張らせ、不安げな表情へと変えた彼女たちは、なにがディオネの不興を買ったのか解りはしないだろう。
――これ以上は時間の無駄か。
見切りを付けて庭に下りようとしたディオネを、甘い声が呼び止めた。
「ディオネ様?」
「……王女殿下」
振り返れば、赤金のたっぷりとした髪を優美に結い上げ、その色を少し淡くしたような薄紅のドレスを纏ったアンクリーク王国の第一王女がいた。
「ディオネ様、曲が始まっていますわ。戻られませんか?」
嫋やかな所作でディオネのすぐ傍へ寄りつつ大広間へ視線を投げ、その榛色の瞳でディオネを見上げてくる。
「王女殿下はどうぞ中へ。私は所用が出来ましたので失礼いたします」
構っていられないという思いを出来る限り押し殺して慇懃に礼を取る。だが、先日の朝のように袖を引かれて再び足を止める羽目になった。
「……わたくし、ディオネ様のお傍にいたいのです」
――意味が解らない。
潤んだ瞳を向けてくる姫君に苛立ちを覚える。先に放置した令嬢たちが興味津々と言った態でこちらの遣り取りに耳を澄ませていることも苛立ちに拍車をかけるが、取り繕えなくて王族などやっていられない。
「確か貴国の外務卿を伴われておいででしたね、彼は中に居るのでしょう? どうかそちらへお戻りを」
ディオネの素っ気ない促しに、姫君は少しだけ俯いて話を転換させた。
「彼女は庭園に下りて行きましたわ。ひとりになりたいのではありませんか?」
「――グリューネ嬢となにか話されましたか」
姫君の標的がディオネであれば、サツキは障害でしかない。だから決して離れないようにと考えていたのに――サツキを突然の逃走に駆り立てた原因として、この姫君以上の存在はないはずだ。
「いいえ、わたくしは窓際から姿を見かけただけですわ。ただ……少し、気になりましたの」
「……なにが、でしょうか」
静かに姫君を見下ろす。逸らされることのない瞳は真摯に見える。
「先日、朝の庭園でお会いしましたでしょう? 彼女はとても伸びやかで奔放な人柄に見えましたわ。――こうした、華やかで賑やかな場は、あまり好きではないのでは、と」
成程、事実である。サツキの王城での過ごし方を見聞きするなり、多少なりとサツキと言葉を交わしたならば、社交界に向いていないことは知れるだろう。
それがどうした、と僅かに首を傾げて続きを促す。
「ですから……本心ではここに居たくないのでは、と。ひとりになりたくて、庭園に逃れたのではないかと思うのです」
だから追うのは止めておけ、と言外に示して姫君はディオネを見上げる。
かつては庇護欲を覚えた潤む榛色の瞳に、けれど今は何も感じない。
――否。
微かな魔力の流れを感じて内心で眉を顰めた。
魔術を展開している様子はない。安定させた魔力が静かに循環しているだけのように見える。しかし、ほんの僅かにその流れが瞳の中で乱れている。
「……王女殿下、なにか魔術を……?」
「え? いいえ、このような場では使う必要もございませんでしょう?」
否定が返るのは当然だ、大掛かりな夜会の最中に、警備や演者でない、国賓の参加者が魔術を行使する状況はありえない。
突然なにを、と丸くなった瞳の奥を探ろうとするも、自分の魔力制御に気を取られて集中できない。
――いや、いい。今はそれどころじゃない。
拭いきれない違和感を、頭を軽く振って断ち切る。今はサツキを追うことが先決と踵を返しかけたところで、またしても袖を引かれていた。
「ディオネ様……、わたくし、ディオネ様を今もお慕いしています……」
笑いださなかった自分を褒めてやりたい。
ディオネは穏やかな表情のまま、最早戯言としか取れない発言をした姫君を見下ろす。傍観者を決め込んだ令嬢たちが小さく黄色い声を上げたのが耳障りだ。
今もと、言ったのだろうか。当時、本当にディオネに心を注いでいたと言うのだろうか。
「どうか、もう一度お傍に置いてはいただけませんか……? わたくしは、ディオネ様と共に歩んでいきたいのです」
熱を込めて告げられた言葉に一言も応じないまま、ディオネは薄い笑みを浮かべて肩から前に垂らしていた髪を後ろに流した。いつも通り右耳の下に纏めていた結紐を解いて、右半面に落ちた髪の下に右手を差し入れる。ゆっくりと掻き上げてすべてを露わにすれば、そこは。
「――――ひっ、」
息を呑む短い悲鳴は令嬢たちのもの。姫君は痛ましげに眉根を寄せて唇を引き締めただけで、五年前に聞いた甲高い悲鳴はさすがに上げなかった。
「……どうぞ手をお下げになってください、ディオネ様。長く伸ばされた御髪は、その傷を隠すためのものでございましょう? そのように衆目に晒してお辛い思いをなさることはありませんわ」
失笑する。この姫君はやはり、五年前の自分の失態を覚えていないのか。そして、ディオネが五年前から変わらずにこの〈竜〉の片鱗を疎んじていると、どうして信じているのだろう。とうに諦めてしまったことなのに。
――否、確かにほんの半月前までは、抜けない棘のように心に引っ掛かり続けていた。
それを、完全に払拭させたのは。
まっすぐに見詰めて宝玉のようだと称賛してくれた深い色の瞳。
興味を隠さずに手の甲をゆっくりと巡った指先。
陶磁器のようで綺麗だと言った声。
「ご覧の通り、多少髪や衣服で取り繕ってはおりますが私は異形の身。けれど気高き姫君の慈悲など望んではいないのです」
ディオネが今、求めるのは。
光を透かしてなお黒い希少な髪の。
華奢な体躯に見合わぬ豪胆さを秘めた、ただひとり。
「この異形こそが私だと言ってくれる女性の、愛情が欲しいのですよ」
姫君の表情が歪む。そんな馬鹿な、だろうか。なぜあの女を、だろうか。
姫君の心情に最早興味は無い。
だが、最後に一言。なぜ自分を選ばない、と問われるなら、理由はこれだけだ。
少しだけ腰を折って、姫君の耳元に顔を寄せた。
なおも期待を残す瞳が追って来るが、視線を合わせることはしない。
「――なにより、これを『化け物』と罵った人に心を傾けることはあり得ません」
びくりと跳ねる細い肩を一瞥して、ディオネは今度こそ庭園へと急いだ。
サツキの『めがね』は庭園で見付かった。バルコニーから降りてまっすぐに離れて行ったその先、幾許かの木立を抜けたそこは『襲ってください』と言わんばかりに会場周辺から死角になる場所だった。
会場脇に控えていたシャルナクを通して王太子直下の近衛を動員し至急に、しかし秘密裏に捜索の手を回す。
深夜になってもサツキの足取りは掴めないまま、城内で監禁されている可能性は限りなく低いという結論だけが残された。
サツキと襲撃者で最低ふたり。協力者がいるならそれ以上の人間が、国賓を迎えて最大限の警備を敷いていた王城から抜け出したと判じられる。
警備隊の配置に抜かりはないが警戒対象は主に外部からの侵入だ。内部から出て行く者に対して甘くなるのは仕方のない部分だ。まして大規模な夜会となれば、普段は門を閉める刻限を過ぎて下働きや業者たちが出入りすることも多い。
今後の課題に残すにせよ、今の警備が杜撰だとか兵士らの怠慢だなどと責めることはできない。
魔術面から警備をしていた宮廷魔術士の動きも同様だ。彼らの布陣は、公言こそしないが『竜公爵の万一の魔力暴走への対応』に主眼が置かれていた。大広間を中心に配された彼らは、魔術的な騒動が起きていないかを意識して警戒していた。
大広間の外で、魔術による小さな襲撃や逃走が起きていたとして、感知することは難しかっただろう。
「城壁に施されている術式も、基本は物理・魔力を問わず攻撃への防御ですので、転移魔術を防ぐ役割は持ちません。念のため大広間を中心として広範囲を探索させていますが、時間が経っておりますので痕跡を見つけるのも困難でしょう」
孫と呼んで可愛がる養女の失踪に、それでも恩師は冷静だった。淡々と魔術士としての検証の結果と想定される結果を述べて行く。
転移魔術はふたつの魔術陣を繋いで移動する空間魔術の一種だ。送付魔術と同様入口と出口のふたつの陣が必要だが、その対は固定されていない。転移魔術を修めていれば入口は都度その場で展開でき、座標を指定して好きな出口を選べる。
ただし事前に出口の座標を知っていなくては当然選べない。なおかつ、本来は術士本人の移動手段として作りだされた魔術だけに、必ず術士も共に移動しなくては術式が維持されない、便利で不便な魔術だ。
「……城を出た記録がないにも関わらず、現在城内に居ない者、か……」
「特定は難しいだろうな。――賓客本人はともかく、従者となると『先に転移魔術で帰しましたが何か問題が?』で終わりだ。追及は、なにかしら証拠か、最低限信頼できる証言がないと無理だろ」
騎士として動いているシャルナクの、普段と変わらぬ口調に気を持ち直す。ここで理性を失くして魔力を暴れさせては、サツキが戻って来たときにどんな目で見られることか。
――すっごい冷めた半眼。『なにやらかしてんですか竜公爵』って眼で語る感じだ、きっと。
ありありと想像できて、サツキはそんな表情ばかりを見せていたと苦笑する。
――笑顔が見たい。
淑女ならざる爆笑でもいい。
無事でいて、笑っていて欲しい。
迂闊に動けば魔力の抑制を振り切りそうで、まんじりともせず座して夜を過ごしたディオネに、一筋の光明が齎されたのは翌日の昼前。休息から戻った老師の、「目撃者の話が聞けました」という言葉だった。




