31.青のおまじないと盛装の乙女
サキが担う『竜公爵のお傍付き』という名目が、名目として成り立っていないと気付いたのは王城に入って割と早い段階だった。正確に言うなら初日の議会場で、国王陛下へ紹介されたときである。
まず、竜公爵がサキに向かって差し出した白手袋の左手。
使用人相手にエスコートの手が必要だろうか、と。
葛藤は僅かな時間。場の雰囲気から長く考える余地も無かった。王位継承権こそ放棄したものの王族であることに変わりの無い竜公爵に、恭しく手を引かれて御前に引き出され。
詳細を省いた名前だけの紹介に、夏至祭を楽しめとの国王からのお言葉。
――ああ、うん。微妙に微妙な誤解が駆け巡りそうな。
危惧すると同時に、サキが思い至るような『誤解』は竜公爵や王太子には『想定内』のことだろう、と諦めた。
遡れば王太子自身が口走っていたのだ。竜公爵の傍に侍り恋人でも婚約者でも名乗っておけ、と。王太子のお墨付きである。いらんがな。
敢えて踏み込んで否定したり是正を求めたりしなかったのは、偏に面倒臭かっただけで、了承した覚えはない。沈黙は肯定だと言われたところで――契約書には書かれていないのだから。
だからサキは、素知らぬ顔で過ごしていた。
◆◆◆
――そもそもこのお兄ちゃん大好きっ子は、こんな得体の知れない女を義姉と呼ぶ覚悟が本当にあるのだろうか。いや、そうなる予定はないのだけれども。
胡乱な表情になっているサキを置き去りに、王太子は竜公爵に向き直った。
「兄上、これを」
そんな言葉と共に差し出された手には小さな箱。飾り気のない木箱を瞳に映した途端、竜公爵はそれまでの萎れっぷりを一瞬で旅に出した。「ありがとう」と礼儀は忘れずに受け取るといそいそと蓋を開け、検分するように眼を眇める。
「いかがでしょう。一番近い物を選んだつもりですが」
「ふぅん。……ね、サキ。これどう思う?」
そう言って竜公爵は箱の中身を摘まみ出す。天鵞絨っぽい厚みと光沢のある布の狭間から取り出されたのは――金の斑が散った瑠璃石。飴玉を思わせる真円がころりと白手袋に現れた。
「おぉ、竜の目玉っぽい」
竜公爵の手元を覗き込むようにして物を確認したサキは小さな拍手付きで称賛した。褒め言葉では無いと言われようと称えている。
「そう見える?」
「まぁそれなりに。実物の方が透明感あってもっと綺麗だった気がしますが」
眼球を模すなら水晶か硝子が王道だろう、正真正銘の石では輝きが異なる。竜の眼は、確かにサキの乏しい知識の中から瑠璃石という印象を残したが、じっくりねっとり観察したのは半月ばかり前の話だ。似ているかを問うなら並べて見せてくれないかなと、半ば期待を込めて竜公爵を見上げたならば。
何故か頬を染めて視線を逸らす竜公爵がいた。
「……キモィ」
思わずドン引いたら一瞬で悲しげな表情を作られた。作られても困る、本心だ。思わず彷徨わせたサキの視線を受けた王太子は、腕を組んで呆れたように深く息を吐いた。
「グリューネ嬢への貢ぎ物だそうだ」
王太子の言葉に首を曲げる。
「ティタ」
「そういうご用命だったと記憶しておりますが」
「そうなんだけど言い方というものがあるだろう?」
平静なままの王太子に、竜公爵は唇を尖らせた。とっくに成人済みの男性がやっても可愛くな……いことも無いのが恐ろしい。
とりあえず、サキの感想としては「要らないですよ?」と返すのみだ。
予想済みだと言わんばかりに頷いた竜公爵は、しかし石を乗せた手を引かずただ苦笑を零した。
「瑠璃石は災いを遠ざけると言われる、お守りとしては標準的な物だよ。貢ぎ物なんかじゃなくて、純粋に、色々なことに対するお礼として、貰ってくれないかな。――竜の眼と似た物を傍に置くのは気味が悪いと言うなら諦めるけれど」
別に気味が悪いとは思わない。竜公爵の右目は素直に綺麗だと感じた。瑠璃石はあちらでも同様にお守り扱いされていた筈だ。見知らぬ他人からの贈り物ならともかく、それなりに知った相手からの善意を無下にするほど酷薄でもないつもりのサキとしては考える余地がある。
ぬう、と唸ったサキに、竜公爵の苦笑が深まる。
「深く考えずに、綺麗だと思ってくれたのなら受け取って? サキも綺麗な物を飾るくらいはするで、しょ……する、よ、ね……?」
最後の最後で非常に分かりやすい躊躇い具合である。沈黙の交流開始から三ヶ月に満たない付き合いだというのに、物臭代表乙女の生態を随分と理解していらっしゃる。
「まあ、飾るくらいは」
その後のお手入れ云々は聞かぬが花ですけど、とは黙っておく。が、そんな内心を読んだかのような胡乱気な眼差しを向けられて、ささっと両手を揃え、掌を上にして差し出した。
しかし、すぐに渡されると思った瑠璃石は、ふいっと白手袋に連れ去られる。
まさかの「やっぱりあーげない」かよ、と行方を追えば、瑠璃石は竜公爵の口元へと運ばれていた。
――飴玉みたいとは思ったけど食べられないと思います。
きょとりと瞬いたサキを置いて、竜公爵はそのまま瑠璃石に唇を寄せ――小さな音に、口付けたことを知る。
思わず出していた手を握り込んで膝に戻したサキは悪くない、筈だ。
気障だ。気障すぎる。様になるだけにドン引きだ。
がっつり表情にも出ていたのだろう、改めて瑠璃石を差し出した竜公爵がへにょりと眉尻を下げた。
「サキ……」
「トリハダ立ちましたよなんの真似ですか今の」
「守護のおまじないだよ。――それにしてもサキはそういう表情だけは豊かだよね」
「正直を信条に生きてますのでー」
「しょうじき……?」
真顔で応じたサキの言葉に、傍観者と化していた王太子がぽつりと反応した。くるりと顔を向ければ、王太子は眉間に皺を深く刻んで考える人になっていた。
「異議があればどうぞ、王太子サマ。受け付けませんけど」
「……そこは受け付けろ」
「そうだよ、サキ。その上で棄却すればいいんだから」
「兄上、妙な影響を受けないでください」
「わたしのせいにしないでくださーい?」
薄氷の瞳がサキを見たので一応反論しておいた。騎士殿と言い、竜公爵の毒舌をサキからの影響だと判断するのはどういうことだ。
腕組みして不本意を主張するサキの前に、白手袋に乗った青と金の石が差し出される。竜公爵の顔を見れば、いつもの穏やかな微笑みだけが浮かんでいた。先程の『おまじない』の真意を問いたいような、藪蛇は回避すべきのような。悩む間も瑠璃石はじっとサキを待っている。
おまじない、お呪い……呪いの間違いだったりしないだろうな、と半眼になりながら、それでも再び手を差し出して、ころりと小さな神秘の青を受け取った。
◆◆◆
日暮れが迫り薄暗くなった王城の一画、魔術の灯りに満ちた廊下を歩く。進路はサキの手を引く竜公爵に任せて、サキ自身は虚ろな眼差しを宙に泳がせていた。
サキに与えられた夜会用の衣裳は、胸の下の切り替えからすとんと裾が落ちるシンプルなシルエットのカクテルドレスだが、デザインには少々思うところがある物だった。
ベースの色味は胸元が青く腰から膝にかけて色味を深くして裾が黒。胸下から裾まで縦に細く刺された金糸、裾を中心に縫い止められた輝く宝石の欠片たち。
どう足掻いても竜公爵の瞳の色とサキの髪の色をベースに、竜公爵の髪と鱗を意識した仕立てである。
「あからさま過ぎて無駄にこっぱずかしい……」
口の中で呟いた言葉は、竜公爵も正確には拾えなかったらしい。軽く首を傾げてサキに視線を寄越し、しかしサキの心情からは少々ずれた言葉を寄越した。
「良く似合っているよ? とても綺麗だ」
「…………あざぁっす」
盛装したサキの隣を歩く竜公爵も盛装だ。その衣裳は上から下まで黒い。隙間から覗くシャツやタイは白でひらひらしており、襟や袖口を中心に銀糸の刺繍がびっしりと施されているので華やかではある。だが、アンは男性の礼装でも黒一色は珍しいと言っていた。恐らく、というか間違いなく、サキの髪の色に合わせての黒なのだろう。
そして、刺繍が銀糸なのは竜の鱗ではなくサキの眼鏡由来だろうと思えばはやり面映ゆい。
かっちりとした長袖ジャケットの竜公爵を眺めて自身の装いに意識を戻してみる。首から肩がすーすーする。肘上までの長手袋は与えられたが、鎖骨周りから二の腕まではナマ肌である。
薔薇を模るイヤリングと揃いの首飾りは、鎖骨の窪みにかかる花の部分だけは豪奢だが繋ぐ鎖は細い。二連になっていて所々に宝石の輝きもあるが、肌を隠すという点に於いては一切用を為さない。見映えに障るからと灰色の刺繍糸で作ったお手製眼鏡ストラップを外したことで、首回りがより心許ない。
そして何より。
「すっとんはらりの恐怖……」
ぽろりの心配ではない。裾を踏まずともドレスが落ちやしないかという恐怖だ。平坦との評価を頂いた体型である、きちんと着付けたから大丈夫と言われていても気になるのだ。せめて肩紐を、細くていいから命綱を!
「サツキ?」
「……いえ、人生初のハイヒールに苦戦しているだけです」
ガツガツ歩いて振動で落ちたら怖いと足が鈍るサキの様子に竜公爵が怪訝な声を上げるが、まさかドレスが脱げる恐怖と闘っているとは言えない。
そして靴のことも、嘘ではない。
「確かに視線が近いよね。でも、そんなに厳しい?」
「過去最高は三センチだったので。七センチとか一生縁がないと思ってました」
「そうなんだ……?」
そうなのである。
サキの夜会用の身支度を整えてくれたのは安心の女官二名だった。
だが、彼女たちが広げた支度用の品々を見た瞬間、サキの安心は吹き飛んだ。
ドレスを掲げられた瞬間に「肩が無い!」と叫び、靴を差し出された途端に「今までぺたんこ靴を用意してくれていた気遣いは何処に!?」と嘆いた。
ドレスへの叫びは「折角の細い肩を出さない理由がございません」と真顔のリリィに断ち切られ、靴への叫びにはアンの満面の笑みが返された。
曰く「万一体勢を崩されても、ディオネ様にしがみ付いておられれば大丈夫ですわ」だ。
サキが、竜公爵から実際的に離れるのが困難な状況を作る意図らしいと察しては黙るしかなかった。ハイヒールに慣れさせないためのぺたんこ靴だったのかと思い至れば、淑女の背後に黒い翼と尻尾の幻影も見えるというものだ。
サキの遅い足取りに付き合いながら、竜公爵もゆっくりと長い足を進めて行く。
遠くに聞こえていたざわめきが、それでも徐々に近くなる。ひとつ前の廊下の角を曲がった瞬間に届いた、ここまで警備兵にすら遭遇しなかった不自然を振り払うような楽器の音が明瞭になる。
「…………」
知らず身体に力が入る。固くなったサキの指先を、下から支えていただけの長い指が宥めるように包み込んだ。
移動開始の合図のように必ず差し出される竜公爵の手はいつもいつでも白手袋に覆われていて、今宵も変わらぬ絹の白だ。その手を取るのに抵抗を覚えなくなったサキの手は、普段は素手であるのに今日は青い長手袋で彩られている。
「大丈夫。挨拶は私が捌くしダンスも断るから。陛下の御挨拶があるまでは逃げられないけど、そのあとは最低限の時間で退出しても咎められないし、そうしたら夜会用の料理を幾つか部屋に運んで貰ってゆっくりしよう」
穏やかに紡がれた言葉は、けれど僅かな茶目っ気を含んで跳ねていた。
夏至祭最大のイベントである夜会に供される料理は王宮料理人たちが心血を注いだ力作が並ぶけれど、社交の添え物として残されてしまうことも多いから沢山持って行っても会場の料理が不足することは無いよ、と。
笑うように語られる言葉に、サキはほんの少し、肩の力を抜くことが出来た。
「……はい」
辛うじて頷いて、引かれる手に従って大扉の前へと歩み出る。両開きの扉の左右に控えた騎士たちが竜公爵に視線を送り、その頷きを確認して自分側の扉に各々手を掛ける。重々しい見た目に反して大扉は軋みひとつ立てずに動いて行く。
大きく開かれた向こう側には、炎を灯されたシャンデリアの煌めきと、壁に沿って灯された魔術の光で真昼のように明るい。一挙に音量を上げたざわめきが、しかし瞬時に半ば静まったのは、竜公爵の登場に気付いたからだろう。
扉を潜る瞬間、力を込めて白手袋を握り込んだ右手は、同じだけの力で握り返された。
――いざ、出陣。




