30.夢の国のお姫様と考える乙女
※2017.11.13 誤字修正
キラキラと陽光に輝く金糸の頭をサキは見下ろす。
場所は王族居住区、竜公爵の私室――応接・居間・寝室の三間で一室という造りの、居間部分。バルコニーに出られる大きな窓は開け放たれ涼しい朝の風が踊る。
非常に爽やかな空間で、ソファに座り深く項垂れるのは竜公爵。その脇に立っているのがサキ。
どちらも黙り込んだまま時間は流れる。
沈黙を壊したのは、叩かれる扉の音だった。
「――兄上、おはようござ……、何事だ?」
だから入室の許可を待てと。せめて三秒置いて開けよう、王太子。
小箱を手に竜公爵を訪ねたらしい王太子にサキは半眼を投げ、しかし今の状況では救いかもしれないと表情を改めた。
「例のお姫様にお会いしまして」
般若再び。サキばかりがこの顔を見ている気がするが、全くもって嬉しくないので控えて貰えないだろうか。
「竜公爵の蹴り上げのツケが更に増えました」
「……待て、なんの話だ」
「無許可のお触りは厳禁です」
「…………兄上」
のろのろと竜公爵の頭が上げられる。瑠璃の瞳に光が見えない。
「姫との会話を断ち切って引き上げるのにサキを抱き寄せたら、それが駄目だったらしくって」
「兄上」
「緊急避難的に仕方がなかったってことにしてくれないかな、サキ?」
「後ろ向きに検討してみます」
「駄目かぁ……」
しゅん、と萎れた竜公爵を見た王太子の視線がサキに戻される。説明役はサキが続投するしかないらしい。
ぬぅ、と虚空を見上げて、サキはつい先程の一幕を語ることにした。
◆◆◆
朝日に強い輝きを返す赤金の髪、硝子玉のように澄んだ薄茶色の瞳。どこか人形めいた繊細な容姿の姫君が、その薄紅の艶やかな唇を震わせてサキを呼び止めた。
「貴女、ディオネ様のお傍に居るという令嬢ね?」
人違いです、と言っても明日の夜会では恐らく顔を合わせる。さりとてどう絡まれるか分からないのに真正面から肯定もしたくない。
サキが沈黙のまま小首を傾げれば、姫君は僅かに眉根を寄せただけが、侍女の方はあからさまに気を害した。柳眉を跳ね上げて「姫様がお訊ねになっているのです、答えなさい!」とサキに迫る。
「まあ、そう強く言うものじゃないわ。――ねぇ、名前を教えて頂戴?」
サキに詰め寄った侍女をゆるりと追ってその背を撫でる姿は従者を窘める鷹揚な主人の図、だろうか。しかし絶対的上位者としての言い回しが妙に癇に障る。名を問うならまず名乗れ、一方的に見知られていても困るのだ。たぶん絶対あの『姫様』なんだろうなと見当は付いていてもハジメマシテなのだから。
「……サキ・グリューネと申します」
よろしくはして頂かなくて結構なので名前だけだ。
そう、と頷いた姫君は、やはり自分は名乗らないままに話を続けた。
「ディオネ様はいかがお過ごしかしら? ティタニア様は恙無くとしか仰らないけれど。あのようなお姿になられたディオネ様が、恙無く、だなんて……」
三年間の沈黙の間は知りませんがこの春以降はそれなりにお元気そうでここ十日ばかりは両親兄弟とも関係修復して中々楽しそうですよ。――とまでは教えてやる義理も無い。
「お元気でいらっしゃいます」
「……そう? でも、今もお独りなのよね」
そりゃ貴女もですよね、と喉元まで出かかった言葉を飲み下す。
憂える美女の姿は絵になるが、果たしてこの姫君がサキから何を探り出そうとしていて、竜公爵に何を望んでいるのかが分からないのでは目の保養と楽しむ気にもなれない。
「やはり、わたくしがお傍に居て差し上げなくては……」
……電波系かなー……。
意味が解らない。姫君の謎発言にうっかり勤労を覚えかけた表情筋に怠惰を言い渡す。うっかり「は?」という表情を作ってしまったらアウトな気がする。
そして「なんとお優しい……っ」と感涙に噎ぶ侍女の感情も理解不能だ。
近い距離で視線がかち合った淡い色の瞳に、サキも思わず見入る。華奢で儚げに見えてもサキが少し見上げる程度には背が高い。
ぼんやりと見惚れていれば、長い睫毛を震わせてゆっくりと瞬きをする。ちり、と項が疼いて、――ここに居てはいけない、となにかが囁いた。
そのとき。
「サキ?」
聞きたかったような、今一番聞こえちゃマズイような声が届いた。
覚えた違和感を完全に上書きして、背筋全体ををぞわりとさせた美声。略称呼びなのでここに第三者が居ることは気付いているのだろうが、果たして『誰』が居るのかを分かっているのかどうか。
振り向くサキと同時に、ぱっと顔を上げた姫君の表情が輝く。
――え、輝くの?
悲鳴からの失神をするほど恐れた存在ではなかったのだろうか。
「ディオネ様……」
「これはアンクリークの王女殿下。お久し振りです」
姫君の呼びかけに、ゆったりと歩を進めてサキの隣に立った竜公爵は綺麗なお辞儀を返した。右の掌を胸に当て、左の拳を後ろ腰に回して敬礼三十度。嫌味なほどに絵になる貴公子ぶりである。
「まあ、ディオネ様。どうか以前のようにエシィと」
「隣国の姫君をそのようにはお呼びできませんよ」
「そのような……。ディオネ様は、わたくしを」
潤む瞳と震える小さな唇。淡く色付く頬が肌の白さを一層引き立てる。庇護欲を掻き立てられるだろう麗しき姫君が、一途さを思わせる眼差しを竜公爵に注ぐ。しかし竜公爵は既に姫君を見ていなかった。サキに向かって白手袋の左手を差し出している。
「サキ、戻ろう」
「はぁい」
その手にサキが素直に自分の手を乗せれば、するりと引き寄せられる。サキが反応する暇もないほど自然に腰を抱く体勢に持ち込む手腕が恐ろしい。
「では失礼いたします、王女殿下」
「あ、」
会釈をして踵を返す竜公爵に繊手が伸びる。
ちょん、と袖の端を引く姿は慎ましやかで可愛らしいが、それが受け容れられるかどうかは別問題だ。
竜公爵は表情こそ変えなかったものの、笑っていない眼で摘ままれた袖を見下ろした。
「放して頂けますか、王女殿下」
「ディオネ様。ディオネ様はわたくしを待っておられたのでしょう?」
「――なんのことでしょう?」
「ずっとお独りでいらしたのは、わたくしを想っていてくださったからでしょう? わたくしも早く参りたかったのですけれど、お父様がずっとジルニトラ訪問を認めてくださらなくって……」
「殿下。私が皆と距離を置いているのは魔力制御などの問題からであって、それ以外に理由はございません。現在独り身であることは確かですが――」
電波系確定のような科白を紡ぐ姫君を遮って竜公爵が語り出す。さりげなく姫君の指を袖から引き剥がしている辺りが見事である。
僅かに言葉を切ったと思えば、サキの腰に回した手に力を入れて更に身を寄せさせた。
「それも近いうちに変化するでしょう」
にこり、と。それはそれは綺麗な微笑みを見せて竜公爵は会話を断ち切った。
尚も竜公爵を呼ぶ儚げな声はしたが、竜公爵は足を止めることはなかった。耳朶に残る甘い響きを振り払い切れないままにサキもそれに従う。――というか、半ば抱き込まれて運ばれているような状態である。
「竜公爵。自力歩行できますんで手を放してください」
「うんゴメン無理」
「えぇ――……」
即答でお断りされた挙句、何故か腰に回る手に更なる力が加えられた。
屋内に戻って幾つかの廊下を渡り、王族居住区を示す大扉を越えても力は緩まない。早朝のこと、経路を選べば警備すら躱せるとはいえ、さすがに居住区手前の大扉には騎士が立っている。その前にと再度、解放するかせめて手繋ぎにしてくれと依頼したが華麗に黙殺され、瞠目する騎士様方に見送られて竜公爵の私室まで運ばれた。
「……取り敢えず、蹴り上げのツケ一回加算しときます」
ソファに座らされるなりのサキの発言に、竜公爵は纏い続けた堅い空気を和らげた。和らげて――虚ろな笑みを口元に佩いたと思った次の瞬間には萎れていた。
床に膝をついてがっくり項垂れ、徐々に膝を崩すとサキの隣に突っ伏した。
「なんだろう、話が通じなかった気がする……あんな方だったかな……」
「いや、きっちりばっちり通じてなかったですよ。以前を存じ上げませんので比較評価については差し控えますが」
「……そうかぁ……」
のそのそとサキの隣に這い上がって座り込んだ竜公爵が、ぐたりと凭れかかって来たので避けて立ち上がる。
「サツキ……」
「お触り厳禁」
「これも駄目!?」
「駄目です」
しょんぼりと項垂れた竜公爵を見下ろすことしばし。扉が叩かれると同時に開かれて、冒頭に戻る。
「――ということで、お姫様の標的は竜公爵らしいと結論が出ましたので安心してロゼ様をわたしに貸してください」
「必要に応じて検討してやる」
「まだ検討段階でしたか」
しゅぱっと揃えて差し出した『ちょうだい』の両手が悲しくなる返答である。
改めて竜公爵の隣に座り直したサキの斜め向かい、竜公爵の正面に座った王太子の表情は険しい。般若が去っただけマシだが、眉間の皺は山脈を築いている。
「なんで私に拘るんだろうね……」
若干猫背になってはいるが項垂れからは復活した竜公爵がぽつりと零した。
山脈を崩さないままの王太子が慎重に口を開く。
「兄上が〈竜〉の加護を享けられたことの意味を、今更に理解したのでは?」
「えぇ――……」
竜公爵が幾度目かの項垂れに入る。黙ったまま首を傾げたサキを視界の隅に捉えた王太子が溜息を落とした。
「竜の威を借る王国、とお前が評した通り、我が国において〈竜〉は神格に近い扱いになる。そんな〈竜〉の加護持ちである兄上の扱いはどうなると思う」
王太子は俺様属性の割に面倒見が良いのか。サキに分かる程度の言葉で、サキの理解を確認しながらの説明を始めてくれた。竜公爵が関わらなければ真っ当な『王太子』なのだろう。……竜公爵のことになると残念の一言に落ち着くが。
「……生き神様、的な?」
「ふむ、言い得て妙だな。身分制度、貴族階級という枠組みの中では確かに王族公爵で臣下となるが、影響力は強い。――そして、次代を担うのは『弟』だ」
「真の支配者が竜公爵、的な」
「いや、口出しする気はないよ!?」
おお、と手を打ったサキの横から勢いのある否定が湧くが、
「周囲がどう考えるか、って話ですよね?」
「そうだ。存外頭が回るな」
王太子よ、それは褒め言葉ではない。
半眼になったものの突っ込みはせずサキは状況をまとめることにした。
「つまり、この国における『女性の地位の最上位』は王妃様より竜公爵の妻の方と考えることが出来て、お姫様はそちらにご執心、と」
「そうだな。――お前は興味がなさそうだが」
「そんな面倒臭そうな肩書はいらないです」
「私の妻って面倒臭いんだ……」
「公爵夫人の義務と責任とか重すぎです森の隅っこでのんべんだらりが分相応ってもんです」
ん、と首を傾げた兄弟に、サキは眉根を寄せて見せた。
「国のてっぺんみたいなお偉い様の地位と特権に見合う義務と責任ってどんだけですかド庶民が背負えると思えませんて」
『位高ければ徳高きを要す』という言葉を聞いたのは世界史での脱線ネタだったか。強い権力を持つ者は応分の責任と義務を負う、とサキは理解した。別の授業で三大権利と三大義務なども聞いた気はするが、雑談の方が良く覚えているのはお約束だ。
ざっと記憶にある範囲で説明をつけて回答したサキを、薄氷の瞳が見据える。
「随分と高度な教育を受けているようだが、本当に庶民か?」
「孤児院出身の勤労庶民ですがなにか」
日本の教育制度云々は長くなるので詳細は割愛する。気になるならお兄ちゃんに聞いてくれ、扉越しに延々と説明させられたから竜公爵なら覚えているだろう。
サキを見詰めていた王太子が鋭い眼差しを伏せて沈思し――ひとつ頷いたと思ったら竜公爵に向き直った。
「悪くない。兄上、早々に娶ってしまわれては」
「おい待て王太子サマ」
「師匠のお許しはあれど、サキがこの調子だから長期戦だよ」
「なんの話ですか竜公爵」
意味深な笑顔の竜公爵と、山脈は消えたが真顔の王太子とがサキを見詰める。
「そういう話だね」
「そういう話だな」
「……説明する気がないってのは理解しました」
否、サキとて理解はしている。『恋人認定されている』と。
だが。
――イェイ玉の輿☆
なぁんて。嬉し恥ずかし乙女ちゃんをやる気は、サキには一切ない。




