29.淑女たちの歓談と独歩の乙女
サキの実年齢暴露による騒動は、届けられた昼食によって有耶無耶になった。
そもそも当事者であるサキの熱量が乏しいのだから燃え続けない。本人が、これで周知されたしいっか、と思えばそこで議題は流される。
――おじいちゃんの正座は家に帰ってからでいいし。
ただし、割と根には持つ。
王太子だけは最後まで信じられないものを見る目をしていたが、竜公爵に頭を叩かれて我に返るなりの謝罪を頂いてしまったのでこれ以上はなにも言うまい。王太子の言を信じるなら、彼らが養子縁組の書類を確認したのはサキを離宮に放り込んで十日は経った後だったという。初対面時の『年の割に落ち着いている』は、『十代半ばにしては』の意であったらしい。やはり随分下に見られていたようだ。
――あぁ、あと騎士さんの乙女の取り扱いについては今度確認しよう。
初対面の印象で『お嬢ちゃん』呼びが定着していたならそれは仕方がない。が、設定年齢十八と知ったあとの、こちらでは結婚適齢期真っ盛りな乙女の扱いが首を圧し折る勢いの頭ポンだったと言うなら騎士殿は騎士の心得を学び直した方が良い。
騎士殿からの謝罪は無かったので、こちらは容赦しなくていいだろう。
午後は面会予定を入れていないという竜公爵は王太子の執務補助に入り、サキは婚約者殿との親睦を深めていろと隣の応接間に放り込まれた。給仕兼務で女官二名を付けてくれたことには感謝する。お仕事中に申し訳ないと思うが、初めましての相手とふたりきりとは、サキの対人スキル的に辛い。
だが、女四人で賑やかな茶会に辿り着くまでにはしばし時間がかかった。
アンとリリィが同席を渋り、部屋の隅に控えようとしたからだ。
リリィは子爵令嬢、アンは伯爵家出身だが現在は騎士爵――最下に位置する一代限りの貴族位だそうだ――の夫人で、伯爵令嬢と同席は畏れ多くて出来ないと言いうのだ。サキだけの時は構わず着席してくれたのは、状況に馴染めずにいたサキの希望を汲んでくれたのと、なにより同じ『伯爵令嬢』でも、サキの肩書には『カッコ笑』が付くような扱いだからだろう。
「……身分制度って面倒臭ぁい……」
思わずぐったりとソファに凭れたサキの向かいで、華やかながらも淑やかにロザリンドが笑む。そして「ふたりとも座って頂戴?」の一言でふたりを座らせた。
「わぁいロゼ様の一声強し」
「サキ様、お行儀が悪うございますよ」
『ロゼ』はロザリンドの愛称だ。昼食中、サキが『婚約者さま』だの『伯爵令嬢さま』だのと呼んでいたら、伯爵令嬢と言うならサキも同格だから同じようにお呼びした方がよろしいですか、と問われて全力拒否した結果だ。でしたら名前で、と言われて詰まったサキに、長いなら愛称ででも、と。正統派お姫様な美少女に哀しげな顔でお願いされたら「ハイ喜んでー」以外の返事が出来ようか、反語。
そんなサキの様子を、物言いたげに見詰めていた竜公爵の視線は完全無視させて頂いた。
ようやく始まったお茶会で、登城初日のサキの有り様――短い髪を下ろして老爺のお古なローブを着込んだ少年仕様、実はアンとリリィも一瞬少年と思ったとか何とか――から離宮での生活アレコレへと話は流れ。
一杯目のお茶を飲み干し、王太子と婚約者殿との馴れ初めへと辿り着く。
「……十年以上前?」
「はい。初めてお会いした当時、わたくしはまだ六つでしたもの」
「え、年齢一桁で婚約?」
「まあ、いいえ。そのときは本当にご挨拶しただけで。ただ、ご縁だけは続いて、殿下が成人されてから正式に婚約式を行いましたの」
「内定はもう少しお早かったでしょう。確か――ティタニア様が十四になられてすぐ、でしたか」
「……当時のロゼ様おいくつ?」
「十になる……直前、でしたわ」
「一桁じゃん!」
きゃあきゃあと盛り上がっていたら執務室側の扉が叩かれ、すぐに開かれた。
「――賑やかだな」
目を瞠っているのは王太子。三秒は待つのがマナーじゃないのか、ノックの意味がない。
「楽しそうだね。どんな話をしていたの?」
王太子の肩から顔を出した竜公爵が柔らかく微笑む。
「王太子様はロゼ様にめろめろなんですねー、って話をば少々」
「へえ?」
楽しそうに目を輝かせた竜公爵とは対照的に、僅かな隙にロゼが座るソファの後方に移動していた王太子が鋭い一瞥を寄越す。静かに背凭れに両手を置くと、ロゼの上に覆い被さるようにしてその顔を覗き込んだ。
「ロゼ? どんな話をしていたんだ?」
「あ……あの、えぇと……」
「ティタニア様とロザリンド様との馴れ初めをお伺いしておりました」
頬を染めて狼狽えるロゼに、助け舟はアンが出した。いつの間にかリリィと共にソファから離れて待機姿勢を取っている。
「……馴れ初めの話が、何故、先程の説明になる?」
薄氷の瞳がサキを射抜くが、嘘は言っていない。
正式な婚約は王太子が成人した四年前の夏。――兄王子が〈竜〉の加護によって生じた不都合を盾に『王太子』の地位と権利と義務を放棄して弟王子に押し付けたのが、その年の冬。
以来、王太子の周囲は騒がしくなったという。
――王太子妃に据えるならば周辺国の王女か、国内貴族ならば侯爵位以上の家の娘を、と。
ロゼの生家カヴェラース家は武門の一族で、父伯爵も兄たちも皆騎士団所属。次期国王となる兄王子の治世を軍部の長となることで支えるつもりでいた第二王子には相応しい縁談だったが、将来の王妃国母とするには不足だと見做されたのだ。
それらの騒ぎを押し切り踏み付け薙ぎ払って、一年後の挙式が具体化するところまで婚約者との関係を堅持したのが王太子である。
「ほら、ロゼ様は絶対手放さないぞっていう王太子サマの執念が見えるお話」
「サキ様!!」
頬から耳の先まで真っ赤に染めたロゼが声を上げるが、王太子は口を引き結んでサキを見据えるだけだ。沈黙は肯定である。
「で、そんな心温まるお話を聞きながらうっかり考えちゃった不幸な話があるんですけど、素人考えってことで笑って貰えますか?」
「…………聞こう」
「例のお姫様の目的が、竜公爵との復縁ではなく王太子サマとのご縁という可能性は皆無なのかなぁと」
般若が降臨した。幸か不幸か、ロゼもサキを凝視しているので王太子の形相には気付いていない。気付かない方が幸せだ怖い。
「…………皆無だ」
「あ、さいですか」
姫君の思考としてあり得ないのか、王太子が相手にしないという意味で皆無なのかは微妙なところだが怖いので引いておく。
だが、竜公爵は引かなかった。
「サキ、どうしてそんな発想に至ったのか聞いてもいい?」
サキの隣にしれっと座り込んで顔を除き込んでくる。さらさらと流れた長い金の髪の隙間から、金を撒いた瑠璃が僅かに見えた。
「えーとですねぇ、……」
ちらりと王太子を見る。
姫君が『かつての婚約者』への未練ではなく『王太子妃、引いては一国の母』という女性の頂点の地位への未練があれば標的は現王太子になるだろう。
諸問題はあれど一度は王太子の婚約者として認められた王女と、不足と言われたロゼとでは、感情を無視すれば姫君の方が適任とされるかもしれない。
「なので対策が必要なのはむしろロゼ様周辺だったりして、と」
「私から離れなければ問題ない」
「竜公爵とずっと一緒は難しいだろうからってロゼ様をご紹介頂いたわたしの身の安全は」
「兄上から離れなければ問題ない」
駄目だこりゃ、と呆れ半分に隣を見遣れば、苦笑が返される。
「まあ、姫の思惑がどうであれ、確かにお互い離れないのが一番手っ取り早い対策ではあるよね」
「……竜公爵はどっちに転んでも大丈夫そうですか?」
あっさりきっぱり吹っ切っている風ではあったが、もし再び思いを寄せられたり目の前で弟に心を寄せている様を見せ付けられたりしても、感情を揺らさずにいられるのか。
魔力の暴走は恐らくサキに影響を及ぼさない。だが、その余波で壁だの天井だのが崩れれば、その瓦礫に潰されるのは防ぎようがない。竜公爵を正気に戻す前に昏倒でもすれば終わる。
白い手袋に包まれた長い指が伸びて来て、するりとサキの頬をなぞる。
「サキ以外の女性は目に入らないから大丈夫」
とろりと甘い声に、細められた青い瞳。
「……手袋に白粉付きますよ」
だから手を退けろ、と半眼に籠めるのに何故か掌で頬を覆われる。
「サキは今の自分の立場――王城で見做されている立ち位置を理解している?」
「…………喰えない爺様の養女で竜公爵の傍付きで王太子サマやお付きの近衛騎士にも顔が利くから迂闊な手出しができないけど素性が知れない不審な女で気に喰わない?」
「うーん、どうしてそう卑下するかなぁ。いや、そう思っている人達もいるだろうけどね」
ようやく離れた手が、しかし今度は肩に回って緩く抱き寄せられる。
耳元に注ぎ込まれる、更に甘ったるくなった声。
「私の恋人だと認識されているよ?」
「……昨日の今日で学習しませんね竜公爵。無断お触り厳禁。蹴り上げのツケ、二に増やしますよ」
ふっと小さな笑いと共に温もりが遠ざかる。両手を上げて距離を取った竜公爵は、青褪めるでもなく楽しげな表情だった。
◆◆◆
朝露の輝く早朝、サキは王城の庭に出ていた。
王城に戻って以来――というか、雨が降り出して以来ご無沙汰になっていた外の空気だ。大きく腕を伸ばして目一杯に吸い込む。
訪れたのは王族居住区にほど近い庭園だ。王城に入れる者には解放されている場所らしいが、特段の華やかさの無い、素朴な造りなために基本的に人気は少ないという。まして朝の内なら尚のことだろう。
サキが散歩を希望したところ、竜公爵が指定したのがこの時間、案内されたのがこの場所だ。人の気配が薄いほどに小精霊は出現しやすいから、と。サキがなにを期待して散歩を希望したかをよく理解してくださっている。
そんな竜公爵とは庭園入り口のかなり手前で別れている。竜公爵の気配がしては小精霊が出て来ないのもまた明白だからだ。魔力制御の効果範囲外に出る可能性はあるが、小一時間抑えておくくらい大した負担でもないよ、との優しいお言葉にありがたく甘えることにした。
サキの背丈ほどの常緑樹に囲われた、野草に近いような素朴な花が咲く庭だ。薔薇を国花とする王国で、薔薇が咲く季節に、薔薇の無い庭園を訪れる物好きは確かに少数派だろう。
庭園に踏み込んで幾らもしない内に、久方振りの違和感に襲われる。髪の毛を軽く引かれる感覚。肌を撫でる感触。
「眼鏡を弄らない、スカートの中に潜らない」
ぽつりと呟けば目元と足元から違和感が消える。知らず口元が緩み、鼻歌混じりにゆっくりとそぞろ歩く。
身に着けているのは踝丈のワンピースだ。爪先まで覆うドレスに比べれば足捌きが楽で、コルセットも締めていないので体も軽い。本来は部屋着であり外歩きは御法度らしいが、朝からアンやリリィを呼びつけることも無いとするサキの主張に、人目も無いだろうしと竜公爵が妥協してくれた結果だ。
ふん、ふふ~ん、と調子に乗ってくるりと一回転を決めたところで、一斉に小精霊の気配が霧散した。
「え、回ったら駄目やった?」
呆けたサキの耳が、微かな足音を拾う。回ったことは関係なく、第三者の接近に姿を隠したらしいと気付いて居住まいを正す。
竜公爵が来たのかとも思ったが、足音は別方向から聞こえる。むしろサキが竜公爵の許へ戻るべきかと考えたところで、ふたりの淑女が視界に入った。
真っ先に目が行ったのはピンクのドレスに豪奢な赤っぽい金髪が映える女性の方だ。精緻で繊細な面差しと全体的に儚げな雰囲気は、可愛らしくも華やかなロゼとは趣が異なるが、間違いなく『お姫様』だ。サキを認めて瞬く瞳は薄い茶色――榛色と呼ばれるそれだろう。
――――超絶ヤな予感がする。
ビスクドールのような女性を凝視しかけてそっと目を逸らす。するとその隣の侍女らしき深緑のシンプルなドレスの女性と視線が合った。彼女は軽く膝を折る宮廷式の会釈と共に、辛辣な言葉を紡いで寄越した。
「どこの者か知りませんが、そのような姿で王城内を歩くなど。疾く去りなさい」
「お目汚し失礼いたしました。お言葉に従います」
逆らっても益が無い、ぺこりと頭を下げて来た道を戻るべく足を動かした、その瞬間。
「お待ちなさい。――貴女、ディオネ様のお傍に居るという令嬢ね?」
鈴の音のような声に呼び止められた。
ギリ9月中。遅くなりました申し訳ありません。……ギリ過ぎるorz
もう、お姫様をね、出さなきゃだけど出てくんな、みたいな、でして…。
女子会のわちゃわちゃだけで一話にできる勢いはあったんですが。




