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28.触れない距離と無慈悲な乙女


 ――早月さつきはちゃんと欲しがりな。


 そう言ったのは、早月を担当してくれていた施設職員だった。

 高校の卒業式も済み、退所の手続きをしていたときにふと零された言葉だ。


 デザートだったり新しい服だったり、無くても構わないとか既存の物で間に合うとか言って早月はすぐ他の子たちに譲る。確かにささやかなもので、ここ・・ではありがたい『良い子』だったけれど、諦めが良すぎて手に入れる努力をしない社会人は潰れるよ、と。


 それは間違いなく早月を想っての言葉だった。けれど、早月は『諦める』の前に、『望まない』ということを知っていた。泣いて求めても叱責されるだけなら無意味だと、最初から望まなければ落胆はなく絶望も見ないで済むと、多分、そう理解したのだ。物心がつくかどうかの幼い頃に。


 だから、気にかけてくれた職員には悪いと思いつつ、分相応って言葉を知ってるんですよ、と。そんな風に返事をしたと思う。

 職員の表情が曇ったことは見ぬ振りをして、退所の挨拶をした。


 そうして独りで生きて行く覚悟――という程でもない自由気ままさを満喫して三年。


 他者と深く関わらなくても生活できていた世界から、隣人と交流を持たねば食料や日用品の調達すらままならない世界に紛れ込んで、知らなければ望むこともなかった温もりを、世界を越えた場所で初めて与えられた。


 それを失くす、と考えたときに抱いた痛みは多分、人生初の感覚だった。




  ◆◆◆




 熱し難く冷め易い、ただし稀に沸点が極端に下がって突沸する。

 そんな面倒臭い仕様のサキは、突沸しかけたところで気を逸らされれば、沸ききれないままの感情は一気に冷めて現状を見てしまう。


 そうして見る『現状』は目前に迫る藍色の壁。決して細くは無い柵にぐるりと肩を囲われて、顔が壁に触れないギリギリの空間に閉じ込められている。

 鼻を掠めるのは森のような瑞々しくも爽やかな香り――いつの間にやら馴染んだ、竜公爵の匂い。


 ……うん、ギリギリで止めてくれて良かった。うっかり顔を埋めさせられてたら危なかった。眼鏡は魔術で無事だけどわたしの顔が大惨事だった、うん。


 なんてことを考えてしまうのは現実逃避だ。現状を認識したら逃げ出したくなったのだから仕方がない。思考を散歩に出しかけたサキの頭の天辺に、低く押し殺された声が降ってきた。


「……師匠せんせいとの絆を、余計な記憶ものだなんて言ったら師匠が嘆かれるよ。そもそも弾き出すなんて認めない。サツキの意思を問うことなく勝手にこちら・・・に引き込んだくせに、今更弾くなどと言うなら、〈竜〉の力を持つ者として徹底的に抗ってやる。世界のことわりに反してでも、サツキを師匠のところに帰して見せるよ」


 鼓膜以外の部分をも震わせる美声が妙に剣呑な意思表明をしているが、とりあえず余計な感覚は遮断する。散歩に行きかけていた思考を強制帰還させて考えた結果の最優先事項は、優しい檻からの離脱である。


「お気持ちだけありがたく。で、放して貰えませんか」


 無言のまま、何故か肩に回された腕に力が込められた。


「竜公爵」

「ディオネ」

「竜、公、爵」

「……リリィやアンは名前呼びなのに」


 言わんとするところは察せるが気にしない。

 区切りながら呼べば、腕は動かないままに恨めしげな声だけが脳天に注がれる。


「『竜公爵』の名を持つ御方が複数いらっしゃるなら呼び分けを考えますが、竜の称号を戴く公爵様は世界唯一と伺っておりますので無問題のーぷろぶれむ

「えぇ――……」

「……ホントに、マジで、放してください。正気に戻って貰えないなら本気で蹴り上げますよ?」

「…………」


 再びの沈黙にサキも黙って動ける範囲で行動に入る。左手は藍色の袖を摘まんで安定を確保し、右手は長いスカートを摘まんで足の動きを確保する。僅かに身を沈めるように右足を引いたところで、肩を掴まれて距離を取られた。弾みで掴んでいた袖から指が外れる。見上げれば、夜闇のせいだけではなさそうな蒼い顔をした竜公爵が頬を引き攣らせていた。


「サツキ」

「はぁい」

「物凄く不穏な気配がしたよ?」

「蹴り上げる予備動作に入ってましたから」

「脛を蹴る程度の構えじゃなかったよね?」


 離宮で扉にやったような足裏蹴りはできない体勢から、脛を爪先で蹴られるくらいの想定だったらしい。その程度ならと受けるつもりでいたのなら甘い。


「蹴り上げる、と条件確認の最初っから申告しておりますがなにか?」

「……『蹴る』と『蹴り上げる』の違いについて説明を求めても?」


 サキは薄らと笑みを浮かべて見せた。蒼い竜公爵の顔色が、戻るどころか更に白くなった気がする。


「蹴るなら脛、蹴り上げるなら股間、です」


 言い切ったサキの両肩から竜公爵の手が離れた。ずざっ、と音を立てる勢いで竜公爵が石壁に背を付けるまで距離を取ったからだ。……若干内股になっているように見えるのは気のせいだろうか。だが憐みはしない。


「許可なく女性の身体に触るのは痴漢はんざい行為ですよ?」

「…………充分、理解した。同意を得ずに迂闊に触れないと約束する」


 妙に堅い返事をする竜公爵の顔は完全に色を失っていた。瞳から光が失せているように見えるのは宵闇だけが理由ではないだろう。


 竜公爵の顔色が多少はましな程度に回復するまで、サキはのんびりと赤いオーロラを眺めることにした。

 こちら・・・は街灯などの人工的な光が少ない。家々に灯る火は、人の営みを感じさせる温もりだけを示して闇を追い払うことはなく、星の輝きを侵すこともない。


 白銀の星と揺れる赤。黒よりは僅かに明るさを帯びて見える紺藍の夜空。


 サキが存分に堪能して満足の吐息を零す頃、竜公爵もなんとか立ち直ったらしい。戻ろうか、と差し出された手を素直に受け入れた。




  ◆◆◆




 翌日、午前に予定していた面会をすべて終えて応接室を出たのはちょうど正午を回った時間だった。竜公爵に手を引かれてすぐ傍の王太子の執務室に向かう。

 今日に限らず、昼食は王太子の執務室で軽く済ませるのがルーチンになっている。この時間は老爺も合流するので、サキとしては割と――否、大いに楽しみにしている時間だ。


 そうして心持ち浮いた足取りで竜公爵と共に訪れた部屋には、初めましてな女性が居た。


 王太子と寄り添うように立つ彼女の背はリリィより僅かに低いが、サキよりは充分に高い。波打つ黄金の髪、鮮やかな翡翠の瞳。白磁の肌は張りがあり、瑞々しい唇と相まって可愛らしくも華やかだ。


 竜公爵を見てさっと宮廷式お辞儀をした彼女を、王太子がその腰に軽く手を添えるようにして「婚約者のロザリンド・テルクシノエ・カヴェラース嬢です」と紹介した。


「フランクリン伯爵令嬢、ですよね? 五年半くらい前に一度お会いしています、お久し振りです。美しく成長されていて見違えました」


 にこやかに言葉を掛ける竜公爵に、姿勢を戻した王太子の婚約者殿は柔らかな笑みを浮かべて返した。


「覚えていて頂けて光栄です、アンシェンス(〈古の盟友〉)・ディオネ」

「可愛い弟の婚約者ですから忘れませんよ、ロザリンド嬢。私のことはディオネで結構、そしてこちらはゲーベル(〈智慧者〉)・アイガイオンのご養女、サキ・グリューネ嬢です」


 さらりと自分に話が回って来たために日本式お辞儀で頭を下げる。


「サキと申します」

「ティタニア様からお話は伺っております。よろしくお願いいたしますね」


 ……どの辺のお話を聞かれて、なにを宜しくされたのか。


「グリューネ嬢は兄上から離れない前提ではあるが、不測の事態は起きるものだ。女同士の面倒なら我らが入るより同じ女が入る方が丸く収められることもあるだろう。リリィとアンは夜会には参加しないからな、代わりの保険だ」


 サキが怪訝な表情を浮かべるより早く王太子が口を開いた。説明としては不十分だが、ギリギリながら夜会前に紹介しておきたかったのだけは理解した。とりあえず一般向けのプロフィールで対応しておけば問題ないか、と勝手に納得しておく。


「生まれ育ちはまったく異なるが、としは同じだし多少は気の合う部分もあるだろう。せめて夏至祭の間は上手くやってくれ」


 サキの対人能力の低さを鑑みての『せめて』なんだろうなぁ、と思った後で可笑しな単語を認識する。

 ぐるりと首を回して王太子を見上げれば、その薄氷の視線はサキの横、竜公爵の方を向いていた。


「兄上、なにか?」

「えーと、うん……」


 どうやらサキと同じところに引っ掛かった竜公爵も王太子を凝視したらしい。居心地悪そうに眉を寄せる王太子に、しかし竜公爵は言葉を濁している。


「王太子サマ、わたしの年齢ってどこから出てきました?」


 女性の年齢ネタが危険地帯ってのは異世界共通らしい、と察して当事者であるサキが突っ込んだ。


 サキは自身の年齢を申告していない。なんだかんだで騎士殿にも言わなかったから、経由して王太子に、ということもあり得ない。

 「齢が近い」という表現なら分かる。サキが実年齢より下に見られることはいつものことで、婚約者殿は今年の秋で十八だと聞いているから「同じくらい」と思われていても不思議ではない。

 だが、「同じ」と断言するからには根拠があるだろう。


 問われる意味が解らないという顔で王太子が呟いて曰く、「師匠が」だ。


「おじいちゃーん?」

「儂はなんにも言ってないよぉ? そもそもサキの齢なんて聞かれなかったしー」


 部屋の隅で空気と化していた、昼食合流待ちの老爺に詰め寄れば、いつもの笑顔を貼り付けたままに否定を返された。再び首を回せば、困惑気味の王太子殿下が。


「……養子縁組の書類に、」

「おじいちゃんわたしの年齢なんぼって書いて出したか」


 零された一言で見当は付いたが確認は必要だ。首を老爺に戻せば、パッと開く笑顔。


「あ、そっか。こっちに来た当日が誕生日で十六歳だよ、って出したね!」

「ちょっとそこに直れやくそじじぃ」


 自分でもちょっとビックリするくらい、低く平坦な声が出た。


「大丈夫! なんなら今でも十六で通るよ、サキ!」

「喜ぶと思っとんのかじいさん」

「わぁいサキがこんなに感情を露わにするのって珍し~い」


 気付けば老爺の胸倉を掴んでいた。目付きも悪くなっているだろう自覚はある。

 背後で王太子が竜公爵に縋るような声がした。応じるのは、やはり微妙に言葉を濁す竜公爵の声。


「えぇと、サキ? 私の記憶違いではなかったということでいいのかな」

「ちなみに竜公爵はわたしを幾つと認識しておいでで」


 老爺の胸倉から手を離さず、視線も老爺の笑顔を見据えたままで問い返せば、しばしの逡巡ののち、「……私と同い年、だよね?」と、やや自信なさ気な返事。

 その言葉に、王太子と婚約者殿、それまで空気と化して護衛任務に就いていた騎士殿以下いつものメンバーが息を呑んだり目を丸くしたりの反応を見せた。


「ええ、同い年ですよー。今年で二十三になったんですよー。四月に『二十三歳・・・・オメデトー』って祝ってくれたおじいちゃんの策略で書類上は十八らしいですよー、カッコ笑、えない」


 投げやりな気分で抑揚なく言い切れば、目の前の老爺は「テヘッ☆」と笑い。

 周囲では額を押さえて項垂れた竜公爵以外の面々の奇声が乱れ飛んだ。


 騎士殿は「俺と半年差? え? 五ヶ月?」と指折り数え直し、リリィとアンは目配せののち頷き合い――あとで聞いたところ「ドレスはシンプル前提で仕立ててるけど髪型や装飾品も遊び心は控えてエレガントに纏めましょう」と確認していたらしい。お任せしました――、婚約者殿(ロザリンド嬢)は状況が読めずサキと王太子と老爺と竜公爵をと交互に見回しておろおろし、寡黙な騎士様は驚愕の表情を数拍で真顔に戻すと任務に復帰し空気になった。

 王太子の「年上、だと……?」という言葉が、サキには一番印象深かった。


 ともあれ。


「おじいちゃん、ちょいと膝を詰めて話そうか。正座ね」

「枯枝な老体には厳しい座り方だから嫌だなぁ」

「勝手に人の年齢詐称した罰です」

「えー、ヤだぁ」


 かわいくない。笑顔が変わらないのがいっそムカつく。


「……蹴り上げたろかこんにゃろめ」

「サキ、それはやめて!?」


 呟きを拾ってサキに制止をかけたのは竜公爵だった。慌ててサキの肩を掴んで老爺から引き離す。老爺は竜公爵の勢いに首を傾げていた。


 ――竜公爵に免じて蹴り上げないけど正座はさせる。


 口角だけを上げて笑うサキに、周囲の空気は凍り付いた。



婚約者殿ロザリンドのことをディオネが『フランクリン伯爵令嬢』と呼んでいるのは『フランクリン領を拝領しているカヴェラース家のご令嬢』の意です。

家名+爵位ではなく、領地名+爵位が正式な呼び方、ということで。

おじいちゃんは伯爵扱いだけど領地がないので『〇〇伯爵』とは呼ばれない。

称号+名前(または姓名)が正式な尊称、グリューネ老とかは略式になる。


そもそも『称号持ち=伯爵位相当』とは言われるけど、実際の権力的には伯爵位の一番下っ端か子爵同格くらいで、周囲の貴族様たちが伯爵と呼ぶのを嫌悪するというくだらないプライド問題もあったり。

おじいちゃんの場合はそれまでの功績てか実績において、いっそ伯爵をねじ伏せられるくらいの発言力は持ってますが。……王様だって場合によっては黙るからな。


という、本編に入れる場所がなさそうな設定話でした。


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