27.赤い夏の開宴と異分子の乙女
最終的に、王妃とのお茶会は謎の変化を遂げた。
「私も混ぜろ!」
の声と共に、王妃を抱く竜公爵を抱き込んだ竜公爵の父――即ち国王陛下――の乱入によって。
おぉ感動の親子の再会、と手を叩いたサキの目の前で、ふと親子団子が崩れる。竜公爵がぺいっと弾き出されて夫婦の抱擁に変わった。
「……あれ?」
サキの隣に戻って来た竜公爵に首を傾げれば、
「父上は、まだ碌に歩けもしない息子と真剣に母上を取り合うくらい大人げない方なんだ」
混ぜろと言って来ただけ落ち着かれたかな、と疲れた表情を浮かべた。
椅子に座り、抱き合う両親を見上げて息を吐く。
「絶対『王妃は私のだ!』って殴りかかって来ると思ったから」
……『後が怖いから抱擁は辞退』の真意はそれだったらしい。
「騒がせたな。許せよ、グリューネ嬢。王妃、話はできたか」
「ええ。中々に愉快なお嬢さんで、やはりあのゲーベル・アイガイオンに気に入られただけはありますよ」
そして何故か国王まで腰を据えて茶を啜り出したのだ。
竜公爵はどちらかと言えば父親似らしく、淡い金髪と深い青の瞳は同じだ。髪質は逆に王太子と国王が同じ癖毛、竜公爵は王妃と同じ直毛となる。王妃も明るい金髪なので、親子四人が並べばより一層キラキラするのだろう。
ふとサキは自分の髪を摘まんで見る。ざく切りだったのを整えられた前髪がギリギリ視界に下りて来る。光を透かしてなお黒いそれ。目は黒というより焦げ茶色だが、髪だけは間違いなく烏の濡れ羽色と称される漆黒だ。
王城でも森の近くの村でも、こちらの人たちは総じて色素が薄く鮮やかだ。金髪は王族を筆頭に高位の貴族に多く、下がるにつれて赤や茶色が強くなると聞いた。瞳の色も青から緑、茶系統。その茶色もサキほど濃い色合いは珍しい。
――うん、場違いにも程がある。帰りたいんですが駄目ですか。
ちらりと竜公爵を見るが、遠い目をして無心に菓子を噛み砕いている。前を向き直して、納得したサキも茶を見詰めることにした。鮮やかな色の紅茶はもう底を尽きかけている。つらい。
結局、執務補佐官という人物が国王の襟首を引っ掴んで政務に連れ戻すまで、国王夫妻の人目を憚らぬいちゃいちゃは続き。
なし崩しで『王妃のお茶会』を辞したサキと竜公爵は、揃って深い息を吐いたのだった。
◆◆◆
王妃の茶会を皮切りに、竜公爵は幾つもの面会を受け入れた。王太子の執務室からほど近い応接室に陣取り、次々と面会希望者を招く。身分上、竜公爵が彼らの許へ足を運ぶ必要はないらしい。
サキはその面会の間、隣室で待機していた。従者の控室だという小部屋は、主人が用を言い付ける言葉を聞き逃さないようにと応接室の声が通る魔術が施されていた。
――離宮で竜公爵の盗み聞きレベルが高いと思ったのは魔術か?
騎士殿は気付かなかったのか。大丈夫か。そういえば素人に背後を取られて驚いていた。本当に大丈夫なのか。
くだらないことを考えながら隣室の会話を聞き流す。ご機嫌伺いの挨拶から入って、サキの素性と竜公爵との関係性についてやたらと持って回って遠回しに探るばかりで変わり映えしない。
数度、応接室に呼ばれた。紹介されたのは騎士殿のご両親に騎士団の重鎮、宮廷魔術士の重鎮にも会った。魔術士との面会時には老爺が同席し、事前に眼鏡にかけられた汚破損防止の魔術と紛失対策の探索魔術の稼働状態を確認された。サキの『魔力ゼロ』という特質は、老爺と王族一家、王太子の腹心四名のみの秘密だそうだ。
そうして王城での日々は着実に過ぎて行く。
契約通り毎日入浴はできているし、休日は無くとも一日の大半は休憩時間に等しいので不満も疲れも無い。人間とは順応する生き物で、気付けばコルセットの存在も意に介さなくなっている――食事時を除いては。
サキに与えられた寝室は、恐ろしいことに王族の居住区の一画だ。元々の竜公爵の私室はそのまま残っており、そこで休む竜公爵の近くに居る必要があるとして、隣接する空き部屋が急遽客間として整えられた。
「……一応、乙女なんですが」
「ここほど警護が堅いところは他にないし、なにより師匠に顔向けできないような真似はしないから安心して?」
にこりと笑んだ竜公爵と、その後ろで喰えない笑顔の老爺に押し切られて、小さいながらも天蓋付きのベッドで丸くなる。これにも、いつの間にか馴染んでいるのだから図太いものだと思う。
サキという魔力制御の効果は、壁などの障害物は無視して純粋な直線距離に比例するという。近いほどに安定し、最大の有効範囲は離宮の玄関から最奥の書斎までの距離。王城の夜会が開かれる大広間の端から端までがほぼ同等だという。
範囲外になる可能性を考えて、サキの隅っこ参加や隣室待機は却下された。
◆◆◆
その日、午後に件の姫君が王城に入ったと聞いたのは日暮れ近くなってからだった。本来なら国賓は王族が出迎えるものを、立ったのは宰相だったそうだ。
「叶うなら顔を見るどころか名を聞くことすらしたくない」
とは王太子の言だが、国王夫妻も同意らしい。
そして、日暮れと共に雨が止んだと気付いたとき、竜公爵は突然サキの手を引いて移動を始めた。サキには王城の地理が理解できていない。深部に向かったのか端を目指したのか。気付けば薄暗い円筒の中、壁から生えた螺旋階段を延々と登っていた。
先導していた竜公爵が振り返り、その肩越しに簡素な扉が見えて苦行の終わりを知る。差し出された手を自然に取って、サキは最後の数段を登り切った。
「お疲れ様。あれを見せたくて」
出たのはサキの肩ほどの高さの壁に囲われた塔の屋上で、壁に噛り付くようにして見下ろせば、近いところに厚い城壁が見えた。どうやら王城の端の方まで来ていたらしい。
竜公爵が示すのは城壁の向こう、団欒の灯りが瞬くジルニトラ王国王都の、更に遠く。真っ暗闇となった空間の、地平線よりは手前と思われる地表。
サキは瞠目した。
「…………え、」
「サツキにも見えてる? 赤い光なんだけど」
「あ、はい、見えてます。見えてるだけになんですかアレっていう」
そこには、赤いオーロラが在った。
ふわり、ゆらりと光が踊る。王都の向こう一面の幅に、時折オレンジに近い薄い色を混ぜながら展開する赤い光の、炎の蜃気楼の如き明かりが広がる。
「〈精霊の宴〉と呼ばれる、季節の交代を示す現象だよ。いずれも丸一日、今回だと明日の日暮れまで続くけど、昼より夜に見るのが一番綺麗だから」
「ほわぁ……」
夏の宴は雨が止むと同時に王都の南で始まる。赤い光は夏の精霊たちが魔力を凝縮させて宴を彩っていると言われているけど、魔力のないサツキにも見えて良かった――という、竜公爵の解説はサキの耳を通り過ぎていく。
本物のオーロラをサキは見たことはないが知識はある。極限に冷えた夜空に広がる緑色の光のカーテン。暑さを覚え始めた時期の地表近くに赤く発現するものではない。
「本来の季節の区切りはあの『宴』が日中に観測される日を言うんだ」
「ふへぇー……」
つまり本来なら明日が夏至、しかし暦上の夏至は明々後日。ずれているのは敢えての仕様で、精霊たちの宴を人間の祭りが邪魔しないようにという古い慣習であるらしい。
「精霊の宴を妨げると、その季節の精霊に報復を受けるんだ。天変地異に等しいほどに荒れたこともあったらしい」
「ほぉ~……」
惰性で返事をしながら、サキの視線は赤いオーロラに固定されている。
気付けば空の雲も流れ去って星々が輝きを見せ始め、それを喜ぶように赤い光の演舞がぶわりと大きくうねった。
「ふわぁ……綺麗ぇ……」
知らず零れた感嘆に、小さく笑う声。はたと意識を戻したサキは、傍らに立つ竜公爵を見上げた。
星明りに辛うじて判別した表情は、幼い子供を見守る大人のそれで。
「…………すみません、はしゃぎました」
物凄く居た堪れない。色々説明してくれていたのを上の空で聞き流していたのはバレバレだろう。
「いいや。――ああいうのはサツキの世界には無いもの?」
「無いですねぇ。つくづく世界が違うんだなぁと思います」
サキの常識が通じない世界だと折に触れ痛感はさせられていたが――小精霊のお手伝いとか老爺の魔術とか――、これほど大規模な怪現象を目の当たりにしたのは初めてだ。それでも恐怖は一切覚えない。純粋に不思議で、ただ綺麗だと思う。
ぽつぽつとそんなことを言葉にしつつ、視線は赤い光に戻る。
しばしの沈黙ののち、竜公爵が静かに声を発した。
「サツキは、――君の世界に帰りたい?」
いつかも聞いた問いに胡乱な眼差しを向ければ、茶化せない雰囲気を纏う竜公爵がサキを見下ろしていた。思わず唇を引き結んだサキに目を細め、ひとつ呼吸を置いた竜公爵が再び言葉を紡ぐ。
「帰って欲しい訳じゃない。というより、帰る道があっても残って欲しいと思っているよ、身勝手だけどね」
そりゃあ人外魔力の制御盤を失くすのは惜しいでしょうよ、というサキの内心を読むように「私の問題を抜きにしてね」と続けられるとなにも言えない。
「ただ……サツキが望まないことを強いるのは本意じゃない。私の都合で王城に留め置いていて何をと思うだろうけれど、本当だよ? サツキが界を渡ったことには恐らく精霊が絡んでいる。〈竜〉なら上位の精霊に繋ぎを取れるだろう、試してみる価値はある」
まっすぐな眼差しがサキを射抜く。海の青は、今は夜闇に暗い光を灯している。
「えー……と、どうも……?」
真剣に、真摯に話してくれていると分かっていてもむず痒い。思わず首を掻きながら雑な返事をし、それだけじゃマズイと急いで口を開いた。
「あの、本当に帰りたいってのは、ないです。竜には会えたらいいなと思いますけど、別に帰れなくていいです」
「――故郷だろう? 生まれて二十年以上、過ごしてきた世界だ」
「そうなんですけどね、……うーん」
真剣に問われている以上、真面目に返すべきなのだが語彙が不足している。言葉を探しながら話すサキを、竜公爵は静かに待ってくれた。
「こっち来て三日以内だったら即決で帰ってたと思います。一週間……だともう面倒が勝つかなぁ」
こちらに来たのは金曜日の夜だった。一日二日なら無断欠勤の音信不通でも大騒ぎにはならずクビも回避できたと思う。それを越えれば、管理会社経由でアパートの室内を検められて、携帯電話どころか財布も鍵も持たずに失踪していることが判明するだろう。しかも、予備鍵含め室内にあるのに施錠されているという密室空間からというミステリー。
神隠しに遭ったとでも申告しろと言うのか。
「そんなのヤですよ、面倒臭い」
サキの結論はその一言だ。
入社や賃貸契約の際に保証人に立ってくれた施設の職員さんには多大に迷惑をかけるだろう、年度末に欠員が出た上に捜索の手を割かれる会社も膨大な迷惑を被るだろう。――思うのは、そうした罪悪感だけで。
「未練って呼べるものが無いんですよねー。精々任されてた仕事を完遂したかったなぁ、くらいですか、ねぇ……」
「……もし、サツキがこちらに来た、その日時に戻れるとしたら?」
「――――こっちでの記憶を消去して貰わないと生きてけませんね」
壁に噛り付いた指先に力が入る。
丸二年を異界で過ごしたのに明日からいきなり会社に行けと言われても、書類仕事の手順は既に怪しい。伝票の打ち間違いとか年度末にやらかしたら堪らない。
なにより、失ったものを求めて心が彷徨うだろう。
生活の仕方をイチから教え込んでくれた老爺。サキには見えないのに何故かやたらと懐いてくれた小精霊たち。拒否権なしに連れて来られた王城で出会った、狭く浅くをモットーに生きていたサキに遠慮なく関わってきた人たち。
この二年で――特にこの数ヶ月で、多分サキは結構変わった。
「こっちの世界にとって異分子だからと弾かれるなら逆らうことはできないけど、せめて、余計な記憶は全部消して貰わないと」
知らなければそれで生きていけた温もりを、失えというのなら。
失ったことさえ分からないように。
囲う壁はコンクリートほど滑らかな表面をしていない。丁寧に削られてなお粗い石の肌にざりざりと指を、爪を立てていく。
「――怪我をするよ」
力が入り続けるサキの指先を白い手袋に覆われた指先が掬い上げ、――そのまま腕を引かれてサキの視界は塞がれた。
投稿開始の周年記念日、ということで、頑張りました…。
二年かけて、まだこの話数です。はははー。
ストックは一文字もありません(キリッ
微妙なとこでぶった切りですが、次話は、お盆…かなぁ(-_-;)




