26.優艶なる微笑みと敗退の乙女
議会場を後にして王太子の執務室に入る。出迎えは騎士殿の従姉殿で、王太子の帰りを待つという竜公爵の手から離れたサキを続きの応接間に案内してくれた。
寛いでください、と言われても、コルセットを緩めて欲しいという希望を真顔で却下されては寛ぎようもないと、取り敢えず背筋を伸ばしたままソファに座れば、然程待たずに甘い匂いを漂わせてお茶が差し出された。
礼を言ってソーサーごとカップを手に取る。熱いのですぐには飲めない。膝に置くようにして漂う香りに癒されつつ呆けていると、微かな音を立ててお菓子の皿が出される。
「至れり尽くせりすみません。……従姉さんも座られませんか?」
「――リリアリア・エレニス・シュバルトネと申します、お嬢様」
従姉殿を引き留めたら呪文のような名乗りを頂いて思わず口元が引き攣る。
「サキと呼んでください」
「恐れ入ります、サキ様。わたくしのことはリリアリアとお呼びください」
「『様』はいらないですよ?」
「ゲーベル・アイガイオンの縁者様には無礼になりますのでご容赦ください」
表情の変わらない美女に淡々と述べられてそれ以上の抵抗を諦めた。
「えーと。女官さんも一緒にお茶されませんか」
「リリアリアです、お嬢様」
「サキです」
「リリアリア、或いはリリィとお呼びください」
「…………」
「お嬢様?」
じっと見詰め合う従姉殿の瞳は緑青色で、騎士殿と似ているところはほぼ無い。容姿だけでなく、静かにサキを追い詰める様子は朗らかで愉快な騎士殿とは対極の言動だ。
「……リリィさん」
「はい、サキ様」
実を言えば竜公爵や騎士殿がちょいちょい会話に出していたので、従姉殿の名前――リリィという愛称の方だけは、聞き取れているし発音も問題なかった。諦めて名を呼んだサキに、リリィは口元を僅かに緩めて頷いてくれた。
「能面からモナリザに変貌……」
「なんでしょう?」
「あ、戻った」
残念、と思いつつ改めてリリィを一服に誘う。王太子の客人だからと固辞するリリィと問答をしているところに人妻女官が顔を出し、彼女の一声で美女が並んで座ってくださった。
――人妻女官に、名前はアーネグリスだがアンで宜しいですよと、これまた聖母の微笑みで押し切られたのは余談だ。
「おふたりは『女官』ですよね? わたしの着替えの世話とかって『侍女』のお仕事に分類されるんじゃないですか?」
「はい。ただ、本来の職務からは外れますが必要があればそれらも熟します。特にアーネグリスは元が王妃殿下付き侍女ですから慣れておりますし」
「なによりディオネ様に関わることに、ティタニア様が他の者を使われるとは思いませんもの」
「あー……」
王太子のお兄ちゃん大好きっぷりは周囲も知るところであるらしい。にっこり笑顔で言い切るアンに、真顔で頷くリリィ。リアクションに困るところだ。
「リリィに針仕事の覚えがあって助かりましたわ。わたくしも刺繍や繕い物くらいは致しますけれど、さすがに仕立てにまで手は出せませんもの」
「そういや針を打たれたのはリリィさんだけでしたっけ」
「幼少から手仕事としておりましたから。裕福とは言い難い子爵家出身なもので」
「……あれ、王子様の乳母って家柄不問ですか?」
「シャルナクの母君はわたくしの母の妹ですが、出身は子爵家です。叔母の婚家が古参の伯爵位でして、いわゆる玉の輿でした。母は同格の子爵家に嫁ぎました」
爵位の序列は公侯伯子男。サキの耳には同音で届く『公爵』と『侯爵』は、脳裏に漢字が走るので区別がつく。自動翻訳が頑張っている。
「夏至祭って具体的にどんなイベントがあるんですか? 近くの村では飲んで歌う宴会だけだった気がするんですけど」
「王城に於いてはまず夏至前夜に国賓と国内の有力貴族を招いた晩餐会がございますけれど、ディオネ様はご欠席で手配が済んでおりますからサキ様には関わりがございませんね」
「当日は日中に一部で祭礼等がございますが、これもサキ様には関係いたしません。日暮れ前からの夜会が最大規模の行事とお考えください」
騎士殿が以前『隅っこ参加でどうよ』と言っただけあって、夜会の方はメインが大広間での舞踏会で、食事は別室にビュッフェ形式で用意される程度らしい。
「てことは夏至当日の夜会までは特に出番がない、ですかね?」
「大きなものは」
「微妙に不安を煽るご回答……」
半眼になったサキに、ふわりとアンが笑み、リリィは微かに口角を上げる。タイプの違う美女それぞれの微笑みに眩暈を覚える。でもって続けられた説明に、別の意味で眩暈を覚えた。
「このあと、ディオネ様ご復帰の確認をしたい貴族たちから面会の申し込みがかなりの勢いで来ると思いますわ」
「ご身分を鑑みれば粗方お断りなさっても本来は構わないのですが、今回は三年のご不在がございますので、ある程度はお受けにならねば後の遺恨になりましょう」
「わぁい……」
基本的にサキは部屋の隅に控えて空気か壁になっておくだけの簡単なお仕事の覚悟だが、それでも頻度が高ければ大変そうだ。なにより、人前に出るならドレスは必須だろう。
「直しに出していた物が幾つか仕上がって来ておりますし、夜会用のドレスは至急の手配をかけておりますから、楽しみになさっていてくださいね」
慈愛に満ちた笑みを浮かべるアンの背後に、黒い翼が見えた気がした。
◆◆◆
雨は小休止を挟みつつも、雲が切れることは無い。
そんな、王城に入って三日目の朝。起き抜けにアンがやって来てサキの世話を焼く。
本日は午前中に王妃からの招待を受けている。茶会形式の面会で、サキも同行だけでなく同席することになっていた。
美女二名に予言されていた竜公爵への面会希望は、王城復帰初日の夜から早速届き始めたらしい。といっても現在の王城内に竜公爵が構える執務室は無く、しかし私室宛てに出すのは余程の用件でなくては失礼になるそうで、王太子の執務室付けで、だったが。
「私が選別した物のみ兄上にお渡ししますが、それらをお受けになるかの判断は兄上にお任せします。お受けになった相手については私にもお教えください」
小山を成した手紙を前に兄上至上主義は揺るがない。お兄ちゃんに関わることは自分も把握しておかないと気が済まないようだ。
「ただし、こちらは拒否権なしで受けて頂きます」
そう続けて、王太子は別に分けていた一通を竜公爵に差し出した。
淡い紫色の封筒に深い紅色の封蝋を見た瞬間、竜公爵は眉尻を下げた。
「…………ティタ」
「駄目です、兄上」
微妙に視線を逸らす王太子の挙動が不審に過ぎたが、竜公爵は追及せずに溜息をひとつ落として了承を返した。
振り向いた竜公爵が言うに、王妃殿下からの招待状だそうだ。
――そういやお母さんの話ってあんま聞いてないなぁ。お父さんの話もほとんど出なかったか。兄弟でわちゃわちゃやってた話は色々聞いたけど。
と、他人事の気分でいたサキの耳が、竜公爵の不穏な言葉を拾う。先程サキに向けられていた視線はアンとリリィに移っており、「サキも招待されているから適当なドレスを見繕っておいて」と。
「……はい?」
「サキも招かれているよ。ほら、『なお、ゲーベル・アイガイオン・グリューネのご養女、サキ・グリューネ嬢を伴われたし』と」
「なんでですか」
「あの師匠の養女をやれる女性と話したいそうだよ」
「…………」
なぜか反論できなくなったのは何でだろう。老爺マジック恐るべし。
王妃の事前情報はほぼ皆無だ。昨日の今日という時間の無さで、サキは衣装合わせと称して女官二名に拉致されたので竜公爵と話をする余裕がなかった。王妃付き侍女だったというアンに話を聞けば良かったのだろうが、魂がお散歩に出た着せ替え人形に複雑な会話は困難だったのだ。
そして、竜公爵に手を引かれて王城内を移動する今は余計な口を開けない。初日こそ人払いされた経路で動いたらしいが、現在は普通に人と擦れ違う。そして見上げる竜公爵の表情はどこか虚ろだ。
――地雷か、お姫様ではなく母親がまさかの地雷なのか。
恐々とした内心を抱えたサキを迎えた王妃は、王太子そっくりな美女だった。
「ようこそ、アンシェンス・ディオネ」
「お招きありがとうございます、王妃殿下」
柔らかく低めの声は王妃の威厳を纏うが、久し振りの親子の対面としては堅くぎこちない。親子で敬称呼びだからだろうか。
竜公爵がようやくエスコートの手を放し、半身を引いてサキを王妃に示す。
「殿下。こちらがサキ・グリューネ嬢です。サキ、王妃殿下だ」
「お目にかかれて光栄です。サキとお呼びください」
きちんと手を揃えてお辞儀をする。リリィたちに宮廷式作法を教わりはしたが、半日足らずの付け焼刃では却って失礼になると日本式だ。
「会えて嬉しいよ、グリューネ嬢。さあ掛けて。お菓子はなんでも好きだと聞いているが、お茶の好みはどうかな?」
そうして始まった茶会は、なぜか王妃がサキに話しかける形で進む。サキに関する一切は報告済みだと王太子が言っていたし興味の対象になるのは分かるが、三年振りの親子の対面がどうしてこうなった。
ちらちらと竜公爵を窺うが涼しい顔で茶を啜っているだけだ。一言も発さず空気の如し。それはサキの仕事じゃなかったのか。
「えぇと……竜公爵?」
そろりと声を掛ければ穏やかな視線が返される。促すようにサキが王妃に視線を流せば、意図を察したらしい竜公爵は苦笑を刷いただけだった。その僅かな変化に王妃が身を強張らせる。
首を傾げるサキに、竜公爵が身体を寄せて来て耳打ちした。
「殿下は〈竜の加護〉を得た私を恐れておいでだけど、親子の対面を差し置いて他の貴族が出張るのも拙いから耐えてくださっている。面会したという事実が残れば十分だよ」
ぞわりと背筋を這った感覚から意識を引き剥がして言葉を反芻する。――確かに怯えているようにも見えるが、なにか違う。他人の心の機微などサキにはさっぱりだが、竜公爵の言葉には違和感がある。
「…………王妃様は、竜公爵のことが怖いですか?」
結果、捻りもなく問うたサキに王妃は目を見開き、すぐに首を振った。
「そんなことは無い。だが……」
言葉を途切れさせて唇を噛む王妃に眉根を寄せ、竜公爵を見遣る。困惑したような青色がサキを見ていた。
「竜公爵はお母さんがお嫌いで?」
「まさか」
即答の否定に、王妃が顔を上げた。食い入るように竜公爵を見詰める。
普段平坦なサキの感情が小さく波打った気がして呼吸を意識する。これを放置するとまた乱気流に突入しそうだ。
しっかりと息を吐き、ゆっくりと吸ってから、王妃に視線を戻した。
「ディオ、わたしを恨んではいないか?」
「いいえ。……殿下こそ、私を疎んじておられたのでは」
「なんでそうなる!」
そこから吐露したお互いの心情は、ものの見事に思い込みによる擦れ違いだった。
王妃は侯爵家から嫁した身で魔力も相応に保持していたが、〈竜〉の魔力を得た息子の傍にはあまりの威圧具合に近付けなかったらしい。そうして離れた母親に、息子は見捨てられたと思っているだろうと罪悪感に塗れていたとか。
竜公爵は竜公爵で、可愛がっていた息子が化け物になった挙句、責務を弟に押し付けて引き籠ったことで最早親子と思ってもいないだろうと諦めていたそうだ。
「――他人事なんで軽く言わせていただきますけど。会話って大事」
「あはは……」
「ディオ」
乾いた笑いを上げた竜公爵を王妃が真剣な表情で呼ぶ。
「……まだ、私を母と呼んでくれるだろうか……」
「他にそう呼べる方が居ません。取り上げないでくださると嬉しいのですが」
竜公爵の答えに、王妃が立ち上がって両手を広げた。――幼児が抱っこをせがむ仕草に似ている。
「えぇと……後が怖いので抱擁は辞退を」
本当におねだりのポーズだったらしい。だが竜公爵は困惑しつつ拒否している。親子なのだし、後が怖いって意味が解らない。
「ディオ」
「…………」
沈黙の竜公爵の隣で、サキは息を吐いて感情の小波を鎮めた。
ぼそりと呟く。
「親孝行って親が居てこそできる贅沢だと思うんですよねー」
ぐ、と竜公爵が息を詰まらせたのが分かったが、敢えて視線は向けない。
僅かな逡巡ののち、竜公爵は立ち上がって王妃を抱き締めた。
王妃は竜公爵の肩に顔を埋め、静かに嗚咽を零した。
サキはようやく落ち着いて茶を啜り、甘い茶菓子を頬張れたのだった。




