19.勿体ないおばけと惜しむ乙女
真剣な青の眼差しが注がれる。
研ぎ澄まされた表情は国宝級の彫刻のように神々しさをも放つ。
繊細な造りの指先が、慎重に刃物を操る。
白磁の手が握るのは鈍色の小型包丁。
場に響くのは静かな雨音と、しゃりしょりと小刻みに動く包丁の音。
ジルニトラ王国王城敷地の北の端、竜の魔力を持つ王族が引き籠る離宮の半地下の厨房で、ジャガイモの皮むきに全身全霊をかける美青年。
……うん、意味が解らない。
いや、解らないというより解りたくない。
何故に王国で上から何番目と数えた方が早いくらいの地位に座る貴公子様が、使用人スペースの代表格である厨房の片隅でイモの皮むきに真剣勝負を挑んでおられるのか。
やりたいと言ったのは竜公爵であるし、サキは要望を容れて物を渡しただけである。問題は無いはずなのだが、なんだろう、この大問題な感じ。
真剣な横顔だけなら非常に絵になる。雨で薄暗い室内、すぐ傍に灯した蝋燭の揺らめきがより幻想的な雰囲気を醸し出す。
だが、その手にあるのはジャガイモと包丁だ。低い作業用の丸椅子にどっかりと腰かけ、足元には剥いた皮が落ちている。全体像は絵にしてはいけない。
同じように丸椅子に座って人参の皮むきをしつつ、サキは思考を漂わせていた。
◆◆◆
夜明け頃から静かに雨が降り始めた。
春が完全に終わることを知らせる雨は半月ほど降り続く。これが止めば本格的な暑さの到来である。
「うーん、竜公爵の天気予報が大当たり。昨日の内に大物干しといて良かった」
盥に洗濯用の水を張りながらサキは独りごちた。元より洗うのは下着とタオル程度だが、シーツや毛布の大物ともども当分お日様の匂いから縁遠くなりそうだ。
竜公爵の、これまで通り朝食は不要とのお言葉に甘えてお茶だけを携え慣れた足取りで廊下を辿る。軽く叩いた扉の向こうから、今までより少し鮮明で近い声が返る。どうやら竜公爵は応接間に待機されているらしい。一応声をかけてから扉を開け踏み込――んだ足を即座に引っ込めて扉を閉じたサキはきっと悪くない。
『え、サツキ!?』
竜公爵が魔術で明かりを灯していた応接間に、雨の朝の薄暗さは無い。そんな光の中立つ、金髪サ○コ。
――うん、せめてロンゲの鬼○郎くらいまでは進化しませんか竜公爵。
なぜ完全に顔が覆われた状態で平気なのだろう。普通に視界の邪魔だろうに、と深い溜息を落とせば、勢いよく開かれた扉から飛び出してくる金糸の塊。もとい、竜公爵。
「おはようございまーす」
「おはよう」
一息置いて持ち直したサキが平然と挨拶を放る。反射のようにして応じた竜公爵の髪の隙間から、ようやく青い瞳が垣間見えて視線が合う。瞬きがひとつ、深い息と共に恨み言が紡がれた。
「なんで逃げたの……」
「すみません、髪の毛お化けにびっくりしまして、つい。ちゃんと竜公爵と認識しましたので大丈夫です。明日の朝はまた保証しかねますが」
「……髪の結び方を教えて貰って良いかな」
「ラジャです。あ、ついでに遊ばせて貰えますか、色々弄ってみたいです」
力無く頷いた竜公爵に内心で小さくガッツポーズを決める。辛うじて零さず維持していたお茶をいそいそと運び込み、さあ椅子に座れと竜公爵を促した。
――竜公爵は優秀かつ器用だった。
編んで捩じって括って解いてを一通りサキが自分の髪やって見せれば、昨日サキが結った髪型を自力で再現するのに然程の時間はかからなかったのだ。
それどころか気付けばサキの後ろに回り込んだ竜公爵に髪を結われていた謎の事態である。両サイドに編み込みを入れて後頭部でのひとつ括り。サキの中途半端な長さの髪全体がきちんと纏められ、顔に落ちかかる髪はほぼ無くすっきりだ。
どうしよう、竜公爵の女子力がハンパ無い……。
崩さないように触ってアレコレ確かめてみれば、結紐は蝶結びの輪っかが四つあるというサキには到底できそうにない飾り結びが成されていた。
「明日からはご自分でちゃんと結んで出て来てくださいね」
「うん。サツキもね?」
にこりと笑顔付きの応えに、そうだった、と手を打つ。
「今夜にでも切り、」
「駄目だよ。なんなら私が毎朝結んであげるから伸ばしなさい」
「おとめ、」
「却下」
サキの意向を棄却する竜公爵の声音は落ち着いていたが、有無を言わせぬ勢いだけはあった。喰い気味どころか完全に言葉を喰われてサキは反論を諦めた。
「ところで竜公爵」
「うん?」
「食材触る訳じゃないんで突っ込まなかったんですけど、手袋のままで編み込みとかよく出来ましたね」
「――あ、あぁ、うん」
椅子に座ったまま投げたサキの言葉に、斜め前に立つ竜公爵は歯切れの悪い返事をしつつ、お腹の辺りで右手を左手で包み込んだ。
「髪弄る分には文句言いませんけど、外さない限り料理はさせませんからね?」
「やっぱり駄目?」
昨日一日、サキについて回っていた竜公爵をサキもまた遠慮なく使ったが、お願いしたのは洗い終わった食器の片付けや水汲みばかりだ。作業に魔術は原則使用不可を言い渡した上で野菜や皿を洗わせようとしたら竜公爵は手袋のまま挑もうとしたし、サキが手袋を外せと言っても拒否したためだ。
「手袋は清潔なものだし、汚れても構わないんだよ?」
「わたしの感覚として許容できません。絹の手袋で油汚れの皿洗うとか一般庶民を敵に回し過ぎです。――竜公爵、手ぇパー」
言いつつ立ち上がったサキが両手の指を開いて見せると、反射的に竜公爵も肩の辺りで手を開いた。……サキは別に無理難題を言ったつもりはないのになんでだろう、『お手上げ』をされているように見える。そして『降参』には見えない。なんでだろう。
ハイタッチのノリでぺしりと竜公爵の両手に自分の手を合わせ、ざっくり大きさを測る。
「おぅ、指なっが。んーと、関節いっこ分くらいか」
台所付属の小部屋には雑貨も日用品も幅広く揃えられていた。探せば作業用手袋くらい出て来るだろうと踵を返して応接間を出て行ったサキは、呆けたように己の手を見詰める竜公爵には気付かないままだった。
漁った棚から発掘したのは、ゴツイ皮手袋と分厚い鍋掴み、防寒用だろう毛糸のミトン。水仕事や細かい作業には全く向かない品揃えである。
「ぬぅ……」
作業台に物を並べて腕組みしたサキの背後に微かな気配が立つ。
「ゴム手袋とは言わんけどせめて綿手袋があればなぁ。高級品じゃないヤツ」
唸るサキの視界の端に、ゆらりと白い物が揺れた。細く長い、――竜公爵の腕。
一瞬だけ視線を走らせて、しかしすぐに悩み事に意識を戻す。
「もういっそ右手だけ包帯巻くとかどうですかー」
「サツキ、手を出して」
銀縁の外で白が再度揺れる。
「はぁい、お手」と掌を上に右手を差し出せば、ぽとりと落ちる白。瞬きをして見詰めれば、それは一双の絹の手袋で。
あれ、中身は、と視線を上げようとしたところで白い絹の上に乗る、質感の異なる白。
「……おお、素手。この短時間であっさり宗旨替えとはなにがございましたか」
白磁の肌である。軽く握られた指は成人男性らしくやや節の立った、しかし滑らかで繊細さを思わせる綺麗な手だ。そして、その甲には額と同じく青みを帯びた白銀の鱗。
「サツキは、本当に無自覚に私の意地を壊していくよね」
「へ、わたしですか?」
はて、と首を傾げるが竜公爵は苦笑をひとつ落としただけで教えてはくれなかった。
第一印象で魚の鱗を連想したが、改めて見ればそれなりに厚みがあるようで透け感は無い。むしろ青磁器の欠片が整然と並んでいるような。
「触ってもいいですか?」
「……うん」
竜公爵の手の甲を指して問えば、僅かな躊躇いの後に許可が出る。
指先で突くように触れれば、やはり皮膚とは異なる硬質な感触。指側から手首に向かって撫でればつるつると滑らかに、逆に辿れば微かに指先に引っ掛かりを覚える。しかしサキの皮膚を裂くような鋭利さは無い。本当に陶器のようだ。
「綺麗ですねぇ」
「……はぁ――……」
正直な感想に深い溜息で返事とはつれないことである。
思わずジト目になるが、眼前の竜公爵は左手で顔を押さえて俯いていた。気のせいでなければ耳朶が朱に染まっている。右手は今だサキの右手の中だが、握り込んでいる訳でもないので不快なら引っ込めるだろうと鱗を堪能させていただく。
――うむ。謎がひとつ。
「竜公爵」
「……なに」
呻くように低音が応じる。鱗から視線を外さないまま、サキは疑問を呈した。
「お顔の鱗は額から頬に向かって、手は指先から肘に向かってとなると、合流地点になるだろう肩の辺りの鱗はどっち向きに生えてるもんなんでしょう」
「………………」
「魚だと頭から尻尾にかけてで揃ってるんで剥ぎやすいんですけど、竜の場合は」
「剥がないで!?」
ずばっと竜公爵の右手がサキの手から引き抜かれ、その勢いのまま両手が後ろ手に隠される。サキが顔を上げれば、耳は赤いのに頬は青褪めているという器用な顔色の竜公爵が、悲壮な眼差しでサキを見下ろしていた。
「剥ぎませんよぉ、単なる好奇心だけで」
「サツキだって生爪剥がれるのは嫌だろう?」
「感覚としては爪ですか、鱗って。剥ぎませんて」
言いつつ確か左腕は肩辺りまで鱗があるんじゃなかったろうか、と視線を向ければ左半身を後ろに引く竜公爵。さすがに衣服を剥いでまで確認はしませんて。
「まあ、冗談さておき素手になっていただけたなら遠慮なく色々お願いしましょうかねぇ」
「…………うん」
軽く手を振って作業台を片付け始めたサキの背中に、微妙な響きの返事が与えられた。
拗ねた子供がそれでも返事をする様に似ていると、ひっそり口元を綻ばせてしまったのは内緒である。
◆◆◆
揺るがぬ青が真剣にジャガイモを見詰めている。
本来なら縁がなかっただろう水汲みや料理などの労働を、厭うどころか楽しげにこなす竜公爵は、――果たしてこの先、どうしていくつもりなのだろう。
一月弱の沈黙の後、扉越しながら交流は持ってくれた。更に一月をかけて、面と向き合うこともしてくれた。だが、社会復帰をする様子はまだ見えない。サキが去ったあと、竜公爵は再び沈黙の引き籠りと化すのだろうか。
――勿体ないなぁ。
竜公爵はサキとは違う。
大切な人たちが居て、けれど彼らを万が一にも傷付けたくないと距離を取る優しい人。あの老爺をして狐狸妖怪が跋扈すると評された王城で、世継ぎの王子として立場を固めていた人。そんな竜公爵をやはり切り離すことなく、気にせず戻れと乞い続ける兄弟がいる。見捨てることなく様子を窺いに訪れる師がいる。
複雑な人間関係を構築することを避けて生きてきたサキとは、根本からして違うのだ。
――誰にも存在を否定されていないのに。
竜の加護を享けてからは恐怖に等しい畏怖を集めていただろうけれど。
それでも、いなくなれとは、きっと誰も思っていなかっただろうに。
竜公爵の魔力制御に一役買っていると言われても傍に侍り続けるつもりのないサキが惜しむなど、引き止めたがった竜公爵からすれば酷い話だろう。だが、人の輪の中に在ることを望まれているなら立てばいいのにと、身勝手な思いが湧く。
頭の奥にちりちりとした痛痒が走る。
静かな雨が余計な記憶を呼び起こす。
――あんたンごたぁ子に傘ば貸してくれよる友達のおるんね。
――嘘事言わんと正直に言わんか。
衣食住の面倒は見てくれた。必要な手続きも支払いも渋ることなく滞らせることなく、正しく『世話』をしてくれた。暴力どころか暴言と呼ぶほどの酷い言葉を浴びせられたこともなかったはずだ。それでも、彼らの言葉は訛りの強さと相まって幼い早月を容赦なく抉った。
彼らが早月に与えた言葉は、早月の存在を、意思を、言葉を否定するものだけだった。
――ああ、本当に、
「サツキ?」
ぱちりと瞬いた視界一杯に、芸術品のような半面。鮮やかな青が心配そうにサキを覗き込んでいる。
「あ……、すみません。ちょっとボーっとしてました」
「大丈夫?」
「はい。先程から大量生産されてる、皮ってより皮つきイモの残骸な物体たちの有効活用について考えてたら、ついつい」
ふたりの足元に視線を落として返せば、ずぅんと暗雲を背負う竜公爵。
「…………ごめんね。少しずつマシにはなって来てるんだよ。……多分……」
竜公爵は、髪を結った器用さが嘘のように、包丁捌きは大変に覚束ない手付きであった。
下を向いた金の頭を眺めて、サキは小さく息を吐いた。
――ああ、本当に、勿体ない。
早月の祖父母の方言は水無神の方言が基本ですが、若干地域が混在しているかも…。
こってこてを意識したらああなりました。突っ込みスルーでお願いします。
あと蛇足として、17話で竜公爵に髪を触られるのから全力で逃げたサキが18話と今回でそこまで抵抗していないのは、入浴(洗髪)ビフォーアフターの問題です。微妙な衛生状態の髪を異性に触られるのはサキの曲がっても乙女なココロが受け入れられなかった次第。
本文に書いた気がしてましたがいつの間にか削ってたので…。




