20.難解なる異文化と失格の乙女
※2017.01.02 一部表現を修正(内容の変化なし)
しとしとしとと静かに降る雨の音を合いの手に、真正面から与えられる天上の美声に酔いしれる。
……酔いしれて、いたい。
ふ、と諦めを含んだ笑みを宙に浮かべて消したサキは、向かいに座る竜公爵の方へ視線を戻した。俯いて字を書き連ねていた手を止めた竜公爵が顔を上げる。今日も今日とて麗しき左半面と、右半面を覆う煌めく金の髪は変わらない。
「ふ、じ。フジ、ね。植物の名前、かぁ。でもこれで『ドウ』とも言うのだよね? 『首』も『くび』『ス』『シュ』って、どうして一文字で幾つも音が変わるの? カンジって表意文字だって言ってたのに」
「訓読みと音読みって言って、隣の大陸の言語を取り込んで自分んトコの言葉にしちゃったせいで二通り以上の読みが出来ちゃってですねー……」
「あぁ、異国の言語を取り込んで成立してるんだ、面白いね。『サツキ』の方のカンジの意味や音は?」
サキの名前の由来に触れた話題から気付けば日本語講座が開催されている昼下がり。サキとしても黙々と家事作業を行うよりは折角の美声をたんと浴びれるお喋りは歓迎するところなのだが、自分が教師側に立つのは少々厳しい。如何せん知識が浅いので、竜公爵の好奇心に応えきれないのだ。『面倒臭い』と一切の説明を放棄したいが、免疫ができてしまったらしい竜公爵は意に介さず質問を繰り返してくる。
「しゃ……、さ、くりゃ、……ら? 国の花か、その考え方はこちらにもあるよ。ジルニトラは薔薇だね」
「わぁカッコいいー」
「サクラはどんな花?」
いつものソファではなくティーテーブルの椅子に座り、小さな丸テーブルには紙が散る。いつもの茶器はローテーブルに置き去られたまま、竜公爵は拙い筆致の漢字に埋め尽くされた紙片を掲げて笑う。
「難しいけれど面白いね。ほら、割とサツキのお手本に近くなったでしょう?」
「わぁ、お上手ですー」
「サツキも練習しない?」
「長い難しい面倒臭い、です」
「……酷いね」
「えへ?」
サキの手元には装飾文字に似たジルニトラ語の流麗な文字で『アンシェンス・ディオネ・ウル・ジルニシオン』と記された一枚。その名以外の部分は空白になっているが、ペンを手に取りもせず放置している。漢字の説明に気力を持って行かれている物臭のやる気はゼロである。
穏やかな雨の日は、こうして温く過ぎていた。
◆◆◆
騎士殿が配達当番で顔を出したのは五日ぶりだった。
「よ、お嬢ちゃん。どうよ?」
「ご覧の通りですー。濡れませんでした?」
雨が降り出してからは初めての訪問である。定型に一言を添えれば、溜息の後にからりとした笑みを返してくれた。
「相変わらずかぁ……。大丈夫だよ、濡れた外套は玄関に掛けて来たし。足元の泥は魔術で落としたから廊下も汚してないぞ?」
「騎士さんが魔術を使う、とな?」
「おーい、初日に火を熾してやったの誰だか忘れたかい?」
「あ、忘れてました」
「おーい……」
竈の埋火を作るための最初の点火は騎士さんの魔術だった、と手を叩けば毬栗が萎びてしまった。
「あ、お茶していかれます?」
「ん――、いや、御用聞きして帰るよ。日が開いたから生物が足りなくなってないか?」
そう言って騎士殿は手早く竜公爵宛ての籠を送り込み、サキと並んで廊下を進む。頓着なく半地下に同行した騎士殿に食糧庫をチェックしつつ欲しい食材を挙げれば、メモを取るでもなく頷く。これで違えず持って来てくれるのだから立派な記憶力である。
用件が済んだならすぐに帰るのかと思ったら、騎士殿はテーブルに腰を乗せて天を仰ぎ――がくりと項垂れた。
「はぁ――……」
吐き出される空気が重い。騎士殿のがっしりした体躯が全力で脱力する様と相まって非常に重い。
「もう雨が降り出したってのになぁ……」
どうやら竜公爵に聞かせられない愚痴を吐きたくて台所に場を移したようだ。
雨は降り始めからすでに三日、サキが知る通りであれば、あと十日ばかりでこの国の雨季は終わる。――あと半月余りで、夏至になる。
項垂れた毬栗がゆらりと浮上した。薄暗い半地下では漆黒に見える紺青の瞳がまっすぐにサキを射抜いている。
「お嬢ちゃん」
「お断りします」
「夏至祭の夜会に出ないか」
物凄く嫌な予感しかしないので聞く前にお断りである。だが、そんなサキの態度も意に介さず騎士殿は話を繋いだ。竜公爵もそうだが、乙女の取り扱い方が紳士としてなっていない。むしろ日に日に扱いが雑になって行く気がするのはどういうことだ。
「……意味が解らない」
吐き捨てるように言えば、含みのある笑みが返された。
「王侯貴族の集う煌びやかな世界に右も左も分からない田舎娘を放り込んで、それで竜公爵が釣れるんですか?」
竜公爵の推測は正しいのか。
半眼で鎌をかけに行けば皮肉気な笑みが深くなった。
――わぁい、労いじゃなくて生贄だったぁ。
「生贄にされるぅって竜公爵に泣きついて来ていいですか」
「うーん、それでアイツがティタのところに怒鳴り込んでくれるなら大歓迎で捕獲して一件落着かなぁ」
「んな遠回しなことしなくても、騎士さんが結婚するよってなれば、さすがにお式に参列くらいしてくれると思いますよ?」
社会復帰じゃなくていいんかい、という突っ込みは一旦飲み込んで、謎の生贄を捧げるより余程確実だろう案を提示してみる。
毬栗が再び萎びた。
「………………予定がねぇよ……」
「こりゃ失礼仕りました。じゃぁちょっと先になるかもですが王太子サマのとか」
「それは来年だろ」
へ、と目を瞬かせたサキに、騎士殿もきょとんとした顔で応じた。
「知らないか? 王太子殿下は来年の夏至に挙式するぞ? 公表はまだだけど婚約は早かったし、民も想定していると思ったけど」
「おぉう……初耳。え、てか、早! 王太子サマってまだ二十歳過ぎ……」
「今年二十二だから別に早過ぎって程じゃないだろ? 相手がまだ十七だから待ってるだけで」
「うへぇ、十八で花嫁ですか――……」
「ん? 普通だろ?」
サキの感覚としては充分早過ぎる。祖国でも法的には問題ない年齢同士だが、それでも早いだろうよ――と、考えたところで思い至る。
「……参考までに、こちらにおける平均的な結婚年齢って」
「女は十八から二十二、三まで。男も十八から結婚は可能だけど二十を跨ぐことのが多いかな。で、だいたい二十七、八までには」
さくっと返された年齢に、サキは己の怠惰な表情筋が痙攣するのを感じた。
そう、こちらの常識サキにとっての非常識。逆もまた然り。
「お嬢ちゃん?」
首を傾げる騎士殿に乾いた笑いを返しつつ、サキは考えを巡らせる。
面倒事に首を突っ込みたくはない。突っ込みたくないからと聞かなかった振りをして流しておくことは容易い。
だがしかし。
……婚期の常識云々は無視してて問題ないんだけど……こっちは知らん顔してたらいつの間にか人身御供にされそうで、それはそれで面倒なんだよなぁ。
わざとらしいほどの溜息を吐いて、サキは騎士殿を見上げた。
「今年の夏至祭になにがあるんですか?」
「――――ん? 例年通りだが?」
不自然な間と、貼り付けたような微笑。
対人能力が低いサキにすら見抜ける嘘。
「竜公爵が今も騎士さんたちに沈黙を貫いているのは只の意地だ、って以前に言ってましたよね? 裏を返せばきっかけさえあれば反応するだろうって騎士さんは見てるんじゃないですか? でもって可愛い弟の結婚式への参加なんて、誰から見ても文句なしの機会になり得ますよね?」
兄弟仲が悪いとか、王太子位の変更のいざこざで悪化したとかあります?
ないならどうしてあと一年が待てないんですか?
まっすぐに騎士殿の目を見上げて疑問を突き付ける。テーブルに浅く腰掛けたままサキの言葉を聞いていた騎士殿は、細く息を吐きながらゆっくりと肩から力を抜いた。
「……俺からは詳細を説明できない。ティタに口止めされてるからな。主人の命令は絶対、てことで」
「今年の夏至祭に竜公爵を引っ張り出さないといけないってのは当たってます?」
「まぁ、そうだな」
ふぅん、と頷いてサキは更に思考を巡らせる。
老爺は結界の保守メンテナンスに駆り出されている、竜公爵を夏至祭に引っ張り出さないといけない、となれば万一の暴走対策だろうか。既に魔力制御を完璧にしているという竜公爵が、暴走しかねないほど感情を逆撫でされる事象が待ち受けている可能性がある、となると――
「お姫様でも来るんですか?」
〈竜〉について語ることを忌避しなかった竜公爵が、それでも一切話題にしなかった元婚約者な隣国の姫君。その派手な拒絶を受けて、王城の一部を破壊した後に引き籠った竜公爵。
そんな姫君との再会となれば竜公爵も心穏やかに在れるかは怪しかろう。と、思い付きを呟いたサキの言葉を拾った騎士殿は、息を呑み損ねて咽た。大きな体が苦しげに縮められる。
…………これでいいのか近衛騎士。この程度の化かし合いでボロ出してて狐狸妖怪からご主人様を護り切れんのか。
「へーえ、ご招待されたんですか? とっくに別の人と結婚されてんじゃないんですか? あ、旦那さんが使節団の長とかで同伴で?」
「お嬢ちゃん、そこまで」
破棄から五年である。姫君が竜公爵の同年や年上であれば言葉は悪いが行き遅れに王手か、詰みだ。二、三歳下だったとしても適齢期ど真ん中。五年もあれば新しい縁に恵まれていてもおかしくは無いだろうとサキが話を広げて行けば、まだ落ち着かぬ呼吸のまま騎士殿が制止をかけた。
ぴたりと口を閉ざしたサキを見て、騎士殿は深く息を吐いた。……この短時間で何度目だろう、幸せが逃げますよ。愛しの従姉さんとのご縁が紡がれないままに消えますよ。
内心だけで茶化していたら鋭い紺青の瞳に射られた。
「近く、ティタニアがこっちに来ると言っていた。日時は改めて報せるけど、心積もりだけはしておいてくれ」
そう宣言した騎士殿は、どこか疲れ果てた風情を背負って離宮を辞した。
雨の中に出た広い背中を扉の隙間から見送り、閉じた扉に背を向けたところで奇声を呑み込む羽目になった。
すぐ傍に、竜公爵が立っていた。
表情は穏やかで、感情が揺れている風でもない。固まったサキを促すように踵を返して肩越しに視線を寄越された。
「――――いつから聞いてました?」
「婚姻年齢の話辺りかな」
ならばメインの話は聞かれていることになる。
そして、竜公爵の接近に気付かなかった騎士殿よ、
「あれで大丈夫なのか近衛騎士……」
「ふふ、そう言わないでやって。私がこの魔力を完全に隠蔽できることは知らないんだ。」
「……竜公爵の隠密ぶりが半端ない……」
「あはは」
再度小さな笑いを零して、それきり竜公爵は沈黙した。
半歩先を行く竜公爵にサキも黙って従えば、その歩みは真っ直ぐに応接間に進んだ。騎士殿の訪問まで紙片を散らかしていたティーテーブルの方ではなく、寛ぎスペースであるソファへと促され――左手首を引かれたと思ったら何故か隣り合わせに座った謎。
「えぇと……? 竜公爵、手ぇ離して頂けますか」
「――――ごめん。ちょっと顔を見られたくなくて」
「はあ。んじゃ別に移動しませんので、手ぇ離してください」
「ごめん。このままで」
見るなと言うなら見ない。うっかり引き籠り再びになられても面倒なのでご希望には従っておこうと思うが、だがしかし落ち着かない。
「えぇと。問答無用で乙女の手を掴んだまんまって紳士としてどうなんですか」
「とっくに紳士は失格していたと思ったけど?」
「おぉう……。あー、じゃぁ、こっちも乙女失格な真似をしましょう。竜公爵、こっちに背中向けてください」
「うん?」
かつて放った暴言を盾に取られてしまえば仕方ない。サキの言葉に竜公爵は素直に半身を捻って背を見せた。ぽぽいと室内履きの布靴を脱いで両足をソファに引き上げたサキは、そのままぐるりと身体を回して竜公爵の背に自分の背を預けた。
びくりと震えて固まった背後に向けて、左手を軽く揺らして声をかける。
「竜公爵、手ぇ離してください?」
「う、ん……」
解放された左手と右手を腹に乗せて息を吐く。
幾許かの間を置いて、ゆるゆると竜公爵も動いた。背中の向きはそのままに、どうやら彼も片足をソファに乗せたらしい。
背中合わせに沈黙のままに過ごし――窓の外が暗闇に染まる頃、ようやく竜公爵が口を開いた。
「――姫は」
クリボッチが仲良しになったふたりの物語をお届けしますー。
毬栗騎士殿に幸あれ、メリー栗スマス。ははは。
年内更新はこれで終了です。(ストックなにそれ状態で営業中)
少々フライングですが、皆様良いお年を。
あ、めりくりな落描きをみてみんにアップしています。
キャラ絵に忌避感が無く時間があるよ見てやるよ、という方はご笑覧くださいませ。
水無神マイページにみてみんへのリンクあります。




