18.万能魔術の使い手と茹で乙女
サブタイ、ネタ尽きました。
※2016.11.14 誤字修正
順調に日々の気温は上がりつつも、まだ天岩戸が沈黙の扉だった頃。
南西の角部屋である応接間で過ごす午後の陽だまりに、暑さを覚えてサキは詰襟の上着を脱いでいた。
定期配達でやって来た騎士殿をその格好で出迎えたところ、ぎょっとした顔をして回れ右された。
「お嬢ちゃん、なんて格好してんだ!?」
「暑いんで上着を脱いだシャツ姿ですが」
広い背中を眺めつつ応じれば、大きな手で毬栗頭をがしがしと掻きながらの叱責が続けられる。
「脱いじゃ駄目だから! 少なくとも男の前でする格好じゃないから!!」
「んん――? え、まさか色っぽいお誘いをしている状態ですか、これ」
「そう取られても言い訳できない格好だから!」
――まさかの上着が最終防衛ラインだった件。
とは言われても、ブラウスよりもカッターシャツと呼びたい堅めの生地の襟付きシャツである。下には少し厚手の八分袖な肌着を着込んだ状態で、更にこちら式の下着も着けているので諸々が透ける心配は一切ないのだが。
「……えぇと、シャツを脱いででも上着を着込め、ってことですか」
「そうだな。頼むからそうしてくれ」
「朝晩はそれだとまだ寒いんですけど」
「都度着替えろ、てのは物臭お嬢ちゃんには言うだけ無駄か。あとは、羽織り物があっただろ?」
「あー、作業の邪魔なんで寝室に置きっぱです」
袖の無い前開きのポンチョのような仕立ての一品は、手首どころか指先まですっぽり隠れる丈がある。散歩には良いが作業には向かないのだ。
「……使ってくれ」
「善処しまーす」
「しろよ!?」
「はぁい」
とりあえず上着を着込みつつ、気の無い返事をした。
◆◆◆
「――てなこともあったねと懐かしく思ってみたり」
あれからもう一ヶ月以上経ったのだなぁ、と感慨に耽りつつ回想を終えた。
遠くを見ていた視線を向き合う御仁の方に戻したサキの現状は、大判の拭き布で首から下をぐる巻きにされたテルテル坊主状態でのソファの上で正座である。視線を合わせた相手はもちろん竜公爵、ローテーブルを挟んだ向かい側に仁王立ちでいらっしゃる。
「だから色々気を付けなさいって、話すようになってから言ったよね?」
「祖国ではこれを馬の耳に念仏または糠に釘と申しまして」
「聞き流してたってことだね? ちゃんと記憶に留めておいて!?」
「以後善処します」
「シャルにも同じ返事してたでしょう!?」
「竜公爵の盗み聞きレベルと記憶力が半端ないー」
「……サツキ」
「申し訳ございません、深く心に刻んで参ります」
深々と頭を下げれば、ようやく落ち着いたらしい竜公爵がソファに腰を下ろす。
一日の始末をつけて寝支度にかかったサキが風呂上りの寝間着姿で竜公爵の応接間に姿を現した途端、竜公爵は目を剥いた。
曰く、曲がりなりにも嫁入り前の妙齢の女性が、濡れ髪の寝間着一枚で男の前に出て来るな、寝る前のご挨拶はいいけど髪は乾かした上で寝間着の上にもう一枚きちんと羽織り物をしてきなさい、とのことである。
素直に返事をしておけばよかったものを、顔に思いっ切り「面倒臭い」と書いてしまったサキのためにお小言の時間と相成った。
もぞもぞとテルテル坊主から手を生やし、掴んできていたタオルで濡れた髪を拭きつつ竜公爵の様子を窺う。疲れたようにソファの背凭れに身を預ける竜公爵は、隙なく着込んだ衣裳も昼前にサキが結った髪もそのままで、寝支度を全くしていない。サキが就寝の挨拶に来るのを正しく待っていたということだろう。
ちょっと長風呂し過ぎたかな、と反省しつつ、だからこそ早々に顔を出してさっさか失礼しようと思ったのだが裏目に出たとはこれいかに、と反問する。
発端を遡れば、夕食の片付けを終えるなり大鍋に水を張ったところになるだろうか。
なんの水かと首を傾げた竜公爵に、清拭用のお湯を沸かす、と返せば、竜公爵はひとつ頷いてサキの傍に立った。
「サツキ、ちょっと失礼」
そう言った竜公爵がサキの頭上に掌をかざすなり首裏に走る違和感。小精霊たちが戯れて来るときの感覚に似て非なるそれは、魔術が行使されるときのものだ。
ざぁっ、と頭の天辺から足元へと違和感が走り抜けたところで竜公爵が一歩下がる。
「はい、終了」
かけられた柔らかな声に、まさかと髪に手を突っ込む。さらりとした地肌と髪の感触が指先にくすぐったい。諸々の事情で毎日は洗髪できていないので微妙な衛生状態を保っていた頭皮が、赤ちゃん肌も真っ青なさらっさら具合だ。
「……お掃除魔術は人体にも有効ですか……」
「別の術式だけど、まあ似たようなものか。はい、お風呂終了」
「あー、はい、非常に、ありがたいんですが、いや、でもですね、」
物凄く微妙な表情になっている自覚はある。ありがたいけどソウジャナイ。
サキの顔を見て、竜公爵は苦笑を零した。
「やっぱり『洗わなくても清潔だと言われても』洗いたいもの?」
「それです」
びし、と指を立てて同意したサキに、竜公爵は苦笑を深めた。
「確か故郷では全身浴が習慣だったんだっけ。湯船に入れようか」
そう言って竜公爵は隣の小部屋へと足を向ける。まさかね、と追えば、サキが浴室に入る一歩手前でいつか聞いた覚えのある重い水音が落ちた。遅れて漂ってくる熱気に「仕事が早過ぎるよ竜公爵!」と内心で叫んだ。
「なにしてくれてんですか竜公爵……」
「入浴はしたいんだろう? 折角ここに魔術を使い放題の人間がいるのだから便利に使えばいいよ」
使用人向けと言っても大風呂ではなく個人風呂、竜公爵の部屋に付属するそれより狭い湯船だが、それでもなみなみと湯が湛えられているのを初めて見た。
「…………あざぁっす……」
「サツキ? ……嫌だった?」
サキの余りに気の無い感謝具合に、不安げに表情を曇らせて竜公爵が振り向く。
嫌ではないのでそれは全力で否定した。
もちろん心底ありがたいと思う。掃除不要の環境だけに後始末の面倒も無いと思い至れば、たっぷりのお湯に感謝感激を表したいとは思うのだが。
「人が贅沢に慣れるのって早いんですよー……」
そして、上がった生活水準を落とすのは苦労するのだ。
高校までは幾らかの制限はあったにせよ毎日ちゃんと湯に浸かれていたのに、独り暮らしになってシャワー派に転向した後の冬の寒さは泣けた。水道代とガス代と通帳とを突き合わせた結果諦めたけれど、色々寒かった。
その経験と老爺のスパルタ方針によって、こちらでのより不便な生活にはすぐに馴染んだ。そう、風呂無しシャワー無し清拭のみの生活に馴染んで、ようやく不便と思わなくなったところだったのに。
「うっかりこれに慣れて毎日『お風呂沸かして~』なノリになったらどうしてくれるんですか……」
「あはは、それはいいね。ぜひ慣れて、頼って」
本気で楽しそうな笑みを見せる竜公爵を半眼で見据えれば、変わらぬ笑顔のままに、
「そうしてサツキが私を手放せなくなればお互い様になるだろう?」
不吉な発言を喰らわせてくださった。
「……嫌ですよ、何ですかその共依存……」
「言葉が悪いってば。持ちつ持たれつ、って言うでしょ?」
「なんっっか納得いかないんですけど、……取り敢えず折角のお湯はありがたく使わせていただきます。明日以降はお構いなく」
「はいはい。じゃあ、私は部屋に戻るから」
「はぁい。ありがとうございます~」
竜公爵の返事が人の言葉を聞く気が無い「はいはい」だったことには気付かないまま、サキは贅沢風呂に意識を切り替えた。
存在は知っていても消費はほとんど出来ずにいた石鹸類を惜しみなく使って頭の天辺から足の先までを洗い上げる。泡を落として湯に浸かり、盛大に息を吐いたところで唐突に脳裏を過ぎったのは約ひと月前の出来事。
あの雨の日も、こうして全身を湯に浸したな、と。
「ぬぉう……」
そこから遡って思い出すのは、背中と膝裏を支える硬い腕。揺るがない体躯。布越しに、冷えた身体に伝わる仄かな体温。お湯のせいだけではない火照りを感じて頭まで湯に沈む。苦しくなるギリギリまで潜って、勢いよく頭を上げる。
――駄目だ、これ思い出し続けてたら挙動不審になる。突っ込まれて上手く躱せるはずも無し、連想ゲームでもいいから違うこと、違うこと。
あの時は足先しか拝めなかった存在の本体を描く。陽光の中に白く浮かび上がるのは、モヤシではないが、がっちりとも言えない標準の範囲内だろう体躯。目測一八〇を超えると思しき身長の、鳩尾にかかるほどの長い髪。
……ロングストレート、からの、金髪オバケ。
「ぶふっ、く……これも駄目やん……っ」
別の意味で挙動不審になりそうだ。
しかしあの、抵抗なく触らせて貰えたさらっさらの金髪はどんな手入れをしているのか。否、お掃除魔術応用編で入浴代わりにしていそうだから特別な手入れはしていないのか。
「あ、そうか、髪。切らなきゃなぁ」
濡れた黒髪を掴んで唸る。風呂に入る前に切ってしまえばよかった。今からはやる気にならない。明日に持ち越すとして、竜公爵に見付からないようにしないと止められそうだが――果たして単独行動の時間がどれほど確保できるだろうか。
今日はなんだかんだと結局ほぼ一日中行動を共にしていた。サキの作業を一緒にこなしていく様子はお手伝いを頑張る幼児の如く、覚束ない手付きながら妙に楽しげだった。あの感じでは明日もくっついて回る気満々じゃなかろうか。
「ぬぅ……。まあ、そのうち飽きる、よね」
邪魔にはなるが緊急でもない。どこかで気合を入れればいいや、と髪を放して立ち上がる。思い出し悶えからの連想ゲームでそこそこの時間を湯に浸かっていた。
とりあえず湯冷めする前に、と手早く身仕度を整えて竜公爵に声をかけに行けば、まったく身仕度が整っていないとのお叱りを頂戴した次第である。
バスタオルでぐる巻きのおかげで冷える心配はしなくて良さ気だけれども。
「竜公爵、そろそろ上に行こうと思うんですが」
「……まだ髪が乾いてないよね」
「完全に乾かすの無理ですよー。大丈夫です、風邪ひくほど寒くないし柔じゃないです」
ちょっと寝起きの髪型が素晴らしいことになるくらいで。
平然と応じたサキに、苦い顔をして竜公爵はソファから立ち上がる。
「駄目だよ。――触っても?」
「乙女のいのち、」
「乾かすだけだから動かないでね」
最早聞く耳持たぬとサキの発言に被せて命じてソファの後ろに回りこんだ竜公爵は、一拍間を開けてサキの髪に指を差し込んできた。ふわりと舞うのは温かな風。
「ついにドライヤー機能まで発揮……」
「うん?」
「いえ、魔術ってつくづく万能だなぁと感心してました」
「万能とも言い難いし、そもそもある程度の魔力が無いと私がやってみせているような魔術は扱えないから民の生活には縁がないだろうけどねぇ」
「おじいちゃんなら?」
「私は師匠に教わったんだよ?」
笑い混じりの声が降る。粗方拭いていたとはいえ水分を含んで重かった髪が、竜公爵の指が通るたびに軽くなっていく。こめかみの辺りに指が回って来たのを感じてサキは眼鏡を外した。目を閉じて万遍なく髪を梳く指先の感触を追う。
他人に髪を触られるのはいつ振りだろう。――騎士殿に容赦なく掻き混ぜられたのをノーカンにすれば記憶の彼方だ。
えぇと確か小学校までは職員さんが切ってくれて中学に上がってからはずっと自分で切ってて、高三で就活前に一度きちんとしたらって職員さんに言われて初めて美容室に行って――それきりか。
就職後も結局自分で切っていたことを思い出し、うわぁ、となっている間にも竜公爵の手は動き続けていた。
他人に髪を触れられるのはこんなに居た堪れないような落ち着かないような気分になるものだったのかと思うと同時に、風呂で温まった身体と温風に撫でられる髪、音の無い静寂の時間に、ゆうらりと意識が漂い出す。
「――――サツキ?」
「うわっはぁい!!」
不意に耳元に落とされた声に飛び起きた。勢い余って体勢を崩してソファからずり落ちかける。
「っと、」
「うぉう、……すみません」
ソファの背凭れから身を乗り出すようにしてサキを抱き止めた竜公爵に詫びて立ち、眼鏡を掛け直す。さらりと落ちた髪は見事に乾いている。
「乾かしていただいてありがとうございました、おやすみなさいです」
「サツキ?」
「ではまた明日」
しゅたっと手を挙げて宣言し、有無を言わせず踵を返す。戸惑い気味の「おやすみ」の声を背中で聞きながら、熱くなった耳朶を扇いだ。




