17.開かれた天岩戸と髪結う乙女
陽射しに輝く天使の輪を眺めて、どれだけの時間が経っただろうか。
まるで金色の置物のようだった竜公爵が動いた。輝く髪の中に引き入れられた両手は恐らく顔を覆ったのだろう、深々と息を吐いて項垂れた。
「……本当に不思議な人だね、サツキは……」
「お褒めに預かりましてどーも?」
はぁ、と再び落とされる吐息。ゆっくりと金糸が流れて顔が仰向けられる。重力に従って左右に零れた髪の狭間から形の良い鼻先が覗く。
「……あぁ、いい天気だ」
薄く色付く唇がそう言葉を落とすのを、サキは穏やかな気分で眺めていた。
◆◆◆
食事の支度をすべく台所に籠ろうとしたサキに、竜公爵は見学したいと言って顔の見えない金髪サ○コ状態のまま斜め二歩後ろにぴたりと張り付いた。
「…………竜公爵、取り敢えずその髪をどうにかしませんか」
「どうにか」
「切るとか切るとか結ぶとか切るとか」
台所にある一番細身の鋏(それでも裁断鋏なゴツさがある)を掴んで振り向いたサキに、竜公爵はひとつ頷いて答えた。
「じゃあ結ぶ、で」
「お切りしますよ?」
「……どのくらいに?」
鋏を前面に押し出して言えば、物凄く訝しげな美声が返され、
「騎士さんとお揃いとかどうですかね」
「嫌だよ」
喰い気味に拒否された。サキとて本気で言った訳ではなかったが早かった。
「まぁわたしの腕じゃあんな綺麗な毬栗は端から無理ですが」
「…………いがぐり」
「濃い茶色と短くてツンツンな感じと丸っと綺麗な形と。バッチリでしょう」
「栗……っ」
ウケた。
髪の中に手を引きこんで声は抑えているものの、肩が細かく震えていれば笑っているのはバレバレだ。さらさらと揺れる淡い金色に、竜公爵の髪色だとひよこだな、と思うが黙っておく。
「短髪は冗談としても、前髪だけでも」
その言葉に竜公爵は髪の上から顔を押さえた。――顔の、右側を。
「……いや、前髪は……」
どうやら長い長い髪は竜の眼と鱗を隠す鎧で盾らしい。それらを気にしないサキとの対面であっても譲れないのだろうか。それとも今後、近いうちに社会復帰を果たす予定があるのだろうか。……あってくれるといい。
ひとまず視線が確認できればいいから適当に括ってくれ、と言えば、竜公爵はほっとしたように顔から手を離し、そのまま首を傾げた。
「ちなみにお願いしてもいいかな?」
「よっしゃ毬栗お任せあれ!」
「いやちょっと待って?!」
サキが鋏を持った右手の袖を捲る仕草を見せれば、ずざっ、と音を立てて後ろに飛び退った竜公爵である。
冗談ですよぉ、と冷めた眼のまま笑って鋏を仕舞い、竜公爵に椅子を勧めてサキは隣接する小部屋へ入り込む。日用雑貨が種々雑多に置かれている収納棚から櫛と髪結いに使えそうな紐を取り出し、ついでに手鏡を発掘した。
細く艶やかな金の髪を梳りつつ、さて、と考える。面と向き合うのはサキだけ、サキは別に鱗や竜の眼が全開でも気にはしないが、この臆病で繊細な御方はそれを良しとして受け入れてくださるかどうか。
……押せばイケる気はしたが、そこまでしなくてもいいや、という結論に落ち着いた。
左目の上辺りから生え際に沿って耳の下まで編み込みを作り、細い三つ編みを毛先近くまで続ける。ヘアゴムぷりーず! と内心で叫びながら毛先を紐で括り、残した髪をざっくり右耳の下で集めて三つ編みの束と一緒に纏める。鼻筋と顎先、顔の左半分は完全に露出し、鱗のある右の額から頬にかけては髪に覆われた状態だ。大暴れな動きをしない限りは問題ないだろう。
「こんなもんでいかかでしょーか」
「……器用だね」
手鏡を覗き込んだ竜公爵が零す感嘆に、サキは肩を竦めて応じた。
「下の子らに鍛えられましたんで、他人の髪を弄るのはそれなりに」
竜公爵ほどの長さがあればやりたい放題だ、今度存分に遊ばせてもらえないだろうか。
「サツキは髪を伸ばさないの?」
「はあ。紐で結ぶってのが上手くいかなくてですね」
こちらにはゴムが無い。最初の頃に括る努力はしてみたが、ゴムほどに縛る強度が調整できない紐を後ろ手では上手く結べず諦めた。
今回、竜公爵を実験体にしてみた結果、紐でもそれなりにきちんと結えるらしいとは納得したが、それでは自分も、とはならない。物臭は頑張るよりも楽が出来る方法を知っている。
いつの間にか肩にかかっていた毛先を摘まんだサキは、うむ、と頷いた。
「よし切ろう」
「いやちょっと待って、伸ばそうよ!?」
「えー」
「えー、じゃない! もう。ほらサツキ、ちょっと座って」
「……大丈夫でーす」
立ち上がって椅子を示す竜公爵から離れて小部屋に駆け込み、タオルを掴み取る。眼鏡を外して髪を手櫛で撫で付け、前髪も含めた全体を後ろに流してタオルを巻き付けたら後頭部できっちりと結ぶ。タオルの隙間に眼鏡の弦を差し込むようにして掛け直して出来上がりだ。
「ほら大丈夫」
「……えぇー……」
ふふん、と胸を張って見せれば、肩を落とした竜公爵に残念な物を見る目を向けられたが気にしない。
「梳いて括るくらい私にも出来ると思うんだけどなぁ」
「乙女の命に軽々しく触らせませんて」
「その命を切り落とす宣言した乙女がなにを言うかな!?」
「はははのは~。あ、竜公爵、そこのお皿取ってくださいませ」
「え、あ、これ?」
イケメン様に髪を弄られるなんぞお断りだと軽く流して見学希望者に手伝いを言い付けた。思わず押されて皿を手に取る竜公爵は実に人が善い。しかもサキの性格を既に理解しているが故か台所の作業台兼用の大テーブルで食事を済ませることを提案し、出来上がった料理を手にさっさと椅子に着いてしまう。ちなみに過日に騎士殿が座った席と同じ場所である。
……なんだろうこの既視感……。この国の王侯貴族って庶民派なの、この人たちが特殊なの?
そもそも台所は使用人の領域である。主人である貴族らは余程の用事が無い限りは立ち入らないだろう。なのに竜公爵も騎士殿も、気にせず入ってくるどころか、その場で食事を摂ることに抵抗を見せないとはこれ如何に。
「……お代わりはセルフサービスでお願いしまーす」
まあ後片付けも楽でいいや、と早々に割り切って向かい側に腰を下ろす。「いただきます」と手を合わせるサキを、竜公爵がどこか不思議そうな表情で見ていた。
食後のお茶は寛げる場所、ということで応接間に移動した。
「……サツキ」
「はぁい」
しばし静かに茶を啜っていたいところで名を呼ばれ、向かい側のソファに座る竜公爵を見上げる。深く腰掛け寛いだ姿勢のまま、秀麗な面が微妙な困惑を浮かべていた。
「竜公爵?」
「……行儀が悪いと思う、よ?」
「どれがでしょう」
現在のサキの状態は、ソファ手前の床に直接座り込んでローテーブルに両腕を乗せ、マグを両手で包むように持ってちびちびお茶を飲んでいる、だ。
「全部、かな」
「わぁい、全否定」
「サツキ」
「すみません、ソファに座ります」
細められた瞳に負けて、マグを置いて素直に腰を上げる。
「………………サツキ」
室内履きを脱ぎ、ソファに両足引き上げて座り込んだところで地を這うような低音に落とされた美声が名を呼ぶ。言わんとすることは予測できているが、サキにも言い分はある。
「ソファの座面が高いし奥行深いしで普通に座ると落ち着かないんですよぅ」
「あー……もう。分かった。私だけならいいけど、シャルや他の者が居るときはしちゃ駄目だよ?」
「はぁい」
手を伸ばしてマグを取り、ぐってりと背凭れに身体を預けてお茶を啜った。小さく息を落とした竜公爵もマグを口元に運ぶ。竜公爵用の白磁の茶器の隣にサキ愛用となったマグをどんと置いてお茶を準備し始めたところ、竜公爵もマグがいいと言われてのお揃い状態だ。それでいいのか元王子様。
そうしてまったりとした沈黙を破ったのは、またも竜公爵だった。手にしていたマグをローテーブルに置き、姿勢を正して話しかけてくる。思わずサキも背筋を伸ばした。――ソファに横座りのままなので行儀としてはアウトだが、気は心。
「サツキ……、その、…………謝罪と、感謝を」
「……唐突になんでしょう?」
「色々と面倒と迷惑をかけてすまない。投げず諦めず、ずっとそばに居てくれてありがとう」
ぱちくりと瞬きするサキを、まっすぐに海の青が射抜く。
「サキに怒られて、面と向かっての言葉しか受け取らないと言われて、ようやく、一歩を踏み出す覚悟ができた」
怒られて、ってアレか。八つ当たりの暴言でしたが、えらく善意に解釈頂いてしまったようだ。『叱られて』では無い辺り、言葉の選択は正しいが。
サキとしては既に片が付いていた件だっただけに、竜公爵の引っ張りようが申し訳なくなる。
――ホントすみません全力で八つ当たりでした心配してくれる幼馴染とお兄ちゃん大好きが見て取れる弟君と駆けつけてくれる恩師が居てなにが不満だよ、とか。敢えて貧弱な人間関係しか構築してこなかった自分の所業を棚に上げて妬み嫉みを爆発させた結果でしたごめんなさい。
再びの謝罪合戦になりそうなので沈黙を保ったまま、心の中でスライディング土下座な勢いの詫びを入れておく。
「竜の魔力は周囲に害を及ぼさない程度に抑え込むのが本当にきつかったんだ。それが、サツキが傍に居てくれると呼吸ひとつでほぼ完全に――隠蔽のレベルまで抑え込める。魔力のことだけでなく、サツキが謙ることなく気の置けない友人のように接してくれることが、とても心地よくて。けれど、それに甘えてしまっていたせいでサツキを不快にさせたことは申し訳なかった。……本当に、ごめんね」
魔力の云々は、説明をスルーしたままのサキにはよく分からない。接し方については、沈黙の扉を相手に謙りようがなかっただけとも言う。会話が成立するようになってからも一応敬語を維持しているのでサキの感覚では『友人未満』だが、さりとて目上の人間に対する言動をしていない自覚もある。というか、料理の伝いをさせる程度には遠慮が無い。竜公爵の解釈が好意的に過ぎて却ってサキの方こそ申し訳ない気分である。
色々と思うところはあれど、ひとまず竜公爵の話を聞いてしまおうと口は閉じておく。
「――叶うなら、これからも傍に居て欲しい」
「あ、そりゃ無理で、っと」
閉じておくつもりだったが予想外の話に脊髄反射の速度で返して、慌てて口元を押さえる。
先程まで揺るぐことなくサキを射抜いていた青が、見開かれてゆらゆら揺れている。竜公爵がその表情を固めていたのは短い時間、やがて眉尻が下がって顔色が失せて行く。
「……あ、あぁ、そう、だよね……」
「わぁい、ちょっと待ってくださいね、ひとりで勝手に納得して落ち込んでまた引き籠りに逆戻りとかしないでくださいよ、もうちょっと脈絡を説明してくださぁい?」
思わず正座になって説明を求めるが、竜公爵は暗雲を背負って黙ったままだ。
「わたしが居ると便利って言われても、ずーっと半永久的に離宮に軟禁状態で過ごせって御免蒙るし、竜公爵が社会復帰されるなら今みたいに一定の範囲内に朝から晩まで居られる訳じゃなし、そもそもおじいちゃんが森に帰るときは一緒に帰りますし。友人付き合いなら別に多少離れてても継続することはできると思うんですけど、物理的に手の届くところに居ろって話なら無理ですよ、と」
ちょっとおじいちゃん、褒めに来い。意味分かんない、で放り出さない孫を誉めに来い。言葉を惜しみまくりだった孫の饒舌っぷりを褒め称えるが良いよ。
項垂れていた頭がゆっくりと上がって、揺れる瑠璃色が見えた。
「老師が王都移住をしてくださればいいのかな……」
「うわぁ極論ー。おじいちゃんを説得するって言うなら止めませんけど、努力の方向性を間違ってませんか竜公爵。頑張るなら社会復帰の方でしょうよ」
「サツキが居てくれるなら、割と、問題ない気がする」
「えぇえ――……。んな依存されても困りますよぉ。一方的に頼られてもわたしのメリット無いじゃないですか」
「衣食住の保証」
「おじいちゃんとこでもされてます」
「……賃金支給」
「友情を金で買いますか。てか衣食住を保証された時点でほぼお金要らないです」
「………………」
「はい、ということで自立する方向で頑張ってください。草葉の陰から応援してます」
「……それ使い方違う……」
異世界語にも同じような言い回しがあったようで。
遅くなりました。
辛うじて9月で一話、です(-_-;)
頭にタオルを巻くと一口に言っても、ガテン系スタイルな巻き方は娘さんがするもんじゃないだろうと思いつつ。姉さん被り的なふんわりした巻き方はサキはできません。ほっかむりならできるか。




