15.不意打ちの邂逅と爆笑の乙女
ピンクとレースとフリルの姫仕様には鳥肌を立てるような、女子力ナニソレ腹に溜まんねぇ、なサキだが、家事能力はある。老爺のおかげで、だが。
料理洗濯掃除に裁縫という家事労働に求められるのは女子力じゃない、生活力だ。特に料理に関しては食材調達からなのだ、『女子力』なんてほんわりしたものはお呼びじゃない。
老爺ひとりなら魔術で簡単に済ませられることを、魔力を持たないサキのために手作業のやり方で事細かに教授してくれた老爺に、感謝以外の感情を抱くのは不適切だろう。――叩き込み方に思うところが山ほどあったとしても。
そうして覚えた料理を仕上げつつ独りごちる。
「残り物処理メニューがツボったかな、竜公爵。すげぇな、わたし。推定イケメンの胃袋を掴んだぜ、ははは☆」
空虚な視線を窓の向こうに飛ばしながら乾いた笑い声を垂れ流す。
今回のことは喧嘩と呼ばれるものだったのだろうか、と思う。それはサキの二十三年の人生において縁遠い事象だった。
あちらで求められ続けた『協調性』は、穿って見るなら当たり障りなく波風を起こさず、あるいはそれを遣り過ごす能力とも言える。だからサキは協調性の名の下に人間関係の狭さ浅さを補強して、取っ組み合いの喧嘩どころか意見のぶつかり合いすら碌に経験しないままに成長した。
従って喧嘩の後の『仲直り』の方法も未知であり、どうにかして『仲直り』しようとして更に喧嘩をふっかけた感のある遣り取りの結果が何故、料理のリクエストになったのか、さっぱり理解できない。
――サキでなくても謎の流れだ、ということには気付かないまま、リクエスト通りの夕食を提供して一日を終えた。
◆◆◆
「おはようございます、竜公爵。今日もいいお天気ですねぇ」
『おはよう、サツキ。でも近い内に崩れ出すよ。夏至までの短い間だけど、雨が続くんだ。ケールの森ではそうでもなかった?』
数日ぶりにぎこちなさが払拭された竜公爵と、扉越しに朝の挨拶を交わしてお茶を台座に据える。
「そういえば二週間くらい雨のち曇り時々雨、みたいになりますね。……む、ということは大物干すなら今日の内か」
『大物?』
「洗わなくても清潔だと言われても日光に当てたいシーツ類、ですね」
『そういうものなの?』
一人暮らし当時は煎餅布団の万年床でも気にしてなかったがな! とは言わないのが花である。――退屈は物臭をほんの少しだけ働き者にした。
お茶が冷める前に竜公爵の許を辞去し、僅かな洗濯物とシーツを抱えて物干場に出る。
すべてを干し終わってしばし。纏わりついていた小精霊たちの気配が唐突に消えた。干場は竜公爵の魔力干渉の範囲外で、ここに居る限りサキや洗濯物にじゃれついているのが恒例だった。サキが離宮に戻るより先に気配が消えたのは初めてのことである。
どうしたのか、と首を傾げるより先に――ありえない声に呼ばれた。
「サツキ」
背を向けていた離宮の方から。
つい先程、何気ない天気の話を繰り広げた声が、微かに強張って。
勢いよく振り返りかけて、全力で身体を引き留める。
――いや待ていきなり顔を合わせて叫んだら終わる。恐怖でなく驚愕で叫んだとしても多分終わる。てか今この瞬間に叫ばなかった自分エライ!!
「…………竜公爵、ご本人様です、よね?」
腰にくる美声は強張っていたところで聞き違えようもない。
「うん。……驚かせてごめんね?」
叫ばなかったのが良かったのか、いつもの柔らかな声音が肯定を返す。
「えぇと……振り向いても大丈夫です?」
しばしの間。だが、はっきりと是の返事が寄越されて深く息を吸う。吐く。もう一度吸って、吐いて、それからゆっくりと身体を反転させた。
銀縁で楕円に制限された二枚の硝子、その中心に目的の姿を収める。
干場と離宮の中間地点に立つその人は、騎士殿と比べればなるほど一回り小さく薄い。比較対象が大きく厚いので、正しくは成人男性の標準値だろう。白い靴に白いズボン、薄い空色の丈長上着という、『白っぽい』の印象そのままの服装。
王太子と似ていると聞いていた顔は、
長い長い髪に覆われていてまったく分からない。身体の向きでこちらを向いていると分かるが、そうでなければ後姿かと勘違いできそうな、鳩尾過ぎまで伸ばされた金の髪。王太子の金髪は強い色味で僅かな癖があったと記憶しているが、竜公爵はだいぶ淡い色合いのさらりとしたストレートだ。
物凄く、綺麗、なのだが。
長いストレートの、顔を完全に覆い隠すようにして下ろされた髪、と言えば。
――――――――――金髪のサ○コ、キタ――――――――――ッ!!
「あっははははははははは――――ッ!!」
井戸からでもテレビからでもなく、開かずの扉の向こうからの、まさかの襲来。
不意打ちで爆笑のスイッチが入ったサキは、竜公爵が肩を跳ねさせたことにも気付かずに笑う。
「ひぅ、っく。あは、ははははは!」
その場で腹を抱えてしゃがみこんでも、笑い続ける。
背筋を伸ばして綺麗な姿勢で立つ金髪の青年公爵と、猫背でふらふら動くか這い出てくる黒髪怨霊とを同列に並べてはいけない。いけないのだが。
「ふ、ふは、はふ、……く、駄目だこれツボった、くは、あははははは」
眼鏡を胸元に落として目尻を拭う。涙が出るほど、更には腹筋が攣るほど笑うなんて、いつ以来だろうか。程よく楽しく笑った覚えはそれなりに在れど、ここまで笑う事態は早々起きない。
今が燦々と陽光の降る晴れの朝、というのも笑いに拍車をかける。これが真夜中のことであったなら、さすがのサキでも名を呼ばれた瞬間に悲鳴を上げていただろう。――悲鳴か奇声かは怪しいところかもしれないが。
呼吸困難に陥っている乙女と、立ち尽くす青年。
ふたりの間を、心地よい風が吹き抜けることしばし。サキの笑いは収束に向かうものの呼吸は落ち着かない。それでも無理矢理に大きく息を吸って吐いて、ようやく顔を上げて目尻の涙を拭おうとしたところで、機先を制された。
「……サツキ」
「は、ぁい」
整わない息にちょっと間抜けな返事を発した。
ぼやけた視界のまま音源方向に顔を向ければ、先程よりはかなり近い、けれど会話をするには距離のある所に白い塊が立っている。煌めく金の髪が逆光に眩しいことだけは、裸眼でも視認できた。
雑に目元を擦っている間に、竜公爵がもぞりと動いた。思わず手を止めて視線を投げるが、近寄ってくるわけでも言葉を続けるでもない。
はて、と首を傾げたら、困惑したような声が紡がれた。
「……恐ろしくは、ない?」
「はぁ……。重ねて申告しますがわたしに魔力的なものを感知する能力はありませんので怖がりようがないです。むしろ怖がらなくてスミマセン?」
「いや、魔力ではなく……」
更に困惑を深めた声がして、金の輝きがもぞりと動く。――その動作に、もしやと思う。
「ひょっとして髪を掻き上げて顔を見せてくださってました、か?」
「…………『もしかして』?」
うん、と納得して息を吐く。
「扉越しにはお話したはずなんですけど実際の理解は難しいですよねー」
よっこらしょ、と立ち上がって胸元に落としていた眼鏡を摘まみ上げる。
「視力が徹底的に悪いので、眼鏡がないとこの距離でも竜公爵のお顔はさっぱり判別付きません。しれっと回れ右で背中向けられてても分からないです」
「……え」
呆然と返されても困る。
なにせ前髪が後ろ髪とほぼ同じ長さで下ろされているのだ。手の向きもこの距離では判別できない。辛うじて人っぽいと認識できる塊という認識だ。髪の色の淡さを考慮すればショートカットでも前後は怪しいかもしれない。
――「俺を見ろ!」くらいの主張をした上でやってくれませんかね、そうすりゃ意地でも瞬時に笑いを収めて眼鏡かけましたとも!
「と、言う訳で。装着しましたんで改めてお願いしますー」
クリアになった視界の中でわたわたと挙動不審になっている金髪お化……、もとい金髪公爵に軽く言ってみる。
「…………」
「竜公爵、どうぞー?」
敢えて軽く。とことん軽く。重々しくしたところで良いことはなにも無い。先日の乱気流で身に染みた。
ついでに軽い足取りで半分ほど距離を詰めてみる。
「竜公爵? 日を改めます?」
「うん、いや、……うん」
残念、また来週~。
肩を竦めて視線を遠くに飛ばしたサキの視界の片隅で、金色の塊が頽れた。
「――え、竜公爵!? 大丈夫ですか?」
声をかけて思わず駆け寄る。完全に座り込み、立てた膝の間に頭を埋めて更に抱え込んでいる竜公爵の側に、あと一歩を残して膝をついた。
「もしもーし? 竜公爵、どうされましたー?」
改めて見れば手には白い手袋が装着されていた。足元を見れば足の甲が見える室内履きではなくかっちりした靴を履いている。徹底的に肌の露出を避けていることが窺えた。
――右手が甲まで鱗があるんだったっけ。左手が二の腕で、足も同様。顔も右側が鱗ありの竜の眼、か。
基本情報を思い出しつつ、動かぬ竜公爵にどうしたものかと首を捻る。ここで溜息を落としたらやっぱり終わるよなぁ、と辛うじて余計なものは飲み込んだ。
さらりとした風が吹く。小精霊たちがじゃれつく際に起こす小さな風ではなく、自然の摂理に従って吹く風だ。――突き詰めればそれも精霊たちが司っているという話になるそうだが置いておく。
梅雨もどきが終わるとこの風も湿気て生温くなるんだよね、と、ちょっと現実逃避していたサキの意識を、もぞりと動いた金の髪が引き戻した。さらさらと流れる淡い金糸は見事な天使の輪を浮かべている。
「ごめん……。情けないね、覚悟して出て来たはずなのに」
「はあ。まあ、無理はしない方がいいですよ」
てかなんで急に覚悟が決まりましたかね、とは音にしない。
「サツキ」
「はい」
「…………劈くような大声は堪えて欲しいかな」
「そんな大声を出すのは面倒臭いと宣言しておきます」
竜公爵の前振りを即答で切り返せば、厚みは無いが硬さは窺わせる線を描く肩が片方、かくりとこけた。
不意打ちならともかく、ここまで前段階を踏まれておいて、さあ恐れ戦け怯え叫べと言われても無理だ。奇声を上げる可能性は否定しないが、大声にはならない自信がある。
「……うん。サツキだね」
「どうも?」
深々と息を吐いた竜公爵が、まっすぐに頭を上げる。白手袋に包まれた長い指が、煌めく髪をぞんざいに掻き上げて。
真っ先に惹き付けられたのは、――竜の眼。
深みのある青に散らばる金粉。縦に裂けた瞳孔は鋭く細い。いわゆる白目部分は無く、眼球全体が青い。
周囲を縁取る鱗は青みを帯びた白銀。蛇というより魚のそれに近い印象を抱くのは、一枚一枚が独立しているように見えるからか。分布は額の中央辺りから頬にかけて。眉は鱗に浸食されているが、瞼周辺は人の皮膚そのままだ。
顎から反対の頬、鼻先に片鱗は無い。滑らかな白磁の肌。若干青褪めて見えるのは、緊張のためか三年間の引き籠りのせいか。
左目は、竜眼と同じ青の、しかし金の輝きは無い、人の眼だ。王太子の瞳は氷を想起させたが、こちらは温かな海の青だ。鮮やかに深い。
髪を掻き上げた状態で静止している竜公爵と、無言でじっくりと観察し続けるサキと。
先に動いたのは、やはり竜公爵だった。
雑に手を引き抜いて頭を軽く振る。それだけで、まったくの元通りに髪が落ち天使の輪が復活した。見事である。
「おぉう……、残念」
サキの口からは思わず正直な感想が漏れていた。
俯くように傾いでいた金の塊が、跳ねるように起き上がる。
「ざんねん?」
「瑠璃石みたいですごい綺麗なのでもうちょっと眺めていたかったです」
「……きれい?」
「はい。竜の眼、わんさげーん」
「……なに?」
「もう一回」
鸚鵡返しが途切れた金の髪に、お代わりを要求してみる。――返事がない。ただの置物のようだ。
自分の許容範囲が無駄に広いのか、こちらの人々のそれが極端に狭いのか。魔力を感知しない鈍感力をこんなところにまで発揮しているだけなのか。正解はお空の彼方でも問題は無い。ただ、サキにとって、竜公爵の〈竜〉の部位は恐怖の対象にはなり得なかった。それだけのことだ。
地面に突いていた膝を浮かせて体重を後ろにかけて、完全に腰を下ろす。竜公爵は立てた膝の間に力無く両腕を落として固まったまま、微動だにしない。眩しいほどの天使の輪を、サキは立てた膝に両腕で頬杖を突いたまま、眺め続けていた。
祝・一周年。
ということで頑張って上げました。次話までまた開きます←
…一年で15話ですってよ。辛うじて月イチちょいですよ。
牛歩更新にお付き合いいただきありがとうございます。




