14.所在不明の地雷と悩める乙女
小さな笑いが扉越しに響く。そこに特段の陰を感じられない。サキは何気ない風を装って地雷周辺の探索を決行しようと頷いた。一番のトラウマにさえ近付かなければなんとかなる。と、思いたい。
騎士殿が――ひいては王太子が、あと一ヶ月をひとつの区切りとして見ているらしいこと。そして今日の提案に受けた、サキへの労い以外の思惑を含んでいそうな印象。
一通りの疑惑を挙げたサキに、天岩戸はゆっくりと応じた。
『成程ね……。私たちが会話を持っていることは気付いていなくても――これだけの期間を傍で過ごした人物を連れ出せば、私が釣れる可能性があるとは読まれているのだろうね』
「そうなんですか?」
『そうなんだよ』
苦笑が返される。
……犬も三日飼えば情が移るというヤツか。どう考えても華やかな場で粗相しかしないだろう存在を案じて出て来てくれるかもという賭けか。
「この三年間で行事に出ろって言われたこと無いんですか?」
『最初の一年だけは、王族としてではなく王国貴族の義務として登城しろ謁見を賜れその他諸々の礼儀を尽くせと散々言われたけど』
「全部無視した結果、誘われなくなった、と」
『うん』
悪びれるでもなく返された肯定に、サキは天井を睨み上げた。
「夏至祭までに引っ張り出せてもなくても、その後のわたしの処遇ってどうなるんだろう……」
素直に森に帰らしてくれるのかなぁ、と小さくぼやいた声まで扉の向こうに届いたようで、『故国には拘らないのに、森には帰りたいんだ?』と問われた。
生まれた世界への郷愁より二年ばかり居付いている森への愛着が強いことに疑問を持つのは道理だが、サキとしては頷くしかない。何故と訊かれても明確な回答は持ち合わせていない。とりあえず現在の心境としては一言だ。
「のんべんだらり衣食住完全保証の生活は悪くないんですが退屈は人を殺せるって戯言を体感させられたので半自給自足のそこそこ忙しい生活が懐かしいです」
食事は調理から片付けまでやるし、本来不要な洗濯物にも多少は手を出しているが、あとはただただ独り、座ってお茶をしているだけと言うのは三日を待たずに飽きた。
あの日、鬱々とした気分で外に出たのは多分、雨のせいだけではなく結構危ない精神状態に陥っていたからではないかと、今更ながらに遠いところを眺めてしまったサキである。
そこへ小さく『ごめんね?』と謝罪されて、不意にサキの感情に小波が起きた。
どんな波かも自覚しないままに、平坦な声を発していた。
「というか、傷心からの人間不信で引き籠って外界を一切遮断してたはずなのに、わたしが帰るのがそんなにご不満ですか。まあ、わたしも諸々の原因である繊細で臆病な推定イケメン様のお顔を見て鼻で嗤うくらいはして帰りたいですけどー」
『…………ねえ、どこをどう指摘したらいいのかな……?』
「お好きなところをどうぞー」
波紋が風を呼ぶ。ふわりと、あまり良くない感情が舞い上がる。
『……人間不信になったつもりはないよ』
「でも距離を置こうとした結果がこれですよね? でも、なんで引き籠り先が王城敷地内ですか。公爵領はどうしたんですか」
『領地に引き籠っても同じ結果だったと思うよ。竜の加護を得るということは国の威信の一翼を担うということだから』
基本的には長い物に巻かれておくサキだが、のらりくらりと躱されていると妙に感情を逆撫でされる。普段は泣くのも驚くのも笑うのも面倒臭いとばかりに低空飛行の感情が、あっという間に高度を上げて行く。
「でも、その威信を示す行為は一切やってないんですよね? 少なくともこの三年間は。王城の人手を借りて領地管理の書類を捌いてるだけですよね?」
『だけ……ではないけれど。そう取られても仕方がないかな』
沈黙の扉を前にした初日の焦燥や雨の日の哀愁とは違う、天岩戸に蹴りを入れたときの怒りに近いけれど、あの噴火するような激情とはどこか異なるこれは、なんと呼ぶ感情だろう。
「こっから魔力威圧とやらをやってる訳ですか? 違いますよね? だったらむしろ人里離れた山奥にでも隠居しちゃった方が皆様方も魔力暴走の心配が減って安心できそうな気がしますよ? 前人未踏の竜の山でも竜公爵なら生きていけるんじゃないですか? そうしてくださっていたら、わたしがこんなところで軟禁状態に置かれることもなかったでしょうし。――あぁ、本当に面倒臭い」
高度を上げた感情は乱気流に突撃したようにキリモミ飛行している。筋の通った話ができている気がしない。地雷は遠巻きにしておこうと考えていたはずなのに、恐らく至近距離まで踏み込んでいる。そして、相当の八つ当たりが含まれていることも自覚している。けれど乱気流に邪魔されて感情の制御が利かない。
『サツキ』
「文句があれば面と向かってどうぞ。それ以外の苦情はもう一切受け付けません」
言って椅子から立ち上がる。胸元で蠢くもやもやとした感覚は、吐き気に近い。
『サツキ!』
「初日に『構うな帰れ』の一言メモだけで沈黙を一ヶ月近く貫き通してくれやがった紳士失格貴公子様の言葉には従いませんので悪しからず」
胃の中のブツを吐瀉するように、大声を吐き出したらすっきりするだろうか。
叫ぶなら裏手、物干場だろうとまっすぐ足を進める。天岩戸がまだなにか言っていたが、感情がキリモミ飛行を続けるサキの耳には届かなかった。
――夕暮れ時の干場に出れば、鮮やかな夕日に毒気を抜かれた。ついでに叫ぶのも面倒臭い、という物臭の本領が発揮されて結局は息を吐いただけで終わった。
そうして、珍しくもサキが得たもやもやは、あっさりと消化されてしまった。
熱し難く冷め易い、ただし稀に沸点が極端に下がって突沸する。それが首藤早月という女である。「面倒臭い」が口癖の女は、自身の性格もまた面倒臭い仕様になっていることを、一応は自覚している。改善の予定はない。
――あれは大いなる八つ当たりだった。後悔はしていないが反省はしよう。うん、大人になれ、わたし。
一方、消化しきれないままに暗雲を背負うのが臆病で繊細なる竜公爵だった。
サキの謝罪に、どんよりと曇った声音で謝罪が返され、いやわたしが、いや私がと謝罪合戦になりかけてサキは割り切った。
うん、お互いさまってことでいいじゃない。
ふたり暮らし状態で、ぎくしゃくするのも居心地が悪い。
サキはさっくり通常営業に戻った。竜公爵にはぎこちなさが残った。
構わずサキは今まで通りの日常を回していく。
……回していきたい、のだ、が。
「はぁ……、面倒臭いを通り越しているよ竜公爵」
捏ねていた生地に指を沈ませて思わず息を吐く。パン生地と並んで叩き込まれたパスタ生地は、麺より洋風餃子に化ける率が圧倒的に高い。無駄に作り慣れたものである。
老爺に料理は習ったが書き溜めたレシピ帳は森の家に置き去りで、補填されても代わり映えのしない備蓄食材とサキがレシピ帳無しで作れる料理とが一致する範囲で回すしかない。結果、三日連続同じメニューにはならずとも、数日置きに見覚えのある食事を並べている。
素人料理の上に固定メニューだが、竜公爵は文句も言わずに――どころか毎回『美味しい』と褒めるばかりで完食しているのでご立派なものだと思う。紳士と呼んでもいいかもしれないと、半月あまりの交流で認識を改めていた。
のだが。
「さすがは紳士失格貴公子様。根暗な貴公子様ってヤダなぁ。根暗ってか根に持つってか、陰気……あ、繊細ってこれか――――って、いらんわっ」
でいっ、と八つ当たりの拳を生地に叩き込んで丸め直す。ボウルに入れたらきっちり蓋をして、食糧庫でしばしお休みだ。半地下の台所から数段の階段を下りるそこは完全な地下室で、全体に保冷術が施されている。大型冷蔵庫の動力源は竜公爵の魔力。充電は一日置きのお掃除魔術実施の際に、勝手に補填されるというエコっぷり。ファンタジー万歳。
「あとは午後からに回すとして、と。……さて、そろそろ気分を持ち直してくれてないかなぁ」
火力を落とした竈で保温しておいたスープを器によそい、おかずが待つトレイに載せる。慎重に持ち上げ階段を登り、竜公爵の部屋を目指す。
朝のお茶を差し入れて退室する際、応接間の扉は開け放している。茶器の比ではない重量の、昼食のトレイを片腕でキープしつつ扉を開けるのは至難の業だからだ。故に声だけをかけて扉枠を超え、送付魔術の台座にトレイを載せる。そうして改めて天岩戸に向き直ってノックを二回。
「竜公爵、お昼をお持ちしました~」
『……ありがとう』
――う、駄目か。まだヘヴィにローテンションな感じだ……。
ふ、と遠い目になりかけて急いで引き戻す。「では後程」と返事を投げて早々に退室する。そうでないと、この引き籠り氏はトレイを取りに出て来れないのだ。
扉越しの交流が成立した最初の頃に、廊下側の扉を細く開けてこっそり覗いていたら、同じように細く開かれた天岩戸の向こうから恨めしげな声で咎められた。サキの気配だか眼鏡が纏う魔力だかでばれるらしいと理解してからは無駄な足掻きはしていない。
サキは台所で三食を済ませている。やはり最初の頃に、応接間で食べたらいいのに、と勧めてきた竜公爵に「扉越しで『一緒に』ランチ☆ なんて痛々しい真似は御免蒙ります」と、馬鹿正直に返して撃沈させて以来、二度目のお誘いは無い。……繊細な御心を容赦なくブッ刺した気がするのに、あれについての落ち込みは今回のように尾を引かなかった。違いが分からない。
自分の昼食を終えたらお茶の支度を整えて応接間に戻り、台座に戻されている空いた食器と交換して台所へ。自分が使った食器も一緒に手早く洗って仕舞う。かつては一日分をまとめて夜に始末していたが、二人分の食器を浸け置きしているのが突撃してきた騎士殿に見つかると面倒だと、都度片付けるように切り替えた。
自分用のお茶を確保して、――溜息をひとつ。
「……こーゆーの苦手なんだけどねぇ」
じとりと、見慣れたを通り越して見飽きてきた開かずの扉を見据える。眼鏡のブリッジを押し上げて気合を入れる。
基本的には長い物には巻かれろ逆らうな、の精神で居るサキだが。
「折角の話し相手がこの調子だと非常にしんどいんですよ」
どうにも鬱々とした気配が払拭されない竜公爵に、ど直球でクレームを付けてみた。最近では饒舌だった天岩戸から、久々の沈黙が返された。
「……もしもーし」
コン、ココン、と軽い音を立てて扉を打つ。
「もしもしもしもーし。扉に向かって独り言が懐かしいなんて思いませんよもしもしへのへのもしもー。お返事くらいしましょうや竜公爵サマ?」
コココココン、と忙しなくノックを続け――ずがんと拳本体を打ち込む。なんて既視感。
「帰れって言うなら帰す努力を見せませんかー。帰るなと言うなら引き止める誠意を示しませんかー。ぼちぼちわたしもキレますよー」
引いた左足に重心を載せて、持ち上げるのは右足、狙いは天岩戸で打ち下ろすのは足裏だ。
せぇの、と心の中で号令をかけ――ようとしたところで、声が応じた。
『蹴りはやめようね、サツキ。女性なんだから……』
ぎこちないというより呆れかえっている雰囲気である。脱力している、と言ってもいい気がする。
「ここまで人を追い詰める前に返事して欲しかったですねー」
『…………ごめんね』
「謝るより他に言うことは」
『…………』
「せーぇ、のーぉ、」
降ろしていた右足を再び掲げてみたら、妙にはっきりとした美声が、場違いな単語を寄越してくれた。
曰く、
『ラビオリのスープが食べたい』
思わずきょとりと瞳を瞬かせて、力の抜けた右足を軟着陸させる。
リクエストを頂くのは初のことである。
ラビオリは竜公爵への差し入れにも入っていたほどの、珍しくは無い料理だ。ただ、こちらでは濃い味のソースで和えるのが一般的で、あっさり目のスープに入れるのはサキのオリジナルだ。
――ワンタンスープのノリで余ったラビオリを野菜スープに放り込んでみただけなんて言えない。老爺も気に入ってくれた一品だけど残り物処分用メニューだなんて言えない。
というか、脈絡が無さすぎる。
「……さっき生地を仕込んだんで、夕飯でお出ししますね……?」
『ありがとう』
だが、基本は長い物に巻かれるサキである。戸惑いつつも了解すれば、ぎこちなさの取れた柔らかな声が返り。
のんびりとしたお茶の時間が戻った。




