13.的外れの気遣いと拒絶の乙女
ある夜、ぽつりと問われた。
『サツキはあちらへ帰りたいとは、本当に思わないの?』
「……なんで皆して同じことを同じように何度も訊くんでしょう。そんなにわたしに消えて欲しいんですかね」
サキは思わず半眼になって天岩戸を見据えた。風呂上りで就寝の挨拶に寄ったタイミングだったのも微妙な既視感を刺激する。
洗ってはいないが濡れた毛先と湿気た髪全体を雑に拭きながら、『いや消えて欲しいなんてことは決してないよ!?』とやや慌てた声の続きを待つ。
『ただ、身寄りもなく未練もない、という話は聞いたけれど、でも文化風習のまったく異なる生活の苦労は計り知れないし故国を恋しく思うことも多々あったんじゃないかと、だからそう簡単に、いや簡単ではなかったかもしれないけれど、割り切ってしまえるものなのかと』
やはり少し早口のままに紡がれた言葉を飲み込んで、うーむと腕を組んで天井を見上げる。
これはアレだろうか、引き籠りを終了させるための『割り切り方』を知りたいという話だろうか。それともただの好奇心だろうか。後者ならざっくり回答で済ませるが、前者なら地雷を避けつつの慎重な言葉選びが要求される気が。
「…………どうして、そんな質問をされるのかを訊いても?」
顔の見えない相手の思惑を読むのは、空気を読んでなんぼの国から来た身でも――というかサキの対人スキル的に難しいので、秘儀、質問返しで様子を窺う。
『……えぇと……うん。その……』
「竜公爵?」
うわ、地雷周辺をうろつく方か。
思わず身構えたが、もごもごと言葉にならない声を漏らしていた天岩戸はしばらくして『やっぱりいいよ』となにかを諦めた返事を寄越した。
「はあ……。じゃあ、おやすみなさいです?」
『うん、おやすみサツキ。良い夢を』
「はい。竜公爵も」
最後には通常のトーンに戻った美声にぞわりと身を震わせてから、静かに退室した。
――閉じた扉の向こうの更に向こうで、小さな声が零されたことを、サキは知らない。
◆◆◆
騎士殿は三日を空けて再訪した。常のペースが二日置きだったので、一日だけ余分に空白があった計算だ。
「前回に思わせ振りなことを言ってたので、もう二、三日は来ないかと思ってましたよ」
「はは、ちょっとだけ手が空いたから~」
暢気な笑顔で応じた騎士殿は、ちょいと一服する程度の暇はあると言う。急いで淹れてくる、と退室しようとすれば、
「一緒に厨房に行くよ。その方がお嬢ちゃんも手間が省けるだろ?」
「わたしの物臭具合をご理解いただけて光栄ですが、どうせなら竜公爵を引っ張りだす方向でご協力いただく方が究極的にはわたしの手間は大幅に省かれますよ?」
「……ディオネに声掛けしつつお待ちしております……」
「はぁい」
がくりと落ちた毬栗を置いて、サキは台所へと小走りに向かった。そうして手早く支度を整えて応接間に戻れば、何故かソファに突っ伏す騎士殿が居た。
「……お疲れですか?」
「疲れた」
「ハーブティーにすれば良かったですかね。普通の紅茶にしちゃいましたよ」
「なんでもいいよー……」
ちゃっちゃと淹れてティーカップを差し出せば、騎士殿ものそりと起き上がってゆっくりと一口を含む。そうして深々と息を吐いた。
「あ――……」
ついでに声も漏れている。
「余程お疲れで。忙しい時期なんですか?」
「いや、今脱力している理由は乳兄弟のあまりの反応の無さに打ちのめされただけだから」
「あー、お疲れ様ですー」
社交辞令の定型句を返してサキも茶を啜る。
しばしの沈黙ののち、騎士殿が徐に切り出した。
「……お嬢ちゃん。夜会に興味あるか?」
「やかん?」
「夜会! パーティー! 煌びやかな美男美女が手を取り合ってきゃっきゃウフフするアレ!!」
「そんな解釈でいいのか職業騎士」
「分かってて混ぜっ返すのやめようかお嬢ちゃん」
ふー、と深呼吸を入れて騎士殿が仕切り直す。
「夏至の祭りに王城で盛大なヤツがあってさ。軟禁状態のお嬢ちゃんに気晴らしを兼ねてどうかなと」
前回の帰り際に零された『一ヶ月ちょっと』の一言について、サキは竜公爵に伝えていない。五月後半に入った現在から一ヶ月先、と考えると六月下旬の夏至祭が思い当たる。そして、『夏至祭』といえば――当時の婚約者なお姫様が竜公爵と対面して絶叫からの気絶という悲劇を起こした日である。迂闊に地雷を踏み抜きたくないと、騎士殿へも突っ込むまいと自己完結したところだった。
――その途端に騎士殿から変化球で攻め込まれたこの状況。
『夏至祭』の単語に瞬時、開かずの扉へ視線を走らせたサキの反応は至って普通だと思う。
サキのその僅かな反応に、しかし騎士殿は苦笑を零す。
「気にしてくれてありがとうな。大丈夫、多分もう気にしてないよ」
「…………そうなんですか?」
「お嬢ちゃんは本当に面白い子だよなぁ。とんでもなく大雑把かと思えば、一定のところで気遣いが見えるし」
「はあ」
イマイチ褒められている気はしない。引き籠り氏のトラウマを刺激しないようにというのは、気遣いの一面も確かにあるが、地雷をいかに避けるかという自衛でもある。褒められたことではないのかもしれない。
「ディオが今、閉じ籠ってるのは意地だよ。当時の騒ぎが契機にはなってるだろうけど、今現在もそれを気にしているかというと――まあ、無いだろ」
「……臆病で繊細はどこ行った」
「んー、どっかその辺には転がってるかも? ――ディオー、異論反論があればどうぞー?」
苦笑をただの笑いに変えて天岩戸に声を投げた騎士殿は、お茶をもう一口啜って話を戻してくる。
「年頃の娘さんに男装までさせて使っているんだから、気晴らしくらいあっていいだろうってことで。隅っこ参加になるけど、どうだい?」
騎士殿の一存で王城の夜会へ、隅っこであっても参加できるはずもないから王太子も噛んでの提案なのだろう。しかしサキの性格を読み違えている辺り、老爺は噛んでいないか、――老爺には止められたけど強行しているか。あの喰えない爺様の言を無視してまで強行する理由はなんだ。
ふむ、と頷いて。
「欠席で」
「えぇえええ!? ちょ、本当に興味ないか?」
「面倒臭い方が勝ちますね」
「ええぇ――……」
頬を引き攣らせる騎士殿を置いて、ずずーっ、と行儀悪く音を立てて茶を干す。そうして騎士殿の紺青の瞳を見据えて補足する。言葉を惜しむな、と言われ続けたサキがこれだけ喋ることこそ褒めて欲しい。老爺ならきっと褒めてくれる。
「華やかな世界の礼儀なんて知らないので首を突っ込みたくないです。煌びやかなドレスなんて窮屈で身動き取れないものは眺めて愛でるだけで充分で自ら纏うものじゃないです」
「……うわぁ……。リリィの読みがここまで大外れするとか……お嬢ちゃんが大物過ぎる……」
これでいいのかお年頃、という言葉は華麗に聞き流しておく。騎士殿が想定しているサキの年齢は正しくない。敢えて訂正していないが、だからといって妙な幻想を押し付けられても困る。
「どなたの読みです?」
年齢ネタを避けて騎士殿の口から出た人名と思しき音について問いかける。一部の固有名詞や人名は翻訳されずに原語ママの音で耳に届くが、繰り返し聞けば耳が慣れるのか、カタカナ発音で聞こえるようになる。竜公爵と王太子、騎士殿の名前は既に聞き取れるようになっているので、知らない人物だと判断した。
「リリィ、正しくはリリアリア、俺の従姉で女官。お嬢ちゃんが王城に泊まったときに世話役で付いてたろ?」
「……赤っぽい茶髪の美人さん?」
お風呂の介助攻防戦を繰り広げた相手を思い出す。
騎士殿より赤みの強い茶色の髪で、年齢はサキとそう離れていなさそうな美人。サキより老爺に近い身長の――つまりはこちらの成人女性の平均的な背丈の、出て締まって膨らんでのナイスバディだったと記憶している。
「そう、それ。お嬢ちゃんが毎回『要る物は?』の問いに『話し相手』って回答するって話をしたら、やっぱり気晴らしは必要だろうってことになって。女の子だしキラキラした世界は楽しいんじゃないかって流れから、夜会にご招待って案になったんだけど、な――…………」
騎士殿の視線が遠くに飛んでいく。ご期待に沿えない乙女で申し訳ない。
「他になにか、ご希望は」
ふうわりと泳いだ視線が戻るなり訊かれた。何故畏まるのか。
思惑などなく本当にただの労いとしての提案だったのだろうか。隠れた意図があったとしてもサキには読み解く技能が無いのでお手上げだが。
しばし黙考する。最初の頃は本気で話し相手が欲しかった。竜公爵と扉越しにでも会話が成立するようになってからは騎士殿に切望する必要も無くなったのだが、その時点でほぼ定型句状態だったために繰り返された遣り取りだ。惰性とはかくも恐ろしい。
離宮で過ごすための娯楽を考える。大量の本が書庫にはあれどサキの読解能力ではタイトルすら読めないので却下。テレビやパソコン、ゲーム機などは望むべくも無い。カードやボードゲームならと考えて――独りで人生ゲームやれってか、と却下する。扉越しで対局なんて面倒な遊び方はご遠慮申し上げる。
帰らせろ、は即却下されるのが目に見えている。他になにか――
「おじいちゃんはどうしてるんですか?」
そういえば一度も姿を見せない保護者の近況に思い至る。老爺が騎士殿程度の頻度ででも顔を出してくれていたなら、もうちょっと気は紛れていたかもしれない。
気まずそうな表情を見せた騎士殿は、少し間を置いてから答えた。
「――アイガイオン老は俺以上にご多忙でいらっしゃるから。引退された方のお力を当て込んで申し訳ないが、王城の結界の保守点検と再整備にご協力いただいているよ」
「……おじいちゃんが仕事をしている、だと……?」
「うん、やっぱさらっと酷いよな、お嬢ちゃん」
「隠居した身だから俗世とは離れて生きるんだいって言い切ってたのに」
「…………そうだな。ご協力いただくのに苦労したな。ティタニアが」
ちーん。
どこかでそんな涼やかな音が響いた気がした。
頭を切り替えて再度考え込む。他に気晴らし。対価。
「……お菓子?」
脳裏に浮かんだのは王城を訪れた日の茶請けだ。砂糖とバターをたっぷり使ったクッキーは美味だった。ここの食糧庫にも一通り材料は揃っていると思われるが、如何せんレシピが分からない。あちらで『レッツお菓子作り☆』なんて女子力を獲得する労力など微塵も払わなかったサキに、憶測で挑戦というのは無謀に過ぎる。食材の浪費に留まらず、気力体力と時間の無駄である。
結局、茶請けや甘味としては小さく切ったパンにジャムを付けて、というのが精一杯だったことに思い至ったのだ。
なんとか捻り出したサキに、騎士殿が破顔した。
「そうか、やっぱ女の子だよな! 花とドレスと甘い物、みたいな!」
「わぁ――……」
ある意味、異世界共通の認識であるらしい。だが、先程ドレスを切って捨てた存在になにを期待しているのか。花もドレスも自分の手元に置くには手入れが面倒、の一言で終了である。女子に関する常識がそのままサキにも適用されるなど、それこそ砂糖より甘い考えである。
「騎士さん騎士さん」
「ん?」
「二階の部屋、どこ使ってもいいって言われたじゃないですか」
「んん? おう、そういやそうだな?」
唐突な話の転換に騎士殿が笑みを引っ込めて首を傾げた。
「全部屋確認した上で、左側一番手前の部屋を使わせていただいております」
「……右側ではなく?」
「左です。東側と言い換えてもいいですが」
「なんで!?」
騎士殿も離宮の間取りと内装は正しく把握していたらしい。階段を上がって右側の女性部屋ではなく左側のおっさん部屋をチョイスしたと言うサキに、目を丸くして問いを重ねてくる。その紺青の瞳に冷めた視線を硝子越しに注いで宣言してやった。
「リボンとレースとフリルの桃色部屋で落ち着いて寛げるものか」
「もう駄目だこの子!!」
一声叫んだ毬栗さんがソファと仲良しだ。職業騎士がこうして過ごす余裕があるなど平和で結構、と眺めていたサキだが――騎士殿が退散したあと、きっちり竜公爵には笑われた。
『色々と思い切りがいいよね、サツキって。シャルナクをああも簡単に転がせるのはリリアリアくらいだと思っていたよ』
「あざーっす」
褒められていないことは承知しています。
ちなみに騎士殿はその従姉さんにべた惚れなのだそうだ。どうでもいい追加情報をありがとうございます。




