12.饒舌な引き籠りと質疑の乙女
※2016.11.14 誤字修正
春の緑は柔らかな色をしていると思う。それは夏が近付くにつれて鮮烈な輝きを纏い、気付けば深みを増していく。
物干し場で大きく伸びをしたサキは、その勢いのままに周囲を見回した。
視力回復には自然の緑を見るのがいいと聞いたことがあるが本当だろうか。だったら大自然に囲まれての二年でちょっとは回復していても良いと思うのだが――眼鏡を外して眺める世界は、相も変わらずぼんやりとしている。
髪の毛を踊らせる風のような、柔らかな小精霊の気配に慰められつつ空を仰ぐ。果ての無い蒼。裸眼で見上げても滲むことの無い一色に、知らず微笑を浮かべていた。
眼鏡を掛け直し、空っぽになった洗濯籠を手に離宮へ戻る。物干し場を離れると間を置かずに小精霊たちのじゃれつく気配も絶えることに、微笑が苦笑に変わる。どれほどサキが竜公爵は怖くないよー、と言ってみたところで、竜公爵の為人ではなく保有する魔力に怯えている彼らには通用しない。所詮サキには『魔力』がどんなものなのか分からないのだ、こればかりは仕方がないのだろう。
――仕方がないのだろう、が。
「竜公爵が魔力を完全に引っ込めてくれたら部屋でも遊んでくれますかね?」
諦めきれないサキは、音声だけを返す天岩戸に問いかけてみた。
『……うーん。彼らを委縮させないくらい抑制した状態を、数日維持してみせれば警戒を解いてくれる可能性が……皆無ではない、かも?』
非常に曖昧な回答が来た。
というか、
「魔力放出しっぱなしは疲れるから抑えるのが普通って聞いたんですが、竜公爵は有り余る魔力を惜しげもなく常時垂れ流しなんですか?」
『……表現が悪いよ。言葉は選びなさい、サツキ』
素朴な疑問を追加で投げたら物凄く不服そうに返された。それでなくても腰に来る美声が低められると性質が悪い。音声からは意識を反らしつつ言葉の内容を咀嚼して、老爺の例え話を思い出して言い直す。
「えーと、常に全力疾走で移動するのは疲れるから、普通に歩く感じの力の抜き具合と言うか抑え具合にすると聞きましたが」
『うん……その例えで言うなら、サツキが普通に歩く速度や歩幅と、シャルナクのそれとは全然違うでしょう?』
「――おぉう……成程……?」
全力疾走も疲れるけど、左足の爪先に右足の踵を付けてー、みたいな超小幅な歩き方も疲れるよね、と。つまりは竜公爵にとって一番楽な魔力の安定状態が、小精霊や周囲の人々にとっては威圧されているのと変わらない魔力の放出状態、と。
「まさかの個人差の問題とか……てか魔力そのものに個人差あるんだから、当然っちゃ当然ですわなー……」
そうして考えると、保有魔力量的には竜公爵に対抗するに論外と評される騎士殿は相当な胆の据わり具合である。息苦しく感じてもおかしくない魔力の前であの暢気っぷりとは。
「すみません、無理しろって言いたい訳ではないんで忘れてください……」
サキとて面倒なことは率先してやりたいとは決して思わない。相応の見返りが提示されていればともかく、ここで何ぞ無理を通せばどこかで無茶振りをされても拒否できない。因果応報の四文字を脳裏に描いてしまったサキである。
そんなサキの葛藤を流すように、穏やかな声音が思案気に言葉を寄越してくる。
『いや、でも、今はサツキがいるし……』
「はい?」
――魔力皆無の鈍感力だけは最高値の存在ですけどそれ以外には究極の物臭以外特筆するべき性質は持ち合わせがありませんがなにか役立つポイントあります?
内心で長々と問い返したサキを放置して、扉はしばし沈黙した。傾げた首が肩に付きそうになって元の位置に戻し、ついでに反対側にも同じだけ倒して戻ってきたところで、小さな声が齎された。
『――うん。やっぱりそうだね』
「意味が解りません」
『サツキって、魔力は無いけど他者の魔力を安定させるんだ』
「……はい?」
『小精霊たちが懐くのもこれだろうね。彼らは純粋な魔力の塊で、でも幼くて自身の魔力を上手く安定させられないと聞くから』
つい、と窓に視線を向けて深く頷く。燦々と光を降り注ぐ太陽はどうやら中天に差し掛かる頃合いだ。
「……よし、お昼を持って来ますね」
『分からないなら訊こうよ、サツキ』
「よく言われますが改善するつもりはありませんので悪しからず」
『えー……』
「気が向いたときにはしつこいくらい質問しますからよろしく」
『うーん……』
納得していない美声をさらっと流して天岩戸から離れた。
竜公爵との会話が成立するようになってから、サキの生活はほんの少しだけ変化した。
朝の挨拶がてらにお茶を差し入れたら、午前中はほぼ台所に籠る。これまでは午後にまったりとやっていた夕食の支度を、完成一歩手前まで仕込んでしまうのだ。それらの作業が終わって余裕があればお茶を持って、そうでなければ昼食を済ませてから、応接間に腰を据えに行く。昼食後から定期配達の時間までは、みっちり応接間に詰める。日暮前に洗濯物を取り込むのだけが変わらない。
過ごし方は扉脇の台座を茶卓にして扉越しの茶飲み話を延々と、で大差はないのだが、自分の話への応答があり、更に相手が語ってくれるとなれば、時間は割りと簡単に過ぎて行く。
三年ちょっとを沈黙で通した竜公爵は、しかし一度その口をこじ開けてしまえば随分と饒舌だった。……黙っていた長い日々の反動で口数が多くなっているだけなのかもしれないが、以前を知らないサキとしては『意外とお喋り好きな貴公子』認定である。
話題は統一性など無く、幼少期のほのぼの兄弟エピソードや王子様相手でも容赦ない老爺の笑顔で鬼畜の天晴振り、引き籠ってからの単調な日々のような日常系から、王侯貴族の義務と権利だの王国の歴史や国法だのの講義系、あるいは――〈竜〉にまつわるアレコレ。
『彼らにまつわる歴史は、王国のそれと変わらぬ長さを持つ。ただ、王国の歴史書とは別に編纂されていたという初期の伝承書は散逸していて確証はない』
〈竜〉に関わる話題は地雷だろうかと避けていたサキの気遣いを完全スルーして話題を振って来たのは竜公爵の方だった。王国の歴史云々からの流れだったが、嫌悪や皮肉という負の感情も、躊躇う様子すらもなく淡々と話し出したのだ。
普段の喋り方は穏やかで砕けているのに、講義系の話題になると少々固くなる美声に耳を傾けつつ、ついでに首も傾けてサキは口を開いた。本人が気にしない話題なら遠慮なく訊こうじゃないか。
「そういやそれ、疑問だったんですよ」
『うん?』
「〈竜〉がいるから大陸の中では平和だ、って話だったと思うんですけど、王都に戦火が及ぶほどの戦争はあったんですよね? 本が燃やされるだか棄てられるだかするくらいの」
老爺と王太子から、『ヒキコモニートな元・王子の傍に仕えろ』という謎命令に対する回答の前提として聞かされた話である。本題がそこではなかったので聞き流したが――しかし、王国の歴史書は残っているのに〈竜〉に関する物だけが失せている、というのもおかしな話である。
『うーん? ……多分、時代が入り組んでるよ、老師たちの話とサツキの理解では。
そもそも我が国の起源は五千年を遡る。まだジルニトラ王国を名乗ってはおらず、国土も今の王都から北の山脈までという、非常に小さく、また周辺諸国に比べて産業も軍事も弱い国だった。竜についてはその当時から北の山脈に棲んでいたと言われており、基本的に他者と――或いは人だけとは交流を持たない、孤高の存在だったと考えられる。これらの基本情報は、現状を鑑みてもそう間違ってはいないだろう』
竜公爵の歴史授業が再開されてしまった。教科書がある訳でもない上に教師は扉の向こうなので生徒には非常に学びに向かない状況ではあるが、滔々と流れる美声を堪能させてもらおうか。
『大戦を経験したのはそうした国の黎明期のこと。幾度目かの戦で、竜が我らに手を貸したと言われている。――それが最初で、けれど理由は歴史の闇の中だ。王国の歴史書が無事だったのは、編纂の都度、王城の地下書庫に厳重に格納していたからで、竜にまつわる初期の史料が散逸したのは編纂の最中に王城に戦火が及んだからだ、というのが歴史家たちの妥協する見解になっている』
国の歴史書の方にも一言入れときゃ良かったんじゃね? とか思っちゃいけないとこですね、ハイ。
『……ちなみに一説には、竜こそがそれらの史料を燃やしたというものもあるよ』
「うへぇい、そう来るのか。成程、竜自身の秘密主義による意図的な焼失、と」
不意に砕けた言葉に、サキは乾いた笑みを浮かべるしかない。
天岩戸が微かに笑って、再び言葉を紡ぐ。
『いずれにせよ竜の手助けにより我が国は戦況を覆した。しばしの年月をかけて国力を高め、また周辺国を併呑して国土の拡大を図り、最終的には大陸北部の権を握った。そうして国の名を〈竜の守護する地〉と改めて現在に至る』
どうやら締め括りだったらしい、僅かに空いた間にサキがうんうん頷いていると、またも笑いを含んだ声が届いた。
『ちなみに竜が史料を燃やした、という説は王宮に密かに伝わる話でね。一般的にはまず受け入れられない仮説なんだ』
「はい?」
『特に貴族たちには〈竜の守護する地〉の名を貶めるのかって怒られちゃうから、サツキもうっかり外で口にしちゃ駄目だよ?』
「…………んな機密情報的仮説をしらっと一般庶民に漏らさんでくださいよ」
『サツキなら大丈夫だと信じているよ』
「わぁい、おじいちゃんと同じニオイがするぅ」
『え、……えぇっ?!』
笑顔で腹黒は老爺ひとりで充分である。だが正直なサキの感想に返った驚愕の声に、妙な満足感を覚えて小さく笑った。
そうしてふと落ちた静寂ののち、改まった声が『シャルが来た』と告げた。これにて本日のティータイムは終了である。
◆◆◆
引き籠り氏とのほのぼの扉越し交流の日々を過ごして約半月、数日置きに訪れる騎士殿はいまだその事実に気付かない。
応接に入ってきたら即「よ、どうよ?」「ご覧の通りで」の遣り取り、そして嘆息して籐籠を送付魔術で竜公爵の許に送り込むところまでが最早定型と化している。
サキは今日も見事な毬栗頭を見上げた。
「……これでいいのか職業騎士」
「ん? どうしたお嬢ちゃん」
「お気になさらず。今日は鎧装備なんですね」
本日の騎士殿は初対面時と同じ、冑のみ省略した鎧に帯剣スタイルである。剣は休日の私服でも腰に吊るしていたので最低限の基本装備なのだろうが、鎧フル装備なのは珍しい。むしろ初日以来ではなかろうか。普段は優美な装飾が施された濃紺の長衣姿――鎧を装着しない場合の、通常任務時の制服とのこと――が多く、時折、籠手やマントの小物が追加される程度だ。
「物々しくってごめんなぁ。今日はちょーっとバタバタしてて、お茶にも付き合えそうにないんだわ」
本当に申し訳なさそうに眉尻を下げてサキの髪を掻き混ぜる騎士殿の大きな手に、思わず呟きを零す。
「……騎士さんが仕事をしている、だと……?」
「お嬢ちゃん、さらっと酷いな!?」
「すみませんついうっかり本心が駄々漏れました」
「謝ってないぞソレ!!」
騒ぎながらも騎士殿と並ぶようにして玄関へ向かう。
玄関ホールで見送りは終了だ。サキは玄関扉から外へは出ないようにしている。誰に言われた訳でもないが、玄関は王城に向いているので望遠鏡でもあれば――眼鏡の無い世界に望遠鏡があるのかは知らないが――サキの姿も確認されるだろう。一応は『少年』扱いになっていようとも、目撃されないに越したことはなかろうと極力出歩くのは王城とは反対側のエリアに限っている。
「じゃあまた三日後くらい、ですかね?」
「あー、善処するわ」
ほぼ固定して三日に一回ペースで訪れる騎士殿にそう挨拶すれば、珍しく歯切れの悪い反応を見せた。首を傾げたサキに苦笑だけを返した騎士殿は、つと視線を建物の奥に投げた。元より深い色をした瞳に、一層濃い陰が生まれる。
「……あと一ヶ月ちょっとじゃ、なぁ……」
落とされた呟きは、恐らく騎士殿本人も意図しないものだったのだろう。サキが「一ヶ月?」と問えば、ぎょっと目を見開いてサキを見、妙に慌てて「気にすんな」と誤魔化して帰って行った。
姿勢の良い鎧の後姿が扉の向こうに消えるのを黙って見送って、しかし扉が閉ざされてもそのままに、サキはしばしの時間、そこにじっと立っていた。




