11.微妙な歩み寄りと沈黙の乙女
――竜公爵ってどんな人?
そんなアバウトな問いを投げたのは離宮に放り込まれて三日目、配達担当として訪れた騎士殿を捕まえて強制的に持ち込んだお茶会でのこと。問われたその人は、形のいい頭を傾げて開かずの扉に一瞥をくれたあと、徐に口を開いた。
「外見を述べるなら弟王子の髪を淡くして、瞳の色を濃くした感じ。俺より頭半分程度低い身長と半分とは言わないがちょっと細めの身体――だったけど、最後に会って三年経つから、身長はともかく肉付きはどうなっているかは分からないな。でも食べなくても動けるってことはその辺の心配は要らないかもなぁ」
……巨体と呼んで差支えない騎士殿の『半分ちょっとの肉付き』ってどのくらいですか。標準体型か、そこそこがっしりタイプか、脱ぐと凄いんです系か。
「性格的には穏やかで、他者に優しく自分には程々に厳しく。相手の言を一旦飲み込んでから自分の意見を述べる、思慮深いというよりは慎重で、安易に激昂する者、怒鳴り散らす者を嫌う。――臆病で繊細と言い換えてもいいかな。取り扱いが面倒臭い奴だけど、腹を割って付き合えば面白い奴だよ」
……馬をそんな風に評してる漫画があったなぁ。
豆腐メンタルな割に、引き籠り前に王城の一郭を破壊したという逸話の辺りが『取り扱いが面倒』の所以だろうか。
外界を遮断して引き籠った人間の関心など、どうやって惹けるものかサキは知らない。故郷の神話に則るなら人を集めて歌えや踊れの大騒ぎをするところだろうが、サキが騒ぐまでもなく王太子や騎士殿が騒いだあとだろう。あと、いくらおひとり様上等で過ごしてきたサキでも、独り宴会なんぞはお断りである。酒は飲んでも呑まれるな、静かにゆっくり頂くのが至上である。
そうして結局、徒然なるままの日常を話し学校唱歌を口遊み、創作混じりな昔話を語り鼻歌で誤魔化しつつのヒットメドレーを歌って一ヶ月弱。
丸三年を引き籠ったきり一度も――定例の書類と食事の、魔術による沈黙の遣り取り以外――反応しなかったという竜公爵を引きずり出すのに、むしろそれは短期間と言われるのかも知れないが。
数日置きに配達担当としてやって来る騎士殿との短い情報交換だけが唯一の会話という状況、扉に向かってぼっちで喋り続ける苦行を強いられたサキには十二分に長い日数であった。
顔を俯かせたまま、そんな取り留めのない走馬灯を見たサキは、銀縁に切り取られた視界の端っこに僅かに確認できる白っぽい物を意識しつつ、ゆっくりと息を吐き出した。
「……こんな体勢から失礼します。改めて初めまして、竜公爵。首藤早月と申します」
初日以来の名乗りに返された音は、「……しゅ、どーしゃ、……っ」のち、沈黙だった。
――イエス、噛んだね美声が!!
◆◆◆
本日は晴天なり。
離宮に来た当初に比べ、朝の空気は暖かく、空の色も濃さを増したようだ。春も盛りを過ぎて、そろそろ夏の足音が聞こえる季節に差し掛かっている。
朝のお茶を片付けて、食事を仕込むべく台所に籠っていると前触れなく騎士殿が訪れた。
階段を下りきったところで巨体を硬直させた騎士殿は、驚愕の表情をそのままに力無い呟きを落とした。
「……お嬢ちゃんが料理をしている、だと……?」
「紳士の科白じゃないですねお帰りは回れ右でどうぞ」
「うんゴメンな、でも『あの』昼飯を出された身としてはな!?」
そんな叫びに、ちょっと遠い目をしてしまう。見えるのは山盛りジャーマンポテトと、ざく切りキャベツの残像。
「あ――、はい、ごめんなさいです。あの時は申し訳ありませんでした、はい」
高校卒業後の独り暮らしではスーパーの見切り惣菜常連客だったが、こちらに来てからは半自給自足の森暮らしである。リアルに「作らないとご飯は無いよ」な状況、サキに断食の趣味は無い。
結果、面倒臭い怖い気色悪いと叫びつつも、小動物も魚も血抜きから解体まで出来るようになった。というか老爺に仕込まれた。森の恵みと毒物との判別も叩き込まれた。中々のスパルタ具合だった。
それでも「魔術で時短☆」なんて特殊技能の持ち合わせは無いサキである。レンジも無ければ圧力鍋も無い、素人料理人の心強い味方である粉末出汁の素や固形コンソメの素も無い環境で、切る焼く炒めるに塩胡椒、な料理以外が僅かな時間で用意できるものか。
「で、今日はお休みなんですか?」
「そう。用もないしお嬢ちゃんの話し相手くらい出来るかと思ってさ」
話を転換させたサキに、にかっと爽やかな笑みで応じる騎士殿。
「……寂しい休日ですね」
「毎回『要るモンは?』に『話し相手』って言ってた子が手の平返したよ!?」
大仰に嘆かれても本心だ。折角の休日を小娘の話し相手で潰す成人男性、見目は悪くないし職業だって花形だろう近衛騎士なのに。
しかし、まったくの善意で顔を出してくれた騎士殿を素気無く追い返すのも忍びない。礼儀として聞くべき言葉を続ける。
「えぇと。お昼、食べて行きます……?」
「……お嬢ちゃんの邪魔にならないなら」
サキが乗り気でないのを感じ取ったか、騎士殿も微妙なテンションで答えた。
それでも「力仕事なら手伝えるぞー」とすぐに明るい調子に戻って袖を捲り上げる騎士殿に、じゃあ水汲み追加で、と返して火にかけていた鍋に向き直った。
ベーコンの欠片が浮かぶ野菜スープに根菜の卵とじ、ニョッキと葉物野菜のサラダと鶏肉のソテー、主食は昨日焼いた山盛りのパンを好きなだけ、という昼食に、騎士殿は甚く感動してくれた。美味い美味いと繰り返しながら平らげて行く。
「はー、美味かった。ありがとなー。……しかし、お嬢ちゃんひとり分にしては随分な量だな?」
オムレツだけは騎士殿が来てから追加で準備したものだが、他のメニューは既に下拵えが済んでいた。鶏肉が二枚とかスープが寸胴鍋にたっぷりとか、オムレツ用のイモの皮むきを引き受けてくれた騎士殿の隣で作っていた夕食用のラビオリとか。どう見ても一人前ではないことは知れたらしい。
「今日の昼食と夕食と、明日の朝食と昼食、です」
「何食同じメニューで過ごす気なんだ!?」
「味付け変えるくらいの小技は利かせますけど?」
あとは具材を追加して嵩増ししたり、スープからシチューにリメイクしたり。そうやって持たせて二日分の計算だったのだが。
突然のお客様である騎士殿はよく食べた。夕食用として茹でずに置いていたラビオリを除き、残っているのはニョッキ単体とスープが少々、パンが数個のみ。おかしい、明日まで余裕だったはずのパンが今夜で消える。
「というか、昨日配達で顔合せたんですから、明日休みだからお昼ご飯食べに来るねよろしく、くらい言ってってくだされば良かったんですけど」
食後は応接間に移動して、お茶をしつつ他愛ない話を続ける。
「今度からは気を付けるよ。でも割と当日になって呼び出されることもあるから、約束を黙って反故にするのも悪いし」
「すっぽかしは許容しますんで、事前通知の徹底をお願いします。料理が余っても翌日の手間が省けたとしか思わないですし、話し相手は次の機会で構いませんし」
「…………了解」
この年頃の女の子ってこんな醒めてるっけ、と零れた小さな呟きは拾わなかったことにしてサキは茶を啜る。騎士殿は未だにサキの年齢を誤解している。訂正するのも面倒臭く、訊かれない限りは放置の方針だ。
「にしても、あれだけ作れるならやっぱりディオネに食わせて欲しいよなぁ」
再び独白風に零れた音に、聞かなかった振りを上手くできずカップの縁にガチンと歯が当たった。
「…………」
「大丈夫か、お嬢ちゃん」
「お構いなく」
しゅた、と手を上げて宣言したサキに、苦笑ながらに追撃を加える騎士殿は空気が読めていない。
「まあ、ディオがこの状態じゃ受け渡しの難は残るけどな。食べろと言って応接間に置いてみてディオが反応するかどうか……。とりあえず一回やってみ――――なんでそんな冷えた眼で俺を見るんだお嬢ちゃん?!」
「……面倒臭い」
「うわ、物臭!」
「それがわたしの代名詞」
「いや、胸を張られても」
「平坦との酷評を頂きましたが一応はあるんだぞ、の主張」
「……なんで老が気に入っているのか、よぉく解った……」
話を混ぜっ返すのが上手い捻くれ者同士だよ、と。今日も見事な毬栗頭が、がっくりと項垂れた。
そうして休日を過ごした騎士殿が帰ったのは、定例の配達が終わってから。騎士殿が離宮に居るので配達は別の人、ということで、サキにはいつ配達がされているのか分からないが、騎士殿には送付陣が稼働したのが分かったらしい。
「じゃあ、また二、三日後には俺が担当で来るから。よろしくな~」
サキの頭をガシガシと荒く撫で回してから、爽やか兄貴は去って行った。
「……だから騎士さんの中でわたしはいくつの扱い……」
なんだか想定している年齢よりも更に下に扱われている気がする。
溜息をひとつ落とし、髪を手櫛で整えながら踵を返した。
傾いた日が射し込む応接間、向き合うソファの間に置かれたローテーブルの上に残るのは自分と騎士殿が使っていた茶器である。
そこから自分のマグカップを取り上げて、竜公爵の私室に繋がる扉脇の椅子へと座り直す。送付魔術用の台座に片肘を乗せる行儀の悪い姿勢でお茶を一口啜ってから、扉に視線を向ける。
「ということで、わたしが料理を提供する許可が下りましたよー」
『……その割に今日の昼食分はシャルナクが食べてしまったけれどね』
くすくすと笑い混じりで扉越しに応じるのは、艶のある美声である。低過ぎないが落ち着いた、しかし若く張りのあるもの。聞く度にぞくりと腰から背に這う感覚は、第六感的なアレだと思うことにしている。天岩戸が開くと同時に、サキの中でも未知の扉が開かれたなんてことは全力で気付かない方向で行かせていただく。
「流石は肉体労働派、すごい量を食べてくれましたよ。……成人男性の標準なんですかね? 竜公爵もあれくらいの量でお出しした方がいいですか?」
『同列にされると困るな。私は今の量で充分だよ』
やはり笑い含みの声が穏やかに返る。
あの雨の日から三日。
ご尊顔を拝する光栄には預かれなかったものの、話し相手を確保することはできた。……扉越しなので人との対話というより『鏡よ鏡』の気分に近いとかは考えたら負けだ。
騎士殿のご希望通りサキの手料理を振る舞うことが決定したのは、雨の日の夜からだ。既に昨日一昨日と昼食夕食を作ってお出ししている。朝はお茶だけで良いとの申し出があったが、これはゆっくり起きろとの気遣いらしい。
「でもまあ、今夜はお昼の分まで多めに盛りますね。――今日の分をいただけますか?」
台座から肘を退けて王城謹製『竜公爵のご飯』を受け取るべく送付陣の稼働を待つ。プロが作った料理と素人の料理を一緒に盛り合せるのは居た堪れないが、おこぼれに預かれるのは素直に嬉しい。自作料理を不味いとは思わないが、美味しいという感動も存在しないので。
今日のメニューはなんじゃいな~と楽しみにすれど、すぐに送られると思ったブツは現れる気配がない。首を僅かに傾げたところで、少し低められた声が届いた。
『……サツキは』
サキでいい、という主張を却下して『早月』呼びをする美声に微妙な顔をしつつ黙って耳を傾ける。
『どうして、シャルナクに何も言わない?』
ふむ、と虚空を見上げる。昨日、騎士殿が来たときに「どうよ?」と聞かれて「ご覧の通りです」と返した。騎士殿の滞在中、竜公爵は沈黙していたので『変化なし』と受け取られただろう。そして今日も、作っていた料理に竜公爵の分が含まれていることは言わなかった。
――例えば。警戒心バリバリで物陰から出て来ない野良猫を手懐けるとして。置いた餌から距離を取ったら食べに出て来てくれる程度に馴染んだとする。その状況でうっかり友人を連れて来て傍で騒いだら、また警戒心を刺激して物陰から出て来なくなるのではなかろうか。
「とりあえず、お顔を見るまでは現状維持ですかねー」
『……それは、』
「はいはい、気が向くまでお待ちしますー」
報告義務すら明言されていないサキのスタンスは、突っ込んで訊かれない限り放置、だ。指示待ち上等、人の使い方を考えるのは上位者の仕事である。
ようやく現れた籐籠を手に、サキは軽い足取りで応接間を後にした。
サキの中で開いた扉の名を声フェチという(かも知れない)




