第8話 黄金律の外側
1983年3月31日(木) 02:10
ワシは、あかねナイトグループの社長だ。
予科練上がりの死にぞこないが焼け野原で稼業を始め、いまでは風呂屋五軒、その他諸々を回している。あかね楽天地で起こることは、全部ワシの机へ戻ってくる。
一
「くろがね山か、あかね湾か。どっちだ」
そう聞いたら、
「まずは話をお聞き頂いてから、お答え申し上げます」
と来やがった。
胸ぐらをつかんで性根を叩き直してやろうと思ったところで、若造が押してきたリネンカートが目に入った。段ボール箱が五つ、ぎっしり積まれている。
「なんだ、そのカートは」
「社長にお渡しすべきと考え、中身をお持ちしました」
若造がこんな大仰な口を叩くことは滅多にない。ワシは胸ぐらから手を放した。
「入れ」
若造はカートを押して社長室へ入り、まず紙ファイルを机に置いた。
「なんだ、こりゃ」
表紙には「定期研修記録」。数ページで十分だった。若造の前任が書いた、下卑たエロ日記だ。続いて若造が別の箱を開ける。「研修参加確認書」とポラロイド写真も同じだった。
いまさら女の股ぐらを見せられたくらいで興奮するワシでもない。ただ、苦々しかった。ワシの店で、ワシの看板を使って、あの野郎は「王様」を気取っていやがったらしい。
無断欠勤は、これが発覚するのを恐れたからか。いや、まだ分からん。だが、逃げる理由にはなる。
「……クソが」
若造は何も言わず、三つ並んだ大箱の一つを開けた。中には十六分カセットがぎっしり詰まっている。残る二箱も同じらしい。
一本取る。ラベルには日付と嬢の源氏名。
ワシは机の引き出しからウォークマンを取り出し、無作為に一本差し込んだ。左耳へイヤホンを押し込み、再生する。
女の嬌声。そのあとに、抑えた男の声。
数秒で止めた。
「……売れるな」
ブルーテープ屋へ流せば、一本五万は堅い。七百本近くなら、相当なカネになる。
だが、外へ漏らせば、客と嬢の情事を盗み録りしていたことになる。積み上げてきた、ワシの店とグループの「信頼と実績」が、一晩で吹き飛ぶ。
売れるが、売れない。
まったく、面倒な物を残しやがった。
二
「……で、その小さい箱は?」
若造が最後の段ボール箱を持ち上げた。さっきまでの三箱より一回り小さい。蓋を開けると、百二十分テープが詰まっていた。
若造が一本抜き、ワシへ差し出す。
ラベルには日付、嬢の源氏名、それに客の実名。
地元あかね市、市長の息子。親父の秘書をしている野郎だ。
ワシは黙ってテープをウォークマンへ入れた。
聞き覚えのある腑抜けた声。市議選へ出る話、親父から回してもらうカネの話、会社の名前、人の名前、金額。そこまでで停止ボタンを押した。
あそこの息子は外面だけはいいが、相当なドラで、そのうえバカだ。それくらいは夜の番人なら知っている。
問題はそこじゃない。
十六分とは違う。あっちは恥で済む。こっちは、人が何人も吹き飛ぶ。
さっきまでの怒りが、すうっと冷えた。
若造を押しのけ、箱の中を漁る。一本、また一本。地元企業の社長、役人、議員、医者。知った名前ばかりだ。
実名を書き、二時間も録ってある。ろくでもない物が入っていると考えるべきだ。
「なんてこった……」
一つ爆ぜれば、一つでは済まない。火の粉が別の火薬庫へ飛び、最後にはワシの店まで焼ける。
「おんどれ、これをどこで見つけたっ!」
ワシは若造の胸ぐらをつかんだ。
「旧ボイラー室です」
「御殿のか」
「はい」
「他に、これを見たヤツは?」
「いません」
即答だった。怯えてもいないし、隠している顔でもない。こういう場面で嘘をつく人間には欲が出る。この若造には、それがない。
さらに若造は、カートの奥から紙袋を取り出し、中の通帳と印鑑を机へ置いた。
「あかね信用金庫、だと?」
「旧ボイラー室の机の引き出しにありました」
通帳を開く。名義は前店長。残高は二千万と少し。
「……なるほどな」
研修、仕入れ、歩合、その他諸々。ワシの知らんところで抜いて、ここへ溜め込んでいた可能性は高い。全部がそうとは限らんが、細かいところはあとで調べればいい。
ワシは若造の胸ぐらから手を離し、椅子へ座り直した。
三
「……百二十分テープ、聞いたか」
「聞いていません」
「聞かねえのか」
「興味がありません」
普通なら聞く。誰が何を喋っているか、どんな秘密が入っているか、一つくらい確かめたくなる。欲に負ける。それが普通だ。
ところが、この若造は本当に聞いていないらしい。
「お前がこれを、ワシのところに持ってきた理由は何だ」
十六分テープは売れる。百二十分テープは握れる。通帳は闇へ消せる。一本抜けば一生食えるかもしれんし、これを材料にワシへ何か要求する手もある。
それがワシの知る普通だ。
「俺が持っていても、害にしかなりません」
若造は答えた。
「核廃棄物です」
「……核?」
「はい」
自分では処理できない。だから、処理できる人間へ回した。それだけらしい。
なら、相応の対価を払わんと帳尻が合わない。ワシは借りを残すのが嫌いだ。日曜の中山でも稼がせてもらった。
「……何が欲しい」
「はい?」
「言えコラ。カネか。オンナか。地位か」
若造が、わずかに眉を寄せた。
「そんなのもらったら、ネコババと同じでしょう」
「……は?」
思わず聞き返した。
理屈は分からんでもない。自分の物でもない物を持ってきて、その礼にカネをもらえば似たようなものだ、という理屈だ。
だが、いまこの状況で、ワシにそれを言うか。
ワシは黙って若造を見た。
欲がないわけではない。だが、その向きがワシの知っている黄金律に収まらない。カネでもない。オンナでもない。地位でもない。
ワシは男なら、その三つのどれかを握れば動かせると思っている。実際、それで大抵は動く。ところが、この若造はどこにも引っ掛からない。
「……お前、何者だ」
「店長です」
即答しやがった。
本気だ。店長だから、店で見つけた問題を社長へ持ってきた。どうやら若造の中では、それだけで全部説明がついているらしい。
訳の分からん回答だ。異星人か、この若造は。
ワシは通帳を閉じ、百二十分テープを箱へ戻した。
「これは、ワシが処理する」
「はい」
「全部、ここへ預けとけ」
「承知しました」
決めた。
前店長は追いかけてシメる。この爆弾は、ワシの手で始末する。そして、この若造は使う。
信用できる、とは思わん。信用できない、とも違う。分からんのだ。分からん人間なら、なおさら目の届くところへ置くしかない。
「……まだ話は終わらんぞ、公児」
「はい」
時計を見る。午前二時半を回っていた。
まったく、とんでもねえ物を持ち込みやがった。それ以上に、とんでもねえ若造を、ワシは御殿へ送り込んだらしい。




