第41話 埋まった空欄
1985年2月25日(月) 08:00
一
午前八時。三軒同時再稼働のプレオープンを前に、レジーナの事務所で、俺はホワイトボードへ人員表を貼った。
レジーナは昼三名、ルミナは夜二名、ローザは通し一名。黒服は御殿から応援を回せるが、接客へ入れるコンパニオンが六人足りない。
「現状は以上です。今日の出勤人数以上に、客を取らないで下さい」
黒服たちが表を見る中、若い一人が手を挙げた。
「店長。部屋は空いてます。だったら、待ってもらってでも入れた方が」
「客室が空いていることと、客を入れられることは別です。待ち時間が長くなれば不満になりますし、無理に回せば接客時間まで崩れます」
人員表の横へ時間帯別の稼働表を貼った。九時から十二時、十二時から十五時、十五時から十八時。出勤するコンパニオンの人数から、それぞれの時間帯で受けられる客数を割り出してある。
「受付で調整して下さい。『人が足りないから全員で何でもやる』は止めます。手順も減らしません。客を待たせないために、接客を急がせることもしないで下さい」
返事が揃い、朝礼が終わる。黒服たちが散ったあとも、俺は人員表を外さなかった。
今日だけなら御殿から応援を回せる。しかし、三月から毎日となれば無理だ。御殿を含めて四店舗。箱も価格も役割も決まり、設備も帳簿も運用手順も揃えた。人員表にだけ、六つの空欄が残っている。
採用予定者の一覧を開いた。募集広告から来た者、従業員の紹介、以前のロイヤル興業から残る者。応募そのものはあるのに、採れる人数は少ない。
前職を訊くたびに内容が変わり、勤務可能日が面接の途中でずれ、希望月収と働ける日数が噛み合わない。事情があって答えが変わるなら、その理由を説明できればいい。ただ、そのたびに違う話になる者まで、人数を埋めるためだけに採るつもりはなかった。
机の端に置いたメモへ目が止まった。
あかね中央警察署、保安課。
以前、あのオッサンに言われたことがある。
――人待ちや新興サロンの連中、面倒見てやりゃいいんだがな。
そのときは断った。経路の分からない人間を増やせば、管理するものも増えると考えたからだ。
だが、今は六つの空欄がある。
俺は受話器を取った。
二
午後、レジーナの事務所へオッサンが来た。椅子を引いてどかりと座り、ホワイトボードの人員表を一瞥する。
「で。何だ」
「人手が足りません」
「見りゃ分かる。お前さん、前は要らんって言ったろ」
「はい。以前は入れる必要がありませんでした。今はあります」
「同じことだろうが」
「違います」
オッサンが眉を上げた。
「相変わらず可愛げがねえな。人待ちしてた女も、新興サロンから流れてる女もいる。店を探してるって話は耳に入る」
「はい」
「だがな、ワシから誰かを紹介したり、送り込んだりはせんぞ」
「それで結構です」
「警察が風呂屋へ女を世話したなんて話になったら洒落にならん。じゃあ、何をしろってんだ」
「店を探している人の話を聞いたら、うちも募集しているとだけ伝えて下さい。本人から直接連絡してもらいます」
「名前も聞かなくていいのか」
「はい。来たら通常通り面接します。誰から聞いたかは確認しますが、扱いは変えません」
「検査もか」
「はい。性病検査も身元確認も、以前どこで働いていたかの確認も同じです」
「事情がある奴も多いぞ」
「事情は聞きます。ただ、事情で基準は変えません」
オッサンが灰を落とし、しばらく俺を見てから鼻で笑った。
「しかし、お前さんも少しは変わったな。前なら入口から閉めてただろ」
少し考えた。
「入口は、広げます」
「ほう」
「中へ入ってから守る線は、変えません」
オッサンが笑った。
「やっぱり変わってねえわ」
三
それから三日間で、二十三人が面接に来た。俺一人では回らず、中原にも来てもらい、レジーナと御殿を往復してもらった。
面接票には、氏名、住所、前職、現在の収入、希望月収、勤務可能日、希望期間を書いてもらい、面接では順番を変えて確かめる。
「週に何日働けますか」
「五日です」
「夜も?」
「大丈夫です」
「土日は」
「土曜は無理です」
「面接票には土日可とあります」
「あ……日曜だけです」
赤鉛筆で印を付けた。それだけで落とすわけではない。別の話をしたあとでもう一度訊き、理由が通るなら構わない。ただ、答えがそのたびに変わるなら採らない。
「希望月収は三十万円ですね。勤務は三か月を予定している、と」
「はい」
「週三日勤務の希望ですが、その条件で届くと考えていますか」
「……足りないですか」
「こちらが訊いています」
黙り込んだ相手に、勤務日数を増やせるのか、期間を延ばせるのかを確認した。金が必要なこと自体は問題ではない。希望する収入と働き方を、自分でどう考えているのかを知りたかった。
最終的に十一人の採用を決めた。レジーナ六人、ルミナ二人、ローザ三人。不足分より多いが、休みと交代を考えれば必要だった。
ただし、面接を通しただけで勤務開始にはしない。性病検査と身元確認、前職の確認を済ませ、問題がない者から正式に勤務へ入れることにした。
二月二十八日、必要な確認を終えた者から教育を始めた。最初の説明だけは三店舗で揃えるため、レジーナの待機室へ集める。
「三店舗で価格は違います。ただし、守る決まりは同じです」
黒板へ、時間、衛生、報告、客との私的な金銭貸借禁止、店外での約束禁止、と書いた。
「細かいですね」
一人が言った。
「細かいです」
「前のサロンじゃ、そこまで言われなかったけど」
「ここでは言います」
「融通、利かないんですか」
「利かせる場所はあります。客が十分遅れて来店したときの終了時刻は調整できますが、衛生上の決まりは調整しません」
待機室が静かになる。
「分からないことは勝手に判断せず、黒服へ訊いて下さい。黒服も答えが分からなければ、俺か各店責任者まで上げて下さい。個性は仕事を覚えてからで結構です。まず、共通のやり方を覚えて下さい」
一人が手を挙げた。
「合わなかったら?」
「辞めてもらいます。こちらから辞めてもらうこともあります。お互い様です」
後ろで中原が口ひげをさすった。それ以上、質問は出なかった。
四
二月二十八日、午後十一時を過ぎて御殿へ戻ると、喫煙所にみほがいた。
「店長。久しぶりやな」
「昨日も会っています」
「そういう意味ちゃう」
タバコをくわえたまま笑う。朝からレジーナ、ルミナ、ローザを回り、御殿へ戻る時間は以前より明らかに遅くなっていた。
「新人さん、ぎょうさん入ったんやって?」
「十一人です」
「怖かったやろなあ。知らん顔して、同じこと何回も訊くやろ」
「確認です」
「ほら、それや」
みほが灰を落とした。
「今日な。レジーナから一人、こっち来てたで。さきちゃん。源氏名、まだ仮やけど」
二十四歳。飲食店勤務。週四日希望。面接票の顔を思い出す。
「何か問題が?」
「問題っちゅうほどやない。店長の顔見たら、固まってた」
「教育初日ですから、緊張はするでしょう。慣れれば問題ありません」
「せやな」
みほは笑ったが、その笑い方が少しだけ違った。
「何ですか」
「別に。店長、人が揃ったら終わりやと思てへん?」
「思っていません。勤務状況を見ます。遅刻、欠勤、衛生手順、客とのトラブル。最低でも一か月――」
「そうやなくて」
言葉が止まった。
「……何でしょう」
みほは少し考え、タバコを灰皿へ押しつけた。
「まあ、ええわ」
「よくありません。途中で止められると分かりません」
「分からんままでええこともあるんよ」
そう言って吹き出し、喫煙所を出ていった。
俺はしばらく残ったが、何を言いたかったのかはやはり分からない。
事務所へ戻ると、机には四店舗の人員表が並んでいた。六つあった空欄には、名前が入っている。
ただ、名前を書けば人員になるわけではない。明日も来るか、手順を守るか、一か月後もいるか。そこまでは、まだ分からなかった。
四店舗を回すには、人が要る。そして、人は数字のようには揃わない。揃わないなりに、見続けるしかなかった。




