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根のない男 ―― 夜の街で、居場所をつくる  作者: 早瀬 構


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第37話 つながらぬ線

1984年11月3日(土) 18:00


一


 午後六時。


 ロビー近くの待機室が、今夜だけは忘年会場になっていました。


 普段は十人ほどが待機する部屋に、社長、店長、コンパニオンたち十一人、西本君と小野寺さん、それに私。十六人も入れば、さすがに空気が違います。


 接客業ですから、私共はなかなかまとまった休みを取れません。十一月三日、文化の日に気の早い忘年会というのも、接客部屋の営繕工事で三日間休業する、その中日を使ったからです。


 申し上げにくいことですが、コンパニオンたちは近場で宴会をすることを好みません。世間は口さがないものです。一同で外の店へ出れば、自分たちの立場をわざわざ公にするようで、気が引けるのでしょう。


 ならば、ここでやればいい。


 店長がそう決め、仕出しと酒だけを手配しました。


 私たち黒服がビールを注いで回り、最後に社長のグラスを満たします。


「社長、行き渡りました」


「少し早いが、今年もよくやってくれた。……乾杯っ!」


 グラスの鳴る音が重なり、普段は出番待ちと仮眠の場である待機室が、一気に華やぎました。


 社長の周りにはコンパニオンたち。その反対側、出入口に近いところには私たち黒服と店長が腰を下ろしています。にぎわいの中心へ自分から入っていかない、この方らしい位置取りです。


 もっとも、自分たちの店という安心もあるのでしょう。コンパニオンたちは酒が回るにつれ、声も笑いも大きくなりました。


 店長が御殿の飲み会に参加するのは、これが初めてです。


 ほどなくして、あちこちから質問が飛び始めました。店長は逃げるでも怒るでもなく、苦笑しながら一つずつ答えていました。


二


「ねえ店長、どんな女の人が好きなん?」


「えー……よく笑う人、ですかね」


 ご本人は真面目に答えたのでしょう。


 ですが、まったく頂けません。


「店長、それだけ?」


「つまんなーい」


 案の定、あちこちから不満の声が上がります。店長は少し考え、付け足しました。


「ああ……俺がコーヒー好きなんで、コーヒー好きの人が良いですね」


 その追加も、何の役にも立ちませんでした。


「やっぱ、カラダから入るでしょ?」


「かんた~んに、おっぱいですか? おしりですか?」


 店長の笑顔が引きつります。


 私はグラスを傾けながら、成り行きを見守りました。場の空気を冷やすのは好みませんし、この程度なら店長にも良い経験でしょう。


「俺は身長百八十五センチありますので、それなりに背の高い女性が」


「身長?!」


「おっぱいかおしりかって、聞いてるんですよっ!」


 待機室が沸きます。


「やせている方は、健康状態が心配になります。食事量と体調管理は生活基盤に直結しますので」


「硬っ!」


「生活基盤て何なん!」


「おっぱいとおしり、どっち派なんですか!」


 店長はしばらく考え込みました。


「ふくよかで、健康的な女性の方が安心です」


 どうやら、ご本人としては最大限に踏み込まれたようです。


「それ結局、おっぱいですよね!」


「おしりかもしれへんやん。実は敷かれたいタイプ?」


「はっきり言ってください!」


 社長まで口角を上げています。


 私がそろそろ堂々巡りをいなそうかと思った、そのときでした。


三


「……それは、どちらも、嫌いではありません」


 店長が真顔で答えました。


 コンパニオンたちも、私も、一瞬だけ動きを止めます。


「ただ、身体的特徴は、第一印象に多少影響するだけで」


「……」


「長く付き合う相手を決めるうえでは、優先順位は高くありません」


「中原さん、通訳して」


 あやさんが私を見ます。


「身体の特徴で女性を好きになるのではなく、好きになった女性の身体を好きになる。そうですね、店長」


 店長は大きくうなずきました。


「そういうことです」


「……へえ。店長、めっちゃ一途やん」


 あやさんが身を乗り出し、何かに気づいたように目を細めました。


「店長、もしかして女の子と付き合ったことあるん?」


「ありません」


「ないんかいっ!」


 待機室がどっと沸きます。


 私はビールを口元へ運びました。まあ、そうなりますよね。


 騒ぎの中で、あやさんだけが急に真顔になりました。


「……まさか、童貞とかちゃうよね」


「そうですが」


 一瞬、静かになりました。


「えええええっ?!」


 今度は先ほど以上の声が上がります。


「店長、マジで?!」


「この仕事してて?!」


「二十四で?!」


 店長は、少し困ったように眉を寄せました。


「それが、何か問題でしょうか」


 火に油です。


 私はまたビールを飲みました。以前、ご本人から直接聞いております。それにしても、ここまで堂々と答えられると、かえってこちらが居心地悪くなります。


「じゃあ何で、そんな恋愛について分かったようなこと言えるん?」


 あやさんがなおも追及します。


「分かったつもりはありません」


 店長は即答し、それからグラスを置きました。


「ただ、俺が女性と交際するなら、自分の感情を相手に押しつけないことは必要だと思います」


「うん」


「何か問題が起きても、相手のせいにしない。それから、言い訳する前に対処する」


「……まだあるん?」


「責任の所在は曖昧にしない方が良いですし、状況が悪くなっても、自分の立ち位置は崩さない――」


「仕事ちゃうで」


 あやさんの一言で、店長が目を瞬きました。


「でも、なんや……面倒くさい男やな」


 そう言ってから、あやさんは隣へ顔を向けます。


「なあ、お姉さん」


 コンパニオンたちの視線が、ゆっくりとみほさんへ集まりました。


 みほさんはゆっくりと首をかしげ、店長を一度だけ見ました。


 それから、なぜか視線を明後日の方へ逸らします。


「……ええかげんにしぃ、あやちゃん」


四


 宴が終わりました。


 店長は私たちと一緒に待機室を片づけています。空き瓶を集め、灰皿を下げ、座布団を重ねる。先ほどまで女性との交際について散々問い詰められていた人が、何事もなかったように手を動かしていました。


 あやさんのつぶやき。周りの視線。そして、みほさんが店長を見たこと。


 店長も、それぞれには気づいているのでしょう。ただ、一つにつなげて考えることはない。そういう人です。


 私は空いたグラスを重ねながら、ふと、五月の夜を思い出しました。


 客に殴られた翌日、喫煙所でみほさんが差し出した煙草を、店長がそのまま口にしたこと。吸い方も知らず盛大にむせ、みほさんが慌てて背中をさすっていたこと。


 あのときも店長は、たぶん何も結びつけていません。


 その後ろで、中原さん、と西本君に呼ばれました。


「この空き瓶、どこ置きます?」


「倉庫の手前でいいですよ。明日の朝、酒屋さんへ返しましょう」


 返事をしてから、私は最後のグラスを盆へ載せます。


 みほさんは、待機室を出たあとでした。店長は入口の方を見るでもなく、座布団の向きを揃えています。


 私が感傷的になることでは、ありませんね。

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