第25話 通常運用の結果
1984年1月17日(火) 10:40
一
刑事たちが店を出て行った。
俺は、聴き取りに協力してくれたあやとみほを待機室へ送り出し、その足で事務所へ戻った。「あかねナイトグループ」本部へ電話を入れ、立入検査を受けたこと、指摘事項はなかったこと、御殿で作った業務マニュアルの控えを所轄署へ渡したことを順に報告する。
受話器を置くと、それまで黙っていた中原が、口ひげを撫でながら息を吐いた。
「対応……いかがでしたかね。自然体で臨んだつもりですが」
「私も立入は三回目ですけど、十分だったと思います。聞かれたことにも、きちんと答えられましたし」
「そうですか」
俺もようやく肩の力を抜いた。
「……腹、減ったっすね。……ちゃんこ鍋」
西本が、事務所の隅からぼそりと言った。
簡易キッチンへ目をやると、テーブルの上にはまな板と包丁、それに切りかけの白菜や葱が残っている。刑事が来る直前まで四人で朝飯の支度をしていたのだから、当然だった。
「朝礼後だ。昼飯になっちまったが」
中原がなだめるように言うと、小野寺も腹を押さえて苦笑した。
四人でぞろぞろとロビーへ向かう。いつもはそれぞれ持ち場から集まる俺たちが一緒に現れたせいか、出勤していたコンパニオンたちは少なからず怪訝そうな顔をした。
俺は前へ出て、なるべく普段どおりに告げる。
「午前九時半から十時半まで、所轄警察署の立入検査がありました。確認を受けましたが、問題はありませんでした」
言葉が落ちると、ロビーに小さなどよめきが広がった。隣同士で顔を見合わせる者がいて、ヒールの先が絨毯を擦る音もする。何人かの視線が、俺と中原の間を往復した。
その中から、あやが一歩前へ出る。
「ウチも聴き取り受けたけど、バチーッと答えたったさかい、すぐ納得や」
「あやちゃん。アンタ、だまっとき」
みほが低い声でたしなめると、あやは口をつぐんだ。
中原は二人を一瞥しただけで、そのまま当日の予約状況と出勤予定を読み上げ、最後にいつもの調子で締めくくった。
「以上です。通常営業で、今日もよろしくお願いします」
二
「ちゃんこ……完全にタイミング逃しましたね。食べられるだけ、まだマシですけど」
「ホントっすよ。どうせ来るなら昼前に来いって。……もう食べて良いっすか」
「昼前に来てたら営業に障ってたぞ。もう少し待て、まだ煮えてない」
午前十一時四十五分。
土鍋の蓋の隙間からようやく湯気が立ち始めたところで、西本が箸を伸ばし、中原に手を叩かれた。小野寺が笑い、俺もとんすいを手元へ寄せる。
朝飯のつもりだったものが、ほとんど昼飯になってしまった。それでも温かいうちに食べられるなら構わない。
「じゃあ、いただきま――」
ピン、ポーン……。
間延びした電子音が事務所まで響いた。年末に取り付けた、ドアの「開き」に反応するチャイムである。
「俺が出ましょう」
とんすいと箸を置き、ロビーへ出た。
入ってきたのは新規のフリー客だった。料金とシステムを説明し、コンパニオンのパネルを見せる。客が腕を組んで選び始めたところで、またチャイムが鳴った。
今度は中原が出る。
「いらっしゃいませ」
「あやを」
聞き覚えのある声だった。あやが体験入店した初日から通っている馴染み客、「平行移動」である。
その後も二人、三人と客が続いた。昼番としてはありがたい流れだが、黒服四人が同時に食卓へ座れる時間はなかなか来ない。
営業を優先し、俺が戻ると中原が立ち、中原が戻る頃には小野寺が呼ばれる。西本は一口食べたところでメンテナンスへ走り、戻ってきたときには鍋の白菜がすっかり柔らかくなっていた。
それでも誰も文句を言わず、空いた者から順番に鍋をつついた。
最後に飯と卵を入れ、雑炊まで片付いたのは午後三時を回ってからだった。
「くたくたのちゃんこに、生温かい雑炊。……オツなもんっすね」
西本が、皮肉と諦めを半分ずつ混ぜた声で言う。
「客が来てくれたんだから、ありがたいだろ」
小野寺がそう返しながらも、顔には同じ疲れが浮かんでいた。
俺は中原と目を合わせ、二人で苦笑した。
三
食後、眠気覚ましのコーヒーを買おうと通用口へ出た。
喫煙所には、みほが一人で壁にもたれていた。煙草を指に挟み、ぼんやりと白い煙を眺めている。普段より少しだけ、たそがれて見えた。
自販機でブルマンコーヒーを二杯買い、そのうち一杯を差し出す。
「今朝方は、ご出勤早々、お手数をお掛けしました」
「おおきに。……ホンマ、お手数やったわ」
みほは苦笑しながら受け取り、紙コップへ息を吹きかけてから一口すすった。
「あやさん、何か……やらかしましたか」
「ううん。別に、やらかしたわけやないよ」
煙を細く吐き、みほは目を細める。
「あの軽さやな。あの子のええとこでもあるんやけど、この仕事では、ちょっとキツイときもあるやろな」
「……そうでしたか」
あやが聞かれた以上のところまで話を広げたらしいことは、みほの様子から何となく分かった。店に類が及ばないよう、自分なりに気を遣って答えたことも分かっていた。
みほはそれ以上あやの件には触れず、今日は客が多いだの、ちゃんこは食べられたのかだの、二言三言の世間話に移った。
煙草が短くなると、みほは灰皿へ押しつけた。
「話聞いてくれて、おおきに」
「……どうも」
名残の紫煙が細くたなびく。
みほはコーヒーを片手に踵を返し、そのまま喫煙所を出て行った。
四
翌朝、俺は社長に呼び出され、プラチナムへ向かった。
通用口から入ると、数人の黒服が俺をちらりと見た。いつもなら聞こえる雑談も少なく、店全体が妙に静かだった。
事情は分からないまま、最上階へ上がる。
社長室のドアをノックした。
「入れ」
短い呼び声が返る。
中へ入ると、社長は椅子に浅く腰掛け、顔の前で両手の指を組んでいた。この時刻、この曜日なら、スポーツ新聞を広げて馬の追い切り情報を読んでいるはずなのに、机の上には新聞が畳まれたまま置かれている。
「おう、公児よ」
「お呼びにより、参りました」
「ウチな、昨日……一斉にやられた。同時刻に風呂屋五軒、立ち入りだ」
「……そうでしたか」
昨日の御殿だけではなかったらしい。
社長は葉巻を口へ運び、ゆっくり煙を吐いた。
「さほどの打撃じゃなかったが、『軽微指導』で改善報告しろ、だとよ」
「何を指摘されたんですか」
「帳簿記載の不備、掲示物の位置……まあ、お行儀指導ってとこか」
葉巻を灰皿へ置き、上目遣いで俺を見る。
「で、御殿は指摘なし。官も一時間で引き揚げ」
「そうです」
「マニュアルまで持って帰ったってな」
「控えを一部、提出しました」
「……お前のこった。『通常運用の結果です』とか、小難しく言うだろ?」
「そうとしか、言いようがありません」
社長はしばらく俺の顔を見ていたが、やがて鼻を鳴らした。
「まあ、よくやった」
「ありがとうございます」
それだけだった。
社長は葉巻を取り上げ、眼で俺に退室を促した。
俺は一礼し、社長室を出た。




