↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
根のない男 ―― 夜の街で、居場所をつくる  作者: 早瀬 構


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/49

第23話 御殿の決めごと

1983年11月12日(土) 07:45


一


「うわっ……店長、ここで寝てました?」


「……へっ? いま何時?」


「何時? じゃないっすよ。汚ったないなぁ……よだれまみれっすよ?」


 何という醜態だ。


 中原には二度ほど起こされたことがあるが、西本に起こされたのは初めてだった。それも七時四十五分。朝の申し送りまで、あと十五分しかない。


 慌てて事務所のシャワーを使い、体裁を整えた。八時ぎりぎりには、中原も駆け込んでくる。


「何すか、店長。部下に示しがつかない。そう思いませんか」


「……西本さんの言われる通りです。すみません」


「中原さんも中原さんです。二人で閉店作業後に何やってるんですか?」


「いやな、小野寺さん。その、店の運営について、店長と打ち合わせだ」


「鍋……つつきながらですけど」


 中原は、阿呆を見るような目で俺を見た。


 寝不足が続くと、頭は正常に働かない。俺は夜ごとの「反省会」を黒服たちへ白状する格好になった。


「鍋? あはは。事務所で鍋っすか」


「所帯じみてますね……はは、息が……」


 ひとしきり笑われたあと、小野寺がようやく息を整えた。


「店長。晩飯食ってすぐ寝て、そこへ酒も入れる。体に良くありませんよ。むしろ朝に打ち合わせされたらどうです?」


「……朝」


「俺たちも混ぜてほしいっすよ。朝鍋」


 翌朝から、「朝食ミーティング」が始まった。


 寒さも増してきたので鍋は好評だった。開店前、黒服たちと中原、それに俺で鍋を囲み、店の話をする。雑談も混じった。


「じゃあ、こうしたらどうっす?」


 黒服たちは、現場の不便や改善案を口にするようになった。的を射たものも少なくない。中原はすぐに否定せず、俺も理由が分かるまでは否定しない。


(前に読んだ、自動車会社の本に少し似てるな)


(「自働化」とか「ジャスト・イン・タイム」とか。異常があればすぐ分かるようにして、必要なものを必要なときに流す)


 鍋の向こうでは、西本と小野寺がメンテナンス順について言い合っている。


(考え方だけなら、近いのかもしれない)


(……規模は違いすぎるけど)


 俺は一人、苦笑した。


二


 十一月十七日、午前十一時。


 あかねロイヤル興業の一斉捜査から、一週間が経った。その間、中原や黒服たちは、コンパニオンたちの不安をなだめてくれていた。


 そろそろ、店長として俺の考えを示すべきだろう。


「みなさん、今日は少しだけ、俺の考えを話させて下さい」


 朝礼に並ぶ顔を見回す。


「まず、御殿は法律上、健全な店です。そこは、ご心配なく」


 誰も何も言わない。


 法律を守っていても、世間の視線まで消えるわけではない。ここにいることを、誰にでも話せるとは限らない。


「俺は、みなさんや黒服、それに俺自身へ、胸を張れとは言えません。だから……俺たちが、今後これ以上、後ろめたくならない方法を考えたい」


「店長、どんな方法なんですか?」


「法令は、いま守っているものを、これからも守る。それだけです。ただ、いま問題がないからといって、先も同じとは限りません」


 一度、言葉を切った。


「強要しない。秘密を外へ出さない。衛生上の決まりを守る。そういう、店として守るべきことを『決めごと』にします。年末までにお知らせします」


「決めごと……ですか?」


「はい。後ろめたく感じることは、人によって違います。俺が勝手に決められることでもありません。みなさんと話をして、少しでも増やさない方法を考えます」


 あやが手を挙げた。


「店長。人の心、規定できひんよね?」


「……そうですね」


「解決できひんことの方が、多いんちゃう?」


 借金。家族。客との関係。仕事そのもの。紙に書けば片付くことばかりではない。


「……それでも、放置しません」


 あやは俺を見たまま、何も言わなかった。


「以上です」


 朝礼を終える。


 あとは、公表したことを履行するだけだ。


三


「店長、日本語勉強しました? ニホンゴ」


「高卒っすよね? 俺ら中退組に分かる言葉でお願いしますよ」


「お前らなあ。勉強が足らないだけだぞ」


「ひっでぇ……中原さんも中卒なのに」


 俺たちの立ち位置で学歴争いをしても、実に不毛である。


 最初は、強要しないこと、秘密を守ること、衛生上の例外を作らないこと。それだけを「決めごと」にするつもりだった。


 ところが話を詰めるうちに、日々の業務も整理しようということになった。作業動線、部屋の回し方、備品の置き場所、異常時の報告手順。結局、一冊の業務マニュアルにまとめる。


 役割分担も決まった。俺が文案を作り、中原が分かりやすい言葉へ直す。黒服たちが現場目線で手を入れ、まとまったところでコンパニオンたちにも読んでもらった。使いにくい、言い方がきつい、現場ではそうならない。そうした意見が出るたび、また直した。


「この作業、こっちを先にした方が取り回し良いっすね」


「分かりました」


「この言い方、コンパニオンに角が立つっすよ」


「角が立ちますか」


「立ちます。怒られるパターンっす」


「……では、直しましょう」


 俺一人なら、相当に使いにくいものになっていただろう。


 文章だけでは分かりにくいところには、挿絵も入れることになった。試しに俺もフロア図を描いてみる。


「あっちゃぁ……店長。それ、どこかの魔宮っすか」


「フロアの半分も階段が占めてないでしょう?」


「いや、そこだけじゃなくてですね……」


 返す言葉もなく俯いていると、西本が中原の図を覗き込み、目を丸くした。


「中原さん、上手いっすね。画伯ってやつっすか?」


「昔取った杵柄だよ。町工場で製図ばっかりやらされててね」


 俺も覗き込む。線はまっすぐで、寸法も正確だった。


「……中原さん」


「はい?」


「挿絵、お願いします」


「ええ。そうなると思ってました」


 俺の些少のプライドと引き換えに、マニュアルは着々と形になっていった。


四


 十二月十八日。


 とうとう、御殿の業務マニュアルが完成した。


 机に綴じたばかりの冊子を並べると、西本が一冊を手に取った。


「すっげ……店長、なんか普通の会社みたいっすね」


「普通の会社ですよ、御殿も」


 西本が一瞬、俺を見る。


「……そうっすね」


 翌日の朝礼では、数冊を待機室へ配備した。俺が頼んだわけでもないのに、小野寺が冊子を掲げる。


「来年から、みなさんと一緒に、これを守っていきましょう」


 コンパニオンたちは、ざわめきながら冊子を回した。


「へえ……こんなんまで書いてある」


「中原さん、この絵、上手よね?」


「これ店長ちゃう?」


「あやさん、店長のは使えないっす」


「なんで言うんですか」


 笑いが起きた。


 それでいい。


 俺一人で作ったものではない。誰か一人のものでもない。御殿で働く人間が、使うために作ったものだ。


 十二月三十日、午後六時。


 待機室の前を通ると、棚に置いたマニュアルの一冊は、もう角が少し折れていた。誰かが何度も開いたのだろう。


 冊子の端を揃え、そのまま喫煙所へ向かう。


 みほが壁にもたれ、紫煙をくゆらせていた。


「おつかれさまです」


「店長も、おつかれさん」


 今年は寒いだの、年末は忙しいだの。しばらく取り留めのない話をしたあと、みほが煙草を灰皿へ押しつけた。


「来年は、もっとええ年になるやろかな」


「……そうですね」


 みほは微笑んだ。


「良いお年を」


「はい。良いお年を」


 小さく会釈し、そのまま通用口から出ていく。


 俺は閉じた扉を見た。


 大阪に……帰省するのかな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。