第21話 異常値の外側
1983年10月11日(火) 00:20
一
「無理ですよ。第一、柄じゃない。説明できるほど、俺は自分の業務を整理していません」
「そうですかね」
「効率的店舗運営とか、また他所で聞きかじってきたようなことを。もう少し人を選んでですね……」
「そうですかね」
「ああ、こんなことなら臨時ボーナス、黙って受け取っとけばよかったですよ」
「店長。社長にそうおっしゃればよかったのに」
「言えませんよっ! そんなこと! ……すみません」
日付が変わった閉店後、俺はラーメンをすすりながら、中原に愚痴をこぼしていた。八つ当たりなのは分かっている。受け止めてくれる相手に甘えているだけだ。
中原はスープを飲み干した。
「研修ね……おそらく、総スカンでしょう」
「うっ……。そうでしょう?」
「各店、店長にも従業員にもプライドがあります。まして御殿だけが数字を伸ばした直後でしょう」
「……励まして下さいよ」
中原は苦笑いした。
「できることは三つですね」
――「出羽守」にならない。「御殿では」と、上から目線で言わない。
――「正論居士」にならない。相手の課題を勝手に指摘しない。
――「報告者」になる。御殿でやったことを淡々と話す。
「……それしかないでしょうね」
好かれたくて仕事をしているわけではない。だが、反発や敵意を平気で流せるほど図太くもない。
それから一週間、通常業務の合間に研修資料を作った。理念は入れず、実務だけに絞る。
――客の流れと回転の均等維持。
――特定の時間帯、人員、業務への偏り。
――店における異常値の種類と検知。
――消耗品と在庫の管理。
御殿で何を見て、何を変え、何を変えなかったかも添えた。
「店長。……よろしいんじゃないですか」
「……玉砕している自分しか見えませんけど」
「そのときはまた、ラーメンでも作って食いましょう」
二
十月十七日。
俺の地獄行脚……もとい、巡回研修が始まった。御殿を除く系列十一店舗を、五日間で回る。
一店目。
店長は壁ぎわで腕を組み、「お説拝聴」の構え。従業員も顔が固い。
俺は資料を説明し、質問を促した。
「で? 田中さん。それって結局、給料上げたからでしょ?」
「それも、一つの要因だと思います」
「だったら、店長。ウチの給料も上げて下さいよっ」
乾いた笑いが起きた。
「待遇については、各店の責任者と本社の判断になります」
「ほら。結局それじゃないですか」
「そうですね」
胃のあたりが、少し重くなった。
二店目。
「ウチは気合いで回してますよっ! 頭で考える? そんな余裕ないっすよ!」
「数字、数字ってさ。アンタも現場だろ?」
「そうですね。現場の判断が最優先です」
「じゃあ、こんな研修いらないじゃないですか」
「現場で使えないなら、そうです。使えるところがあれば、その部分だけ拾って下さい」
自分でも、随分弱気な講師だと思った。
三店目。
「御殿さんの特殊事情が、たまたま上手く片付いただけですな」
「そうかもしれません」
「ウチは固定客が多い。夕方に指名が偏るのは承知の上です。そこを均したら馴染みを逃す。ウチは、偏らせてるんですよ」
資料へ目を落とした。
偏りがある。御殿なら、まず異常値として見る。だが、この店では、それが平常値なのかもしれない。
「なるほど」
「御殿さんには御殿さんの事情がある。ウチにはウチの事情がある。それだけです」
「……おっしゃる通りです」
店が変われば、反応も変わった。
「そんな細かく見てたら、仕事にならない」
「ウチの客層には合わない」
「数字で人間が分かるなら苦労しない」
「御殿さんは、たまたま上手くいったんでしょう」
反発。冷笑。無関心。
黙って聞く店はあっても、歓迎された店は一つもない。巡回するたび、胃に一発ずつ入れられるようだった。
三
四日目。
向かったのは、古巣プラチナムだった。
懐かしいロビーへ足を踏み入れ、少し肩の力が抜けた。三月末まで五年間働いた場所だ。ここなら多少は話を聞いてもらえる。そう思っていた。
「公児さん、お久しぶりです」
「お久しぶりです」
「御殿、すごいらしいじゃないですか」
「まあ……皆さんが頑張って下さいましたので」
「出た。公児さんらしい」
笑いが起きた。
だが、歓迎はそこまでだった。
研修終了後、昔の同僚たちが声を掛けてきた。
「公児さん……店長になって、まあ偉くなったもんすね」
「かはぁ! 御殿、儲かってるみたいだからなぁ。うらやましぃ」
「効率的に、ですか。ウチは昔から回ってますけど? ご存じの通り」
「昔は公児さん、そんな小難しいこと言わなかったですよ」
俺は返さなかった。言い返せば、中原との約束を破るからだ。
そこへ片桐店長が口を挟んだ。
「まあまあ、みんな。公児だって、『上』の命令で動いてるんだから」
援護射撃。
というより、背後から竹槍だった。
「そうっすよね」
「社長直々じゃ、断れませんもんね」
妙に納得した空気が広がった。
「……何か一つでも、参考になれば幸いです」
それだけ言って終えた。
帰り際、ロビーを振り返る。照明も絨毯も、俺がいた頃と変わらない。変わったのは、俺の立場なのだろう。
ここはもう、ホームグラウンドではなかった。ただの、よその店だった。
翌日、十一店舗目も、形式的な拍手と無難な挨拶で終わった。
五日間。十一店舗。
手応えは、ほとんどない。
その足で社長室へ向かった。
「巡回研修、終了しました」
社長はスポーツ新聞を読んでいた。
「おう、公児。おつかれちゃん」
「……以上、ですか?」
「以上」
四
「一斉じゃない分、毎日がボディーブローでした」
「そうでしょうね。おつかれさまでした」
焼きそばの皿を受け取る。この人は、簡易キッチンで作れる料理が妙に多い。
「三店目の店長みたいに、筋の通ってる話もあったんですよね」
「ええ」
「少なくとも、全部が間違ってるとは言えない」
「そうですね」
「だから、押し切れませんでした」
「押し切る必要も、なかったんじゃないですか」
「……そうでしょうね」
一口食べる。濃いソースが疲れた身体にちょうど良い。
「三店目なんて、俺よりちゃんと考えてましたよ。偏りを、わざと残している」
「ほう」
「御殿なら、まず異常値として見ていたと思います」
中原が俺を見る。
「……それでも、何か得たお顔をされてますよ」
「そう見えますか」
「ええ」
十一店舗。同じグループでも、客も働く人間も違い、同じ数字でも意味が違う。
「ウチは……条件が揃っていたのかもしれません」
「条件?」
「コンパニオンも、中原さんたち黒服も。客層も。店の歴史も」
「俺は、御殿の中だけを見ていました」
中原は黙っている。
「店の中で数字を見て、流れを見て、おかしいところを探す。それだけでいいと思ってた。でも、店は店の中だけで完結してない。客も、人も、積み上げてきたやり方も違う」
「ええ」
「同じ数字でも、その店では普通ってことがあるんですね」
焼きそばへ目を落とした。
「だったら……店の外側も見ないと、判断を間違えるかもしれない」
少し間を置いた。
「世の中から……店を見る視点も、必要かもしれません」
中原は何も言わなかった。
俺も、それ以上は言わない。
しばらく二人で、黙って焼きそばを食べた。




