第20話 ご褒美は講師役
1983年10月3日(月) 00:30
一
「最終着地、上納利益で前年同期比三十パーセント増です」
俺は帳簿から顔を上げた。
「店長。目標、二十でしたよね」
「ええ」
「先月の時点でも、二十八パーセント増を見込んでた」
「はい。そこから二ポイントの上振れでした」
「店長。アンタ……淡々とおっしゃいますね」
閉店作業後。七月から九月までの数字を確認し終え、俺は椅子の背もたれへ深く身体を預けた。
夏枯れの八月を挟みながら、上納利益は前年同期比三十パーセント増。目標を十ポイント上回ったのだから、数字としては悪くない。
中原は口ひげを撫でながら肩をすくめた。
「夏枯れをしのいで、上納利益三十パーセント増です。それこそ店長の言う『異常値』じゃありませんか」
「……そうですか? コンパニオンと、中原さんたち黒服の頑張りですよ」
俺一人で客を取れるわけでも、部屋を回せるわけでもない。数字が出たなら、現場で働いた全員の結果だろう。
「今日、社長への報告ですよね」
「ええ」
「絶対、一波乱ありますよ」
その予言は当たった。
午後四時。四半期報告のため社長室へ入るなり、社長は椅子から身を乗り出した。
「公児コラッ! お前は……ワシを脳溢血か心臓マヒで殺さねえだろうな?!」
「は、はぁ……。こちら、七月から九月までの営業報告です」
社長は報告書を奪い取るように受け取り、黙って頁をめくった。壁掛け時計の秒針だけが、妙に大きく聞こえる。
「公児よ」
「はい」
いきなり立ち上がった社長が、そのまま俺へ駆け寄ってきた。
「お前だけは、御殿だけは、踏みとどまりやがったっ!」
「はぁ……」
次の瞬間、熱烈な抱擁を受けていた。朝から何本吸ったのか、全身から甘ったるい葉巻の臭いがする。
「よーし、決めたっ!」
俺を解放するなり、社長は内線で本社の事務員を呼びつけた。
「御殿を会計監査して、店に必要な手ガネを計算しろ」
「はっ、かしこまりました」
「実績を確認したら、御殿に臨時ボーナスだ」
「はっ、かしこまりました」
「必要な手ガネ以外、全部吐きだしやがれっ!」
「はっ、かしこまりました」
本社の事務員は眉一つ動かさない。俺からすれば、そちらの方がよほどすごい。
二
三日後、午前十時。本社の事務員が封筒の束を持って御殿へやってきた。
「こちら、社長のご指示にて」
「ありがとうございます」
束の中には、俺の名前が書かれた封筒もある。
「俺の分は、内部留保に回してください」
「えっ……」
初めて、事務員の表情が動いた。
「それでは、社長のご決定に――」
「構いません。年末まで書き入れ時ですから」
「……かしこまりました」
残りの封筒を中原へ渡し、朝礼で配布してもらった。
コンパニオンと黒服が、それぞれ封を切る。その瞬間、俺の望む朝礼の秩序は簡単に崩れた。
「店長……『臨時賞与』って書いてあります……」
「え、なにこれ。ほんまに貰ってええの?」
「……しっ、あやちゃん。黙っとき。朝礼やで」
「店長、これマジですか?! 俺ら、黒服にも?」
「皆さんの努力の結果です。規定内であり、社長のご決定です」
事実を説明したつもりだが、それでは収まらない。
「店長、本当に、本当にありがとうございますっ!」
「店長、また『規定内で』とか言うてはるし」
「……だから、あやちゃん。朝礼やって。黙っとき」
中原が手を叩いた。
「はいはい。喜ぶのは結構ですが、朝礼を終わらせましょう」
開店後も、店内は妙に活気づいていた。待機室から聞こえる声は普段より明るく、客を送り出したコンパニオンが、その場で次回の予約を取って戻ってくる。
(結果オーライ、か?)
ふと、社長の言葉を思い出した。
(また、祭りか?)
閉店作業後、中原はチャーハンを口へ運びながら俺を見た。
「ところで店長。ご自分の取り分は?」
「内部留保に回しましたが」
中原の箸が止まった。
「アンタって人は……」
「なんですか。年末まで書き入れ時です。山を越えてから、考えなくもありません」
「『合理性の追求』ってやつも……そこまで行くと、変態ですね」
変態とは心外な。俺は運営の順序を尊重しているだけだ。
三
臨時賞与支給の翌日、午後四時。「あかね寿司」から仕出しが届いた。
特上ではない。上寿司、それも四人前だった。
「あやさん……からのご注文、お届けに上がりました」
「すみません。お支払いは済んでいますか」
「へいっ。今朝方、きっちりと」
西本が、接客の合間に入ったあやへ内線を掛けた。二言三言やり取りし、受話器を手で覆ってこちらを見る。
「『臨時賞与』のご祝儀だそうっす。店長と俺たちに」
「こういうことは、しなくていいんですが。中原さん、そう伝えていただけますか」
「はいはい」
中原が苦笑しながら電話を代わり、やんわりと注意している。もっとも、届いてしまった寿司を返すわけにもいかない。
俺たちは事務所で四人前の寿司をつまんだ。複雑な気分だったが、味は普通にうまかった。
その日の閉店前、コーヒーを買いに出ると、喫煙所にみほがいた。壁にもたれ、煙草をくゆらせている。
「店長」
「はい」
「……ボーナス、おおきにな」
「規定内であり、社長のご決定。そう申し上げたはずです」
みほは鼻を鳴らした。
「アンタが崩れへんかったからや」
「……はい?」
「ウチらも、崩れんですんだ」
煙草を一口吸い、ゆっくりと紫煙を吐き出す。
「それの、おおきにや」
「……そうですか」
みほは何も言わなかった。俺も、それ以上は聞かなかった。
四
「公児よ。世間で『社内研修』が流行ってんの、知ってるか?」
十月十日、体育の日。午後三時。
プラチナムの社長室へ呼び出され、開口一番そう言われた。
自分の理解が相手の理解。本当に、崩れない人だ。
「……はぁ」
社長は葉巻をくゆらせながら椅子へ深く身体を沈め、上目遣いに俺を眺める。
「前四半期は、言わずと知れた『夏枯れ』の時期だわな?」
「……はぁ」
「グループでも風呂屋四軒、その他合わせて十一軒。軒並み失速した」
「……はぁ」
「お前んとこ以外は、だ」
「……それで、その社内研修というのは――」
社長は俺の言葉を制するように身を起こした。
「公児よ」
「はい」
「お前、社内研修やれ」
「……はぁ?」
来週月曜日からグループ各店を巡回。対象は、各店のコンパニオン、黒服、そして店長。
「金曜までに終わらせろ。以上」
「少々、お待ちください」
「なんだ」
「そのような大がかりなことを、俺一人で?」
「そうだ」
「何を話せばよろしいんですか」
「決まってんだろコラ」
社長は葉巻を口から離した。
「『効率的店舗運営』ってやつよ」
「……」
俺が?
御殿でやってきたことを思い返す。おかしいところを探す。数字と現場を見て原因を考える。必要なら直し、直したあとも確認する。
言葉にすれば、それだけだった。それを人前で何時間も掛けて説明しろと言われても、何をどう組み立てればいいのか見当がつかない。
「社長」
「なんだ」
「研修資料などは――」
「自分で作れ」
「……はぁ」
社長は口角を上げた。
「臨時ボーナスを内部留保に突っ込むバカには、ちょうど良いご褒美だろ?」
俺は、返す言葉を失った。




