第15話 初めての採用
1983年7月25日(月) 09:00
一
午前九時。
小野寺が、一本の電話を受けた。
「店長、面接希望だそうです」
「はぁ……黒服ですか」
御殿の店長に就任して、四か月近くになる。
客足が戻り、店の流れも落ち着いてきたところで、黒服を一人だけ増やそうと求人を出した。これまで十人近くと面接したが、採用には至っていない。
押しなべて、仕事を軽く考えている。掃除や送迎、リネン管理まで説明すると、露骨に顔を曇らせる者もいた。それ以上に気になったのは、言葉の端々から透けて見える「あわよくば」の感情だった。
コンパニオンと仲良くなれるのではないか。何かいいことがあるのではないか。そういう期待を持って入られても困る。
いい加減、食傷気味だった。
中原に任せようと思ったところで、小野寺が続けた。
「コンパニオンですけど」
「……コンパニオン?」
「ええ」
「業界経験者ですか。未経験ですか」
小野寺が受話器へ問いかけ、こちらを見た。
「未経験、だそうです」
俺は中原を見やった。中原は穏やかに頷く。
「……午後二時から面接。そうお伝えください」
「分かりました」
店長になって、初めてのコンパニオン面接。それも業界未経験者である。どうにも尻のあたりが落ち着かない。
「中原さん、ご同席いただけますか」
「ええ、もちろん」
「コンパニオンの採用は、まだ経験がありませんので」
「自然体でいいと思いますよ」
中原はいつものように穏やかだった。
午後二時十分前、その女性はやってきた。
肩までの髪を揺らし、短めのデニムのホットパンツに白いキャミソール。夏場とはいえ、面接にしては随分と軽い。
俺は一瞬だけ、その格好へ目をやった。
まあ、黒服の採用面接とは違うのだろう。
二
「よろしくお願いします」
女性が、丁寧に頭を下げる。
いで立ちと言葉遣いが、微妙に噛み合っていない。
「店長の田中です。よろしくお願いします」
「履歴書、持ってきました」
「ありがとうございます」
受け取って広げる。
倉橋亜美。二十一歳。在阪の女子大に在学中。
住所も学歴も、空欄がほとんどない。ここまできっちり書いてくるのは珍しい。
俺は一通り目を通してから、履歴書を机へ置いた。
「なぜ、ウチでコンパニオンとして働きたいと?」
「しっかり稼ぎたかったからです」
「しっかり、ですか」
「はい。留学したくて。来年までに、まとまったお金を貯めたいんです」
「海外へ?」
「ええ。普通のアルバイトじゃ、なかなか貯まらないじゃないですか。それに、高級店なら、きちんと条件が整ってると思いまして」
「なるほど」
筋は分かる。目的もはっきりしているし、履歴書にも不自然なところはない。
だからこそ、この仕事へ入ることへの構えの軽さだけが、妙に浮いて見えた。
「少々、お待ちください」
俺は中原を伴い、アメニティ倉庫へ移動した。扉を閉め、声を落とす。
「中原さん、どう思います?」
「どう、とおっしゃいますと」
「本人が、仕事内容を本当に理解しているように見えません。説明不足のまま入れて、あとで話が違うとなる方が困ります」
中原が少し目を細めた。
「そうですかね」
「身元には問題ありません。目的も分かります。ただ、この仕事へ入る理由だけが妙に軽く見えます」
中原は口ひげを撫でた。
「素材としては悪くないですよ。顔立ちも体型も、むしろレベルは高い。いまどきの女の子という感じですが、磨けば光るでしょう」
「……」
「わざわざこちらまで面接に来ているくらいです。ある程度、腹は決めているのかもしれません」
中原が採用に傾く理由は分かる。七夕キャンペーンの効果も一巡し、これからは夏枯れの時期に入る。そこへ業界未経験の若いコンパニオンが入れば、店にとっては確かに魅力がある。
だからこそ、曖昧にしたくなかった。
「中原さん。仕事内容を、もう一度確認してもらえますか」
三
「……そうですね。念押しはしておいた方がいいでしょう」
未経験者は売りになる。同時に、トラブルの種にもなる。本人が理解したうえで働く、その一点だけは曖昧にできない。
俺たちは事務所へ戻った。
亜美は先ほどと同じ姿勢で椅子に座っていた。中原が向かいへ腰掛ける。
「倉橋さん」
「はい」
「仕事内容については、どこまで説明を受けていますか」
亜美は、きょとんとした。それから、あっさり答えた。
「セックスですよね?」
(いま、セックスって言ったか?)
「もちろん経験ありますし、気になりません」
(もちろん、って言ったよな?)
(『そういうこと』とか、少しはオブラートに包まないか、普通?)
あまりにも直線的だった。
俺は思わず中原を見た。中原は小さく頷いた。反対はないらしい。
「……分かりました。では、明日から三日間。体験入店ということで」
「ありがとうございます。がんばりますっ!」
「あの、研修って今日でも受けられます?」
「今日?」
「はい。ご担当は店長さんですか?」
また、想定外だった。俺は少し身を引いた。
「ウチでは、男性が研修しません」
「そうなんですか?」
「はい」
中原が予約台帳をめくる。
「みほさんに、お願いしましょう」
「みほさん?」
「こちらで長く働いている方です」
中原は待機室へ内線を掛けた。ほどなくして、みほが事務所へ顔を出す。
「店長、お呼びですか」
「すみません。新人さんの研修をお願いできますか」
みほが亜美を見る。亜美も、みほを見た。
「倉橋亜美です。よろしくお願いします」
「みほです。よろしくね」
中原とみほが短く段取りを確認すると、みほは穏やかに微笑んで亜美の手を取った。
「ほな、行こか」
「はいっ」
二人は、そのまま部屋へ入っていった。
俺は閉じた扉を見た。随分と勢いのある人だ。
四
午後五時。
みほが亜美を伴って、事務所へ戻ってきた。亜美の頬が少し上気している。それでも表情は明るい。
「それでは、源氏名は『あや』さん、ということで」
中原が告げた。
「はい。よろしくお願いします」
倉橋亜美。源氏名、あや。明日から三日間の体験入店である。
「ありがとうございます。がんばりますっ!」
「ええ。こちらこそ、よろしくお願いします」
何度目か分からない元気な返事を残し、あやは通用口から出ていった。
扉が閉まる。
みほは、その通用口を見たまま、ぽつりと言った。
「店長」
「はい」
みほが、口元だけで笑った。
「新人研修なんて、ご自分でしはったら良かったのに」
「そういうわけにはいきません」
「せやろな」
みほが小さく笑った。
何がおかしいのか分からないまま見ていると、今度は俺へ向き直った。
「あの子、売れっ妓になると思うわ」
「そう、ですか」
「顔もええし、愛嬌もある。物怖じせえへんし」
「なるほど」
「でも、まだ自分の勢いで行ってまうな」
「そう、ですか」
「若いからなあ。あれで客の癖つかめるようになったら、強いで」
「そう、ですか」
俺は頭を掻いた。
採用した人間が売れるなら、それに越したことはない。ただ、そこから先はどう考えても俺の領域外だった。




