↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
根のない男 ―― 夜の街で、居場所をつくる  作者: 早瀬 構


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/49

第14話 祭りの残り火

1983年7月1日(金) 10:50


一


「中原さん、それでは朝礼を……」


 開店作業の出来を確認し、ロビーへ戻ろうとしたところで、事務所の戸口に足を止めた。


 十名のコンパニオンがそろい、脇には黒服たちが控えている。そこまでは、いつもの朝礼と変わらない。


 違っていたのは、衣装だった。


(やりすぎだ、これは……)


 思わず視線を逸らす。


 普段もタイトなドレスや、着崩した和装を身につけているので、身体の線が出ること自体は珍しくない。だが、今日の浴衣は明らかに平常値から外れていた。


 帯は低く、襟元は深い。裾の合わせも、歩けばどこまで開くのか心配になる。


 客は喜ぶだろう。七夕の企画として狙いも分かる。しかし、ロビーには客が出入りし、送迎の際には外も通る。


(公然わいせつだの、風営法違反だの、何を言われるか分からない)


(同業に通報でもされたら、洒落にならない)


 俺が考え込んでいると、コンパニオンたちが口々に声を掛けてきた。


「店長、どうです、この浴衣?」


「今年は店長が張り込んで下さったから、新調しちゃった」


「ほらほら。男性としての評価、聞かせて下さいよ」


 聞かれた以上、店長として答えなければならない。


「みなさん、露出の過多と、下着を着用していない場合の外形的印象には十分留意して下さい。特に送迎時は――」


「……えっ?」


 何人かが目を丸くした。


 数瞬置いて、ロビーが爆笑に包まれる。


「店長、言うに事欠いて、そこですか?」


「『外形的印象』って、ふふっ」


「浴衣に下着なんて、そんな無粋なこと言わないで下さいよ」


「ちゃんと見て下さいよ。ほら、これで完全武装ですから」


(完全武装じゃなくて丸腰です、それは)


 俺の指摘は、どうやらまったく違う方向へ受け取られたらしい。黒服たちまで「照れてるよ、店長」「可愛いっすよね」などと囁いている。


 何が可愛いのか分からない。


 俺が何を言っても笑いが広がるばかりで、朝礼が始まる気配がない。結局、中原が手を叩いて場を収めた。


「はいはい。店長いじめはその辺で。朝礼やりますよ」


 その金曜日、七夕キャンペーンは文字どおり祭りばやしの中で始まった。


 土曜、日曜は想定以上の大入りになった。紹介カードが思いのほか輪を広げ、新規客が押し寄せ、コンパニオンたちの回転率も総じて上振れした。待ち時間が出る時間帯まであり、中原たちは休憩の回し方を何度も組み替えていた。


二


 日曜日の閉店作業後、俺は事務所で電卓を弾いていた。


 前年同月比、時間帯別、新規客数、本指名率。数字を一通り追い終え、客のアンケートまで読み返す。接客に対する不満は、無視して差し支えない水準に収まっていた。


 数字だけなら、文句のつけようがない。六月までに積み上げた数字を考えても、店が上向いていることは間違いない。


 だからこそ、気になる。勢いが出たときほど、その勢いを実力と取り違えやすい。


「序盤戦、大入りじゃないですか。この調子で行ければ、かなり――」


「跳ね過ぎです」


 声を掛けてきた中原が、途中で口を閉じた。


「御殿がキャンペーン終了と同時に閉店するわけではありません。その後も営業は続きます。今の数字を基準に考えるのは危険です」


「そりゃ、まあ」


「浴衣、歩合の上乗せ、紹介カード。いくつもの要素が重なっています。平常時にそのまま再現できる数字ではありません」


 中原は口ひげをさすりながら、微かに苦笑した。


「そのあとも、もっと高く跳ねたいもんですけどね」


 楽観的だ。


 人間が本気を継続するのは難しい。まして今は、いつもと違う衣装と報酬があり、店全体が祭りの空気に包まれている。この勢いを日常の実力と取り違えれば、反動が出たときに判断を誤る。


 店長として、一度手綱を締めるべきか。


 俺がそう考えたところで、中原が先に言った。


「……いまのうちは、跳ねさせてやって下さい」


「しかし」


「疲れが出たら、こっちで締めます。せっかく、みんな乗ってますから」


 現場回しは、中原をはじめ黒服たちへ委ねている。キャンペーンそのものを承認したのも俺だ。それなら、現場を見ている中原の判断を尊重するべきだろう。


 俺は電卓を置いた。


「分かりました。お願いします」


「はい」


 中原はそれ以上何も言わず、閉店作業へ戻っていった。


三


 七月七日、木曜日。キャンペーン最終日の午後三時、社長が事務所へ現れた。


「ずいぶん当たってるじゃねえか。気に入らねえか?」


「おつかれさまです。そんなことはありませんが」


「『一過性の過熱です。反動が出ます』ってか?」


 俺の声色と口調を真似て、社長が口角を上げた。腹立たしいくらい似ている。


「その懸念はあります」


「お前、ほんとに数字が跳ねると嫌そうな顔するな」


「嫌なのではありません。再現性が分かりません」


「ほら、それだ」


 社長は鼻を鳴らした。


「祭りはな、儲けるためだけにやるんじゃねえ。店が『やった』って空気は、すぐには消えねえんだ」


「持続性の確認は必要です」


「毎日祭りじゃ慣れる。一年に一度じゃ冷える。だから、ここぞって時にやる」


 そこで社長は俺を指差した。


「誰が、その『ここぞ』を決めるんだ?」


 答えに詰まり、少し考える。


「……店長、ですか」


「そうだ」


 社長は椅子から腰を浮かせ、俺の肩を軽く叩いた。


「ムラの気分を上げる。祭りを始める。終わらせる。また次をやる。それも、ムラの長の仕事だろうが」


 それだけ言うと、社長は後ろ手にひらひら手を振りながら事務所を出ていった。


 理解はできる。だが、腑には落ちない。


 そもそも俺が音頭取りを苦手としていることくらい、社長も知っているはずだ。それでも、店長ならやれと言う。


(店長、か……)


四


 七夕キャンペーンは、成功裏のうちに幕を閉じた。


 ところが、直後の土曜日も日曜日も、俺が想定したほどには客足が落ちなかった。


 コンパニオンたちは普段の衣装へ戻り、歩合の上乗せも終わっている。それでも馴染み客へ手紙を書いている者がいて、紹介カードを持って来る新規客も途切れない。キャンペーン中の客へ礼状を書いている者までいた。中原たちは何も言わず、いつも通り現場を回していた。


 日曜日の閉店作業時、俺はロビーの笹を取り外した。


 七夕は終わった。いつまでも飾っておくものではない。


 短冊もまとめて処分するつもりだったが、ふと一枚が目に入り、手に取った。


(しかし……客が真面目に読んだら、どうするつもりだったんだ)


――「稼働八割」


 次。


――「一日三本必達」


 次。


――「太客大歓迎」


 さらに次。


――「借金返すぞ」


 願い事というより、業務目標と生活目標が入り交じっている。


 苦笑しながら短冊を外していき、最後の一枚を手に取った。


――「これからも、この店で穏やかに働けますように。 み」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。