第14話 祭りの残り火
1983年7月1日(金) 10:50
一
「中原さん、それでは朝礼を……」
開店作業の出来を確認し、ロビーへ戻ろうとしたところで、事務所の戸口に足を止めた。
十名のコンパニオンがそろい、脇には黒服たちが控えている。そこまでは、いつもの朝礼と変わらない。
違っていたのは、衣装だった。
(やりすぎだ、これは……)
思わず視線を逸らす。
普段もタイトなドレスや、着崩した和装を身につけているので、身体の線が出ること自体は珍しくない。だが、今日の浴衣は明らかに平常値から外れていた。
帯は低く、襟元は深い。裾の合わせも、歩けばどこまで開くのか心配になる。
客は喜ぶだろう。七夕の企画として狙いも分かる。しかし、ロビーには客が出入りし、送迎の際には外も通る。
(公然わいせつだの、風営法違反だの、何を言われるか分からない)
(同業に通報でもされたら、洒落にならない)
俺が考え込んでいると、コンパニオンたちが口々に声を掛けてきた。
「店長、どうです、この浴衣?」
「今年は店長が張り込んで下さったから、新調しちゃった」
「ほらほら。男性としての評価、聞かせて下さいよ」
聞かれた以上、店長として答えなければならない。
「みなさん、露出の過多と、下着を着用していない場合の外形的印象には十分留意して下さい。特に送迎時は――」
「……えっ?」
何人かが目を丸くした。
数瞬置いて、ロビーが爆笑に包まれる。
「店長、言うに事欠いて、そこですか?」
「『外形的印象』って、ふふっ」
「浴衣に下着なんて、そんな無粋なこと言わないで下さいよ」
「ちゃんと見て下さいよ。ほら、これで完全武装ですから」
(完全武装じゃなくて丸腰です、それは)
俺の指摘は、どうやらまったく違う方向へ受け取られたらしい。黒服たちまで「照れてるよ、店長」「可愛いっすよね」などと囁いている。
何が可愛いのか分からない。
俺が何を言っても笑いが広がるばかりで、朝礼が始まる気配がない。結局、中原が手を叩いて場を収めた。
「はいはい。店長いじめはその辺で。朝礼やりますよ」
その金曜日、七夕キャンペーンは文字どおり祭りばやしの中で始まった。
土曜、日曜は想定以上の大入りになった。紹介カードが思いのほか輪を広げ、新規客が押し寄せ、コンパニオンたちの回転率も総じて上振れした。待ち時間が出る時間帯まであり、中原たちは休憩の回し方を何度も組み替えていた。
二
日曜日の閉店作業後、俺は事務所で電卓を弾いていた。
前年同月比、時間帯別、新規客数、本指名率。数字を一通り追い終え、客のアンケートまで読み返す。接客に対する不満は、無視して差し支えない水準に収まっていた。
数字だけなら、文句のつけようがない。六月までに積み上げた数字を考えても、店が上向いていることは間違いない。
だからこそ、気になる。勢いが出たときほど、その勢いを実力と取り違えやすい。
「序盤戦、大入りじゃないですか。この調子で行ければ、かなり――」
「跳ね過ぎです」
声を掛けてきた中原が、途中で口を閉じた。
「御殿がキャンペーン終了と同時に閉店するわけではありません。その後も営業は続きます。今の数字を基準に考えるのは危険です」
「そりゃ、まあ」
「浴衣、歩合の上乗せ、紹介カード。いくつもの要素が重なっています。平常時にそのまま再現できる数字ではありません」
中原は口ひげをさすりながら、微かに苦笑した。
「そのあとも、もっと高く跳ねたいもんですけどね」
楽観的だ。
人間が本気を継続するのは難しい。まして今は、いつもと違う衣装と報酬があり、店全体が祭りの空気に包まれている。この勢いを日常の実力と取り違えれば、反動が出たときに判断を誤る。
店長として、一度手綱を締めるべきか。
俺がそう考えたところで、中原が先に言った。
「……いまのうちは、跳ねさせてやって下さい」
「しかし」
「疲れが出たら、こっちで締めます。せっかく、みんな乗ってますから」
現場回しは、中原をはじめ黒服たちへ委ねている。キャンペーンそのものを承認したのも俺だ。それなら、現場を見ている中原の判断を尊重するべきだろう。
俺は電卓を置いた。
「分かりました。お願いします」
「はい」
中原はそれ以上何も言わず、閉店作業へ戻っていった。
三
七月七日、木曜日。キャンペーン最終日の午後三時、社長が事務所へ現れた。
「ずいぶん当たってるじゃねえか。気に入らねえか?」
「おつかれさまです。そんなことはありませんが」
「『一過性の過熱です。反動が出ます』ってか?」
俺の声色と口調を真似て、社長が口角を上げた。腹立たしいくらい似ている。
「その懸念はあります」
「お前、ほんとに数字が跳ねると嫌そうな顔するな」
「嫌なのではありません。再現性が分かりません」
「ほら、それだ」
社長は鼻を鳴らした。
「祭りはな、儲けるためだけにやるんじゃねえ。店が『やった』って空気は、すぐには消えねえんだ」
「持続性の確認は必要です」
「毎日祭りじゃ慣れる。一年に一度じゃ冷える。だから、ここぞって時にやる」
そこで社長は俺を指差した。
「誰が、その『ここぞ』を決めるんだ?」
答えに詰まり、少し考える。
「……店長、ですか」
「そうだ」
社長は椅子から腰を浮かせ、俺の肩を軽く叩いた。
「ムラの気分を上げる。祭りを始める。終わらせる。また次をやる。それも、ムラの長の仕事だろうが」
それだけ言うと、社長は後ろ手にひらひら手を振りながら事務所を出ていった。
理解はできる。だが、腑には落ちない。
そもそも俺が音頭取りを苦手としていることくらい、社長も知っているはずだ。それでも、店長ならやれと言う。
(店長、か……)
四
七夕キャンペーンは、成功裏のうちに幕を閉じた。
ところが、直後の土曜日も日曜日も、俺が想定したほどには客足が落ちなかった。
コンパニオンたちは普段の衣装へ戻り、歩合の上乗せも終わっている。それでも馴染み客へ手紙を書いている者がいて、紹介カードを持って来る新規客も途切れない。キャンペーン中の客へ礼状を書いている者までいた。中原たちは何も言わず、いつも通り現場を回していた。
日曜日の閉店作業時、俺はロビーの笹を取り外した。
七夕は終わった。いつまでも飾っておくものではない。
短冊もまとめて処分するつもりだったが、ふと一枚が目に入り、手に取った。
(しかし……客が真面目に読んだら、どうするつもりだったんだ)
――「稼働八割」
次。
――「一日三本必達」
次。
――「太客大歓迎」
さらに次。
――「借金返すぞ」
願い事というより、業務目標と生活目標が入り交じっている。
苦笑しながら短冊を外していき、最後の一枚を手に取った。
――「これからも、この店で穏やかに働けますように。 み」




