初夏の朝、嫁が降ってきた
初夏の太陽。
目覚めた瞬間から、俺の戦いが始まる。
「拓ちゃーん。おはよう!」
頭上から降ってくる甘い声。
しかし、実際に降ってくるのは── 俺の嫁(物理)
「ぐえっ!」
いくら小柄で華奢でも、
フルダイブされたら死ねる!!
ミシッと骨が軋む音が聞こえる。
……あぁ、これが夫婦の絆ってやつか。
「拓ちゃん、ご飯できてるよ」
頬笑む彼女。
口から血を流す俺。
繰り返される負傷。
……なのに、どこか幸せだった。
──パイには、抗えないんだ。
「拓ちゃん。
今日は”大切な日”だから、
早く帰ってきてね」
食事中に、
さらっと告げられ、自然と首が傾く。
「今日って何かあった?」
入籍したばかりで記念日は違う。
今日は平日で、会社もある。
嫁は無邪気な笑みを浮かべるだけで、
それ以上、何も教えてくれなかった。
名前:Tちゃん
……って、ことがあったんだけど、
”大切な日”で思いつくこととかある?
騒団スレッド恐ろしい子!
まさか、こんなにもハマるとは思わなかった。
仕事中に会社のパソコンを使う訳にもいかず、
俺はこっそりと携帯で知恵を求めていた。
通知設定を入れて、
いつでも分かるようにしておいたら、早速スマホが振動した。
名前:オーパンツー
パンツを脱げば、全て解決!
さんはい⊂(・∀・)⊃スポーン
……うん、こいつはもう手遅れだ。
画面越しにため息をつく。
すると新しいレスが増えていた。
名前:しろうさ
Tちゃんさん、こんにちわ。
仕事中に書き込みとは感心しませんね(笑)
女性はサプライズが好きですから、
何かのお祝いかもしれませんよ^^
”仕事中”の言葉に耳が痛い。
けど、お陰で思い出した。
「今日は俺の誕生日だ」
現在夜の七時。
俺は、玄関の前に立っていた。
ピンポンを鳴らせば、
包丁を持った嫁に抱きつかれるかもしれない。
しかし、猪並に飛び出してくるから、
正面から受け止めないと、彼女が怪我をするかもしれない。
腕を組んでは、
眉間に皺を寄せ、答えの代わりに唸り声を漏らす。
──ガチャン
「あっ」
スローモーションのように迫る扉。
ガンッ!っと顔に走る衝撃。
気づけば、廊下で倒れていた。
「きゃーーー!!
ちょっとやだ、大丈夫!?」
声の方に目を向けると、
嫁が目を潤ませ、オロオロしている。
「ごめんね。帰りが気になって、
外を覗こうと思っただけなのに……」
震えた声で、そっと俺の顔に手を伸ばす。
優しく頬をつつみ、何かブツブツ呟いている。
「えーと、こういう時は、
痛いの痛いの飛んでけー!
ゴミ集積所までとんでけー!」
真剣に繰り返す嫁。
それを見て、思わず吹き出してしまう。
そんな嫁が愛おしくて仕方ない。
……けど、なんでかな。
泣き顔に胸がモヤッとした。
もう、見たくないと思った。
嫁に手を引かれ、家の中に入る。
きっと、ご馳走が並んでいるのだろう。
ハンバーグ、カレーもいいなぁ。
メニューを想像してるうちに、
いつの間にか、リビング前へ到着していた。
嫁は振り返ると、ドアノブを掴んだまま
満面の笑みで、カウントダウンを始める。
「いっくよー
3・2・1、ジャジャーン!」
開け放たれる扉。
視界に映ったのは──
「そう、チキンダック!」
……ん?
「チキンダック!?」
俺、目玉ぽーんと飛んでった気がする。
食卓には、手のひらサイズの餃子を始め、
山の形をしたハンバーグが、火口からミートソースを噴き出している。
「これしか作れなくてごめんね」
嫁の声だ。
テーブルの上が、もはやジャングルだ。
……何を目指していたんだ。
「本当は天ノ川のグラタンも、
作りたかったんだけど、お皿がなくて」
いや、グラタンは川じゃないから!
料理の前に立ったまま、彼女は楽しそうに説明を続けていた。
「これはね、最初もっと高くしようと思ってたの。
でも崩れちゃって……やっぱり重力には勝てなかったみたい」
くるくると手を動かしながら、
まるで子どもみたいに無邪気に笑う。
「あとね、本当はデザートに流しチョコレートフォンデュをやろうと思ったんだけど──」
背中越しの声に、
ふっと笑みがこぼれる。
「流すなら、そうめんだろ」
──ああ。
なんだか、ひどく穏やかだ。
気づけば、口から言葉がこぼれていた。
「……かのん、ありがとうな」
ぴたり、と。
彼女の動きが止まる。
ゆっくりと、時間を確かめるみたいに振り返り、
俺の顔をじっと見つめた。
その瞳が、ほんの一瞬だけ揺れて──
やがて、ふっと柔らかくほどける。
「どういたしまして」
にっこりと、いつもの笑顔で。
「いやあ、うまいなあ。かのんのご飯は、いつ食べてもおいしいなあ」
嬉しそうに頬を緩めながら、俺は次々と料理に箸を伸ばしていく。
どれもこれも、見た目はともかく──味はちゃんとしているのが悔しい。
「もう、拓ちゃんったら。そんなに褒めて」
かのんは照れたように笑って、右頬に手を添えた。
「……もう一品、作ってこようかしら」
「いや、それはもう大丈夫だから」
即答だった。
危機管理能力が、俺の中で確実に育っている。
「そう? でも、そんなに褒められたら……何かお返しがしたいなあ」
そう言って、ぱっと顔を明るくする。
「そうだ、拓ちゃん。あーん」
差し出されたフォークの先には、ハンバーグ。
ほんのり湯気を立てているそれに、思わず視線が吸い寄せられる。
「いや、あーんって……」
頬がじわりと熱くなる。
けれど、期待には抗えない。
ゆっくりと口を開け──ぱくり。
「……うまい」
味だけじゃない。
いろんな意味で、噛みしめてしまう。
「ほんと!?」
かのんの目がぱっと輝いた。
次の瞬間、別の料理がフォークに刺さって差し出される。
「はい、これも!」
「あ、ああ……」
もう一口。
「どう? どう?」
「うまい、うまい」
その一言で、さらに勢いづく。
「じゃあ次はこれ! それとこれも!」
気づけば、次から次へと運ばれてくる料理。
最初はその時間が嬉しくて、素直に受け入れていた。
──だが。
「……かのん、ちょっと」
腹が、きつい。
そろそろ止めようと顔を上げた、そのとき。
「はあ……はあ……」
荒い息が、耳に届いた。
視線を向けると──
かのんが、こちらを見つめている。
瞳が、やけに強い光を帯びていた。
手に持ったフォークは、カタカタと震えている。
「拓ちゃん……これも、食べて?」
差し出されたフォークが、微かに揺れる。
いや、揺れているどころじゃない。今にも刺さりそうな勢いだ。
本能が警鐘を鳴らす。
「もうお腹いっぱいだから! 明日食べるから! だからちょっと落ち着け!」
慌てて距離を取ろうとする──が。
ぐいっ、と。
左手で身体を引き寄せられた。
「遠慮しなくていいのよ」
抱きつかれる。
逃げ場がない。
「もう、照れ屋さんなんだから」
「違う、照れてない! つーか刺さる、刺さるって!!」
フォークが口元に迫る。
明らかに角度がおかしい。
「いやこれ通り過ぎてない!? 食べさせる角度じゃないって!!」
必死に押し返す。
だが、力が強い。なんでこんなに強いんだ。
もがく中で、ふと視界の端に何かが映る。
──棚の上の、パンフレット。
だが、次の瞬間。
「拓ちゃーん♡」
甘い声とともに、フォークが迫る。
思考が吹き飛ぶ。
「誰か助けてーー!!」
その後、何とか生き延びた俺は、
嫁を寝かしつけてから、いつものスレッドに入り浸っていた。
名前:Tちゃん
真相は、俺の誕生日でした。
皆さんお騒がせしました。
今日も命懸けだったけど、最高だったわー。
自慢げに説明すると、すぐに返信があった。
名前:リア充爆発しろ
誕生日の日まで、命狙われてるとかww
もしかして保険金殺人?
嫁頑張れー!
名前:しろうさ
ははっ、今日は大変でしたね。
にしても、誕生日を忘れてしまうなんて、
Tちゃんさんも歳ですね^^
「くそっ、好き勝手いいやがって……んっ?」
画面の前で歯噛みしてると、
オーパンツーからの書き込みが表示された。
名前:オーパンツー
毎日命懸けで大変だね。
鉄のパンツあげようか?
……俺はそっと画面を閉じた。
ご馳走で膨らんだお腹を抱え、
嫁を起こさないよう、ベッドに横たわる。
「おやすみ、かのん」
そう囁いて目を瞑る。
ふと、さっき見たパンフレットが脳裏に浮かぶ。
そうえばアレ──
「保険のパンフレットだったな」
……まさか、な。
そうして俺は、眠りについた。




