略奪者と断罪者
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谷が再生し、束の間の安息に浸るノアたち。
しかし、コアの停止信号を受信した「招かれざる客」が、空間を裂いてやって来ます。
焦げた魔力の匂いが、風の中に混じった瞬間。
空気が——割れた。
文字通り、空間が引き裂かれる音がした。
ビリビリビリ、と。
布を破るのとも、紙を引き千切るのとも違う。
世界の表面に爪を立てて、力任せにこじ開けるような、不快な振動。
「——転移陣よ」
シオンの声が、鋭く変わった。
「空間を裂いて、軍勢ごとワープしてきた。谷の入り口の上空——ものすごい数の魔力反応が一気に出現してる」
理の糸を弾く。
返ってきた振動が、嵐のように荒れ狂っていた。
一つ、二つ——数え切れない。
何十人もの人間の体温と、甲冑の金属が軋む音と、詠唱を待ち構えて震える魔力の束が、一斉にこの谷に降り立った。
「ノア。二つの集団がいるわ。北から来た方は——魔力が荒々しくて、計測器みたいな魔導具をいくつも持ってる。術式の匂いが強い。研究者崩れの軍勢ね」
「アルケインですか」
「たぶん。もう一方は東から。こっちは正反対。整列された魔力。祈りの波動が混じってる。甲冑も揃い。騎士団か聖教兵よ」
「リタニア」
二大国。
同時に。
僕は膝の上のコアを、そっと上着の内側に押し込んだ。
コアの歯車が、きゅる、と一回だけ震えた。
怯えるように。
最初に聞こえてきたのは、靴音だった。
ゆっくりとした、自信に満ちた足取り。
甲冑でも革靴でもない、硬い靴底が岩を叩く乾いた音。
研究者の革靴。
その背後に、何十もの軍靴が続いている。
「——素晴らしい」
高い声が響いた。
芝居がかった、早口の、知性をひけらかすような口調。
「素晴らしいよ、実に素晴らしい! 私の片眼鏡が壊れたのかと思ったが——本当にあの赤い霧が消えている! 谷が元に戻っている! ということは!」
靴音が止まった。
数メートル先。
片眼鏡のレンズが回転する小さな機械音が聞こえる。
「ついに——ロード・スクラップは完全停止したか。そして、コアは無傷で摘出された。自壊トラップを解除する手間が省けたよ。感謝するよ、名も知らぬ凡愚たち」
凡愚。
僕たちを見て、最初に出てきた言葉がそれだった。
「……あなたは?」
「ああ、これは失礼。私はヴィクター・アルマン。アルケイン魔導院・第四研究室の室長を務めている。もっとも、こんな辺境まで自ら足を運ぶのは趣味ではないのだがね。信号があまりにも急だったものでね」
信号。
やはり。
「……自壊トラップの信号を、受信していたんですね」
「ほう? 凡愚の割には察しがいいじゃないか。その通り。あの自壊プログラムにはモニタリング用の回線が組み込んであった。カウントダウンが開始された時点で第一報。停止された時点で第二報。コアが外気に触れた時点で——緊急転移の条件が成立した」
つまり、自壊装置は「爆弾」であると同時に「発信器」でもあった。
コアが摘出された瞬間に、世界の裏側にいるこいつらに通知が飛ぶ仕組み。
「……あなたが、あの装置を仕掛けたんですか」
「私? いいや。先代の室長だよ。もう三十年も前の話だ。私はそれを引き継いだだけさ」
三十年。
何千年分の記憶になかったのは、そういうことか。
スクラップの「意識」がすでに摩耗しきって、外部からの干渉を知覚できなくなった頃に——こっそり仕掛けた。
「さて。無駄話はここまでにしよう。そのコアを渡してもらえるかな? 丁重に扱うよ。少なくとも、壊しはしない。あれは私の——いや、人類の未来を切り拓く鍵だからね」
ヴィクターが一歩、近づいた。
その瞬間——
東側から、もう一つの気配が割って入った。
足音はなかった。
代わりに、空気の温度が下がった。
祈りの波動が、地面を這うように広がってくる。
幾何学的な魔法陣の匂い。
整えられた、厳格な、一切の遊びがない魔力の配列。
「——女神の威光に代わり、異端の遺物を回収する」
低い声が響いた。
ヴィクターの甲高い声とは正反対の、深く、冷たく、感情のない声。
ゆっくりと。
一語一語、石に刻むように。
「穢れた手からそれを離し、地に伏して裁きを受けなさい。さもなくば——」
「おや。イェレミヤ審問官殿。早いお着きで」
ヴィクターの声に、薄い嘲りが混じった。
「転移陣のエネルギーは、こちらが提供したはずだが? 到着が同時とは、随分と効率のいい寄生だね」
「黙りなさい、アルマン」
イェレミヤの声は、微動だにしなかった。
「我らの協定は、遺物の確保までだ。確保の後は、我らが聖都へ移送し、女神の封印の元に永久幽閉する。それが合意のはずだ」
「ええ、ええ、もちろん覚えていますとも。ただ——『確保の後』ね。確保するのは私の部隊だ。つまり先に触れるのは、私ということになる」
「……好きに解釈しなさい。結果は変わらない」
二人の間に、鉄よりも冷たい沈黙が落ちた。
互いに利用し合い、互いに出し抜こうとしている。
僕のことなど、目に入っていない。
いや——僕が抱えている「もの」しか、見えていない。
「……あの」
僕は、声を出した。
ヴィクターとイェレミヤの会話が、ぴたりと止まった。
「お話の途中ですみません」
「……なんだ、凡愚。まだ何かあるのかね」
「このコアは、渡せません」
静かに言った。
胸の中で、コアの歯車が、きゅると震えた。
「この子は——何千年も、たった一人で、この谷の命を守ろうとしてきました。誰にも褒められず、誰にも気づかれず、ただ『守れ』と言われたから、壊れるまで回り続けてきた。その子を——道具として持っていくことは、できません」
沈黙。
五秒。
十秒。
ヴィクターが——笑った。
「はは。はははは。これは愉快だ。凡愚が機械に感情移入しているよ。イェレミヤ殿、聞いたかね? このお子様は、禁忌兵器に名前でも付ける気かな?」
「……」
イェレミヤは笑わなかった。
代わりに、僕に向けられる視線の温度が——さらに下がった気配がした。
「罪人よ。お前は、それが何であるか理解していない」
「理解しています」
「していない。あれは何千年前に世界を滅ぼしかけた神代の遺物だ。お前が抱いている小さな塊一つで、国が一つ消える。現に、この谷がそうだった。お前が見た——あの鉄に覆われた死の谷。あれが、お前の『守りたいもの』の本性だ」
「それは——暴走していただけです。この子の本来の目的は、命を守ることでした。やり方が間違っていただけで——」
「やり方が間違っていた?」
イェレミヤの声が、一段と冷えた。
「私の故郷も、そう言われたよ。『暴走しただけだ』『本来は危険ではない』と。だが結果はどうだ。三千人が死んだ。私の妻と、二人の子どもを含めてな」
——空気が、凍った。
イェレミヤの声だけが、白い法衣の下から這い出してくる。
「古代遺物が優しいなどと寝言を抜かすな、罪人。あれは必ず暴走する。千年後か、一万年後か——必ず。その時に死ぬのは、お前のような夢見がちな子どもではない。何の罪もない、ただ暮らしていただけの人々だ」
返す言葉が、見つからなかった。
イェレミヤの言っていることは——間違っていない。
スクラップは、実際に暴走した。
この谷の生き物を全て鉄に変えた。
それが「守るため」だったとしても——結果として、何千年もの間、生命を奪い続けていた。
でも。
「……でも、この子は、もう回り方を間違えません」
僕は、コアを胸に抱いたまま言った。
「僕が、ちゃんと隣にいますから」
静寂が落ちた。
フクが、僕の横で前脚を踏み鳴らす。
「おいらも、いるッス」
シオンが、僕の肩に飛び乗る。
「……まったく。三日分の昼寝どころか、一年分請求してやるわ」
ヴィクターの片眼鏡が、カチカチと回転する音がした。
「ふむ。交渉決裂、ということでいいのかな?」
イェレミヤが、ゆっくりと右手を挙げた。
その背後で、何十もの魔法陣が、一斉に光を帯び始める。
「聖教騎士団」
氷の声。
「戦闘配置」
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
略奪者ヴィクターと断罪者イェレミヤ。
目的は正反対なのに、「コアを奪う」という結論だけが一致している——最も厄介な敵が姿を現しました。
ノアの「この子は渡せません」に対し、イェレミヤが返した言葉は、反論できない重さがありました。
コアは確かに暴走した。確かに人を殺した。
それでも、ノアは——抱きしめたまま、離しませんでした。
次回、いよいよ戦闘が始まります。
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