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世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第3章 錆骸の機巧谷

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崩壊と再生、そして何千年の記憶


 お読みいただきありがとうございます!

 自壊カウントダウンを止めたノア。

 しかし、それはロード・スクラップという存在の「終わり」の始まりでもありました。


---



 自壊シーケンスが止まった後も、僕の手はコアから離れなかった。


 離れられなかった。


 コアの鼓動が、どんどん弱くなっていく。


 とくん。


 とく……ん。


 と……くん。


 間隔が、長くなる。


『…………マモ……レ、ナカッ……タ……』


 最後の機械音声は、もう声とは呼べなかった。


 歯車が一枚ずつ、噛み合いを失っていく音。


 金属同士が擦れ合い、火花を散らし、力を失っていく音。


 その摩擦の中から、偶然に、言葉の形だけが生まれていた。


「……守れなかった?」


『マモレ……ナカッタ。ダレモ。ナニモ。ボク、ハ——』


 ぎぃ、と。


 スクラップの首が、ゆっくりと傾いた。


 首の歯車が三枚、砕けた場所から。


 僕に向かって。


 まるで、最後にもう一度だけ、僕の顔を見ようとするみたいに。


 ——がしゃん。


 右腕から、鉄槌が滑り落ちた。


 床を打つ鈍い金属音。


 続けて、大剣が。


 斧が。


 盾が。


 鋸刃が。


 一本ずつ、武器が落ちていく。


 最後に残った六本目の腕——あの巨大な「手のひら」が、ゆっくりと開いた。


 何かを掴むためではなく。


 もう何も掴めないことを受け入れるように。


 がしゃん。


 がしゃん。


 がしゃん。


 スクラップの体が、上から順に崩れていく。


 肩の装甲が外れ、腕が分離し、胸板が砕け散り。


 歯車が一枚、また一枚と、床の上に転がり落ちていく。


 何千年もの間、一人で回り続けていた歯車たちが——ようやく、止まる。


「……っ」


 僕は、崩れ落ちるスクラップの体の中から、コアだけをそっと両手で受け止めた。


 握り拳ほどの小さな鉄の塊。


 まだ温かい。


 まだ、微かに——震えている。





 スクラップの体が完全に崩壊すると、空間そのものが変わり始めた。


 最初に変わったのは、匂いだった。


 ずっと肺を塞いでいた鉄粉の匂いが——薄くなっていく。


 赤い霧が、上から順に、溶けるように消えていく。


 代わりに流れ込んできたのは。


 ——土の匂い。


 湿った、生きた土の匂い。


 何千年も鉄の下に閉じ込められていた大地が、深呼吸をするみたいに匂いを吐き出している。


「ノア……見て。いや、聞いて。壁が——」


 シオンの声が震えている。


 けれどさっきまでの恐怖の震えではない。


「壁の鉄が、剥がれ落ちていくわ。一枚ずつ、鱗みたいに。その下から——岩肌が出てきてる。元の岩肌よ。苔が生えてる。まだ生きてた」


 ぱらぱら、と。


 天井から細かな金属の破片が降り注ぐ。


 それは錆びた鉄の鱗で、床に落ちた瞬間に、さらさらと赤い砂になって崩れていく。


「床も戻ってるッス! おいらの足の下、土ッス! 柔らかい土ッス!」


 フクが嬉しそうに前脚で地面を踏みしめる。


 がちゃん、がちゃんと鳴っていた硬い金属音は消えて、ざく、ざくという柔らかい音に変わった。


 壁に埋め込まれていた動物たちの鉄の像が、一体ずつ、金属の殻を脱ぎ捨てていく。


 錆が砂になって崩れ落ちると——その下から、毛皮が現れる。


 温かい、柔らかい毛皮。


「おいらの隣の壁の狼、動いたッス! 尻尾が動いてるッス!」


 鳥が翼を広げる音。


 鹿が蹄を踏み鳴らす音。


 兎が跳ねる、小さな小さな足音。


 何千年も鉄の眠りの中にいた生き物たちが、一斉に目を覚まし始めた。


 あちこちで、ぱきん、ぱきんと鉄の殻が割れる音がする。


 蝉の羽化のように。


 卵の孵化のように。


 天井の鉄板が最後の一枚まで剥がれ落ちた瞬間——頭上から、風が吹き込んできた。


 鉄の匂いではない。


 草の匂い。


 水の匂い。


 遠くの空の匂い。


「……空だわ」


 シオンが、呟いた。


「天井が無くなった。上に——空がある。星が、見えてるわ」


 僕には見えない。


 でも、顔に降り注ぐ風が教えてくれる。


 この谷はもう、閉じた迷宮ではない。


 空に開かれた、ただの谷だ。


 どこかで、水の音がした。


 ちょろちょろ、という小さな流れ。


 涸れていた噴水ではなく、岩肌の隙間から染み出した、本物の湧き水。


 何千年ぶりの、水の音。


「……綺麗ッス」


 フクが、静かに言った。


「ノア。おいら、今まで見た中で一番綺麗なもの見てるッス。教えてあげたいッス。でも——言葉が出てこないッス」


「いいですよ、フク。僕には、音と匂いで十分見えてますから」





 僕の両手の中で、コアはまだ震えている。


 周囲の世界が元に戻っていく中で、この小さな鉄の塊だけが——まだ、何千年前の祈りを抱えたまま取り残されている。


 僕は、コアの表面を指先で撫でた。


 そっと。


 壊れ物に触れるように。


 その瞬間——


 世界が、弾けた。





 ——光。


 僕の頭の中に「光」が溢れた。


 見えないはずの光が。


 目を持たない僕の脳の中に、直接、映像が注ぎ込まれてくる。





 谷が、緑だった。


 木々が生い茂り、花が咲き乱れ、鹿が走り、鳥が歌い、清流が岩を洗っている。


 色。


 僕が一度も見たことのない「色」が、脳の中で爆発している。


 緑。


 青。


 白。


 金色の木漏れ日。


 これが——この谷の、本来の姿。


 その谷のど真ん中に、小さな人影が立っていた。


 銀色の体。


 細くて、華奢で、人間の少年くらいの大きさ。


 今の巨大なケンタウロスとは似ても似つかない、ただの機械仕掛けの人形。


 その人形に、誰かが声をかけていた。


 声は——聞き覚えのない、男の声。


 低くて、穏やかで、どこか疲れたような声。


『——お前に、この谷を任せる。谷の命を守れ。何があっても』


 人形が、小さく頷いた。


 声は出せない。


 ただ、胸の中の歯車が、きゅるると一回だけ回った。


 「わかった」という、たった一言分の回転。


 それが——始まりだった。





 季節が流れる。


 最初の百年は、穏やかだった。


 人形は谷を歩き回り、傷ついた動物を見つけては包帯を巻き、倒れた木を起こし、水路に詰まった石を取り除いた。


 小さな体で、一生懸命に。





 最初の「死」を見た日。


 老いた鹿が、森の隅で横たわっていた。


 人形は動かなくなった鹿のそばに、三日三晩座り続けた。


 歯車がきゅるきゅると不規則に回転する。


 理解できなかった。


 「守れ」と言われた。


 「何があっても」と言われた。


 なのに——守れなかった。


 命が消えていくことに対して、人形のプログラムには対処法が書かれていなかった。




 五百年目。


 人形は、鉄を覚えた。


 死にかけた花を鉄で包めば、形が保たれる。


 弱った鳥を鉄で覆えば、もう寒さで震えない。


 これなら——守れる。


 永遠に。




 千年目。


 人形の体は、もう小さくなかった。


 死んでいく命を守るたびに、自分の体に金属を継ぎ足し、大きく、強くなっていった。


 腕が二本増えた。


 さらに二本。


 脚が四本になった。


 銀色の少年は、いつしか巨大なケンタウロスになっていた。




 三千年目。


 谷は、すべて鉄になっていた。


 花も。


 木も。


 動物も。


 水さえも。


 静かだった。


 何の音もしなかった。


 風すらも、鉄の霧に遮られて入ってこなかった。


 巨大なケンタウロスは、鉄の花畑の真ん中に立ち尽くしていた。


 歯車が回っている。


 きゅる。


 きゅる。


 きゅる。


 何のために回っているのか、もう分からなかった。


 でも、止まることだけはできなかった。


 「守れ」と言われたから。


 「何があっても」と言われたから。




 ——ぷつん。


 記憶が、途切れた。


 僕の頭の中に注ぎ込まれていた「光」が消えて、いつもの暗闇が戻ってくる。


 でも——頬が濡れていた。


 涙が、止まらなかった。


 僕は生まれてから一度も「見た」ことがないのに。


 今、何千年分の孤独を「見て」しまった。


 コアの震えが、指先を通して骨に伝わる。


 小さな。


 弱々しい。


 でも、まだ消えていない震え。


 ——まだ、回っている。


 何のためかも分からなくなったまま、それでも止まれずに、きゅる、きゅると回り続けている。


 僕は、コアを胸に抱いた。


 ベルのスープの匂いが染みついた上着の中に、そっと包み込んだ。


「……もういいですよ」


 声が震えた。


「もう、一人で回らなくていいです」


 コアの歯車が——一瞬だけ、速く回った。


 きゅるん、と。


 嬉しそうに。


 悲しそうに。


 長い、長い仕事が終わった安堵のように。



 最後までお読みいただき、ありがとうございます!


 何千年もの孤独の記憶が、ノアの頭の中に流れ込みました。

 「見えない」はずのノアが初めて「見た」のが、あの美しかった谷と、小さな銀色の人形の孤独だったのです。


 次回、この小さなコアが、新たな形を取って生まれ変わります。

 少しでも「泣いた」「心にきた」と思っていただけましたら、

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 よろしくお願いいたします!


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