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世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第2章 琥珀氷の黄昏郷

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勇者サイド第4話 忘却の楔と、四人目の影

クラウスを加えた勇者一行に、ヴァレリウスから緊急の密命が下ります。

その夜、教皇庁の暗い回廊をひとり歩くクラウスが呟いた言葉は——。



 ルークは、この男を見ていた。


 猫背。


 気怠い声。


 干し肉の脂で汚れた指先。


 どこからどう見ても、ただのだらしない中年男にしか見えない。


 でも——。


 ルークの勇者としての直感が、かすかに鳴った。


 杖の握り方。


 歩く時の重心の位置。


 視線の動き。

 ほんの一瞬、干し肉を噛みながら会議室に入ってきた時に、部屋の全員の位置と出入り口を一瞬で確認した目の動き。


 この男は——弱くない。


「ヴァレリウス様。この方が、本当に」


「ええ。アルケインの筆頭賢者メルクリウスの推薦です。かつて大陸最強と謳われた魔導師の一人——だった方ですよ。もっとも、今は半ば隠居の身だそうですが」


「大陸最強ってのは盛りすぎだって。おじさん、もうね、腰が限界なんだわ。魔導の前に腰痛をどうにかしてほしい」


 クラウスが腰をさすりながら呻く。


 ガルドが小声でルークに囁いた。


「おい、大丈夫かこのおっさん。戦力になるのか?」


「……分からない。だが、油断はするな」


「あっ、聞こえてるよぉ。おじさん、耳だけは良いんだわ。

 ——なぁルーク君、そんな怖い顔すんなって。

 おじさんは敵じゃないからさ。

 足手まといにもならないよう頑張るから、さ。仲良くしようぜ?」


 クラウスが手を差し出した。


 脂で少しべたつく手。


 ルークは一瞬だけ迷って、その手を握った。


「……よろしくお願いします、クラウスさん」


「堅いなぁ。クラウスでいいよ。おじさんって呼んでもいいし」


 ヴァレリウスが、声のトーンを落とした。


「それと——これは、まだ正式な報告が上がる前の話なのですが」


 笑みが消えた。


 この男が笑顔を消すのは珍しい。


「北方の琥珀氷の村の近辺で、特異点に酷似した現象が観測されています。蒼滝の件とほぼ同時期に。……こちらも、同一の術者による干渉の可能性がある」


「二箇所ほぼ同時期に……?」


「ええ。まだ枢機卿会議にも正式には諮っていません。ですが、もし同一人物であれば——その移動経路から正体を絞り込めるかもしれない。勇者殿には、内密に、明日にでも北方へ向かっていただきたい」


 ルークは頷いた。


「了解しました。——クラウス。明日の朝、北門に集合です」


「おっ、北か。寒いのかな。おじさん冷え性なんだよなぁ……。ねぇルーク君、出発前にどっかで腹巻き買えない?」


 ルークは額を押さえた。


 セシリアが呆れたようにため息をつく。


「……この方と一緒に、本当に極秘任務ができるのかしら」


「大丈夫大丈夫。おじさん、口は堅いよ。……干し肉みたいにね」


「その例え、全然安心できないわ」


 ガルドが吹き出した。


 ルークも、つい口元が緩んだ。


 不思議な男だ。


 得体が知れないのに、一緒にいると空気が軽くなる。


 まるで、ずっと前から知っている誰かのような気安さがある。


 ——あの「左後ろの空白」と、似た温度の。


 ルークはその考えを振り払い、席を立った。


「明日は早い。今夜はしっかり休みましょう」




 その夜。


 三人が宿の部屋に引き上げた後、教皇庁の回廊を一人で歩く男がいた。


 クラウスだった。


 猫背は、少しだけ伸びていた。


 昼間のだらしない足取りは消え、杖を持つ手にも無駄がない。


 色眼鏡の奥の瞳が、薄暗い回廊のステンドグラスの光を映している。


 左の瞳が——ほんの一瞬、不自然な色に光ったが、すぐに消えた。


 壁に彫られた聖典の一節を、立ち止まって読んでいた。


 「神は人の子を愛し、迷える魂に道を示す」。


 クラウスは、鼻で笑った。


「……愛ねぇ。道を示すねぇ」


 誰もいない回廊に、低い独り言が落ちる。


「おじさんさぁ、ずーっと長いことその『愛』に付き合わされてんだけど。いい加減もうちょっとマシな脚本にしてくんない?」


 色眼鏡を指で押し上げた。


 左目が——ほんの一瞬、色眼鏡の奥で不自然に光ったが、暗がりに紛れてすぐに消えた。


 さっき握手した若い勇者ルークの手のひらから、この男は何かを読み取っていた。


 ルークの「弱点」は、物理的なものではなかった。


 心に巣食う欠落。


 左後ろの空白。


 名前のない喪失感。——あれは、呪いでも病でもない。


 記憶に打ち込まれた楔が、少しずつ抜けかけている。


 思い出してはいけない名前が、ルークの意識の底で何度も浮かび上がっては消えている。


 セシリアもだ。


 あの聖女は感知能力が高すぎる。


 蒼滝の森で、あの泉に触れた時。


 術式の「筆致」に覚えがある、と言いかけた。


 あと一歩で思い出すところだった。


「……危なかったねぇ。あのお姫さん、勘が良すぎるんだよ」


 クラウスが首の後ろを掻いた。


「あのぼっちゃん(ルーク)、もう限界近いぞ。記憶の楔が薄くなってきてやがる」


 独り言だった。


 返事を期待してはいない。


 でも——。


「おじさんが来たからにはさぁ。もうちょっとだけ、持たせてやるよ。……頼まれてんだ。仕事だからな」


 誰に頼まれたのかは、言わなかった。


 クラウスは杖を肩に担ぎ、暗い回廊を歩いていった。


 足音は、やがて闇に溶けて消えた。


 回廊に残ったのは、干し肉のかすかな匂いと、色眼鏡のレンズに映った聖典の文字だけだった。




 翌朝。


 秋晴れの空の下、北門に四つの影が集まった。


「いやぁ〜寒い! おじさん、もう帰りたい!」


「まだ門を出たばっかりだろうが」


「だってガルド君、おじさん冷え性って言ったじゃん。あっ、腹巻き買い忘れた。ねぇルーク君、ちょっと戻ってもいい?」


「駄目です」


「えーっ」


 セシリアがため息をついた。


「……本当にこの人、大陸最強だったの?」


「おじさんの全盛期はねぇ、そりゃあもう凄かったんだよ。今はほら、引退してるし。腰もアレだし」


 クラウスがへらへら笑いながら、四人の最後尾をのんびり歩いている。


 ガルドが荷物を担ぎ、ルークが先頭を歩き、セシリアが地図を広げ、クラウスが後ろから干し肉を齧る。


 四人。


 四人の影が、秋の街道に並んでいた。


 ルークは——今日は、一度も振り返らなかった。


 左後ろの空白に、誰かがいる。


 努力しても、いない。


 でも今は本当にいる。


 干し肉を齧るおじさんが。


 それだけのことなのに、なぜか足取りが少しだけ軽くなった気がした。


ルーク、セシリア、ガルド、そしてクラウス。


彼らの旅は、ここから本格的に始まります。

琥珀氷の村で待っているのは、「白髪の恩人」の痕跡——。

その正体を、彼らはまだ知りません。


本編ではノアの視点で語られた「あの出来事」が、勇者たちの目にはどう映るのか。

答え合わせを楽しみにお待ちください。


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