表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を救った代償に存在を消された盲目の魔術師、黒猫と静かに世界を直していたら「第二の魔王」に認定されました【毎日更新中】  作者: ミロク
第2章 琥珀氷の黄昏郷

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/58

勇者サイド第1話 透明な森の氷壁

勇者サイドの物語が少しだけ始まります。

魔王を倒した英雄たち——勇者ルーク、聖女セシリア、大盾のガルド。

彼らは新たな調査任務のため、異変が報告された「蒼滝の逆樹海」に足を踏み入れます。

そこで彼らが見たものは、恐怖ではなく——あまりにも美しい「奇跡」でした。


 蒼滝の逆樹海は、嘘みたいに静かだった。


 特異点が観測されてから三ヶ月。


 予備調査団の魔術師が二人、精神を病んで帰還した。


 王都の宮廷では「第二の魔王が巣を張った」だの「星の綻びが新たな怪物を孵した」だの、尾ひれのついた噂が毎日のように飛び交い、騎士団の詰所にまで怪文書が投げ込まれる始末だった。


 だから、ルークは覚悟して来た。


 剣を抜き、息を整え、ガルドの大盾を背に、セシリアの祈りを耳に。


 三人で樹海の入口を潜ったとき、ルークが一番に感じたのは——。


「……あれ?」


 風だった。


 柔らかくて、温かくて、青い草の匂いがする風が、まっすぐに吹き抜けていった。


 特異点が暴れているはずの森だ。


 歪んだ重力。

 狂った魔力。

 逆流する滝と暴走する水竜。


 事前報告ではそうなっていた。


 なのに。


「おい、ルーク。……これ、本当に特異点が出たって場所か?」


 ガルドが大盾を持ったまま、呆然と立ち尽くしている。


 それも無理はなかった。


 蒼滝の逆樹海は——あまりにも美しかったのだ。


 苔むした巨木の幹が並び、木漏れ日が地面を白く染めている。


 枝から枝へ小鳥が渡り、どこかで泉が流れる音がする。


 空気に含まれる魔力は穏やかで、肺の奥まで行き渡るように清らかだった。


「報告書と全然違うな。逆流する滝も、重力の歪みもない。……ここ三ヶ月の間に、誰かが処理したってことか?」


「処理、というより」


 セシリアが一本の木に手を触れた。


 目を閉じ、指先で理の糸を辿る。


 聖女としての魔力感知は、三人の中で群を抜いている。


「……直されている」


「直された?」


「ええ。重力の歪みが正位置に戻されて、水脈も正常に流れている。綻びもすべて——一本残らず、縫い直されているわ」


 ルークは周囲を見回した。


 確かに、そうとしか言いようがなかった。


 ここにはかつて、とんでもない災害があったはずだ。


 重力が反転し、滝が空に向かって流れ、巨大な水竜が暴れ回っていたはずだ。


 でも今は、まるで熟練の職人が一針一針、世界の布地を繕ったかのように、何事もなかったかのように整えられている。


「誰が?」


 ルークの問いに、セシリアは首を振った。


「分からない。……でも、この術式の筆致、どこかで」


 彼女がそこで言葉を切った。


 いつものことだった。


 何かを掴みかけて、霧のように散る。


 のどの奥まで来た言葉が、最後の最後で形を失くしてしまう。


「……セシリア?」


「いいえ。気のせいだと思う」


 セシリアが微笑んだ。

 少しだけ寂しそうな笑み。




 三人は森の奥へと進んだ。


 道中、魔物の気配はまったくなかった。


 それどころか、森の生態系が驚くほど豊かに回復していた。


 鹿が水辺で水を飲み、木の葉の裏では蜘蛛が巣を張り、枯れ木の根元にはキノコが群生している。


「……なんだ、これは」


 ガルドが地面に膝をついた。


 土を手に取り、鼻に近づけ、指で揉む。


「肥沃だ。黒土の一等品だぞ。こんな深い森の中だってのに、まるで百年休ませた畑みたいな土壌だ」


「特異点の影響で荒廃していたはずの土地が?」


「ああ。復活ってレベルじゃねぇ。元の状態より良くなってる」


 ルークは無意識に、左後ろを振り返った。


 誰もいない。


 深い木洩れ日の中に、自分たちの影が三つだけ伸びている。


「……ルーク。また振り返ったわ」


「……いや、クセみたいなもんだ。気にしないでくれ」


 セシリアの声が柔らかくなった。

 少し心配そうな色が混じる。


「あなた、いつからそうなの? 魔王を倒してから?」


「……たぶん」


 ルークは答えられなかった。


 ただ、左後ろの空間だけがいつも少し温かい気がして。


 そこにいるはずの「誰か」が、ずっとついてきてくれている気がして。


 振り返ると、いつだって空っぽなのに。


「……行こう。奥にまだ何かあるかもしれない」




 森の中心部にたどり着く前に、ガルドの足が止まった。


「——おい。なんだ、これは」


 ガルドの声が、低く変わっていた。


 兄貴分の陽気さが消えて、戦場で幾度も死線を潜った戦士の声になっている。


 ルークも立ち止まった。


 目の前の空間が——おかしい。


 何もないように見える。


 森が続いていて、木漏れ日が射して、奥に倒木が見えて。


 でも何かが「ある」。


 空気の密度が変わっている。


 鼻の奥がつんとするほど冷たい何かが、目には見えないまま、そこに立ちはだかっている。


「セシリア、下がってろ。——ルーク、剣を」


「ああ」


 ルークが聖剣アスカロンの柄に手をかけた。


 ガルドが、左手を前に伸ばした。


 ゆっくりと、何もないはずの空間に向かって。


 ——ごつん。


 指先が、何かに触れた。


 目に見えない壁。


 ダイヤモンドより硬い感触が、ガルドの指を跳ね返した。


「……なんだこりゃ」


 ガルドが手のひらで触れ直す。


「壁だ。透明な壁。氷か? 鉄みたいに冷てぇが、透明すぎて何も見えねぇ」


「氷?」


 ルークも手を伸ばした。


 確かにそこにある。


 手のひらに、信じられないほど冷たくて、信じられないほど硬い「何か」が押し返してくる。


 分厚い。

 途方もなく分厚い壁だ。


 なのに、透明すぎて存在が見えない。


 向こう側の森がそのまま透けて見える。


 光の屈折すら起こっていない。


 あまりにも澄み切っていて、触れるまで「そこに何もない」と錯覚させる。


「これが——報告書にあった、あの透明な壁?」


「ああ。行商人が『ダイヤモンドより硬い、気の遠くなるほど巨大な壁がある』と言ってた、あれだ」


 セシリアが、壁に手を添えたまま目を閉じた。


 しばらく、微動だにしなかった。


 やがて、紫の瞳がゆっくりと開く。


「……ルーク。この中に、何かがいるわ」


「何かって——」


「水竜よ。壁の向こう側——いいえ、壁の『中』に、とてつもなく大きな生命が眠っている。心拍がある。微かだけれど、確実に。……この氷ごと、封じ込められているのよ」


 三人の間に沈黙が落ちた。


 風が壁の表面を撫でて、かすかな泣き声のような音を残す。


勇者サイドの物語、読んでいただきありがとうございます。

ノアの旅路を追いかけてきた皆さんには、あの森で何があったのか、もうお分かりですよね。

次回、ルークたちは透明な壁の「中身」に迫ります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ